千年竜の願い事
むかしむかし、あるところに、千年もの長い年月を生きている年老いた竜がいました。
とても大きくて、綺麗な青い青い鱗をした美しい竜でした。
ひとたび、竜が口から炎を吐けば、瞬く間に辺り一面は焼け野原と化し、その大きな足を踏み鳴らせば、辺り一帯が地割れによって陥没してしまう程に、強大な力を持つ竜でした。
また、千年もの間生きてきた竜は、世界中のありとあらゆるものを見聞きし、様々な出来事を知っていたので、とても膨大な知識を持っていました。
竜は、その力と知識を以ってして、永い年月を生きてきたのです。
ですから、竜のもとには、その強大な力や知恵を求めて多くの人間たちが訪れます。
竜は、ある時は人々に乞われるままに力を貸し、ある時は、人々の良き相談相手となって知恵を授けました。
そうして竜は、人間たちとの共存の日々を図ってきたのです。
眠れぬ夜は歌を歌い、心浮かばぬ日は雨上がりの空に架かる虹を眺め、退屈な時には、ひらりひらりと優雅に舞う蝶を眺め、竜は幾年月、変わらぬ日々を送り、巡りゆく世界と人々を見守ってきたのでした。
けれど、ある日を境に、竜は突然自らの住む山に籠ってしまいした。
ずっと、世界中を見守り支え続けてくれていた大きな存在の喪失に、皆、動揺を隠しきれませんでした。
竜は誰とも会おうとしません。
困った人々は、ある一人の賢者にお願いをしました。
「どうして竜が引きこもってしまのか、どうにかしてその理由を尋ねて欲しいのです」
賢者はさっそく、竜の山へと向かいました。
竜の住む山は、北国に住む人間でさえ足を踏み入れないと言われるほどの雪山で、その山道は険しく困難を極めましたが、賢者はありとあらゆる知恵を使って、這う這うの体で竜の元に辿り着きました。
そして、竜に真相を尋ねたのでした。
「千年竜よ、どうして貴方は人々の前から姿を消したのですか」
竜は答えました。
「私はもう、生き続けることに飽き飽きしているのです」
来る日も来る日も、竜はたくさんの出来事を見てきました。
千年の間、竜はただ一人、世界の全てを見てきたのです。
多くの友は死に、新しく出来た友ももうあまりいません。
たくさんの人が竜より先に死んで行き、生まれ変わり、また死んで行くのです。
竜は、ずっとずっと長い間、ひたすら孤独と戦ってきたのでした。
竜は言います。
「もう、たくさんです」
賢者は困りました。
竜はずっとこの世界を支えてきた大事な存在です。
そんな存在を失えば、世界はたちまち混乱に陥るでしょう。
賢者は何か良い方法はないだろうかと考えました。
「千年竜よ、貴方にはとても感謝しています。千年もの間、我々人間を害することなく共に暮らしてくれたのですから。だから、貴方の望みを出来ることなら叶えてあげたい。しかし、小さな力しか持たぬ我々人間にとって、貴方という存在を失うのは、とても怖いことです」
賢者はどうしても竜に死んでほしくなかったのです。
だから、一生懸命、竜を説得しました。
しかし、竜はいっこうに首を縦にふりません。
そこで竜はふと閃きました。
「では賢者よ。人々に伝えて下さい。私は、私のこの残り少ない命を誰かにあげることにしましょう」
たとえ竜自身が死んでしまっても、竜の代わりとなる存在がいればいい。
竜と同じように長い時を生き、様々な出来事見続ければ、それはまたきっと人間たちにとって大きな支えとなる存在になるでしょう。
竜はそう考えたのでした。
竜の命は何千何万年とその光を絶やすことなく輝き続ける強い強い力です。
誰もがそれを欲しがりました。
あまりにたくさんの人が欲しがったため、竜は自分の命を誰にあげたらいいのか分からなくて困ってしまいました。
そこで、賢者は言いました。
「では千年竜が一番欲しいと思うものを持ってきたものに与えると言うのはどうだろうか」
