「騒乱の夜」2 ─ 怪力乱勇 2
☆
「天紫石花」の時期は終わっていた。
出歩ける敷地の中に、もう姿を見つけることはできなかった。
それでも、紫石英の深い艶と透明に滲み移ろう様に似た、美しく可憐に咲く草花を得るために探し回った。
「おまえの髪色は天紫石花のようだ。古代列記の精霊に好まれる色合いだな」
滅多に見られない、黒髭の勇者の微笑み。
嬉しくて、その草花で編んだ冠を作って贈りたかった。
館の片隅でよく見かけた花なのに、いくら探しても見つからなかった。
悲しくて、涙が溢れた。
あれは、いつの日のことだったのだろう。
蹄の響きが、連なって闇中に轟く。
光輝を失った街道から外れて、道なき道を邁進する。
青白く浮立つ豪馬が三頭、強烈な光線を行く先に放ち、闇に蠢く怪異を弾き散らす。
英馬の隊列がその後に続く。先頭には、白い毛並みが輝くしなやかな身体つきの騎馬に、革を鎖帯で補強した狩鎧をつけた細身の騎士がいた。
─── 鞍上?
案じる思念の波動が、握った操馬把を通じて伝わってくる。
礬素合金の軽冑が僅かに俯いた。
「私は大丈夫。あなたこそ、疲れが……」
─── 一大事に動けないのなら、「走るのを辞める」のと同じ。ニースの声は危急の念を帯びているわ。
英馬は走法を変え、騎乗者の揺れを極限まで抑えて疾駆する。
─── 念波の捩れが酷い。あの子がここまで取り乱すなんて初めてよ。
「エルビムの行方は、まだ?」
一瞬、操馬把が熱くなる。
─── 見つからない。湖北拠点の混乱から、ニース以外、誰の「嘶呼」も、ひとつとして届いていない。
「父上……バリュー副長とエルビムならば、たとえ相手が魔神であろうとも負けはしない」
時折前方から飛んでくる朧光に浮かぶ、白い頬が震える。
─── 彼はデュンナーン族長の後継者だもの。必ずバリュー様をお守りするわ。
禍々しい幻光が、隊列を包む防御界の向こうに見え隠れする。
「アメティアス殿。この先は森が深くなる。我らと共に後方に下がってください」
斑肌の英馬が横に並び、鈍色の鎖帷子を着けた騎士が声をかけてきた。
「先を行く魔導騎隊が、防御界の軌道を拡げます」
「わかった。その前に霊力維持の『霧脈波伝』を延長する」
「承知しました」
斑肌の英馬が二騎、白馬の背後に回る。
─── 貴属韻唱…「霧脈「溢糸総伝」」
白馬の騎士から湧き出した光束が、先にいる魔導騎隊目掛けて、真っ直ぐに伸びた。
威光の絶えた暗闇の中では、魔術の展開も一苦労だ。
暗黒の圧力に耐えるために、霊力転換を各個発動し持続させなければならない。
白馬の騎士は、それを一手に引き受けて韻唱で繋ぐ。
─── アメティ。無茶は……。
「それを言うの? レルニコーン」
騎士の口元に微笑みが戻る。
「あなたと一緒。後悔したくはないから」
─── ほんと、頑固なんだから。
「それもあなたと一緒。父上に似たのよ」
背後から、強い蹄の音が近付く。魔力繊維の虹艶を持つ外衣が翻った。
「魔障の干渉を解析できた。メイマの位置座標を特定。推定値とほぼ変わらない方向だ。ニースからの嘶呼も一致する」
斑肌の英馬に替わり、巨体を揺らす豪馬が並んで、騎乗する黒い金属鎧の騎士が報告する。
捜索隊の指揮を任された白馬の騎士アメティアスが頷き、張り詰めた声で応える。
「目的地を確定とする。以後『念通信』周波を戦時適応に限定。速度制限を解いて良い」
「了解。まずは我らが道を拓く」
「任せる。……アボンヌ卿、霧脈の波伝範囲には注意せよ」
「ふん。心得ておるわ」
騎士を乗せた豪馬が白い英馬を一瞥し、勢いよく前方の魔導騎隊を追って飛び出した。
─── アメティ。あの速度で走られたら、防御界に隙ができてしまう。
「大丈夫。あの方は魔導騎士の統括者よ。霧脈の波伝を自ら増幅して延ばしていく。防御界の軌道化なんて、原理すらわからないけれど、任せて間違いはない」
─── 魔導騎達は苦手。豪馬の中でも得体が知れなくて。鞍上の騎士も恐ろしい雰囲気の人ばかりだし。
