「夏至の日」7 ─ 森の民
─森の民─
綿毛の塊のような、小さな薄紅の丸い光の玉。
近くに寄り添っていつでも護ってくれている。
物心つく前から側にあった。でも、誰も気づかない。
父も母も、兄も妹も、見えないという。
「それはきっと、精霊様のご加護に違いない。小さなうちは守ってくださるから、大事になさい」
そう言ってはくれるが、皆に「変わった子」だと思われているのは感じ取れた。
小川で金や白金の砂粒を浚う手伝いができるようになっても、光の玉は消えてなくならなかった。
森で魔獣に出くわした時、谷川の急流に落ちた時も、柔らかな光の玉のおかげで命拾いしたのだ。光の玉に助けられたと言っても、家族ですら本気にはしてくれなかった。
あの日、あの夏至の夜になるまでは。
心地の良い温かみに包まれて、意識を取り戻す。
綿毛布で包まれていた黒髪の子供は、ほのかな甘みを感じる香りに気が付き、褥に埋もれた体を起こすと、辺りを見回した。
古代の遺跡か。天然石の太い柱が幾本も高く伸び、平らで広大な一枚岩をしっかりと支えている。その下の広間の中央が敷石で盛り上がり、そこに硬い寝台が設えてあった。元々は祭壇に使われていたのかも知れない。森の木々が枝葉で陽の光を遮り、静かな陰の中に建てられた神殿に思える。
ミ・ズ・キ神カミクは体の具合を探る。
疲労は取れ、左足の怪我も無かったかのように艶やかな肌を取り戻していた。
「お目覚めくださいましたか」
気配を感じ、カミクは毛布に包まり直す。
「湧水の白湯と、遠来の果物をご用意いたしました」
少し離れた底床に、畏まって平伏する姿が三つあった。
「森聖トクリカ、サルツス氏団、姉妹巫女がひとり、ソルクシアと申します」
一番手前にいる、綺麗に編んだ金色の髪の少女が、顔を伏せたまま緊張気味に名乗った。
「……森の民。我れは東方、烈山、光輝のミ・ズ・キ神」
「恐れ入ります」
「……ここは」
「私どもサルツスがお護りする古精霊の霊屋にございます」
カミクは綿毛布から顔を覗かせて、天井を見る。透視術でわかるのは、霊能蛍光の石晶が無数に埋め込まれていることだけだ。薄暗い中で見えない力場が、この寝台を取り巻いている。
強い霊力周波が同調し、癒しの波動で周囲を満たしていた。
恐らくこの寝台は石櫃だ。先祖の遺骨や遺物を納め霊力で祀っているのだろう。お墓の上に寝ていたことに気づいたカミクは、今すぐに寝台から抜け出したかったが、そうもいかなかった。
「ア・ロ・ワの神はどこか」
「麗神さ…ア・ロ・ワ神様は出掛けておられます」
「そうか。……それでその、あの」
「十分に御身が癒やされ、神力満つるまでお側にお仕えいたします」
「善哉…であるが、なぜ我れは……裸なのか」
最後は消え入りそうになるカミクの声音に、ひれ伏した巫女三姉妹の間に衝撃が走る。
「お、お召し物は、麗神様よりお渡しいただき、汚れを洗い清めるよう仰せ付かっております故、今暫くお待ちください。ですが、ご、御襯衣はその中にございません…でした」
「御襯衣? 肌着はつけてない。あ、下穿きは」
毛布の中でゴソゴソするカミク。
「お、恐れながら申し上げますっ。神身玉肌に纏いたもうに相応しい御襯衣の手配をいたします…ので、差し支えなければ…御身の…肌着の…下穿き、つまりその…」
「お姉ちゃん頑張れ」
「姉様、落ち着いて」
何やら背後から小声の声援が飛ぶ。
「おおお男の子用? 女の子用? どちらをご用意いたしましょう?」
「どっちって、え? 何か違うの?」
「それは、もう…ええと。有る無しで、色とか形とか大きさとか」
「お姉ちゃん、何言ってるの?」
「姉様、はしたないです」
背後から小声の叱責が飛ぶ。
「あああ、ご無礼仕りましたっ。お許しを……」
「え、うん。下着は気にしてない。それより、『天露竜珠』はどこか」
「アメツユタツノミタマ……とは、なんでございましょう」
「精霊から賜った小さな透き玉だ。麻布着の懐袋にあるはず」
