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天地生まれの英霊譚  作者: 庵下 流
『騒乱の夜』
22/27

「騒乱の夜」2 ─ 怪力乱勇 2 




          ☆




 「天紫石花」の時期は終わっていた。

 出歩ける敷地の中に、もう姿を見つけることはできなかった。

 それでも、紫石英の深い艶と透明に滲み移ろう様に似た、美しく可憐に咲く草花を得るために探し回った。


「おまえの髪色は天紫石花のようだ。古代列記の精霊に好まれる色合いだな」

 滅多に見られない、黒髭の勇者の微笑み。


 嬉しくて、その草花で編んだ冠を作って贈りたかった。

 館の片隅でよく見かけた花なのに、いくら探しても見つからなかった。

 悲しくて、涙が溢れた。

 あれは、いつの日のことだったのだろう。



 蹄の響きが、連なって闇中に轟く。

 光輝を失った街道から外れて、道なき道を邁進する。

 青白く浮立つ豪馬が三頭、強烈な光線を行く先に放ち、闇に蠢く怪異を弾き散らす。

 英馬の隊列がその後に続く。先頭には、白い毛並みが輝くしなやかな身体つきの騎馬に、革を鎖帯で補強した狩鎧をつけた細身の騎士がいた。


─── 鞍上?


 案じる思念の波動が、握った操馬把を通じて伝わってくる。

 礬素合金の軽冑が僅かに俯いた。

「私は大丈夫。あなたこそ、疲れが……」


─── 一大事に動けないのなら、「走るのを辞める」のと同じ。ニースの声は危急の念を帯びているわ。


 英馬は走法を変え、騎乗者の揺れを極限まで抑えて疾駆する。


─── 念波の捩れが酷い。あの子がここまで取り乱すなんて初めてよ。


「エルビムの行方は、まだ?」

 一瞬、操馬把が熱くなる。


─── 見つからない。湖北拠点の混乱から、ニース以外、誰の「嘶呼」も、ひとつとして届いていない。


「父上……バリュー副長とエルビムならば、たとえ相手が魔神であろうとも負けはしない」

 時折前方から飛んでくる朧光に浮かぶ、白い頬が震える。


─── 彼はデュンナーン族長の後継者だもの。必ずバリュー様をお守りするわ。


 禍々しい幻光が、隊列を包む防御界の向こうに見え隠れする。


「アメティアス殿。この先は森が深くなる。我らと共に後方に下がってください」

 斑肌の英馬が横に並び、鈍色の鎖帷子を着けた騎士が声をかけてきた。


「先を行く魔導騎隊が、防御界の軌道を拡げます」

「わかった。その前に霊力維持の『霧脈波伝』を延長する」

「承知しました」

 斑肌の英馬が二騎、白馬の背後に回る。


 ─── 貴属韻唱…「霧脈「溢糸総伝」」


 白馬の騎士から湧き出した光束が、先にいる魔導騎隊目掛けて、真っ直ぐに伸びた。

 威光の絶えた暗闇の中では、魔術の展開も一苦労だ。

 暗黒の圧力に耐えるために、霊力転換を各個発動し持続させなければならない。

 白馬の騎士は、それを一手に引き受けて韻唱で繋ぐ。


─── アメティ。無茶は……。


「それを言うの? レルニコーン」

 騎士の口元に微笑みが戻る。

「あなたと一緒。後悔したくはないから」


─── ほんと、頑固なんだから。


「それもあなたと一緒。父上に似たのよ」



 背後から、強い蹄の音が近付く。魔力繊維の虹艶を持つ外衣が翻った。

「魔障の干渉を解析できた。メイマの位置座標を特定。推定値とほぼ変わらない方向だ。ニースからの嘶呼も一致する」

 斑肌の英馬に替わり、巨体を揺らす豪馬が並んで、騎乗する黒い金属鎧の騎士が報告する。


