表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天地生まれの英霊譚  作者: 庵下 流
『夏至の日』
8/24

「夏至の日」8 ─ 勇者の誉




   ─勇者の誉─




 巨樹の森を背に、まだ若い木々が疎に立ち並ぶひらけた土地がある。木々の隙間を縫うように伸びる轍の残る道の先には、切り出した花崗岩を巧みに重ねた街の囲壁があった。

 道はその石壁に大口を開ける門へと続いている。


 突然、陽光に負けない光輝の奔流が道を掠め、同時に訪れた闇の渦巻きから、力強く騎馬が飛び出してくる。

 蹄が地に着くと同時に、眩い光と漆黒が消え失せた。


───ここは……。


「湖北の商街だ。囲壁の門に向かえ」

 勢いを変えず、英馬エルビムは頑丈な扉が閉まった門に向かう。


「そのまま進め。あれは機工扉だ。今、開ける」

 黒鬚を震わせ、騎士バリューが叫ぶ。

「戦機、開門!」


 言霊が響いて、巨大な石臼が回るような音が激しく轟く。

 門を塞ぐ分厚い鉄枠の扉が内へ動き出した。

 エルビムは速度を増し、ぎりぎり抜けられる幅に開いた門扉に躊躇いなく突っ込む。

 人馬ともに戦いに備えて身構えた。


 門の先には広い石畳の道がまっすぐに伸び、両側には磨いた輝石や煉瓦造りの建物が並ぶ。道の先には円い広間が拡がり、立派な鐘楼を戴く白亜の殿堂が鎮座している。道はそこで左右に分かれていた。


「エルビム。どちらだ」


───わからぬ。混乱の気配が消えた。


「静かすぎるな」


 普段であれば、行き交う馬車や荷車、商人の呼び声、訪れた買い物客で賑わいが途切れない喧騒の商街だ。

 そこを凶暴な大鼠の群れが襲っているなら、大混乱の最中に巻き込まれておかしくないはずなのだが、街は整然とし、人影のひとつも見えない。


───! 建屋の奥から命の温もりが感じられる…ここにも、あそこにも。


「皆、建物に潜んで難を逃れたか」

 それにしても物音ひとつしない事に、妙な違和感があった。


───鞍上!


 エルビムの思念が歪む。バリューもすぐに気がついた。

 白亜の建物の階段の隅に赤黒い染みが見えた。

 近づかなくとも、それがなんなのか窺い知れる。

 喰らい尽くされた、人のなれ果て。


「守護隊か……」

 ひしゃげた冑と鉄枠の胴鎧の端切れがかろうじて判断できる。

 すぐにエルビムが駆け寄ろうとする。


 陽の光が一点翳った。


「罠!」

 灼熱の炎が、上から降ってきた。

 バリューが左手を背後に回す。


 ガッキッ!


 刀身全てが真っ赤に燃える細身の剣が、バリューの抜いた短剣に食らいついた。

 飛び散る火花がバリューの短剣を鈍らにする。


 エルビムの体が右手に沈み衝撃を弱める。逞しい後脚が踏ん張り、体を回して飛び込んできた刺客に面と向かう。

 バリューが右手を伸ばし、渾身の力で拳を握った。


 見えない一重の波紋が、離れた刺客の左足を吹き飛ばす…いや、もうそこにはいない。

 エルビムが体を沈める。業火がバリューの脳天を掠める。

 石畳に落ちる影が現れては消え、その度に火炎撃が飛んでくる。

 今度は地を這い熱刃が襲う。

 英馬の蹄鉄甲が弾き返した。


 バリューが右手を突き上げる。その拳を中心に空気が擦れた。

 裂かれた布地が宙を舞う。編み込まれた魔力繊維が断ち切られ、刺客の姿が現れる。


 赤錆色の髪と褐色の肌。玉甲の革鎧を着けた男が不敵に笑う。


「貴様は……」

 バリューの眼力が極まった。


 男の姿が揺れ、その背後から燃える火球が噴き出した。

 エルビムが回避に動く。

 バリューは唇を噛んでから、覚悟する。


─── 勇武韻唱…「三色……


 男の笑い声がこだました。


─── …同順!」


 バリューから威力の異なる三源の拳撃が捻れて飛ぶ。

 火球を避けるエルビムの側に沿うように現れた影が、空間ごとぶれて掻き消えた。

 火の玉も勢いを無くし消滅する。


 陽光を浴びて粉ふく石畳に夥しい血痕が浮かんでいる。

 バリューを背にずっと動き回っていたエルビムが、ゆっくりと止まり息を吐いた。

 