「恐れながら、存じ上げませぬ。お預かりした衣服にはございませんでした」
カミクは一瞬悲しそうに頭を垂れ、目を伏せた。
「それは、確かか。巫女よ」
「『聖衣濯導師』の浄化術法に備え、仔細に検分いたしましたゆえ……」
「洗濯の導師?」
「踏み洗いの大家でございます。あ、高貴な衣に踏み洗いはいたしません。汚れと穢れを選別し特別な薬で仕上げるので、衣服の素材を見極めるための検分です」
「我が蓑衣に魔力を当てたら、『破防織りの繊維霊』が魔力を撥ねて感伝するかも」
「濯導師が用いるは、霊魔込めずに自然界に頼る理力の機工壺でございます。ミ・ズ・キ神様の聖なる蓑衣は、勝手がわからぬようで、大事をとって拭き清めのみの仕上げかと……」
「洗濯機工か。ちょっと興味深いけど、それどころじゃない。我れはア・ロ・ワ神を追う。今すぐに我れの衣服ひと揃いを持ってまいれ」
平伏したまま慌てふためく姉妹巫女達。
「今暫く、今しばらくお待ちくださいっ! 麗神様よりお召し物の洗浄を承ってまだ半刻ばかり。拭き磨きの蓑衣はともかく、虫皮に毛織り細工の複雑怪奇な頭巾と、東方伝と思しき八重織防具も兼ねた貫頭衣は、仕上げに相応の手間が掛かります」
半身を起こしたカミクは、毛布が体から擦り落ちるも構わずに、右手を天井に伸ばして呪を放つ。黒い霞が立ち昇り、岩肌に当たって四方に奔ると、天井に埋まった石晶が一瞬煌いて対呪で受ける。霞が浄化され、見る間に掻き消えた。
カミクは唇を噛み締め、目を閉じる。
鉄戒の檻。封印術で囚われの身である事がはっきりわかる。元から設置された仕組みではない。霊力を以て効果が付け加えられているのだ。癒しを施す精霊の御業に、幾重にも薄く霊波を揃え合わせ干渉させて、見えない虜囚陣を発現させている。細を穿てば解けぬ仕掛けではないが、その為の『印形』をカミクは知らない。
それでも、天露竜珠の力を借りれば抜け穴を拵えることはできるはずなのに、それすらも今は叶わない。
「ミ・ズ・キ神様?」
突然の沈黙に、たまらず巫女ソルクシアが呼びかけた。
「……おのれ、ア・ロ・ワ神」
そう、苦しげに吐かれた小声に、ソルクシアは思わず顔を上げてしまう。
石の台座と無垢の枝木で組まれた寝台の上に、綿毛布を絡ませ半身を露わに幼神の姿が項垂れている。
紫紺に艶光る黒髪を頂いた丸く幼い美貌と、ほっそりと素直に伸びる端麗な体つきが輪郭に沿って仄光る。そんな可憐極まりない魅了の申し子が、目元に涙を溜めて悲しみに打ち震えているのだ。
ソルクシアは、ぎゅっときつく目を瞑った。脳裏に焼きついた見てはならない姿を掻き消そうと、額を床に押し付けながら精霊に許しを乞うた。
「……我れを傷物にしたばかりか大切な宝珠を奪い、あまつさえ、追われぬように身ぐるみを剥ぎ牢に繋ぐとは……なんと不埒な。許せん!」
震えるあどけない声音で叫ぶカミクに、再び巫女三姉妹の間に衝撃が走る。
「……巫女よ。我れをこの場に留め置く心積りならば覚悟せよ。この身腐れて朽ち果てようとも、我が全霊の神力でもってこの枷を抜け、彼奴を追い詰めて見せようぞ」
床にひれ伏したソルクシアの両手がきつく拳を握る。
「……愛神様」
「愛神様?」
ソルクシアの呟きに、カミクと背後の妹巫女から同時に疑問符が浮かぶ。
「一刻、いえ半刻お待ちくだされば、このサルツスの姉妹巫女、命に替えても、お召し物全てをここに揃え置くことをお約束申し上げます」
今度は妹巫女の間に衝撃が走る。
「これにて、お側を離れる事をお許しください」
「え? うん」
「ありがたき幸せ。それでは御免くださいませ」
平伏したまま器用に、広間からそそくさと離れる姉妹巫女。呆気に取られるカミクであったが、思わず激昂して声を上げたことに羞恥を感じてうっすらと赤面する。息を整えて涙を指で拭い、冷静に気持ちを整理する。