 捜索隊の指揮を任された白馬の騎士アメティアスが頷き、張り詰めた声で応える。

「目的地を確定とする。以後『念通信』周波を戦時適応に限定。速度制限を解いて良い」

「了解。まずは我らが道を拓く」

「任せる。……アボンヌ卿、霧脈の波伝範囲には注意せよ」

「ふん。心得ておるわ」


 騎士を乗せた豪馬が白い英馬を一瞥し、勢いよく前方の魔導騎隊を追って飛び出した。


─── アメティ。あの速度で走られたら、防御界に隙ができてしまう。


「大丈夫。あの方は魔導騎士の統括者よ。霧脈の波伝を自ら増幅して延ばしていく。防御界の軌道化なんて、原理すらわからないけれど、任せて間違いはない」


─── 魔導騎達は苦手。豪馬の中でも得体が知れなくて。鞍上の騎士も恐ろしい雰囲気の人ばかりだし。


「部隊の魔術戦法に欠かせない、頼もしい同志よ」


 古の帝国が率いた豪馬の騎士軍団は、英馬と血で血を洗う激戦を繰り広げた。だがその因縁も、遥か過去の出来事だ。


「メイマとニースに会えれば、湖北で何が起きているかがわかる。後は父上とエルビムに合流して、然るべき指示に従う」


─── 魔神の出現が本当なら、厳しい展開になるかも。


 アメティアスは無言で、操馬把を握る手に力を込める。



 狂暴な黒い大鼠の群がトクリカの森から四方に溢れ、人々の生活拠点に現れて暴れ回っているという。

 大湖の商街からの異変の気配に、筆頭守護隊副長バリューが自ら応じ、魔導騎士メイマと共に気鋭の英馬を駆って直ちに向かった。

 次々と不穏な報告が続き、各所の守護隊が対応を急く。


 年に一度の試練の時である「夏至の日」に合わせて、各地で魔祓いの祭祀が準備されていた。人に限らず、生き物の警戒心は高まっており、鼠の暴走はそのうち鎮まるかに思えた。


 だが、不確かな魔神出現の凶報が届く。


 

─── 鞍上。この先、荒い登坂が続く。少し跳ねるよ。


「了解……」

 アメティアスは両足に力を込め姿勢を前傾すると、少し腰を浮かせた。

 左手に嵌めた「念通輪」を意識する。


─── 全隊に告ぐ。警戒光明を維持し、速度に注力。目的地まで一気に走破する。


 体を貫く霧脈の収束点で、行き交う力の流れが急激に強まる。

 アメティアスは、奥歯を噛みしめた。




          ☆




 礫地に埋めた呪礎が赤く煌めいて、加熱の罠を発動する。

「これで暫くは……」

 銀仮面の奥から荒い吐息が聞こえた。

 

 傍に立つ英馬が首を巡らせた。

 立ち上がった仮面の騎士は、その騎馬の汗ばんだ肩に手を当てる。

「魔術結界に熱網陣を張った。休息を取れ」

 英馬は前足の蹄を鳴らして、音を立てて息を吐く。


─── こうも無数に囲まれては、警戒を解けない。


「安心しろ。即席だが一定の間隔は確保できた。心身ともに疲弊したままでは、この先の警護が疎かになる」


─── それはありがたいが、気を張ったままの方が落ち着く。


「まあ、勝手にするがいい」

 魔導騎士メイマは、英馬ニースの気性を察して手を離した。

 豪馬に比べ、英馬は気丈で気位が高い。騎乗者を対等とみなし礼儀は重んじるが、己れの意思ははっきりと態度に示す。

 特にこの馬は、神馬祖霊直系の血筋だ。そのだけの気概と能力を持っている。

 他の魔導騎士と違い、メイマはそれを気に入っていた。

 戦場での軍騎としては豪馬に分があるが、単騎の作戦行動では、知恵と機転で英馬が勝ると考えている。

 恐らく、兄弟馬エルビムの行方も気になるのだろう。

 

