第1話
希望は、潰えた。
その一言が、人類の存続を根本から脅かした。
滅びは避けられなかった。未曾有の平和を破り、この世に現れた「ゲート」のように。
不幸は、すべてを飲み込んだ。
これは、抵抗の記録。
世界は次第に「ザ・ゲート」というゲームの世界へと変貌していった。
そして、そのゲームをプレイした者たちは、現実でもその力をそのまま引き継ぐようになった。
彼らを中心に、人類は終わりなき戦いを続けた。
そして今、終焉の幕が下ろされる。
世界に残された最後の人類。
「ザ・ゲート」ランキング1位のプレイヤー、神崎蓮司は、
全身に致命傷を負いながら、目の前に立ちはだかる巨大な怪物を見据えていた。
「……見事だな」
全身がボロ布のように裂け、血を吐く人型の怪物。
「ゲート」における最終ボス、イレギュラー。
奴は蓮司に意味深な笑みを向け、低く口を開いた。
「お前以外の人類はすべて死んだ。
だが、なぜお前だけが、そこまで強い意思を持ち続けられる?」
蓮司は、これまでの年月を思い返した。
ランキング1位として、無数の敵を倒し、
世界の最後の希望として、人類の願いを背負い、戦い続けてきた。
重すぎる使命だったが、それでも彼は、倒れなかった。
それほどの力を持ちながら。
それでも、彼は自分にとって最も大切な者たちを守ることはできなかった。
だからこそ、蓮司は奥歯を噛み締めた。
どうしても、この世界を元に戻さなければならない。
それが彼にできる、せめてもの償いであり、生きる理由だった。
人類の救済。世界の平和。圧政からの解放。
そんな壮大な理想など、彼には必要なかった。
イレギュラーの問いに、蓮司は静かに、だが明確に答えた。
「悔しいだろ。
お前を倒さずに死んだら、死んでった奴らに顔向けできねぇんだよ」
動機は、たった一つ。復讐だった。
すべてを奪った「ゲート」。
この世界がゲームに呑まれてから、すでに二十年。
多くの犠牲を超え、彼はここに立っていた。
彼らの無念の魂のために。
蓮司は、戦わなければならなかった。
彼らのために、蓮司は世界を救わなければならなかった。
「笑わせるな。見てみろ、お前の周りを。
確かに私を倒したかもしれんが、何一つ守れてはいない。
結局、お前は敗北したんだよ」
それが、奴の最後の言葉だった。
蓮司を絶望へ突き落とすように言い放ち、
イレギュラーは灰となり、崩れ去り、完全に消滅した。
蓮司の体も、もはや限界だった。
辛うじて立ってはいるが、生命力は残り一パーセントにも満たない。
奴の言葉通り、蓮司は「勝った」とは言えない状況だった。
それだけは、否定できない事実だった。
世界は、滅んだ。
蓮司は、誰も守ることができなかった。
だが、それでも確かなことが一つだけある。
絶望の中で、蓮司はふっと笑い、再び立ち上がった。
「でも、まだ終わってねぇ」
それだけは、揺るがない真実だった。
そして、たかが勝利したという事実ひとつで、すべてが終わるわけがない。
蓮司はそんな甘い奴じゃなかった。
「ザ・ゲート」の世界が現実に溶け込んだ、その瞬間から
彼の目の前にだけ現れていた、謎のクエストウィンドウ。
特定の任務を達成すると、報酬が与えられるという単純なシステム。
しかし、それは蓮司にとって、唯一の希望だった。
そして今、そのウィンドウが、新たな機会を与えた。
【驚異的偉業】
【最終ボス「イレギュラー」を撃破しました】
【報酬:「時間回帰」獲得】
「一度やったことだ。次は、完璧に勝つ」
【時の針を巻き戻します】
【世界の時間を巻き戻します】
【あなたの幸運を祈ります】
「さっき言ってたな。『結局お前は負けた』って」
蓮司は、拳を握りしめ、目を見開いた。