ア・ロ・ワ神バライカは、足の治療を手助けしてくれたし、竜珠を隠したのは、おとなしく寝ておけという忠告か。癒しの寝床で快復できたし、ここは素直に感謝すべきかも知れない。
それにしても、ご丁寧に裸に剥いて、抜け出す手段を悉く奪うとは。ここから脱出する気を削ぐ周到さは癪に触る。
「ク・バ・ツ様に訴えて、お仕置きしてもらおう」
森の憑き神も気になる存在だった。カミク自身の精霊に似た、霊波の響きを思い出した。
もう一度会いたい。けれど、今は何も感じない。感応術の解像度を高め範囲を広げても、森のどこにも存在が感じ取れないのだ。
「これも虜囚陣のせいか。……バライカめ」
カミクは膝を立てて抱え込むと、体を丸めてため息をついた。
☆
古精霊の霊屋のある岩場とそれを囲む森の間には、いくつもの粗末な小屋があり、そのひとつで中の暗がりに明かりが灯る。
「お姉ちゃん。あんまりにも無謀すぎじゃ……」
「仕方ないでしょ! 愛神様が本当に禍つ神になって、霊屋を森ごと吹き飛ばしてしまわれたらどうするのよ!」
大きな籠の荷物をいくつも開けて、探し物をしながらソルクシアが声を荒げる。
「ミ・ズ・キ神様は大変な目に遭って、ちょっと悲しんでいるだけだよ。あんな可愛い神様がそんなことするはず…ない」
金に赤毛の混じる癖毛を短くまとめた妹巫女が静かな声になって応えた。ソルクシアは手を止めて、ゆっくりと振り返る。
「セレネア。大きな悲しみは、突然に激しい怒りや憎しみに変わることがあるわ。ましてや、愛神様は幼神ですもの」
「……仮にそうだとして、お召し物をすぐにはお返しできないじゃない」
「蓑虫そっくりの長衣は、もう村に戻っているはず。濯導師には事情をお話して、頭巾と内着を返してもらう。後はここから肌着を選んで…」
妹巫女セレネアは怖い顔をしながら、何やら慌て出した姉巫女を睨む。
「お姉ちゃん、忘れてたでしょ。あの履物はどうするの」
忙しく動いていたソルクシアがぎくりとする。
「……ああ、お姉ちゃんのせいで、あたしもシーテリケも生贄にされて、ミ・ズ・キ神様に食べられちゃうんだ」
「く、靴は、なんとかして取り戻して……」
「誰が取り返してくれるの? 沼の祠の、あの籠り神様から。ねえ、どこのどなたが?」
セレネアが暗い威圧と共に迫ってくる。と、突然外が騒がしくなった。
「姉妹巫女はどちらにおられるか」
そんな呼び声が遠くから聞こえて、ソルクシアは脱兎の如く出入り口に逃れ、垂れ幕を開け放つ。
「姉妹巫女ソルクシアはこれに!」
言下に熱気を散らして涼風が起こり、二つの人影が現れた。
「霊神祀りの最中に失礼する。エルブス族狩人頭クレプライドだ。危急の事情があり、ア・ロ・ワ神に取り次ぎを願いたい」
まだ年若いが風格のある、立派な尖耳を持つ青年が真剣な面持ちで、小屋から現れた巫女の前に片膝立ち、願い出る。
「ア・ロ・ワ神様は、今はこの地にご不在かと存じます。少なくとも日没までにはお戻りになられるでしょうけれど」
「そうか。なんと間が悪い……。他の神々もク・バ・ツ様に呼ばれて姿が見えぬ」
「夜に備えて森の神々は、庇護の御業を各地に授けて回る頃合いです。明日の朝になれば、お目見え叶うと存じますが」
花緑青の柔らかな上着に艶のある鞣革の狩鎧といった、エルブス族伝統の戦装束を着けたクレプライドは、顔をわずかに巫女に寄せて小声になる。
「森の南に魔物が溢れた。見たこともない大鼠の妖憑だ」
ソルクシアは思わず空を見る。まだ充分に陽の光は強い。
「怪異の夜行に合わせて祀りの準備があったため、氏団の村々に大事はないが、各所で諍いが起き、他の種族の村落では死者まで出ている」
「……悲しい因果です。でも、森の神々はすでに異変を察しておられることでしょう。私達は祀りを滞りなく納めるのがお役目です」
「うむ……」
巫女の言葉にうなづいたクレプライドだが、訝しげな表情のまま言葉を続けた。
「いくつかの村から届いた伝信に『魔神』の目撃があるのだ」
「魔神…ですか」
「併せて、空の鷹、地の蛇が姿を消している」