「スラビリアン。何をしている」

 メイマが叫ぶ。

 蓬髪を振り乱し、擦り切れた麻の薄い胴衣に年季の入った革鎧を着けた細身の男が、両手に抱えた枝木の束を下ろして平伏する。


「熾火のご用意を……」

「生木ばかりだな。十分に木の精の息吹が抜けぬと、火勢が保てぬぞ」

「はい。細枝をまとめて一気に燃やします」

「まあ良いだろう。あそこに手頃な石を組んで炉を作れ。霊力点火で火精を招く」

「はい。暫くお待ちを」

「急げ」

 男は立ち上がって走り出す。


─── 結界の向こうで、嫌な気配が膨れている。夏至の夜に霊力密度が高すぎはしないだろうか。


 英馬は暗闇の先を凝視しながら、ゆっくりと息を吐く。


「バリュー様のお身体から溢れた御霊の力のせいだろう。辺り一帯の地表で霊力の流れが渦を巻いている」

 メイマは膝をつき、右手を広げて地面に伏せると、幾度めかの黙祷を捧げる。


─── 兄者は……。


 心の呟きが微かに届いた。

 メイマはそれを感じたが、ただ黙って祈り続ける。



 剛腕の勇者バリューの亡骸をみつけた。

 この国に残った最後の聖なる破魔の闘志が、遂に精霊の元へと旅立ったのだ。

 何かが大きく変化する。

 先に待つのは栄光か破滅か。

 いずれにせよ、動乱の機運が満ちるは必定。

 

 魔導騎士メイマは、己れの心の底に、悲しみと喜びをみつけて悄然となった。

 主の死を悼むうちに、この燻り始めた気味の悪い暗い興奮はなんだ?

 念呪傀儡の妖精魔導士……。魔神の手下の存在が脳裏をよぎる。

 

「まさか、な」

 未だ壮健でおられたバリュー様が、魔神配下の次元振動如きに後れを取るはずがない。

 メイマは激しく首を振った。

 突然の悲劇に感情の混乱が起きているに違いない。

 主人と認めた剛腕の勇者バリュー様の変わり果てたお姿に、今もまだ気が動転しているのだ。業火に焼かれたかの如く黒く煤け爛れた遺骸を目の前にして、どこまで正気でいられようか。


「騎士様。あれは……」

 縞模様の岩塊を抱えた男が、掠れた声を上げた。

 我に返ったメイマが、暗闇を抑え込む魔力の結界を睨む。


─── 激しい敵意と高揚が、闇雲に結界線の波動を止めようとしている。強度維持に注意を!


 ニースの念波に、左の籠手に巻かれた連鎖帯がざらりと回転する。

「なんだ、あれは。残留思念の具現化が始まっているのか」

 籠手が激しく軋んで潤滑油が滴った。

「即効魔術では力不足……」


 暗闇を隔てる力場に閃光が爆ぜる。

 火炎と凍気が、歪んで吹き飛ぶ。


─── 霊力を吸われて、魔力循環が……。


─── ニース! 霧脈を曳けっ。


 後脚の蹄鉄甲から光を吐いて、英馬が単独で動いた。

 メイマの念が、それを追う。


 ─── …「螺旋丈「戦或角碧」」


 ニースの脚元を雷電が走り地表を割る。蹄が地を蹴る度に放たれる高温の電撃が術界の礎に吸われ、設置された結界強度を高めて回る。


 凶暴な怪異の群塊が立ちはだかる。霊力に群がり、ただ純粋にその怨嗟の声を響かせる。


「妖精の怨念なのか。それにしても……」

 なんと悲しく禍々しい恨みの情なのだろう。ただ憎み続け泣き叫ぶ、無数の魂魄が混合し現象となる。

 捩れ曲がった棘に覆われて、火焔を宿した眼窩から地底で沸る溶岩の涙を流す化け物が見えた。


「最果ての罪徒め。地獄から滲みでたか!」

 メイマの叫びに、微かな恐怖が混じる。


「びっビビびびびっ」


 耳をつんざく、強烈な忌避音が轟く。

 