「部隊の魔術戦法に欠かせない、頼もしい同志よ」
古の帝国が率いた豪馬の騎士軍団は、英馬と血で血を洗う激戦を繰り広げた。だがその因縁も、遥か過去の出来事だ。
「メイマとニースに会えれば、湖北で何が起きているかがわかる。後は父上とエルビムに合流して、然るべき指示に従う」
─── 魔神の出現が本当なら、厳しい展開になるかも。
アメティアスは無言で、操馬把を握る手に力を込める。
狂暴な黒い大鼠の群がトクリカの森から四方に溢れ、人々の生活拠点に現れて暴れ回っているという。
大湖の商街からの異変の気配に、筆頭守護隊副長バリューが自ら応じ、魔導騎士メイマと共に気鋭の英馬を駆って直ちに向かった。
次々と不穏な報告が続き、各所の守護隊が対応を急く。
年に一度の試練の時である「夏至の日」に合わせて、各地で魔祓いの祭祀が準備されていた。人に限らず、生き物の警戒心は高まっており、鼠の暴走はそのうち鎮まるかに思えた。
だが、不確かな魔神出現の凶報が届く。
─── 鞍上。この先、荒い登坂が続く。少し跳ねるよ。
「了解……」
アメティアスは両足に力を込め姿勢を前傾すると、少し腰を浮かせた。
左手に嵌めた「念通輪」を意識する。
─── 全隊に告ぐ。警戒光明を維持し、速度に注力。目的地まで一気に走破する。
体を貫く霧脈の収束点で、行き交う力の流れが急激に強まる。
アメティアスは、奥歯を噛みしめた。
☆
礫地に埋めた呪礎が赤く煌めいて、加熱の罠を発動する。
「これで暫くは……」
銀仮面の奥から荒い吐息が聞こえた。
傍に立つ英馬が首を巡らせた。
立ち上がった仮面の騎士は、その騎馬の汗ばんだ肩に手を当てる。
「魔術結界に熱網陣を張った。休息を取れ」
英馬は前足の蹄を鳴らして、音を立てて息を吐く。
─── こうも無数に囲まれては、警戒を解けない。
「安心しろ。即席だが一定の間隔は確保できた。心身ともに疲弊したままでは、この先の警護が疎かになる」
─── それはありがたいが、気を張ったままの方が落ち着く。
「まあ、勝手にするがいい」
魔導騎士メイマは、英馬ニースの気性を察して手を離した。
豪馬に比べ、英馬は気丈で気位が高い。騎乗者を対等とみなし礼儀は重んじるが、己れの意思ははっきりと態度に示す。
特にこの馬は、神馬祖霊直系の血筋だ。そのだけの気概と能力を持っている。
他の魔導騎士と違い、メイマはそれを気に入っていた。
戦場での軍騎としては豪馬に分があるが、単騎の作戦行動では、知恵と機転で英馬が勝ると考えている。
恐らく、兄弟馬エルビムの行方も気になるのだろう。
「スラビリアン。何をしている」
メイマが叫ぶ。
蓬髪を振り乱し、擦り切れた麻の薄い胴衣に年季の入った革鎧を着けた細身の男が、両手に抱えた枝木の束を下ろして平伏する。
「熾火のご用意を……」
「生木ばかりだな。十分に木の精の息吹が抜けぬと、火勢が保てぬぞ」
「はい。細枝をまとめて一気に燃やします」
「まあ良いだろう。あそこに手頃な石を組んで炉を作れ。霊力点火で火精を招く」
「はい。暫くお待ちを」
「急げ」
男は立ち上がって走り出す。
─── 結界の向こうで、嫌な気配が膨れている。夏至の夜に霊力密度が高すぎはしないだろうか。
英馬は暗闇の先を凝視しながら、ゆっくりと息を吐く。
「バリュー様のお身体から溢れた御霊の力のせいだろう。辺り一帯の地表で霊力の流れが渦を巻いている」
メイマは膝をつき、右手を広げて地面に伏せると、幾度めかの黙祷を捧げる。
─── 兄者は……。
心の呟きが微かに届いた。
メイマはそれを感じたが、ただ黙って祈り続ける。
剛腕の勇者バリューの亡骸をみつけた。
この国に残った最後の聖なる破魔の闘志が、遂に精霊の元へと旅立ったのだ。
何かが大きく変化する。
先に待つのは栄光か破滅か。
いずれにせよ、動乱の機運が満ちるは必定。
魔導騎士メイマは、己れの心の底に、悲しみと喜びをみつけて悄然となった。
主の死を悼むうちに、この燻り始めた気味の悪い暗い興奮はなんだ?
