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プロローグ

 西日が差しこむにはまだ早い時間帯。午前十時だ。今、特別やることはない。椅子に腰かけた人物は、暇だと思った。

 暇だと思って、すぐさま首を振った。

「暇はいいことじゃないかっ。生き急ぐ現代社会の人間に、俺はなりたくない。そもそも、二日前まで寝る間も無かったじゃないか」

 マンションの一室にひっそりと存在している事務所。そこが夢川探偵事務所である。

 一体探偵とはどんな仕事をするところなのか。ここの主である夢川冬治でさえ、良く知らなかった。彼のやっている仕事は言わばお尻拭きである。

 シンプルでありながら丁寧な作りの椅子の背もたれに背中を預けた。

「冷静に考えるんだ。俺、三日前なんて日の当らない地下研究室にいたじゃないか」

 研究室といいながら、やっていたことはサバゲーみたいなことだった。サバゲーと違うのは相手が人間じゃないところだ。

 相手を見つけたら適当に銃をぶっ放す。数は沢山いて、相手も相当冬治たちと遊びたい奴らばっかりだった。

 楽しくてやっているわけではない。作業感ありありだった。だからと言って手は抜けない。作業だ仕事だと割り切って、捕まった人間がどうなったかは想像にお任せだ。

「あの最後の青い蟹の化け物、硬かったなぁ」

 想像以上に時間がかかった理由は合体だ。蟹の化け物どもが折り重なり、一旦溶けて融合したのである。生物の神秘を垣間見た気がしてならない。一つ、疑問が残るとすれば赤色の蟹が複数合体して青くなることだった。コーラの中にメン○ス入れて吹きだすぐらいの不思議さだ。

 巨大蟹は腹部を爆破し、生きたまま中から冬治によって解体された。蟹の手足が大量に出たが、誰一人として食べようとはしなかったりする。一応、希望者は持って帰ってもいいよとお達しは出ていた。誰も持ち帰らなかった理由は一口かじった隊員が泡を吹いて倒れたからだろう。

「……蟹か、もったいなかったかな」

 決して食材の蟹が買えないほど、貧乏と言うわけではない。珍しい物を食べてみたいというのは人の食欲からくるのだろうか。

「やめとこ、何でも口にするのは幼児か掃除機ぐらいだ」

 面倒な仕事を終えた後は暇になることが多かった。夢川探偵事務所といいながら、その実は探偵業とは言い難い。化け物退治が無ければ、吸血鬼やら透明人間を探したりしているのだ。

 コーヒーでも飲むかと立ち上がり、びびっとくる。

「んー、何だか嫌な予感がする」

 大抵、嫌な予感というのは当たるものだ。長引く案件を受けるときは背筋を撫でられた感触がある。

 一歩を踏み出すと同時にチャイムが鳴った。

「あ、はーい」

 今やるべきことはお仕事だ。そのお仕事の第一歩として客を出迎えなければならない。面倒な仕事ばかりであるが、そこには信用とお客様の笑顔(一番重要なのはお金)が待っている。

「いらっしゃいませー」

 基本的に冬治の仕事は地藤グループから落ちてくる。そのため、稀にやってくる夫の浮気調査や、迷い犬や猫の調査、行方知れずとなった誰々を探して欲しい等の案件は特殊部隊みたいな連中が請け負うのだ。

 そのため、猫だろうが犬だろうが、奥さんから上手く逃げ隠れしてきた浮気の達人だろうと何だろうと……あっさりと尻尾を掴まれて終わるのだ。

 相手が人間だといいなぁと思いつつ、扉を開ける。

「こんにちは。地藤グループの方からここに来るように言われました」

「はぁ、どうもこんにちは」

 やってきた相手はインパクト大だった。蛍光ピンクのガスマスク、抹茶色の防護服を着ていた。声はくぐもっていて聞き取りづらい。

「とりあえず、立ち話もなんですから、どうぞ中へ」

 防護服のおかげで幅を取っている。標準より大きなソファーがいつもより小さく見えた。

「あの……」

「はい?」

「いえ、何でもありません」

 何でそんな格好をしているんですか。

 お客様に対してそういったことを聞いてはいけないのである。この前ものすごく頭を盛った女性がやってきたので誉めたのだ。

「すごいとぐろですね。まるであれみたいですよ」

 もう、最悪だったと地藤グループの電話担当から罵倒されたものだ。冬治はソフトクリームみたいで涼しげですねと伝えたかった。相手は食べられたものの末路を想像したとのこと。