「仕留められぬか」

 バリューは、眉根を顰め目を瞑る。


───路地に逃げ込んだ。追うなら間に合うが。


「いや、宝珠簒奪の首謀者がこの騒ぎの原因なら、おそらくこれは陽動だ。守護隊の安否を確認してから、すぐに戻らねば」



「そうは、いかねえぞ」


 どこからか、殺気のこもった声がする。

 エルビムが発条を溜めるように首を引く。バリューが手綱でそれを制した。


「今度は俺が相手だ」

 空気が震えた。


─── 紅龍…迅撃


 バリューの死角から烈風を散らして赤黒い塊が飛び込んできた。鬚を揺らし、間髪入れずにそれを避ける。

 

「まさかと思ったが、本当に獲物が自らしゃしゃり出てくるとは、なあ!」


─── 白龍…痛打


「技のキレが甘い」

 背後から突風のように打ち込まれる気迫の拳撃。バリューは右手で弾く。

「半端な韻唱が漏れている。挙動が丸見えだ」


─── 緑龍…


 破裂するような爆音が轟き石畳が割れ飛んで、そこから濛々と土埃りが舞い上がった。

 熱を帯びて陽炎を纏うバリューの右腕が静かに下がる。


「そこで大人しくしておれ。聞きたいことがある」

「……痛え、なあ。俺は強えから、効かねえぞ」

「なぜここにお前がいる」

 バリューは厳しい目付きのまま首を回して、立ちこめる砂煙りのむこうに倒れている大きな影を睨んだ。


「なぜって。そりゃ、積年の恨みを晴らすために決まってる」

「あれはお前の仕業か」

 階段を指差すバリューの声に、怒気が見え隠れする。


「知らねえ。ネズミかなんかが、やったんだろ」

 石畳にめり込んだ大男が半身を起こす。猛烈な勢いで叩きつけられたにも関わらず、何事もなかったかのように立ち上がってくる。


「あの『鉄火剣』の持ち主は何者か」

「さあ、なあ」

「……詳しく話せ。その後でなら、いくらでも相手になるぞ」

「あ、嘘じゃねぇだろ、なあ」

「勇者に二言はない」

「勇者? けっ、元・勇者じゃねぇか」

 バリューが一瞬、目を見開く。


───鞍上!