念呪傀儡の妖精魔導士……。魔神の手下の存在が脳裏をよぎる。
「まさか、な」
未だ壮健でおられたバリュー様が、魔神配下の次元振動如きに後れを取るはずがない。
メイマは激しく首を振った。
突然の悲劇に感情の混乱が起きているに違いない。
主人と認めた剛腕の勇者バリュー様の変わり果てたお姿に、今もまだ気が動転しているのだ。業火に焼かれたかの如く黒く煤け爛れた遺骸を目の前にして、どこまで正気でいられようか。
「騎士様。あれは……」
縞模様の岩塊を抱えた男が、掠れた声を上げた。
我に返ったメイマが、暗闇を抑え込む魔力の結界を睨む。
─── 激しい敵意と高揚が、闇雲に結界線の波動を止めようとしている。強度維持に注意を!
ニースの念波に、左の籠手に巻かれた連鎖帯がざらりと回転する。
「なんだ、あれは。残留思念の具現化が始まっているのか」
籠手が激しく軋んで潤滑油が滴った。
「即効魔術では力不足……」
暗闇を隔てる力場に閃光が爆ぜる。
火炎と凍気が、歪んで吹き飛ぶ。
─── 霊力を吸われて、魔力循環が……。
─── ニース! 霧脈を曳けっ。
後脚の蹄鉄甲から光を吐いて、英馬が単独で動いた。
メイマの念が、それを追う。
─── …「螺旋丈「戦或角碧」」
ニースの脚元を雷電が走り地表を割る。蹄が地を蹴る度に放たれる高温の電撃が術界の礎に吸われ、設置された結界強度を高めて回る。
凶暴な怪異の群塊が立ちはだかる。霊力に群がり、ただ純粋にその怨嗟の声を響かせる。
「妖精の怨念なのか。それにしても……」
なんと悲しく禍々しい恨みの情なのだろう。ただ憎み続け泣き叫ぶ、無数の魂魄が混合し現象となる。
捩れ曲がった棘に覆われて、火焔を宿した眼窩から地底で沸る溶岩の涙を流す化け物が見えた。
「最果ての罪徒め。地獄から滲みでたか!」
メイマの叫びに、微かな恐怖が混じる。
「びっビビびびびっ」
耳をつんざく、強烈な忌避音が轟く。
「びっ! びみっ!」
結界の力場を発現する呪礎のひとつが、粉々に砕け散った。堰き止められていた怪異の暗闇が、津波のように流れこむ。
メイマが息を飲む。螺旋の対応が、一瞬遅れた。
─── 叛貴韻唱…「白湯三昧」
砂礫の地面を覆うように、朧ろな蛍光が流れ拡がる。
「魔封呪…対呪呪」
「破魔の威散散…遍く満ちよっ」
「悪霊散華…廻り巡って底に帰れっ」
「不乱剣…「呪咫印」封じるべし!」
怒声が重なり、虹色の光線が折り重なるように解き放たれて、怪異の暗闇へ迸る。
─── メイマ! 霧脈支援に回れっ。
念通輪から鋭利な思念が流れ込んできた。
─── 軍長。バリュー様が……。
メイマは両手を地面に突き、激しく唸る籠手の螺旋を圧し留める。微細な歯車が擦れて、血と油が滲んだ。
─── それを意識するな。アメティアス嬢を連れている。
銀仮面の裏で血相が変わる。
─── 貴様は防御界維持に専念せよ。軌道を繋げて結界を万全にするのだ。
黒光りする豪馬の騎影が跳び回っている。鮮やかな虹色の紋様が力場の壁として現れ、怪異蠢く暗闇を遠のかせた。
─── しかし、アボンヌ軍長。わたしは……。
急に霊力の流れが正位相に整った。
英馬隊が到着し、先頭の白馬から伸びる霧脈波伝の繋がりが、唐突に途切れた。
「アメティアス殿! お待ちを」
鎖帷子の騎士が騎馬から飛び降りる。
アメティアスは唇を振るわせ、その場に立ち尽くす。
目の前には、砂礫の地面に横たわる浅黒い死体があった。
その輪郭は徐々に崩れ始め、細かく結晶化した塵がキラキラと輝きながら地面に溶けていく。