「びっ! びみっ!」


 結界の力場を発現する呪礎のひとつが、粉々に砕け散った。堰き止められていた怪異の暗闇が、津波のように流れこむ。

 メイマが息を飲む。螺旋の対応が、一瞬遅れた。



 ─── 叛貴韻唱…「白湯三昧」


 砂礫の地面を覆うように、朧ろな蛍光が流れ拡がる。

 

「魔封呪…対呪呪」

「破魔の威散散…遍く満ちよっ」

「悪霊散華…廻り巡って底に帰れっ」

「不乱剣…「呪咫印」封じるべし!」


 怒声が重なり、虹色の光線が折り重なるように解き放たれて、怪異の暗闇へ迸る。

 

─── メイマ! 霧脈支援に回れっ。


 念通輪から鋭利な思念が流れ込んできた。


─── 軍長。バリュー様が……。


 メイマは両手を地面に突き、激しく唸る籠手の螺旋を圧し留める。微細な歯車が擦れて、血と油が滲んだ。


─── それを意識するな。アメティアス嬢を連れている。 


 銀仮面の裏で血相が変わる。


─── 貴様は防御界維持に専念せよ。軌道を繋げて結界を万全にするのだ。


 黒光りする豪馬の騎影が跳び回っている。鮮やかな虹色の紋様が力場の壁として現れ、怪異蠢く暗闇を遠のかせた。


─── しかし、アボンヌ軍長。わたしは……。


 急に霊力の流れが正位相に整った。

 英馬隊が到着し、先頭の白馬から伸びる霧脈波伝の繋がりが、唐突に途切れた。


「アメティアス殿! お待ちを」

 鎖帷子の騎士が騎馬から飛び降りる。


 アメティアスは唇を振るわせ、その場に立ち尽くす。

 目の前には、砂礫の地面に横たわる浅黒い死体があった。

 その輪郭は徐々に崩れ始め、細かく結晶化した塵がキラキラと輝きながら地面に溶けていく。


 狩鎧を着けた細身の体が、不意に傾いた。

 駆け寄ってきたふたりの騎士が、力を失ったその体を両側から支える。

「アメティアス様。あちらへ」

「駄馬から毛布を取り出せ」

 扈門の騎士達が忙しく動き出した。



 夜の荒地が、真昼のような明るさに照らし出されていく。

 屈強な豪馬から、虹艶の長外衣を纏った鎧騎士が降り立った。

 無惨に見える屍に近づき、膝を突いて項垂れる。


「お顔は凝湛の相。何があったとて、勇寿を全うされたに違いない」


─── そうだろうか。勇者は早駆けする者ではないのか。


 鎧騎士を乗せていた、「馬力」を体現するかに大きく逞しい青毛の豪馬が、わずかに首を振って鼻息を吹く。


「平穏な世に、早逝は寧ろ熟慮に欠けるとは思わぬか」


─── 駆け抜けてこそ勇者。……いや、よそう。目の前にあるのは「誉の秘徒」の勇姿だな。……青嵐に永遠の輪廻を齎さんことを……。


 豪馬は蹄をしっかりと地に着け、首を垂れた。



「これは弓の握りではないのか」

 石を積んだ炉に集めた枝木を放り込んでいた備え人の傍で、手伝おうと手を伸ばした騎士が訝しげに声を上げる。


「作りは精巧で立派なものだ。……ここまで割れてしまっては如何ともしがたいが」

「奉納品か何かだろう。小さいが本格的な合成弓だな。割れ痕が新しい」

 石積みを固めていた弓騎隊士が、それを受け取って首を傾げた。

「なぜこんな物がこの荒地に?」



「びろーんぬ。ビビびび」

 突如、闇夜の荒野に、ふざけたざらつく声音が響き渡る。

 最初に動いたのは、英馬ニースだった。


─── 抜けてきたぞ! 包囲に回れっ。


「銀河面! 迎撃っ」

 仮面をつけた騎士が、すかさず英馬に続く。

─── メイマはそこで守衛陣展開。シナティカ! 沈静化しろ。


 青光る仮面の魔導騎士が煙を吐く連鎖帯の回転数を上げる。

「びみっ。ビビビびみっ。びみ!」

 まるで嘲る笑い声のような耳障りな音が、空気を震わせる。


─── 悪霊が実体化している。霊力を吸収させるな!