 突然、英馬エルビムの思念が届く。

 二手に分かれる道の森へと続く方から、地響きが伝わってくる。何やら鬱蒼とした黒い毛むくじゃらが、轟音を立てながらこちらへ突進してくるのだ。


「今度は、なんだ」

 バリューは集中をそちらにずらす。そして、すぐに気づいた。すかさず右手を掲げ腕力を光束の糸に変えると、向かってくる黒い塊を覆うように放つ。

 光の糸が触れるや否や、剛毛の毛束が剥ぎれ飛ぶ。赤黒い眼光がいくつも瞬いた。


「……豪馬」

 それは、英馬より頑強な体を持つ一頭の『豪馬』だった。

 体中に取り付いた大鼠をそのままに、ここまで疾駆してきたのだろう。

 だがもう力尽きる寸前だった。噛みつかれ、引き裂かれ、皮と肉と血をこそげ落とされながらも、ここまで辿り着いたのだ。


─── 紅白…双龍げぇっ……


 大男が、また吹き飛ばされた。と同時に、バリューはエルビムの背から素早く降りる。

「行ってやれ。あの馬鹿者はわしがなんとかする」

 バリューが肩を押すと、短く鼻を鳴らしエルビムが駆け出した。


「さあ、望み通り相手をしてやる。聞きたい事が山ほど増えたのでな」

「あ? ああ…鼻血だ。見ろ」


 むっくり起き上がった大男は、ボサボサの蓬髪をかき上げた。

 太い首に乗ったゴツゴツした頭には、薄汚れて無精髭を生やした悲しげな顔が張り付いている。大きな鼻の穴から垂れた血を、草臥れた手甲をつけた手で擦る。


「ああ。この匂いがたまらん、なあ」

「暫く見ぬうちに、うらびれたな」

 バリューは左手で冑を外し床に置く。手首を捻って手甲を開き、これもまた丁寧に外す。

「あ、修行したんだ。三年前の俺とは違うぞ」

「そうか。では行くぞ」


 大男の腹が胴鎧ごとひしゃげる。

 音もせずに、バリューの左拳が捻り込まれていた。

 大男の体がくの字に折れる。突き出た顎に右の拳が下から炸裂する。


「大人しくしろ。連行する」

 バリューは、もんどり打ってから地面に転がって小刻みに震える大男に近づく。

「まさか、勇者の血筋を取り押さえる事になるとはな」

 小声の愚痴が思わず溢れる。


「も……もう、いいだろ。約束は果たしたかんなあ……」

「?」

 黒鬚がびくりと震えて、立ち止まる。

「あとは好きにやらせてもらうっ!」


─── 勇武……韻唱…


 大男が立ち上がる。その顔に生気はなく、眼窩が窪んでその奥から鋭い青光りがギラギラと溢れ出る。

「足止めだけじゃねえぞ。『豪腕の勇者』の真髄を喰らえっ」

 バリューの顔色が青褪めた。


─── …「紅龍初飜…


 バリューが後退りする。「豪腕の勇者」だと?


─── …白龍追飜…


 驚愕。間に合うか。左手で印形を結ぶ。


─── …緑龍結飜…


 間違いなく、来るのは「勇者」の大技。

 途方もない魔力、霊力、理力の渦が、大男の後光のように際限なく広がっていく。

 頼むっ。跳ねろっ!


─── …大・三…

─── …「三色同刻!」


 白い商街の大広間全てが、眩い光輝に包まれた。




          ☆




「おカシラ、これを」

「うん。助かった」

 空気の澱んだ狭い暗がりの中、柔らかな「癒幣」が青く光って燃え尽きる。


「……こんなところで左腕を失くすことになるとはな」

「落日大陸の人外などに助力するのは如何かと」

「『扈門解放』の御旗を掲げる勢力に与するのも、悪くはないだろう」

 幾色もの癒幣が光っては消える。


「甘味の奥には毒とも言います」

「ああ、思い知った。肩と二の腕がわずか残ったのは幸いだった。まだ『豹者』で生きられるぜ」

「……なぜ防御の魔甲を使わなかったのですか」

「使ったさ。敵の攻撃が巧みなんだ。物理・魔法・霊能三源の混成拳撃を、頭・胸・腰に同時に別角度から受けた。紗隠れも破られ、防御は無効。瞬遁で避けようにも隙がない。苦し紛れに贄身の術を使わざるを得なかった。我が事ながら、腕一本だけで済んだのが信じられん」

「……」


「勇者の授かる『早逝の誉』を恐れ、大役から逃げ出した腰抜けの卑怯者と聞かされていたが、どう計っても手練れ、歴戦の古強者だ」

「だとしたら、あの連中、全く信用できない奴らではないですか」

「そうだな。だがまあ、貸しは作れた。北方の同志に面目も立つ」

「御身大事に。妾はおカシラが心配です」


「……貴族支配の安穏と緩んだぬるま湯の世界に、動乱の兆しが見えたんだ。豹者として命賭けずにいられるかい」

「では、このまま続けるのですか」

「歴史あるこの地の貴族の手並みを見定めたい」

「……若く美しい女豹の毛並みをでしょう?」

 周囲の揺れが大きくなった。


「最早これまでと観念しかけた。助かったと実感できたなら、この有様さ」

「……」

「熱り勃って手に負えない」

「……おカシラ?」

「鎮める鞘を…どこか知らないか」

「……ここに」

「そこか。……うまく収まるよう導きたまえ」

「……あ」

「まだ浅い。もっと奥まで、しっかりと…」

「……おカシラっ。ん、あぁ」


 唐突に以下略。



鼠の主  へ つづく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