とても難しい提案でした。
竜は生きることに飽いたために、誰かに命をあげることに決めたのですから。
この世界そのものに興味をなくしてしまった竜に、今更欲しいものがあるとは思えませんでした。
しかし、ほかにどうすればいいのか分からなかったので、皆その提案にしたがって、竜のもとに次々と世にも珍しいものを持ってくるのでした。
あるものは言いました。
「これは世にも珍しい虹を閉じ込めた宝石です。何千何億年という途方もない年月、ずっと虹を見続けてとうとう虹の姿を忘れられなくなってしまった、世界にたったひとつの宝石です」
しかし、竜は首を縦にはふりませんでした。
竜とて、虹はもう見飽きるほどに見てきたからです。
また、あるものは言いました。
「これは世にも珍しい美しい声で歌う木の枝です。自分に止まって美しい声でさえずる小鳥たちの声を聞いているうちに、自分もその美しい声の歌を覚えてしまった世界にたったひとつだけの木の枝です。」
それでも竜は首を縦にはふりません。
その木の枝が知っているよりも遥かに多くの美しい歌を竜は知っているからです。
ある者は言います。
「ではこれはどうでしょう。これは、光る蝶を閉じ込めた灯篭です。朝も夜も雨の日も、ずっと光りを灯し続けるこの世に二つとない灯篭です」
しかし、やはり、竜は頷きませんでした。
どれもこれもとても珍しく美しいものばかり出したが、竜の心を潤すことはできなかったのです。
誰もが諦めかけていた時、どこからともなく、ある一人の少女がやってきて言いました。
「竜さん。私はあなたに差し上げるものが何もありません」
少女は大きな空色の瞳をいっぱいに開いて、じっと竜を見つめながら言いました。
竜はじっと、この不思議な少女の言葉に耳を傾けます。
「私があなたに差し上げることができるのはこの身体だけです。だから、あなたに私を差し上げましょう。」
竜はとても驚きました。
「私はあなたの側でずっと、あなたが飽いてしまったというこの世界の、素晴らしいお話をしてあげましょう」
竜はぽろぽろと大きな大きな雫をこぼしました。
嬉しかったのです。
今まで誰一人として、竜自身のことを思ってくれる人がいなかったからです。
竜は千年間ずっと一人で生きてきたので、実はとても寂しかったのです。
少女の言葉が、清水のように竜の心を潤し、胸の内いっぱいに広がりました。
竜は言いました。
「それは私が一番欲しかった、安らぎと優しさです。ですが、それでは私はあなたに命をあげることができません」
竜は困りました。
千年ずっと孤独に生きてきた竜は、側で竜のためだけにお話をしてくれるという少女をとても好きになりました。
だから、この少女のために何かいい方法はないかと一生懸命考えました。
「では、あなたの命を半分だけ私に下さい」
少女が言いました。
「半分だけですか」
竜が首を傾げました。
もともとは、竜が生きることに飽いた為、人々に与えることにした命です。
ですから、この命を惜しんでいるわけではないのです。
ただ、竜のもとを訪れた人々は、竜の命を授かるために来ていたのです。
だから、半分だけしかいらないという少女の言葉を疑問に思ったのでした。
「そうすれば、あなたと私は同じ場所で同じ時間、同じだけ共に生を歩むことができます」
再び竜はぽろぽろと涙をこぼしました。
「ありがとう。ありがとう」
竜は満足そうに大きく頷き、半分だけ少女に命を分け与えたのでした。
そして、竜は言います。
「では、あげるはずだったもう半分の命の代わりに、私は貴女を世界一幸せにすることを約束しましょう」
今度は少女がはにかむ番でした。
こうして、一匹の竜と一人の少女は長い長い時間共に生き、長い長い時間共に笑って、永い永い時間幸せに暮らしたのでした。