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天地生まれの英霊譚  作者: 庵下 流
『騒乱の夜』
21/27

「騒乱の夜」1 ─ 怪力乱勇 1 

「夏至の日」の怪しい夜が訪れます。いつもに増して何やら不穏な出来事が連なり、大陸を覆う動乱の気配が満ちて……。




  ─「怪力乱勇」─




 陽は沈み、闇夜が訪れていた。

 それまで晴れ渡っていたはずが、夜空に星ひとつ観られない。

 濃い暗闇の中で、不穏な気配が勢いを増していく。



 日暮れ前。

 森の中を北からオーギュビー湖の商街へと伸びる幾本かの道が交わるところに、旅人や馬車が行き交う駅逓場があった。

 そこへ唐突に、凶暴な黒い大鼠の妖異が現れ襲い掛かってきた。

 「夏至の日」の夜に備えての警戒があったとはいえ、まだ陽が高いうちからの襲撃に、人々は狼狽え逃げ惑った。


 駅逓場には治安維持に置かれた守護隊の拠点が構えられていたが、多くの隊士は馬車道の要所にある「精霊の護り塚」を照らすための篝火の設置に出払っていた。

 残っていたのは、地元貴族の士官とその従者、扈門の衛士数名のみだった。彼らは戦いを決意し、そして血肉となって散らばった。 

 身につけていた送信輪が、不確かな情報を拡散する。

 各所で篝火を用意していた隊士達も、突然の脅威に勇敢に立ち向かい、力及ばず次々と斃れていった。


 飛び交う伝信を受けて危機を察した小隊の一つは、森に分け入り難を逃れた。

 いや、小隊長である扈門の戦士は、乗った騎馬ごと赤い眼の大鼠に集られ、引き裂かれていた。残ったのは、雇われた俊足の「森の民」が三人だけだ。

 荷物を捨て去り森の奥深くに身を潜ませた彼らに、黒鼠の大群は目もくれずに通り過ぎていった。


 一大事を守護隊に、そして森の種族をまとめる「氏団」に伝えなければならない。

 小隊長の持つ送信輪はもう無い。三人は決死の覚悟で、それぞれ別方向へと駆け出した。


 氏団の拠点へと繋がる伝信設備の在処を知っていた一人は、汗を散らして高い木々の枝を飛び伝いながら、その場所へと急ぐ。途中で何度も大鼠の群れに遭遇し、その度に木の幹にしがみついてやり過ごさなければならなかった。

