表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天地生まれの英霊譚  作者: 庵下 流
『騒乱の夜』
25/27

「騒乱の夜」5 ─ 人外鑑別衝技隊 3 




          ☆




 石壁の暗がりで風が起こる。

 明かりはない。持った錫杖の遊環が、微かな音波で行き先を導く。狭い通路は、右手に回り込みながら続いている。


 俊敏に動いてはいるが、普段の速度には及ばなかった。引き裂かれた左腕が重くぶら下がり、体の運動に齟齬が生じて体勢を崩すのだ。

 出血が酷いが手当の時間はない。激痛は意識的に遮断できるが、体力の急激な消耗は避けようがない。


 禿頭の大男は、心の底から悔やんでいた。

 若い貴族に、完全にしてやられた。

 理力対抗の防御界に、魔力反射が乗っていた。それを見切って界域の内まで接近し繰り出した渾身の拳撃を、そっくりそのまま跳ね返された。

 驚くべき精緻さで反転した威力は、それを生み出した腕を丁寧に潰して、骨を砕き、肉を裂いた。

 同時に防御界を圧縮し、その反動で男の体は宙を舞い吹き飛んだのだ。

 今生の不覚を思い知る。だが今は、反省している暇はない。

 勇者の遺物を探し出し、手に入れなければならない。


 目指すのは、鐘楼櫓の基底部。聖堂の地下には人の気配はなかった。

 わずかな明かりを認めた。用心しながらも、勢いそのまま突き進む。

 円い部屋に出た。

 天井は高く、湾曲した石積みの壁には黒く滑らかな石板がいくつも埋め込まれている。そして部屋の中央には、建物を貫いて高く伸びる櫓を支える石組みの太い角柱が立ち、頑丈な基礎となる岩盤と混凝土の土台があった。

 櫓の内側には昇降機の仕組みが見える。縄を巻き上げる取っ手のついた車輪が二組あり、金属の鉤が嵌められていた。


─── 籠は上層に固定されているのか。

─── 手足を掛けられるところはある。探知罠を避ければ、訳無く登れる。


 手提げ灯火が昇降機の手前に置かれており、その小さな明かりが揺らめいて、大男の歪んだ表情を浮かび上がらせる。


─── 腕がこれでは、登るのは厳しい。あの貴族が追ってくる。俺はここに残って迎え撃つ。


 突然、櫓の陰から人影が現れ、閃光が弧を描く。

 どさりと、血塗れの腕が石床に転がった。

 大男は歯噛みして、微かに息を吐いた。

 濃い木肌色の柄に染め上げた布で、身体中を覆い隠した小柄な姿が、大男の背後に影のように近づいた。


「特製の痛散絆だ。効果は四半刻……」

 大男の耳元で、掠れた小声が告げた。胴着に染みていく流血が止まり、綺麗に切断された肩下に癒幣がぼんやりと光る。

「……行け」

 大男は結んだ唇から、短く息を吹く。

 背後の姿が消え失せた。


 頭皮に汗を滲ませ、大男は櫓の土台を背にして座り込む。

 そして、錫杖の黒柄を握り直した。

 目の前には、無惨に変わり果てた己れの腕があった。


「……天誅鬼門」

 瑠璃の紺玉に魔力を注ぐ。

「死角の幻獣、乾きを癒さん。この血肉をもって供物とす」

 霊力の流れに理力と魔力を織りまぜる貴族が相手だ。世に知られた体系魔術では分が悪い。ならば使うは外法一択。

 吸われる魔力の規模がわからないが、どうせここで尽きる命なら、丸ごと捧げて悔いはない。


「獣王祈願。……悉伽羅、戦鬼、護領に集えっ!」

 握った錫杖の柄に熱が籠る。瑠璃玉に深緑の渦が巻き出した。生ぬるい風が吹き、硫黄に似た悪臭が漂う。


 大男の項垂れた頭に、浅黒い痣が広がり出した。

 瞬く間もなく目玉が裏返り、音を立てて潰れた。

 顎が外れて口が大きく開き、無数の舌が蠢いて不気味に伸びると、男の体を這い回り出す。

 皮膚が膨れて捻れた剛毛が生え始める。

 血の流れ落ちる眼窩に、青白い炎が満ちた。

 