狩鎧を着けた細身の体が、不意に傾いた。
駆け寄ってきたふたりの騎士が、力を失ったその体を両側から支える。
「アメティアス様。あちらへ」
「駄馬から毛布を取り出せ」
扈門の騎士達が忙しく動き出した。
夜の荒地が、真昼のような明るさに照らし出されていく。
屈強な豪馬から、虹艶の長外衣を纏った鎧騎士が降り立った。
無惨に見える屍に近づき、膝を突いて項垂れる。
「お顔は凝湛の相。何があったとて、勇寿を全うされたに違いない」
─── そうだろうか。勇者は早駆けする者ではないのか。
鎧騎士を乗せていた、「馬力」を体現するかに大きく逞しい青毛の豪馬が、わずかに首を振って鼻息を吹く。
「平穏な世に、早逝は寧ろ熟慮に欠けるとは思わぬか」
─── 駆け抜けてこそ勇者。……いや、よそう。目の前にあるのは「誉の秘徒」の勇姿だな。……青嵐に永遠の輪廻を齎さんことを……。
豪馬は蹄をしっかりと地に着け、首を垂れた。
「これは弓の握りではないのか」
石を積んだ炉に集めた枝木を放り込んでいた備え人の傍で、手伝おうと手を伸ばした騎士が訝しげに声を上げる。
「作りは精巧で立派なものだ。……ここまで割れてしまっては如何ともしがたいが」
「奉納品か何かだろう。小さいが本格的な合成弓だな。割れ痕が新しい」
石積みを固めていた弓騎隊士が、それを受け取って首を傾げた。
「なぜこんな物がこの荒地に?」
「びろーんぬ。ビビびび」
突如、闇夜の荒野に、ふざけたざらつく声音が響き渡る。
最初に動いたのは、英馬ニースだった。
─── 抜けてきたぞ! 包囲に回れっ。
「銀河面! 迎撃っ」
仮面をつけた騎士が、すかさず英馬に続く。
─── メイマはそこで守衛陣展開。シナティカ! 沈静化しろ。
青光る仮面の魔導騎士が煙を吐く連鎖帯の回転数を上げる。
「びみっ。ビビビびみっ。びみ!」
まるで嘲る笑い声のような耳障りな音が、空気を震わせる。
─── 悪霊が実体化している。霊力を吸収させるな!
ニースの気が爆ぜ、英馬達は蹄鉄甲に霊力を込めた。
荒れた地面に鬣の紋章が浮かび上がる。
蹄鉄甲に飛び繋がる雷光が凝縮し、結界の仕組みに活力を与える。
「これを喰らえっ」
青光りの仮面騎士が吼えた。
その肩から伸びる諸刃の矛先から、七色の光輝が渦巻いて飛び出す。
大音量で喚き散らす異形の怪異が膨れ上がっていた。
その体を構成しだした物質を、強力な波動が悉く切り刻む。
「ビビビっ。び、びみょー」
怪音が衰えてゆく。しかし、姿を現した化け物は、何事もなかったかのように再び膨らみ出した。
豪馬に跨った鎧騎士アボンヌは、それを睨み据える。
魔導騎士シナティカの放つ光の網の目は、怪異の物質化を阻み、溶かして力場の中に拡散させる「範囲鎮静魔術」だ。魔力の流れを掴み、理力への干渉を抑えることによって、怪異そのものの実体化を阻止し幻へと変える。
シナティカは更に工夫を加え、その変化を霊能周波の同調に用い、結界の力場に強力な変異抵抗力を付与する。
「怪異免疫」ともいえるその術法は、同種の霊能変異を無効にし、新たな実体化を完全に阻止するのだ。
だが、一瞬怯んだと見えた奇声を垂れる怪異の塊は、更に勢いよく膨れて結界を越えてくる。
均一の霊体ではないのか。しかしその意識は、強烈な憎悪に塗れて統一されている。
これではまるで、あの妖精魔導士の傀儡。
アボンヌは、嫌な記憶が湧いて出るのを払い除けるように首を振る。
─── シナティカは、そのまま散らし続けよ! アジタムとヤッシュは「幻界捕縛」を!