「それは、不穏ですね」
「……さらに、貴族が動き出しているようだ」
いつの間にか項垂れていたソルクシアは、はっとしてクレプライドに向き直った。
「この地で大きな戦いが起きかねないと、お考えですか」
「神々の知恵を拝借したい」
エルブス族の若者は、深く首を垂れた。
「今、霊屋に、強い霊力をお持ちの神様が、御坐します」
短い沈黙の後、ソルクシアがゆっくりと声を出す。
「東方、烈山、光輝のミ・ズ・キ神様です」
クレプライドが顔を上げる。
「遠郷の神か」
「ア・ロ・ワ神様がお連れになりました」
「これは心強い。この森のエルブス鎮守頭として、是非ともお目通り願いたいが、如何か」
「それは、その……」
ソルクシアは、曖昧に応えて目を伏せる。
「姉様、大変です!」
森奥からの風が動いて、岩場の陰からもう一人の妹巫女が息を切らせてひょっこりと現れた。
「シーテリケ! お召し物は……」
ソルクシアは古精霊の霊屋から引き上げてすぐに、土遁響の俊足術に長けた妹巫女シーテリケを、衣服の引き取りに向かわせていたのだった。
大きな包みを抱えたシーテリケは、踝まで覆う巫女の式服の前布を腰高まで捲りあげ、熱気に火照るしなやかな太腿を露わに、全力疾走で力尽きたのか肩を振るわせ苦しげに喘いでいる。
「あ」
思わずソルクシアは振り向いて、クレプライドを見る。
エルブス族の若者と、そのすぐ後ろに控えていたさらに年若い弓使いの若者が、同時に視線を逸らしたのがわかった。
「シーテリケ。エルブスの殿方がおいでです」
「え? はい、でも……大変なのです」
シーテリケは息も絶え絶えに、その場にへたり込んでしまう。
「濯導師様が……頭巾と貫頭衣も……沼の祠の、籠り神に……お渡しになったと」
「なん…で」
ソルクシアは絶句する。
シーテリケは、抱えていた包みを思わず抱きしめた。
「村長の館に戻っていた…虫衣だけしか……」
「なぜ、そんなことを」
「濯導師様の道場に、自らお越しになって……極めの数寄術で隅まで検査し見違えるように綺麗にするからと、返答も待たずに嬉々としてお持ち帰りになったそうです……」
「うう。あの老耄め」
恨めしげに小声で濯導師を罵ったソルクシアではあったが、クレプライドの視線に気付き取り繕う。
「ああ、ミ・ズ・キ神様のお召し物を洗い清めたいと、ア・ロ・ワ神様より思し召しがあったのです」
「…それを濯導師に頼んだところに、例の沼の神がやってきて奪い去ったのか」
「面目次第もございません。そのため、ミ・ズ・キ神様が大層お悲しみになり、半刻のうちに取り戻せなんだら、霊屋を打ち壊し災厄を撒き散らす、荒ぶる神に成り果てんとまでお怒りのご様子」
「それは大変な事態ではないか。……よし。ロッカ! 私は先にパオロシャの沼に向かう。控えている俊足の手練を連れて追ってこい」
クレプライドが振り返り、弓を負い直す若者に指示を出す。
「承知しました。数瞬お待ちを」
言下に弓持ちの若者が姿を消した。
「その衣服を取り戻してこよう。しかし、ソルクシア殿。私はあの籠り神の姿を知らぬ」
「……セレネア!」
突然呼ばれて、肌着を手に持った妹巫女が、慌てて小屋から飛び出してくる。
「背丈はこの子くらい。濃い蒼闇色の羽衣を纏い、風谷の舞姫の如く金銀の飾り物を身につけている、腰まで届く黒髪の処女神です」
「詳しいな。籠りの処女神とは初耳だ。噂に聞く無体な仕打ちの数々は、本当にその女神の仕業なのか」
「間違いなく。見た目に騙されてはいけません」
「……どうもやりづらく思えてきた。私では荷が重いか」
「若くて、処女で、美神ですよ」
「致し方あるまい。その美神の名乗りはなんと?」
「ええと。たしか……」
妙に冷めた眼差しになったソルクシアは、しばし記憶を探り、何か嫌なことを思い出し、それを振り払うかのように首を振ってから言葉にする。
「地棲、羽艶、魅惑の……ロ・リ・マ神様です」
勇者の誉 へ つづく。




