忘却少女と壊れゆく世界~メモリー・オブ・エゴ~
――私が目を覚ました時、見たのは変わり果てた世界の姿だった。
見渡せば、視界に映るのは荒れ果てた大地。
お姉ちゃん……どこにいるの。
探すために動かしたくても、体は縫い付けられたように動かないよ。
なんで動けないのかって?
刺さったナイフのように、自立できないからかな。
見える空は、光も差さないほどの黒い雲に覆われているね。
心臓を縫ってしまった私のように、きっと空も心を塞いでいるのかな?
なんで独りぼっちなのに、誰もが消えた世界で冷静でいられるのかって?
私でも不思議だよ。でも、ちょっぴり寂しいかな。
――声が、出せない。
私は声を出そうとした。それなのに、声を出せないどころか、息も吸えない。
きっと、この世界に起きた変異が、私の体を蝕んでいるのかな。
私だけが取り残された世界で、壊れてしまった世界で、私はどうすればいいの。
手は動かない、声は出せない……これじゃあ助けを呼ぶことも出来ないし、自分で動けないよ。
――最後に、お姉ちゃんに会いたかった。
私には、最愛のお姉ちゃんが居るの。
お姉ちゃんはね……神殿の主をやっていて、いつも笑顔で、私の事をよしよししてくれる……優しいお姉ちゃんなのよ。
崩壊が始まったこの世界で、お姉ちゃんは最後に私を守って……あれ、どうしたんだっけ。忘れちゃった。
今ごろお姉ちゃんは、この変異に飲み込まれて、この世界から居ないのかな。
ぼんやりとした記憶のお姉ちゃんの姿が霞むようで、上手く思い出せないの。
でもね、記憶に残っているの……だから、お姉ちゃんは絶対に存在するのよ。
お姉ちゃんを探さなきゃ。
馬鹿だよね、私。今体が上手く動かせないで、地面に座りこんじゃっているのに。
――そういえば、私の名前、何て言うんだっけ?
名前も覚えていないのかって?
知っている? 名前を憶えていたら、苦労しないんだよ。
私にはね、自分の存在に干渉できない力があるの。だから、私の名前を憶えているのはお姉ちゃんと……誰、だっけ。
いけない、忘れっぽいなー、私ったら。
笑い事じゃないのに……こんな世界だから、気がおかしくなっちゃったのかも。
助けを呼ぼうとしていた時点で、私に手を伸ばせる人はいなかったみたいだね。
……本当は怖いよ、寂しいよ。
枯れ果てた世界がうじゃうじゃと手を伸ばして、私を蝕んでくるみたいで。
――誰か、私の存在に気づいてよ。
誰も居ない世界に取り残されたのは……きっと、心を縫ってしまった私に神様が与えた罰なのかな。
意識をしないで動ける私は、悪戯や、意地悪な人なのかな。
本当の孤独は寂しい、ってお姉ちゃんが言っていた。
その意味が今わかっても、誰も私を意識してくれないし、虚空に続くようなこんな世界で助けてくれるわけがないよね。
独りぼっちの私で、ごめんなさい。
ちゃんと生きるから、誰か、助けてよ。
私はどうにか、ボロボロの服をまとった腕を動かした。
やっと動かせた手が掴めるものは――何もない。
黒く染まる空にでも、私は手を伸ばす。
無駄だと分かっていても、独りぼっちは嫌だから。
誰か、私を見て、助けてよ。
――誰でもいいから、助けて。
私は、口をパクパクさせた。
筋肉は動くけど、声が出せない。
一人の私に、自分の存在が干渉できないから、誰も見向きが出来ないんだよね。
すぐに思い出せない記憶にすがって、何ともない日々の日常を恋しく思うのは……走馬灯、っていうやつなのかな。
そんな怖いのは嫌だから、私は無理やりにでも口を開けた。
喉が裂けそうなほど痛くなるくらいに、腕がちぎれそうなほど伸ばしてでも、ひとりぼっちの寂しいは嫌だから!
「――誰でもいいから、助けてよ」
声が、出た。
でも虚しいかな、声は遥か彼方、虚空に消えていっちゃうの。
もう一度お姉ちゃんに会いたかったのに、もう、一人は嫌なのに。
途方にくれそうになった私は……伸ばした手が掴むことを諦め、下りていくのを実感した。
お姉ちゃんだけじゃない……皆が私を守ってくれていたのに、それに気づけなかった、私への罰なんだよね。
「……弱虫な私で、心を塞いじゃって、ごめんなさい……」
誰かに謝ったわけじゃないのに、目から水が零れ落ちている。
荒れ果てた大地の地面を濡らす水玉は、今の私が泣いている証拠だよね。
「ゆくちゃん――やっと、見つけたよ!」
どこからか、声がした。
ゆく……思い出したよ。それは、私に付けられた名前。魂を形づける、私を意味する名前の始まり。
周りを見渡しても、見渡す限り荒れた大地なのに――確かに私の名前を呼ぶ、声がした。
「ここだね、えいぃ! ――スピリット・イーター――」
空間が割れて、光が差し込んだ。
ガラスのように割れていく世界の一部から差し込む眩い光に、私は視界を腕で覆った。
崩れた空間から――少女が出てくるのが見える。
ウェーブがかったショートヘアの銀髪、赤い瞳に、上品な服装、そして羽をもった少女を――私は知っている。
私は手を伸ばして、その少女に助けを求めるように、すがって涙をこぼしまくっていた。
自然と口からこぼれ出るのは、その子の名前……。
「……ココノちゃん……助けてぇ」
「ゆくちゃん、もう大丈夫だよ! 私が来たから、安心して大丈夫」
無邪気な表情をしているこの子は、ココノちゃん。
お姉ちゃん以外で、唯一私に干渉できる、この世界で私を見つけてくれたお友達。
涙こぼす私の顔を、ココノちゃんに見られちゃうのは、恥ずかしいな。
でも、会えてよかった。
……私は、自分を見つけてもらいたかったんだね。
私を抱きしめてくるココノちゃんは温かくて、頭を撫でてくるから、心からのお友達なんだよ。
ココノちゃんにもお姉ちゃんは居るはずだけど、一緒じゃないのかな?
