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天地生まれの英霊譚  作者: 庵下 流
『夏至の日』
20/27

「夏至の日」20 ─ 終焉 4




───

「奇瘡の巫女よ」

「猫天刄を呼び戻しました」

「上に広がった、鳳焔姉を鎮めよ」

「……拡散しすぎて、霊力が」

───



 獅天鷹に巻かれた大きな翼の一箇所が、羽根毛を震わす。



───

「叡智の礎が汚染された」

「礎の防衛機構がそれを許すはずがありません」

「饗死楼か。今度はこちらに牙を剥くやもしれん」

「……なぜ?」

「あの次元振動に誑かされたか。あるいは、逆に共闘を持ちかけたのか」

「共闘……。訳がわかりません」

「こちらの駒が欲しいからだ。鳳焔姉の崩快能を使われたら、叡智の礎はどうなる」

「礎が落とされる? ……饗死楼に何が起きたのですか」

───



 破滅の神将は答えない。ただ、触手を絡めて拘束した魔神の形代を睨み据えている。

 折り重なる翼の隙間から、カレンがそっと顔を覗かせた。



───

「たくさんの雷髄の担い手が浮いていますが、動きはありません」

「あの魔神の形代を捕らえているからな。奪うか逃すかすれば、たちまち襲ってくるだろう」

「……鳳焔姉には天井まで引き上げていただきました。猫天刄はこの礎の底でお待ちです」

───



 突然の静寂が訪れた。

 壁面で明滅する石晶の灯りだけが、彩りを変化させている。



───

「ふむ。次の手に惑うか」

「妖精魔導士と叡智の礎が手を組むなんて……」

「秘徒鎖と締女縄を傷つけておいて、何を言う」

「……隠れた黒幕を炙り出すための、苦肉の策です」

「そうか。其方の企てではないな」

「……」

「精霊界への冒涜、いや叛逆に手を貸すも同然の行為だ。素直に聞き入れるものでもあるまいに」 

「私は騙されたと仰るのですか?」

「……精霊界に魔が差したか。いや、そもそも精霊の望む『平和』の意味など考えもつかぬ」

───



 びくとも動かない魔神の形代を見つめる、獅天鷹の瞳に火車の炎が灯る。



───

「気に入らぬ。いっそ、この森ごと滅してしまうか」

「……獅天鷹。私をこの大晶洞に投じたのは、カ・ル・ラ神です」

───



 破滅の神将は、細い眉を顰めた。

 同時に口角が引かれ、不気味な笑みを浮かべる。

 その口元に鋭い牙が覗いた。



───

「あの道化が、この時空にも存在すると?」

「私が呼び覚しました」

「何故に」

「この世界の平和のために」

「愚か者め……」

「……はい」

───



 獅天鷹の下半身に巻かれた翼がゆっくりと動き出す。



───

「均衡を崩すぞ。『破界転の修繕力』を持つ、あの女人像を使え」

「鳳焔姉は、どうあっても奪われる定めですか?」

「奪われる? 戎尼の忠義は厚い。それでなくとも律儀な鳳焔姉だ。当為に誠実な故、苦しみからの英霊の解放が義であると意識する。其方があの次元振動であったなら、真っ先に何をする?」

「……顕現した戎尼神将の略奪など、霊力がどれほど……」

「そこで、饗死楼だ。其方は霊力断絶の環境で、因果を折り返す『神将送還』の手順もとれぬ」

「礎が落ちたら、饗死楼は存在意義そのものを失うではないですか!」

「ふうむ。この巨大な構造物は『星霊の依代』だな。ならば、それに含まれる防御機構も元は『星霊』のためのものだ」

「星霊の依代?」

───



 巨大な翼が開かれ、中に隠れていたカレンの半身が露わになる。立ち尽くした鑑別技官は、焦点の定まらぬ瞳を見開き、鈍色に輝く幾何学模様の盤面をただ眺める。



───

「精霊に囚われ、鎖と縄で繋がれて利用され続けていた『星界の船』に、千載一遇の脱出の機会と吹き込めばどうなる。永劫に搾取し続けられる、絶望的な状況から解き放たれるのだ」