 触らぬ神に祟りなし。見た目に関して話すのはやめておいた。

「早速ですが内容をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 中々の営業スマイルで臨んで見る。適当に購入して読んだ本には爽やかな表情をイメージして笑ってくださいと書いてあった。

「聞かないんですか?」

 いや、聞いたのはこっちですよと喉まで出かかる。少し考えて、冬治は言った。

「何をでしょうか」

「私のこの格好について、です」

 罠だ。直感した。

 ここでほいほい食いついたら後でクレームになるに違いない。

「私の事務所ではそういったもの、見慣れていますよ」

 変な物や化け物なんかは見慣れている。防護服も稀に見るが本当に稀だ。冬治が処理をした後に防護服に身を包まれた連中がやってきて処理を行うことが多々ある。

 え、俺は防護服着なくていいのと首を傾げたら大抵の人がすぐに影響は無いだろうと楽観視していた。

 その割にはヘルメットを無理やり外してやるとぎゃあぎゃあ騒ぐのだ。大げさな奴らだとため息をついた事もある。

「そうなんですね。てっきり、探偵といえば現実的だと浮気調査などを行って、空想的だと事件を解いているイメージが強くて」

 本物の探偵なんて見た事もない冬治としては、理想の探偵像だ。この探偵事務所を受け継いだ時、鏡に向かって人差し指を突きつける練習をした。容疑者に使用したことは、ただの一度もない。

「でしょうね。私なんかが殺人事件に巻き込まれたら警察に即連絡しますよ」

 トリックなんて見破れそうに無い。事件現場に立ち会ったなら被害者か、容疑者になることだろう。

「それで、地藤グループから言われたということは……多少、厄介なことなんでしょうね?」

「はは、まぁ、そうですよ」

 そういって防護服のお客は紙袋からお菓子と共にカードの束をテーブルの上に置く。

「それは?」

「アルケミストのタロットカードです」

「タロットカード?」

 冬治の知識は乏しい。二重数枚のカードが存在しており、それを占いの道具として使用する。

「このカードを作ったアルケミストを捕まえて欲しいのです。二日前、三流みながれ賞を受賞した雨森タツキ先生を知ってでしょうか」

「すみません、ちょっと存じ上げないですね。その時間帯、蟹と戦っていましたので」

「は? 蟹?」

「あ、いや、お気になさらないで下さい」

 言っても信じてもらえないだろう。不信感を与えるよりは、ごまかしたほうがまだましだ。

「それで、その三流さんがどうされたんですか」

「雨森です。雨森タツキ。売れない小説家が羽津市の体育館で講演を行いました」

 話をあわせるべきかどうか悩んだ。雨森という作家のことは良く知らない。

「彼がスピーチを終えるというタイミングで、液体が天井から垂れてきたのです」

「はぁ、何かのサプライズでしょうか」

「そうですね、サプライズです。液体がかかった雨森先生の身体は溶け、駄文を生み続けるタイプライターに変化したのです」

「それはまた、なんと言うか……駄文ですか。三流だから仕方が無いですね」

「問題はそこではなく、それがアルケミストと名乗る人物の犯行だということです」

 声にはいつのまにか、力がこもっていた。

「このままではまた、被害者が出ます」

「液体を掛けられてタイプライターになると?」

「液体だけではありません。さっきも言った通り、アルケミストが作った道具は他にもあるのです。ただ、液体自体は物質や人間を本質に変える液体のようです」

 有り体に言えば変な液体である。

「そう、ですか」

「お願いします。私のような被害者をこれ以上、増やしたくないんです」

 そういって頭を下げられる。

「わかりましたから、顔を上げてください。えーと、あなたも、アルケミストから被害を?」

「はい。先ほど見せたタロットカードで酷い目に遭いました」

 タロットカードで酷い目とはどういう意味だろうか。しゅっしゅっしゅーと投げられて頭に刺さったり等が考えられる。

 そんな馬鹿なことも無いだろう。冬治は首をかしげ、タロットカードのほうを見る。

「あの、これ触ってみてもいいですか?」

「それは……勘弁してください。また始まってしまう恐れがあるので」

 慌てて引っ込められた。

「そう、ですか」

 何が始まるのかはわからなかった。

「アルケミストですね、分かりました。頑張ってみます」

「あの、お金は……」

「ああ、それに関しては大丈夫ですよ。地藤グループからもらいますんで」

 何かグループにとって利益があるのか、冬治に結構な金額が振り込まれていた。

「ま、私に任せてください。変なことに関しての解決率は高いですから」

 また面倒なことに巻き込まれていることに、探偵、夢川冬治はうすうすとは気づいているのであった。


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