 もうそこには人の形はない。

 黒光る硬い毛皮に包まれた、牙を剥き出す魔獣が唸りを発して、暗がりの先に続く通路を睨んでいる。




          ☆




 熱風が渦巻く。

 櫓を覆う大きな傘屋根が煽られて音を立てる。

 その下には、ひと抱えもある青銅製の磨かれた鐘が吊り元から外され、太い綱を巻いて下ろされていた。石張りの床に木製の円座が据えられ、伏せるように置かれた鐘の前に、「正統魔導院」の紋章を外套の背中に表した術技衣装の姿があった。


 大きな聖堂の平屋根を突いて伸びる鐘楼櫓は、その頂きに「規律の鐘」を備え、普段は修道の時刻を知らせ、時には鎮魂の音色を響かせる。

 そして夏至の夜には、勇者の遺物を護る鎧櫃として用いられた。

 怪異は時にここまで迫り来る。それを払う「焼魔の眼光」と呼ばれる魔防機工の霊力源としての役割もあった。

 ジルドビア教都に貴族は無く、機工を扱える魔導院の魔術師が呼ばれて、操作の任に就くことは珍しくはない。


 首筋に広がる、淡い栗色の髪が風に揺れる。

 赤い天鵞絨の光沢を持つ帯を巻いて両眼を隠し、機工に接続した心眼で周囲を見極める。

 朱を引いた薄い唇が、呪文の詠唱を厳かに続ける。

 左手に握った堅木の長い魔杖を掲げ、その冠に据えられた水晶球には、無数の魔力能がひしめいていた。


 ナッナッナッ!


 機工から放出される光の螺旋が、霊振の響きを音波として残し、怪異の炎を打ち消していく。

 しかし切りが無い。櫓から見て取る限り、聖堂を含む建物とその敷地のいたる所に、暗闇の勢力が手を伸ばしているのだ。


 機工の操作に思考が覚束なくなる。熟練の女魔導士は、塞がれた視界の念査展開域に起こった魔力の爆発に、さらに気を取られて冷や汗をかいた。

 怪異の猛攻はなんとか凌げる。勇者の助力は絶大だ。

 しかし、聖堂の正面に構える塀門を越えて現れた、極界の魔象は訳が違う。

 その出現は、精霊の意向に適うのであろうか。

 地の底の果て。その極地である地獄の象徴。

 現世の生き物では決して抗えない縁起の存在だ。

 

 これは何の試練なのだろう。

 女魔導士は訝しむ。

 魔防機工に不具合があって、ありもしない幻覚を想起させられている可能性は?

 魔力撹乱の怪異が見せる幻影能力で、念査域の識別結果が狂ってしまっているのでは?

 もしかして、いかれた術者の笑えない余興に巻き込まれたか?

 夏至の日に地獄の魔象が現れるなど、聞いた事もない。


 ジルドビア教理を理解して、この任を自ら買って出た。少なくともその大義に適う技能は備えていると自負している。

 だが、「地獄」に向き合う覚悟などあろうはずがない。

 そもそも、あれには戦闘魔術が通用しない。貴族の韻唱でも対抗できない。

 存命の勇者ですら、倒す手段がないはずだ。「英雄の真髄」に、辛うじて送還法が存在すると伝え聞いたことはある。

 いや、因果律に則れば、「地獄」も「海淵」も、「神々」の範疇だ。伝説の「神将」でも呼び出し、鎮伏を祈願するほか方法が考えつかない。



 首筋に巻いた護身の飾りが色を変える。

 思考の集中が、警戒の一端を疎かにした。

 背後から近付く束縛の邪念が体を縛り付ける。

 魔導士の外衣が揺さぶられる。向けられた強力な束縛の念に、雑意が混じる。

 杖が、激しく床を突いた。

 

 歪な気配の接近が止まる。外衣の裾がはためいて、隠れた魔法印が起動する。


─── 自働呪文録、開放!