 ニースの気が爆ぜ、英馬達は蹄鉄甲に霊力を込めた。

 荒れた地面に鬣の紋章が浮かび上がる。

 蹄鉄甲に飛び繋がる雷光が凝縮し、結界の仕組みに活力を与える。


「これを喰らえっ」

 青光りの仮面騎士が吼えた。

 その肩から伸びる諸刃の矛先から、七色の光輝が渦巻いて飛び出す。


 大音量で喚き散らす異形の怪異が膨れ上がっていた。

 その体を構成しだした物質を、強力な波動が悉く切り刻む。


「ビビビっ。び、びみょー」

 怪音が衰えてゆく。しかし、姿を現した化け物は、何事もなかったかのように再び膨らみ出した。


 豪馬に跨った鎧騎士アボンヌは、それを睨み据える。

 魔導騎士シナティカの放つ光の網の目は、怪異の物質化を阻み、溶かして力場の中に拡散させる「範囲鎮静魔術」だ。魔力の流れを掴み、理力への干渉を抑えることによって、怪異そのものの実体化を阻止し幻へと変える。

 シナティカは更に工夫を加え、その変化を霊能周波の同調に用い、結界の力場に強力な変異抵抗力を付与する。

 「怪異免疫」ともいえるその術法は、同種の霊能変異を無効にし、新たな実体化を完全に阻止するのだ。


 だが、一瞬怯んだと見えた奇声を垂れる怪異の塊は、更に勢いよく膨れて結界を越えてくる。

 均一の霊体ではないのか。しかしその意識は、強烈な憎悪に塗れて統一されている。

 これではまるで、あの妖精魔導士の傀儡。

 アボンヌは、嫌な記憶が湧いて出るのを払い除けるように首を振る。

 

─── シナティカは、そのまま散らし続けよ! アジタムとヤッシュは「幻界捕縛」を!


 侵入が止まらぬのなら戦法を変えるまで。実体化すれば理力が通る。捕縛術で留めて、斬り払い続けてやる。

 アボンヌの軍長騎が、轟然と黒い化け物目掛けて突進する。後ろに続く二騎の魔導騎士が、弾かれたように左右に分かれた。

 