侵入が止まらぬのなら戦法を変えるまで。実体化すれば理力が通る。捕縛術で留めて、斬り払い続けてやる。
アボンヌの軍長騎が、轟然と黒い化け物目掛けて突進する。後ろに続く二騎の魔導騎士が、弾かれたように左右に分かれた。
「うっとおおおっしかぁぁぁぁぁぁ」
闇に無数の灼眼が開いた。
唸り回る火球が群れをなして唐突に現れ、動き回る騎士に向けて爆散した。
大地が震え、砂礫が吹き飛ぶ。
掛け合わさった幾重もの結界の力場が、衝撃に耐えられず砕け散り始めた。
英馬が蹴り、霊力が間隙を走る。
─── 霧脈を絶やすな! 大地の霊力を捕まえろっ。
ニースが激しく蹄を鳴らす。呼応した英馬達が蹄鉄甲に力を込める。
─── 叛貴韻唱…「忍辱倍増」
アボンヌ軍長から魔導騎士全てに、理力遮蔽と体力強化の防御界が張られた。
─── 鞍上! 気力が……。
斑肌の英馬が、背にある鎖帷子の騎士に呼びかける。
「……大丈夫だ。まだ保てる」
隊長のアメティアスに代わり、霧脈波伝を繋げていた騎士が苦しい呼吸の合間に応える。
「これでも爵位一族の端くれ。この程度……」
操馬把を握った手が、不意に力を失う。騎士の重心が乱れた。
察した英馬が身を低くして動き、落馬を防ぐ。
「シトリン卿!」
もう一頭の斑肌の騎馬が駆け寄ってきた。
「不覚……」
「私が引き継ぐ。退いて、お嬢様の警護についてくれ」
「しかし……」
「力線連結の韻唱は、お主より得意だぞ」
「すまん。少しでも回復したら、すぐ戻る」
「そうしてくれ。得意とはいえ、お嬢様のようには到底扱えぬからな」
波伝の光源を引き受けた騎士が、眼前の光と闇の攻防に向き直る。
「魔導騎士の銀河面が苦戦している? もしや、あれがバリュー様を……」
夏至の夜はまだ続く。なんとか耐えなければ。
朝日が昇れば、御威光があれを焼き尽くすだろう。
だが、胸がざわつく。この不安はなんだ。
騎士は右後方に意識を向けた。
簡易な炉が設けられ、すでに幾つもの篝火が燃えている。
あそこにバリュー様のお体がある。
魔神を封印した、剛腕の勇者だ。
巷の陰で、早逝の誉を受けぬ卑怯者と謗られもした。
それでもこの国の行く末を案じ、平穏の護持を体現する戦士として生き長らえてきた。
その覚悟を思い、胸が締め付けられる。
飛び交う韻唱の響きがひとつ、消え失せた。
ひしゃげた兜が血を噴いて転がり落ちる。
前脚を失った豪馬が、地響きを立てて倒れ込む。
「シナティカ!」
仮面の頬に一文字を刻んだ魔導騎士が叫んだ。
─── ナルティオ! シナティカの術効を持続させろっ。
魔導騎士の連携が崩された。
「じゃまじゃゃャゃゃッ」
甲高い不協和音が響き渡る。
バリューの亡骸を護り待機していた弓騎隊から、火焔の破魔矢が飛ぶ。
実体化した棘肌の獣肢が、それを跳ね除けた。
朱塗りの長剣を振り翳した赤面の魔導騎士が突撃する。
巨大な灼眼がギロリと目を剥く。
長剣が化け物の体を引き裂く。
頑丈な鍵爪の手が現れて、豪馬の首を握り潰した。
アボンヌ軍長騎から、幻惑の閃光が撃たれて魔眼を潰す。
棘塗れの化け物の巨体が、全貌を露わにする。
新たな灼眼が、燃える篝火を睨んだ。
「びみっ! みっけたぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
─── 勇武韻唱…
その瞬間、化け物に向かっていた全ての攻撃の手が止まる。
紛う事なき勇者の韻唱が、砂礫の大地に染み渡った。
「まさか、バリュー様……」
メイマが思わず呟く。
霧脈の彼方から、圧縮された振動が空間を揺らす。
─── 「理一致…逸派…
理力が緊張し、熱量が昂まる。
化け物の灼眼が、恐怖に青褪める。
─── …痛喪!」
強引な呪旋律が、その場を支配する。
強風が起き、篝火が一瞬燃え盛った。
人も馬も唖然として動けない。
化け物の姿も威圧も消え失せていた。
全てが幻覚であったかに、静寂に包まれる。
ただ、篝火の炎の揺らぎだけが、時の流れを映していた。
防御界軌道の奥から、煌めきを放つ人影が現れる。
ゆっくりと迫ってくるその姿は、天紫石花の艶を流す美しい髪を靡かせる、小柄な狩鎧の女騎士だった。
ただ、その右腕には、震えがくるほど勇ましい剛腕の覇気が満ち溢れている。
「レルニコーン」
離れてついてきた白い英馬に、振り向きもせず優しい声をかける。
「ここで父上の『英霊』を見送ったら、捜索を手伝って」
英馬は眩しそうに幼馴染みの相棒を見つめ、それから首を垂れた。
「……ア・ロ・ワ神を見つけ出し、捕えるのよ」
左手には、いつの間にか壊れた弓を握りしめている。
睫毛を震わす双眸の奥に、忿怒が渦を巻きだしていた。
人外鑑別衝技隊 1 へ つづく。