 陽の光が弱まり日暮れが迫る。


 どこかで地響きが起こり、突風が吹き荒れた。

 尋常では無い何事かが、森のあちこちで起こっている。

 轟音と閃光が過ぎ、埃と血の臭いが辺りに立ち込めた。

 黒い鼠の骸が幾つも転がっている。激しい戦闘の只中にあることに気付いてゾッとした。

 もう動けない。飛び出せば死が待ち受けている。

 下生えと大きな木の根元に伏してただ震える。


 嵐のような周囲の騒乱が治まり、暫く経った。

 動き出そうと気ばかりが急くが、筋肉も神経も言う事をきかない。


「まだ動かん方が良いです」


 体が揺れて息が止まった。驚いて、小声のした背後へ首を回す。

 大樹の根瘤の陰から、小さな姿が覗いていた。年季の入った黒光る鞣革の筒帽子を被った、小柄だが屈強な体躯の人物だ。


「……街道筋の商徒か」

「南の山岳、セネプトラの外商でございます」

 背を低くして、恐る恐る近づいて来る。暗い常盤色の布地の、短い外套が土埃で汚れていた。


「俺はカレ・タール駅の『備え人』だ。……いったい何が」

「わかりません。森奥の製材加工所で仕入れの立会い中に、狂暴な黒い大鼠に襲われました」

 商人は周囲に気を配りながら側まで来ると、座り込んで顔を顰める。

「夏至の日に輸送の立会いなんぞ、すべきではありませんな」


 革手袋が木筒を握って伸びてくる。

「テクスの神製水筒です。まだ数回は清水が湧くでしょう」

 備え人の男は、受け取った水筒を一気に呷る。

「……助かる。途中で水袋も荷物も無くした」

「差し上げますよ」

「ありがたいが、こんな高価な物を」

「あなたは護り塚の祭祀方でしょう。お助けするのは当然です」

「いや、しかし……」

「では、明日には駅逓場へ立ち寄る予定なので、その時にお返しください」

「ああ。必ず」

 明日が迎えられるのであればと、二人とも押し黙る。


 暑い風が森を抜けていく。

 陽が落ちて、森の中に暗黒が広がっていく。


「夏至の夜では、森の精の霊力も弱まります。いつまでもここに潜んでいる訳にはいかんでしょう」

「うむ。すぐに暗闇になって動きが取れなくなる。東の荒地に出よう」

「星明かりは届くでしょうが、魔物が……」

「護り塚まで、夜の森を手探りで移動するよりはいい」


 備え人の男は目を凝らした。夜目は利くが、今夜は普段と勝手がちがう。樹々の騒めきも闇に巻かれて、聴覚すら惑わせるのだ。


「俺が先に行く。身を低くし、足元に気を付けてついてきてくれ」

 返事を待たずに動き出す。完全に暗闇に飲まれるまで、できるだけ急ぎたい。

「承知しました」

 商人はそれだけ言うと、あとは無言でついてくる。


 光を失い闇の濃さを増す森の獣道を急ぐ。

 目指す先は、樹界にぽっかりと開けた砂礫の転がる荒地だ。

 草も根付かぬ呪毒に塗れた古代の呪戦場趾だと伝えられている。何度も植林が試みられたが、大樹の妖精の働きをもってしても木々の再生は叶わなかった。地面深くに染み込んだ呪毒はいまだに抜けず、土石そのものを入れ替えでもしない限り、手の施しようのない土地だ。

 その一角に、岩を穿って作られた伝信設備が隠されている。

 備え人の男は、背後の商人に気を配りながらも、ひたすら急ぐ。


 完全に陽が落ちて、天地を護る精霊界の御威光が途絶える「夏至の日」の夜が来る。年に一度、光輝に抗う怪異や化物が勢いを増す禍々しい闇夜だ。

 貴族と神々の守護をうけて、生き物は住処に身を潜め、再び御威光が降り来る明け方まで、ただじっと耐え続ける試練の時である。


 古の貴族が伝える護法の一つに、土地の要所に設けた「精霊の護り塚」に先祖英霊の威火を熾し、篝火を夜通し焚き続けることで魔物を遠ざける祭祀があった。

 盟約により、森林の護り塚については森の民が備え人としてその役割をこなすしきたりがある。しかし、貴族の差配に従う下働きであり、大事な仕事ではあったが進んでその役に就こうとする者は少ない。手を挙げるのは、雇われの報酬を当てにする貧者か、部族社会に適応できない嫌われ者くらいだ。


 男にとって、何度も務めて身についた仕事ではあったが、今回はいつもと勝手が違う。明るいうちから森に溢れた魔獣の出現は、続く平和な日常に戒めを与える脅威にしても苛烈過ぎる。


 微かに嫌な物音を捕らえて、男の足が止まった。

 行手の先に何かいる。

 腐臭混じりの空気の動きを感じた。汗まみれの体に悪寒が走る。


 妖異の類に間違いはない。

 過去に何度か遭遇し、その度に二度とこんな仕事に関わってたまるかと、怖気づいて寝込んだりもしたのだ。

 だが、生きていくために性懲りも無くまたここにいる。もし明日まで命があったなら、今度こそ仕舞いにしようと考える。


 備え人は武器は持てない。あるのは、木を削り縄を切るための指の長さほどの小さな刃物だけ。

 男はそれなりに格闘術を身につけてはいる。だが、あれに襲われて逃げ切る自信はなかった。魔獣だとて、相手が生き物ならば抗いようはあるかもしれない。しかし、実体の朧げな悪夢のような怪異に巻かれたら成す術はない。


 視界のあちこちに微かな赤い幻光が滲んで潤む。

 いつの間にか囲まれたのか……。


 ─── 妙豊心発揮…「理率転嫁「二分三厘」」


「伏せて、遮光を」

 商人の緊迫した声が耳に届く。


「…燈明花火! 回って爆ぜろっ」


 突然に天が輝いた。

 眩い白光が頭上から降り注ぎ、暗闇に色が戻ってくる。

 備え人は片目を閉じて周囲を探った。


 陰にまだらの毛艶。

 無数の棘の渦巻き。

 ぎらついた虚ろな目玉の塊。

 はっきりとは窺えぬ不気味な気配が、明かりを嫌って奥へと退く。


「向かう先は?」

 商人の問いに、備え人は右腕をあげて指を差す。


「…脱兎燦、疾駆! 径行き照らして、飛び抜けよっ」


 小さな火の玉が顕れて、備え人の指し示す方向へ、光の帯を曳きながら真っ直ぐに放たれた。

 振り撒かれる散光に、巨木の根元や下生えに潜んでいた妖異が闇に逃げる。


「魔術か」

「商訓法力。長くは保てない。急いで」

 備え人は脇目も振らず駆け出した。

 セネプトラの商人。巨大な組合組織を持つ「大陸商団」だ。殊に街を巡って大口の顧客と昵懇な間柄を築き商いをする外商は、もしものために法術を備える者も多い。大抵は魔力を込めた魔術具を用いるが、中には速攻魔法や戦術魔法を自ら修めた猛者もいるという。