「……それが、この聖域の真実……ですか」

「其方の言うこの世界の平和のために、精霊が施した慈愛の賜物だ。だがそれを知ったとて、この大地に住まう生命ならば、精霊への感謝は揺るがぬだろう? 叡智の詰まった異界の宝船を失う訳にはいかぬと」

「……理解しました。寒気がおさまらないのは、気の迷いでしょうか」

「それで良い。……主導権はこちらにあるが、随分と向こうに時間をくれてしまった。では、始めるぞ」

───



 虚ろに見開かれていたカレンの目に虹色の幻光が戻る。

 神将の翼から飛び出て、目前に交差した両の手印を切る。


 ─── 貴属韻唱…「開露「魂緘」」

 ─── 縛術韻唱…「霊遮「慈救」傀儡…「縛喜」」


 光子が集結し、円い輝きが五段に重なっていく。

 翼の触手が収縮し、捕らえた形代の姿が虚空に蕩る。


 雷髄の担い手が雷を放った。その光が晶洞の天井に集中する。秘徒鎖の表面がそれを弾いて青く輝く。

 

 身構えたカレンは上を仰ぎ見る。

 真っ直ぐに伸び上がる秘徒鎖を伝う雷光が、微かにつけられた鎖の切り傷を焼いてその場所を露わにする。

 三重光輪の白像が、それを目掛けて浮き上がった。


 猫天刄が傷付けて回った秘徒鎖が狙われている。

 鳳焔姉の崩快能によって既に解き崩された鎖は、疵のあるうちのほぼ半数。残りも全て壊されたら、無傷の秘徒鎖も締女縄も無事ではすまない。 

 叡智の礎を真っ直ぐに吊り下ろす『鎖錨』に荷重が集中すれば、原初から礎を繋ぎ止める古の大英霊の太鎖といえど、いつまで支え続けられるかわからない。


 空気を焦がして電撃がカレンを襲う。

 髪に結われた玉飾りが弾かれた。身につけた極宝が一斉に防御する。限られた霊力を増幅、精錬、再配で回し、攻撃を受け流す。


 中空に留まってカレンを狙う雷髄の担い手が、白砂を撒いて崩れ落ちた。

 荒ぶる光環が高音を引いて飛び回る。


 己れの腕が溶解し始めるほどの雷を握ったまま、雷髄の担い手が次々に秘徒鎖の傷ついた輪に取り付いていく。

 至る所で電撃に痺れた英霊の無音の叫びが、カレンの脳裏に響き渡る。


 晶洞の天井に薄く広がり待避していた朱色の霞が、たまらず動き出した。英霊を苦痛から解放するために朱い風と化し、晒された鎖の疵に救いを伸ばす。

 カレンが創り換えた五重光輪の女人像が、両手に現した光る水滴の渦を高く捧げる。

 唸る光環が次々と、雷髄の担い手を真っ二つに切り裂いた。



 カレンが片膝をつく。その下で叡智の礎が大きく沈み込んだ。

 英霊をなくして解かれた鎖が落ちてくる。それに引かれて千切れた締女縄が振れて垂れ下がった。


 鉛丹と紺青の色を強くする翼が羽撃き、項垂れるカレンを攫う。



───

「一瞬でも躊躇えばこうなる。だが、なんとか凌いだな。次だ」

「……私は」

「魔神の形代は手に入れた。其方の霊力が尽きる前に仕上げるぞ」

「……はい」

「外殻の亀裂から忍び込んだ次元振動の片割れが、まだ礎を汚染したままだ」

「……内側に手は出せません。今は『夏至の夜』です。力の流れが戻る夜明けまでに捕らえなければなりません」

「では、どうする?」

───



 柔らかな翼に包まれ、白い顔だけを外に晒したカレンは、役割を果たし萎んでいく女人像の後ろ姿を見詰める。



───

「……鎖と縄から解かれても、礎はただ落ちるだけ。同時にこの晶洞の底に、巨大な転移力で脱出口を開けねばならないはずです」

「聖域の底には必ず、転換路に通じる力場を備えた結界域がある」

「……ここでいえばメルタルの霊晶苑ですか。でも今は、この森の神々の力で封じられています」

「そうだな。落ちた礎によってこの国は壊滅し、全ての転換路が永遠に威光を失うであろう」