 魔杖の水晶球で、魔力能が配置を変える。

 繋がる「焼魔の眼光」への思考伝達を極限まで絞り、背後に迫る脅威に対して瞬時に戦闘魔法の矛先を揃えた。

 この鐘楼へ登り、すぐに昇降機は封鎖している。跳ね上げ式の扉の上には鐘が降ろされ、更に警戒理力装置の稼働を魔力の錠で制御しているのだ。密かにここへ近付くことはできない。

 それを検知もかい潜り接近できたなら、正体は念査展開域に見つけた異変のひとつに違いない。

 戦闘魔術の内、速攻、完防に絞り、魔術具も惜しみなく発動準備して、鐘ごと防御魔法で包み込んだ。

 敵の気配は感じられない。だが、確実に狙われている。


 ナナナッッッ!


 事前構築した自働呪が、光輝の旋条輪を撃ち続ける。

 

 首筋が熱くなった。

 魔導士は息を飲む。喉笛に異変を感じ、全身に震えが走る。

 激痛と麻痺が同時に襲う。

 喉を裂かれ体液を吹きながら、体は動かない。鉄壁のはずの防御は? 何が起きたのか。

 唐突な死が、間近に迫った。

 


 森の奥で木洩れ日を見上げる。

 魔杖に透き通る水晶を嵌め込む。

 厳しい魔術教官が、初めて笑みを見せた。

 敗退し滅するならば、その身を持って敵に仇なさん。



 身体の全てを魔力に変えて、爆裂火力で範囲を広げ、確実に敵を討ち果たすのだ。それが散り際の魔導士の矜持であり、覚悟である。この聖堂や集った人々も巻き込むことになるが、魔導の道に殉じるために躊躇はない。

 だが……。


 魔杖が石床に倒れた。その杖を固く握ったまま、左手は手首から血を吹いている。

 圧縮し練り込んだ、最後の「魔獰暴走」を起こすための魔力源が、無惨に溶けて流れ出していく。

 萎む気力に、悔しさのあまり涙が溢れる。

 ゆっくりと強張っていく体が、鐘楼から投げ出される。

 ただ、聖堂の平屋根目掛けて落ちていく。

 絶望に、魔導士は掠れた悲鳴をあげた。


『んふふ。まだ連れて逝けないの』

 

 一瞬、吹き荒ぶ熱風が止んだ。

 屋根に被さる暗い石瓦の上を影が滑って闇に溶け込む。


『生身で「凌ぎ渡り」なんて、人を辞めているわよね』

 震える悲鳴が、緩く甘い囁きに変わる。

 頭から下に落ちた魔導士の体が、何事もなかったかのように立ち上がった。

 喉から胸元を真っ赤に濡らし滴る血潮が、音を立てて石瓦に落ち、黒々と広がった。

 

 影の気配が動く。

 魔導士の青白い頬に、黒い線が無数に突き立つ。

 赤い目隠しが外れ、爛々と輝き出した双眸が虚空の一点を睨み据えた。


 何かがぐしゃりと潰される音。たちまち、闇から放り出されるように、掠れ色の塊が平らな石瓦に跳ねる。

 

─── 陰命、仮遁!


『あ、そう。理力をそう使うのね。でも、逃がさないわ。それから、毒は効かないの。だって、わたしの体じゃないから』

 魔導士は、顔に刺さった毒針の束を払う。

 木肌布の身隠れ装束が大きく揺らいだ。

「……無念」


『手足と、お腹を潰したのに。理力法師は、我慢強いのねぇ。あなたも、欲しいかな』

 魔導士は、吐き出した血に染まった顎を微かに上げて、燐光溢れる目を細めた。


『素敵な体と、心強い従者を手に入れた。満足だけれど……』

 長い外衣を引き摺り掠れた血の跡を残しながら、血塗れの魔導士は倒れた小柄な豹者に近付く。

 捻じ曲がった手足が小刻みに震えていた。身体中の激痛に、意識は混濁している。


『こちらは、細身の女の子かぁ。格好の良い、戦士の男も必要ね』


 ─── 縛術韻唱…「捉神「精魂「幽世解觝」」」


 瞬時に周囲が緊張に包まれる。

 風も熱気も、不穏な暗火に地上の喧騒すら静まり返った。


─── オマエの相手は、地獄の魔象だ。あれを退散させろ。


『わたしには、やる事があるの。邪魔をしないでって、言ったでしょう』

 突如として切り替わった周囲の「雰囲気」に、魔導士は血を吐きながら、苛立ちを隠せない。

 

─── 本願誓断を忘れるなよ。べ・ア・ル神。


『……「封神縁起」に、わたしは居ないわ』

 

─── どうかな。試してみるか?