「もう少しだ。あの岩の向こうに伝信窟が」

 男は倒れ込むように足を止めた。


 光球に照らされて影の混じった地面に、毛を逆立てた黒い塊がうずくまっている。赤黒く光る眼がいくつも行く手を阻んでいた。

「大鼠……」

 闇を払う光輝にも動ぜず、じっとこちらを窺っている。


「いや、骸です」

 商人が声を上げる。

 よく見れば、どれも血だらけだ。骨を剥き出し、内臓が覗いている。

「何かが、死んだ大鼠を食い荒らしたのでしょう。しかし、なぜこんなに多くの鼠の死骸が?」

「……急ごう。荒地に出れば目的地はすぐだ」

 男は立ち上がって走り出す。


 暗い森を抜け出し、荒地とはいえ開けた場所にたどり着いた。

 商人の放った火の玉が揺らぎ、燃え尽きたように消え失せる。


「……星明かりが」

 戻ってきた闇夜の中で、空を仰いだ商人が絶望したように呟く。

 あれだけ晴れ渡っていた空に、星の瞬きひとつ見えない。

 備え人は閉じていた側の眼を開く。己れが礫地の端のどの辺りに出たかは把握できている。目的の伝信設備には、森沿いに進めばすぐに着く。

 


 ヴォゥゥゥゥン!


 低く轟く破裂音が周囲に響き渡った。

 突風が土砂を巻き上げ、身を伏せた備え人と商人の体を叩く。あちこちで火花が散り、熱い蒸気が煙と雹に分かれて乱れ飛んだ。

 熱波に冷気が混ざりこみ、闇夜の礫地を烈風が暴れ回る。

 地鳴りが揺れを連れて襲いかかってくる。


 怪異の妖気が消し飛んだ。粘度の高い嫌悪感の元が遠のく。

 勇ましい嘶きが闇夜を裂いた。


「英馬!」

 男は、風に当たって髪を逆立てながら、周囲を見渡した。

 貴族が、地鎮を行なっているのか。


 風が乱れて地面を揺り動かし、砂礫が飛んで怪しげな異形達が姿を晒す。そこへ無数の火の玉が殺到する。

 爆発が立て続けに大地を焼き、黒い粘液が吹き出した。


 青火の幻光を纏って怒涛の如く飛び出してきた馬影が、大きく跳ねる。

 背に跨る騎士の姿が、逆光の中で一瞬の白光に映えた。


「銀河面っ」

 備え人の男が眼を剥く。

 地面から粘液が巻き上がり、突如として巨大な山犬の顔が出現した。耳まで裂けた不確かな輪郭の口が裂け、黄ばんだ牙が重なりあって伸び上がってくる。


 ─── 貴属韻唱…「无能転写「螺旋丈「四或五幅」」」

 

 影になった騎士の両腕が歪む。

 烈風が巴に吹き出し、交差して激突する。

 騎士を呑まんと開いた山犬の顎から牙が抜け、バラバラに吹き飛んだ。


 ぬるりと濡れたように光の雫を落とす銀色の仮面。

 アカサス領の遊撃隊「銀河面の魔導騎士」のひとりに違いない。

 備え人は、右手薬指の腹を額の真ん中に押し当てる。

─── 英雄アゼルに、我が血杯を……。


 暗闇に浮き立つ仮面がこちらを向く。

 備え人の額に赤黒い痣が円い輪となって浮かび上がる。


─── 「スラビリアン」が、なぜここにいる。

 脳裏に届く、張り詰めた思念の響き。


─── 森中の備え人のお役目を承っております。


─── 森の民か。何があった。


─── 護り塚の火起こしの最中、異郷の大鼠の群れに襲われました。


─── 鼠は、我が主人「剛腕の勇者」のご武勇によって……討ち払われた。


 一瞬、念話の道筋が途切れた。銀の仮面が震える。


─── 恐れながら申し上げます。我が一族の「勇信訓」に、『鼠の群れに暴虐の邪念を覚えたならば、魔神の企みを疑え』とあります。


─── カルケディスの智慧か。其方は、「敏腕の勇者」に連なる血筋の者か。


 男は眼を見開いた。カルケディス族から分かれた傍流の生まれではある。疎まれる原因を恨んで唇を噛む。


─── 魔神の企みに、鼠の群れ。……まさか。


「魔神マ・デ・ア! ああ、バリュー様……」

 仮面から漏れ出る声がうわずり、狂おしい悲哀の感情があたり一面に満ちた。


─── 鞍上! 

 仮面騎士の騎馬から、強い思念が流れこむ。


─── 右方に新手。横に伸びて広がってくる。


「御身に近づけてたまるかっ。蹴散らすぞ、ニース!」

 英馬が汗を散らして反転する。

 仮面騎士の黒光りする怪しげな籠手が、ざらりと擦り動いて形を変えた。


─── そこから動くな、スラビリアン。妖魔と怪異が混じって集まってきている。守護隊の加勢が到着したら、ここを囲って結界を張る。威火の護り塚敷設に手を貸せ。


 備え人の男は平伏した。

 スラビリアン。獄丁奴隷の身の上が役に立つとは。

 唐突に、生き延びる道筋が見えた。安堵に気が緩む。

「助かった。これで明日になれば、駅逓場で水筒をお返しでき……」

 背後に向かって小声で呟き、気付く。

 小柄な商人の姿は消えていた。


怪力乱勇2 へ つづく。

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