「ねえ、ココノちゃん、私のお姉ちゃんを知らない?」
私ははっとして、ココノちゃんに疑問を投げかけていた。
「……ゆくちゃんのお姉様は、この世界には居ないの。あの日起きた変異に巻き込まれて、この世界じゃないどこかに飛ばされちゃったみたい……私のお姉様と同じように」
ココノちゃんも一人きりだった、って私は直ぐに理解したよ。
だって、ココノちゃんが初めて、暗い顔をしたから。
ぎゅっと抱きしめてくる腕が、さっきよりも強いの。
「ねえ、ココノちゃん」
まだ危機は去ってないけど、ココノちゃんに会えて、私は安心しているのかな。
私は、ココノちゃんに支えられながらも立ち上った。
「一緒に、お姉ちゃんたちを探そう!」
「……ゆくちゃんは、さっきまで気を失ってたんだよ? それに、ここから先は途方もない、当てのない、変異が起きた様々な世界を巡る危険な旅になるかもしれないんだよ!」
ココノちゃんが肩を掴んで揺さぶってくるから、頭の中が鍋の具材にされちゃうよ。
いくらココノちゃんが心配してくれてもね、私は答えを決めているの。
さっきまで泣いていた私は、確かに今もいるかもしれないよ。でも、大切な人を探すために、見つけてくれた恩を返すためにも、立ち上がらなきゃいけないの。
私一人だと、力不足で、変異が起きるこの世界を当たり前だと受け入れないといけない……それでも、これ以上失いたくないから。
「お願い、私を連れて行って――きゃっ!」
「……ゆくちゃん」
急にココノちゃんが押し倒してきた。
すごい顔が近くて、唇が重なりそうで、瞳がまじかに迫っていて……私の存在を縛ったはずの心臓が速まっているのがわかる。
多分、ココノちゃんは私が動けないのを良い事に、好き勝手に出来ると思っているのかな?
いや、普通にこんな場で、ちょっぴり覚悟が決まったようなムードだったのに困るよ?
私は思わず、ゴクリと聞こえるほど息を呑んだ。
押し倒されているのに、嫌じゃないのは寂しかったせい?
「ゆくちゃん……お姉様たちを飲み込んだこの変異を追って、私たちは旅立つことになるんだよ? 妖怪であっても、尊い命は尊いんだよ?」
「――ココノちゃん、私、お姉ちゃんにもう一度会いたいの。だから、連れて行って!」
何を言っているのか、私自身が一番理解しているよ。
ココノちゃんが私を大事に思ってくれていて、他の人から見えない可能性を考慮している事だって……でも、私は行かないといけないの。
お姉ちゃんにもう一度会って、感謝をするために。
「ココノちゃんに比べたら足手まといかもしれないけど、私は大丈夫だから」
「何が大丈夫よ、もう。仕方ないね、行こっか!」
「ありがとう、ココ――」
言葉を紡ごうとした時、ココノちゃんが唇を重ねてきた。
この子は唐突だけど、可愛い一面もある吸血鬼だから、仕方ないのかな?
「えへへ、ゆくちゃん照れてぇるぅ~」
「ココノちゃんたら、キスは恋人同士でしか駄目だよ……」
「じゃあ、私たちは恋人同士ってこと?」
ココノちゃんの思い込みには、相変わらず疲れちゃう。でも、この子の良いところでもあるし、明るい前向きな性格ゆえだから、見習わなきゃいけないよね。
ココノちゃんは立ち上がって、手を差し伸べてきていた。
私を救ってくれたように、笑みを浮かべながら。
「途方もない時や世界を超える旅になるし、変異で何が起きるかもわからないけど……二人なら大丈夫だよね、ゆくちゃん!」
「うん! ココノちゃん、一緒に行こっ! 私のお姉ちゃんを、ココノちゃんのお姉様を探しに!」
きっと、この荒れ果てた大地になってしまった世界に戻ってくるのは、大切なものを取り戻した時かな。
この世界での大切な場所を取り戻す、その日に。
――何も遮らない空の下で、記憶が霞むほどに笑っていたいな。
ココノちゃんほどじゃないと思うけど、私もきっと、夢を見ているのかな?
ふと気づくと、ココノちゃんが来た時のように、空間をガラスのように割っていた。
踏み込んだら最後だって分かっているけど、二人一緒なら怖くないよね。
気が遠くなるかもしれない旅路になっても……私の手の届く距離が多くなって、あの日を笑っていられるように――。