 魔導士の動きが止まる。その血塗れの体に重なって、劫火に包まれる幻影が垣間見えた。

『ただの貴族に、神をどうこうできる?』


─── オレを侮るなよ。オマエを縛る「懲戒罰奏」の調律ができるのは、師匠だけじゃないぜ。

 

 炎の幻影に、流れ出た血が煮えて泡を吹く。

『シャドーム。宣誓するわ。あなたの死を、無様な最悪のものに、してあげる』


─── 上等だ。直接、死神に言われちゃ抗いようがない。だが今は、あの厄介な奴を始末するのがオマエの役目だ。


 落ちて溝にはまっていた魔杖が動き出す。弾かれたように跳ねて、中空に舞い上がった。


『仕方ないわね。では、あなたが死に際を迎えるのを、楽しみに待ってあげる』

 杖が屋根に立った。それを固く握った手は、元の左腕に戻って繋がっている。

『でも、この魔導士とそこの豹者は、私のものよ』


─── 魔象を現世から消し去れ。べ・ア・ル神。


 揺らめく火灼の幻影が、魔導士を飲み込んで渦を巻く。

 血の泡を漏らす口元が歪む。

 鋭い眼光に、浅紫が混じって霞む。


『ならば呪おう。共に地獄へ』


 炎の幻影が失せた。

 現実の動きと音が、一挙に戻ってくる。



───

「シャドーム。魔力触媒の転換率が、維持限界突破」

「早く、アイツと遺物との接続を遮断しろ」

「増殖する迂回路を追いきれない。霊気操術能力が桁違い」

「本気で誓断を破るつもりか!」

「その可能性は高いが、神意の理解は不能」

「まさか、勇者の遺物を取り込んで……」

───



 魔導士の体から紫紺の噴煙が流れ出し、屋根を伝って地上へと降り注ぐ。

 黒雲が湧き起こり、帯電した気流から雷鳴が轟いた。

 地表に広がる煙に巻かれて、燻る溶岩の彫像のように佇立する地獄の存在が、頭と思しき突き出た塊を微かに動かした。



───

「これは転移陣の構築か? 陣形の端が見えない」

「シャドーム。『八律懲戒』の構成因子に綻びが」

「術の芯胆はまだ掴んでいる。絶対に離しはしない」

「あの魔象は、道標だ。おそらく多次元収束の基準に据えている」

「……この世と地獄を入れ替えて、懲戒拘束を解くつもりか!」

───



「やっぱり、目を閉じて眠ってはいけないのです」

 黄金色の髪が跳ねる。

「秘密な中身がはみ出てました。義姉様の場違いな我儘は、またいつかにしますの」

 臙脂色の技官服の袖口が、鐘の裏から覗いた。

「大事なのは先生の行方ですし、義姉様はまず、その探索を優先しなければいけないのかも」

 少し首を傾げ、大きな目を瞬き辺りを見回す。

「それと、ここはどこかしら?」



───

「え? なんで、コマネッタが!」

「シャドーム、椅子に座ろうか。想定を超える最悪な状況だが、とりあえず深呼吸しよう」

───



 風に煽られる髪の毛を押さえて、コマネッタは櫓の下を覗き込む。

「義姉様! 外で遊んでないで、早く戻って先生を探すのです」

 眼下の石屋根に向かって声を上げる。

 紫煙に沈んだ魔導士の姿が、眩く青い光を放った。

『センセイ?』 

 毒で黒く変色し始めた顔を歪める。

『センセイは、もういないの』 

 

 コマネッタが目を見開く。

 木肌布の腕が背後から、黄金髪ごと少女の首を締め上げる。

『あなたとも、お別れね。コマネッタ』 

 血膿が垂れる口元が綻んだ。


人外鑑別衝技隊 4 へ つづく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