「……この聖域からの脱出が叶わないとわかれば、饗死楼も正気を取り戻すでしょう。その上で、魔神の形代を餌に妖精魔道士の残りを誘き出します」

「ふむ。マ・デ・ア復活の智慧を得て、己が分身と形代を取リ戻せる条件なら、交渉の余地はあると踏むか」

「……最悪、魔神の復活を許すことになろうとも、叡智の礎を失うことだけは避けたいと判断します」

「この世の平和のためにか?」

「……そうです」

───



 突然、カレンの足元が揺さぶられた。

 思わず翼にしがみつくと、立て続けに金属の盤面が顫動し、カレンは羽毛の塊の中に埋もれる。


『返セっ』

 翼に重なって、消え入りそうな薄い影が、カレンの目の前で明滅する。

『あレは聡明神さまノ体だ』


 叡智の礎そのものが激しく振動し、組み合わされた機工群の中で何かが動き出していた。


「……叡智の礎への干渉を直ちに中止しなさい。魔神の形代を引き渡す用意があります」

『あアあああ……聡明、そウめいシン……さあムアァァ』

 幻燈の明かりが潰えたように、薄くぼやけた影が透けて見えなくなる。



───

「次元振動が絶えた。礎の汚染が解消されたぞ」

「……饗死楼が追い出したのですか? しかし、これは……」

「手を借りずとも、独力で抜け出す算段がついたのか。霊力を転換せずに、理力と融合させるつもりだ」

「……時空の歪みを推進力にし、強引に鎖を千切って……」

「あれは、なんだ」

───



 虚を突かれたような獅天鷹の意識を受けて、カレンが感応捜査域を拡げる。

 叡智の礎に直視を遮られた晶洞の底。霊晶苑の中心に霊力の集中が感じられた。



───

「……稀れ…神?」

「いかん、結界に導線を引かれた。転移界を開けさせるな」

「……」

───


 翼の触手が極限にまで細まり、空を切って晶洞の底へ伸びようとする。それを叡智の礎からの猛烈な霊力波動が遮った。


『あの道標を断ち切れっ』

「猫天刄!」

 カレンが思わず叫ぶ。


 礎の下で、小さな光の輪がぷるぷると震えて明滅している。


 大晶洞の底に、青白い幻光が満ちた。




          ☆




 闇の中に膨れ上がる爆煙が、バライカの感覚を鈍らせる。唯の煙幕ではない。霊感を狂わせ、透視を遮る魔力を帯びている。

 敵は近づいては来ずに距離を取って、こちらの動きを止める程度の攻撃しかしてこない。

 走り去ったカミクを追えず、霊力枯渇が気になって、まんまとあちらの思惑にはまって足止めされている。


 離れたところで爆発音が続いた。

 ロ・リ・マ神には強がりを言ったが、神薙ぎ装備との接近戦はなんとしても避けたいところだ。カミクの言ったように、『魔装』持ちがいたなら更に面倒な事になる。どんな防御も再生能力も無効化され、体を吹き飛ばされたらたまったものでは無い。

 しかし、引き離されたカミクの行方は気になる。


 カミクの居所まで、煙を散らして道を通そうと弓を向けたその瞬間、その先から強い脅威を感じて、伸ばした腕が震えた。

 弦にかけた指が動かない。極箭が凍えて体中が総毛立った。


 握った弓を咄嗟に手放す。

 煙の中を見えない力が無数に潜り抜けてゆく。

 落とした弓が跡形もなく消え失せる。


 白衣甲を展開する間もなかった。

 極微で高速、その上で苛烈。それが、数百筋の軌跡として辛うじて感じ取れた全てだ。

 超振動の菌象妖精群の炸裂をもって範囲破壊を為す『微弾刺妖精苞』に似るが、構成素子単体の能力が桁違いだ。

 流石に距離による威力の減衰は激しいが、微粒子の妖精化で、ひとつひとつが意思を持って軌道を変え、目標に向かって精緻に行動する。おそらくは到達したら対象を分解し霊力に変えて蘇り、次の目標に突き進む。

 目的を達するまでそれを繰り返すはずだ。

 光に近い早業で。

 