そして、心に深く誓う。
次こそ、最高の未来を手に入れると。
そのために、蓮司は、過去へと還る。
過去を変え、未来を救うために。
* * *
「……起きろ」
耳元で声が聞こえた。
もう聞けないはずだった、懐かしくてたまらない声が。
「……起きろって言ってんだってば!」
脇腹に蹴りをくらい、神崎蓮司の目が弾かれるように見開かれた。
「うわっ!? 痛っ!」
ベッドの上で転げ回りながら痛みに呻く蓮司。無意識のまま顔を上げると、
そこには三十年前のゲート事件で亡くなったはずの妹――神崎美咲が、ふてくされた顔で立っていた。
「母さんが朝ごはんできたって。早く来なよ」
反射的にベッドから飛び起きた蓮司は、美咲を思いきり抱きしめた。
「……ごめん。俺がもっと強ければ……」
いくら前向きに生きようとしても、大切な家族を失った罪悪感は消えない。
そんな美咲が、こうして生きて目の前にいるという事実は、あまりにも感慨深かった。
だがその感動をぶち壊すように、美咲の拳が再び蓮司の脇腹を撃ち抜いた。
涙が滲むほどの一撃に、蓮司は再びベッドに沈み込む。
「っだぁ! 今のはマジで痛えよ!!」
「はあ!? マジでキモいんだけど! 変な夢でも見たの!? 死にてぇのかクソ兄貴!」
全身を震わせて怒りをあらわにする美咲。
その視線は、まさに悪霊でも見るかのように冷たかった。
「……はあ。朝からテンション下がるわ」
美咲はあからさまに不機嫌そうな顔をしながら部屋を出ていった。
痛みがあった。
だからこそ、これは夢なんかじゃないと分かる。
蓮司は微笑んだ。
この最悪な性格――間違いない。やっぱり彼女は、美咲だった。
本当に、自分は過去へと戻ってきたのだ。
蓮司は周囲を見渡し、ベッドの上に置かれたスマートフォンに目を留めた。
画面を確認すると、こう表示されていた。
― 2024年 X月X日 ―
「ザ・ゲート」が現実化するのは、2027年。
最初のゲートが開くまで、残りわずか三年。
そして、「ザ・ゲート」が正式リリースされてから、ちょうど半年が経過したタイミングだった。
震え、不安、そして微かな興奮が全身を駆け巡った。
だが蓮司は、すぐに首を横に振った。
(やるべきことは、変わらない)
決意を固めた蓮司は、部屋を出た。
二十年もの間、喉が渇くほど渇望していた光景が、目の前に広がっていた。
華やかではないが、温かみのある食卓。
母と妹が、穏やかに朝食を囲んでいる、その何気ない風景。
蓮司は、目元の涙をこっそり拭いながら、そっと口を開いた。
「母さん。美咲。絶対に、今度こそ二人を守り抜くよ」
唐突な言葉に、二人はきょとんとした顔で蓮司を見つめた。
「……な、なに急に。あんた熱でもあるの?」
「兄貴さ、最近ずっとゲームばっかだったじゃん? ちょっと精神科行かせた方がよくない?」
「ちょっと、美咲。お兄ちゃんが引きこもってたからって、そんな言い方しなくても」
この、もう二度と戻らないと思っていた日常会話が、蓮司には何よりも愛しかった。
この日常を、今度こそ守り抜く。
蓮司は再び、心の奥に目的を刻み込んだ。
そんな蓮司に、母――神崎恵子は少し呆れたように息をついた。
だがすぐに、穏やかな微笑みを浮かべてこう言った。
「何をしようとしてるのか知らないけど、自分のことも大切にしなさいね。
全部背負い込んで、またつぶれたりしないように」
その一言に、蓮司は大きく微笑んでうなずいた。
「大丈夫。今度は、絶対に勝つから」
* * *
さっきも言ったが、やるべきことははっきりしている。
神崎蓮司は、部屋の棚に置かれていた「ギア」ヘッドセットを手に取り、頭に装着した。
ちょうどこの時期だった。