「うっとおおおっしかぁぁぁぁぁぁ」

 闇に無数の灼眼が開いた。


 唸り回る火球が群れをなして唐突に現れ、動き回る騎士に向けて爆散した。


 大地が震え、砂礫が吹き飛ぶ。

 掛け合わさった幾重もの結界の力場が、衝撃に耐えられず砕け散り始めた。


 英馬が蹴り、霊力が間隙を走る。


─── 霧脈を絶やすな! 大地の霊力を捕まえろっ。


 ニースが激しく蹄を鳴らす。呼応した英馬達が蹄鉄甲に力を込める。


  ─── 叛貴韻唱…「忍辱倍増」


 アボンヌ軍長から魔導騎士全てに、理力遮蔽と体力強化の防御界が張られた。



─── 鞍上! 気力が……。


 斑肌の英馬が、背にある鎖帷子の騎士に呼びかける。

「……大丈夫だ。まだ保てる」

 隊長のアメティアスに代わり、霧脈波伝を繋げていた騎士が苦しい呼吸の合間に応える。

「これでも爵位一族の端くれ。この程度……」

 操馬把を握った手が、不意に力を失う。騎士の重心が乱れた。

 察した英馬が身を低くして動き、落馬を防ぐ。


「シトリン卿!」

 もう一頭の斑肌の騎馬が駆け寄ってきた。


「不覚……」

「私が引き継ぐ。退いて、お嬢様の警護についてくれ」

「しかし……」

「力線連結の韻唱は、お主より得意だぞ」

「すまん。少しでも回復したら、すぐ戻る」

「そうしてくれ。得意とはいえ、お嬢様のようには到底扱えぬからな」


 波伝の光源を引き受けた騎士が、眼前の光と闇の攻防に向き直る。

「魔導騎士の銀河面が苦戦している? もしや、あれがバリュー様を……」

 夏至の夜はまだ続く。なんとか耐えなければ。

 朝日が昇れば、御威光があれを焼き尽くすだろう。

 だが、胸がざわつく。この不安はなんだ。


 騎士は右後方に意識を向けた。

 簡易な炉が設けられ、すでに幾つもの篝火が燃えている。

 あそこにバリュー様のお体がある。

 魔神を封印した、剛腕の勇者だ。

 巷の陰で、早逝の誉を受けぬ卑怯者と謗られもした。

 それでもこの国の行く末を案じ、平穏の護持を体現する戦士として生き長らえてきた。

 その覚悟を思い、胸が締め付けられる。



 飛び交う韻唱の響きがひとつ、消え失せた。

 ひしゃげた兜が血を噴いて転がり落ちる。

 前脚を失った豪馬が、地響きを立てて倒れ込む。


「シナティカ!」

 仮面の頬に一文字を刻んだ魔導騎士が叫んだ。


─── ナルティオ! シナティカの術効を持続させろっ。


 魔導騎士の連携が崩された。


「じゃまじゃゃャゃゃッ」


 甲高い不協和音が響き渡る。

 バリューの亡骸を護り待機していた弓騎隊から、火焔の破魔矢が飛ぶ。

 実体化した棘肌の獣肢が、それを跳ね除けた。


 朱塗りの長剣を振り翳した赤面の魔導騎士が突撃する。

 巨大な灼眼がギロリと目を剥く。

 長剣が化け物の体を引き裂く。

 頑丈な鍵爪の手が現れて、豪馬の首を握り潰した。

 アボンヌ軍長騎から、幻惑の閃光が撃たれて魔眼を潰す。


 棘塗れの化け物の巨体が、全貌を露わにする。

 新たな灼眼が、燃える篝火を睨んだ。

「びみっ! みっけたぁぁぁぁぁぁぁぁっ」



 ─── 勇武韻唱…


 その瞬間、化け物に向かっていた全ての攻撃の手が止まる。

 紛う事なき勇者の韻唱が、砂礫の大地に染み渡った。


「まさか、バリュー様……」

 メイマが思わず呟く。

 霧脈の彼方から、圧縮された振動が空間を揺らす。


 ─── 「理一致…逸派…


 理力が緊張し、熱量が昂まる。

 化け物の灼眼が、恐怖に青褪める。


 ─── …痛喪!」


 強引な呪旋律が、その場を支配する。

 強風が起き、篝火が一瞬燃え盛った。


 人も馬も唖然として動けない。

 化け物の姿も威圧も消え失せていた。

 全てが幻覚であったかに、静寂に包まれる。

 ただ、篝火の炎の揺らぎだけが、時の流れを映していた。


 防御界軌道の奥から、煌めきを放つ人影が現れる。


 ゆっくりと迫ってくるその姿は、天紫石花の艶を流す美しい髪を靡かせる、小柄な狩鎧の女騎士だった。

 ただ、その右腕には、震えがくるほど勇ましい剛腕の覇気が満ち溢れている。


「レルニコーン」

 離れてついてきた白い英馬に、振り向きもせず優しい声をかける。

「ここで父上の『英霊』を見送ったら、捜索を手伝って」


 英馬は眩しそうに幼馴染みの相棒を見つめ、それから首を垂れた。


「……ア・ロ・ワ神を見つけ出し、捕えるのよ」

 左手には、いつの間にか壊れた弓を握りしめている。

 睫毛を震わす双眸の奥に、忿怒が渦を巻きだしていた。


人外鑑別衝技隊 1  へ つづく。

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