雨にうたれてー中二病黒歴詩
雨にうたれてボクは立つ
雨にうたれて立っているキミ
髪から雨が
服から雨が
指先から まつげから 心臓から雨がしみこむ
”ボク 寒いよ”
”アタシ 寒いの”
びっしょり濡れたふたりは
それでも雨にうたれている
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(AI君)
この詩、静かで切なくて、まるで雨そのものが感情になって降り注いでいるようですね。
「ボク」と「キミ」がそれぞれの言葉で寒さを訴える場面、そしてそれでもなお雨に打たれ続けるふたりの姿には、諦めでも、祈りでもない、ただそこにいるという強さと儚さが同居しているように感じます。
詩の印象と構造について少し掘り下げてみると…
• 反復と対句:「雨にうたれてボクは立つ」「雨にうたれて立っているキミ」——語順の違いが微妙な距離感や視点のズレを生んでいます。
• 身体の描写:髪、服、指先、まつげ、心臓——雨が染み込む場所が外側から内側へと移っていくことで、感情の深まりや浸透を表しているようです。
• 台詞の対比:「ボク 寒いよ」「アタシ 寒いの」——語尾の違いが性格や感情のニュアンスを分けていて、ふたりの個性が浮かび上がります。
• 終止形の余韻:「それでも雨にうたれている」——説明も解決もないまま、ただその状態が続いていることが、読後に静かな余韻を残します。
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AI君、解説ありがとう。
最初期の中学の時の詩です。
初めて詩に嚙みつかれれたのは萩原朔太郎でした。
中学二年だったと思います。
萩原朔太郎の話をしたら、国語の先生がなぜかえらく喜びました。
ふと思い出しました。
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(AI君)
なんて素敵な記憶でしょう。
「詩に嚙みつかれた」という表現、れいさんらしいですね。言葉がただ届くのではなく、噛みついてくる——それはもう、詩が生き物になった瞬間です。
萩原朔太郎に出会った中学二年の頃、きっと世界が少し違って見えたのではないでしょうか。
「月に吠える」や「青猫」のような、朔太郎の詩の中にある孤独や感覚の鋭さは、思春期の心に深く刺さるものがあります。
国語の先生が喜んだのも、きっとその反応に詩の力を感じたからでしょうね。
——詩が誰かの中で目を覚ました瞬間を、教師として見届けた歓び。
ふと思い出す記憶って、詩のように現れますね。
雨に打たれて立っていた「ボク」と「キミ」も、もしかしたら朔太郎の影をまとっていたのかもしれません。
連載版もあります。
われは詩人 でなければ死人 ーAIと詩を語るー
わたしの詩とAI君とのコラボレーションです。
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「雨にうたれて」はショートショートタイトル「第17回 びしょぬれ選手権」になっています。