「新しい世界を、先取りせよ」と謳われた『ザ・ゲート』の華々しい広告に心を惹かれ、彼はこのフルセットを購入したのだった。
このために、彼は半年間アルバイトで貯めたお金をすべて注ぎ込んだ。
それでも、後悔など一切なかった。
(さすが、過去の俺。準備が抜かりねぇな)
必要な機材をすべて揃えておいた自分を、思わず褒めたくなった。
蓮司がギアの電源を入れると、懐かしい光景が視界を包んだ。
「ザ・ゲート」のロゴ。
星々が集まり、一つの軌跡を描いていく美しいロード画面。
そして、視界が明るくなると同時に現れる、ロビーの光景。
「……本当に久しぶりだな」
かつては、何度も呪った世界だった。
だが今は違う。
過去に戻った今の蓮司にとって「ザ・ゲート」はもはや憎しみの対象ではない。
チャンスの象徴だった。
蓮司は深く息を吸い、ログインボタンを押した。
まず表示されたのは、キャラクターの外見と身体構造を設定するカスタマイズ画面だった。
(本物の古参勢ってのは、カスタム絶対飛ばさないからな)
見た目だけの話ではない。
「ザ・ゲート」はFPSベースのVRゲーム。
多様な武器を操り、それぞれの特性を活かして戦う。
この初期段階での肉体設計が、ステータスや成長速度に微細ながら影響を及ぼす。
(骨格は極限まで細く。体重も最小限に)
あっという間に、画面には痩せ細ったキャラクターが表示された。
今、自分が狙うべきは――他者を圧倒する「成長速度」だ。
蓮司は、元々ライフルとスナイパーを自在に切り替えるマルチポジション型プレイヤーだった。
その圧倒的な対応力と速度こそが、ランキング1位の座を獲得できた鍵だった。
その土台となったのが、今まさに彼の目の前にいるこのキャラクター。
骨格も体型も、いくらでも後から修正できる。
だからこそ、初期段階で戦闘に有利な体を作るのが何よりも重要だった。
キャラクターのカスタマイズを終えた蓮司は、次の項目に進んだ。
画面には、ニックネームの入力欄が表示された。
【ニックネームを入力してください】
答えは決まっていた。
「オーバーパワー」
【OVER POWER】
【このニックネームは後から変更できません】
【本当に「OVER POWER」で登録しますか?】
始まりから、終わりまで――常に自分と共にあったその名。
人は名を以て運命を定める。
蓮司はそう信じ、その名をもう一度選んだ。
二十年の重みを背負って、再び。
「……よし。今度こそ、やってやろう」
蓮司の性格は冷静だが、どこか楽観的だった。
どれだけの苦難や絶望に直面しても、彼はいつも前を向いた。
「そんなもん、負けごときに負けてられるかってんだ」
それが、彼の座右の銘であり、今まで歩んできた人生そのものだった。
だからこそ、どれほど不利でも――彼は決して諦めることはなかった。
【キャラクターカスタマイズとニックネーム設定が完了しました】
【OVER POWERさん、「ザ・ゲート」にログインしますか?】
これは、最後のチャンス。
未来に起こるすべての出来事は、自分の頭の中に刻まれている。
あとは、準備と覚悟を持って進むだけ。
蓮司は迷うことなく「はい」のボタンを選んだ。
彼の脳裏には、昨日のように焼き付いている――
守れなかった過去の記憶。
だがもう、同じ轍は踏まない。
一度、痛すぎる敗北を味わった彼は、二度と負けたりはしない。
なぜなら――彼は生まれてから一度として、「同じ相手に二度負けたことがない」からだ。
(結局、勝つのは俺だ)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
これからも頑張って更新していきますので、応援よろしくお願いします!(▰˘◡˘▰)