 対処が思いつかない。

 妖精であれば思考の混乱や操作が可能だが、あの速度は術の行使で追いきれない。

 呪文想起や韻唱段階で割り込んで打ち消すか、術そのものの構築前に奪い取ることに成功すれば、或いは対応できるかも知れない。

 だが、相手はまず間違いなく「戎尼神将」だ。だとしたらこれは能力行使であり、防ぎようがない。


「カミク……」

 幼神は強い。あの齢で覚霊し、神として存在し続けているのだ。身につけた霊選装束は一級品だし、極宝も竜珠も別格だ。更に自身の神力術法は、皆が怯え誰しも焦がれる異端極値の稀れ業に思える。霊象魅了は「可愛い」に偏りすぎていて色々な意味で危険だけど……。

 一体どんな精霊の思し召しなのだろう。


 でも、だとしても、戦いで戎尼神将の敵ではない。

 あれは戦いと破滅そのものだ。

「手助けしなくちゃ」

 バライカは白花弁を纏って飛び出した。


 助ける? たった今手も足も出なかったくせに。

 カミクの気配は消えていない。しかし、向かったところで足手纏いになるんじゃないか?

「……」


 煙を吹き飛ばし、すぐさま大きなメルタルの演舞台の端にたどり着いた。

 剥き出しの肌がひりつくほどの恐ろしい威圧が消えている。

 つい先程までとはまるで様相が異なる事に気づいた。

 岩石や残骸が転がる埃まみれの円台全体が、ぼんやりとだが発光し始めている。

 時たま視野を縦に舞い上がる、白い光輝の筋が段々と増えていく。

 くっきりと浮き上がるように明るくなっていく大きな石の円台の真ん中に、目指す姿を認めた。


 逆立つ蓑衣を着けて、型に嵌まった人形のように立ち尽くすカミクは、視覚に捉えられるほど濃い霊力の流れの中心になっている。

「……秘徒柱」

 それは、大義の為に精霊にその身を捧げた英霊を基に立ち上がる、朧光の奔流のように見えた。


 バライカは円台に飛び乗った。途端に平衡感覚が狂う。

 重力が捻れて、体の部分があちこち別方向に引っ張られ制御が利かない。理力が乱れて渦巻き、空間そのものの均衡が崩れている。まるで無数の流れがぶつかり合う水中に投げ込まれたかのようだ。


 足元のメルタルの床へ、体から抜け落ちるように霊力を吸われる。

 白衣甲の強度と、白花弁の振動密度を上げる。

 青白いメルタルの表面に、無数の見慣れぬ呪文章の輪郭が現れては消えてゆく。

 転移界の力場構築の前触れと悟った。だが、何かおかしい。


「霊力が……」

 拡散ではなく凝縮していく。転換され大地から齎される霊力ではない。

 バライカはあらためてカミクを見る。

 あの光の柱を伝って、上から膨大な霊力が、直にこの円台に流れ込んでいる。


「何を……」

 いや、幼神が起こした事象ではない。床に埋まってそこから生え伸びたかのように立つ、カミクの長靴が眩く発光している。

 白花弁を圧する理力の渦に耐えながら、バライカは天を見上げた。


 叡智の礎が、鈍く重い音波を発しながら、ゆっくりと回転し始めている。

「礎? まさか『汎導体』をここから……」

 バライカは、空間を泳ぐようにカミクを囲む光の柱に近づいた。


 艶光る星霊流天靴は、まるで地面を割って現れ出て、幼神の足を飲み込む銀鱗の魔物のように見えた。

 バライカは、光の柱に手を伸ばす。

 激しい火花が散って弾かれた。


「カミク!」

 身動き取れぬ小さな体は、霊力の激流を無理やり捩じ込まれ、流天靴を通じてメルタルに現世の魔力を注ぐ道標にされている。


「なんで……」

 理解できない。精霊は何がしたい? 叡智の礎を聖域から取り除いたら何が起こるんだ。この国、この大陸の安寧を保つ要をどうするつもりだ。

 わからない。思考が混乱する。意識が混濁する。


 指に巻き付いていた極箭が激しく震えた。

「……今、できること」

 バライカは右手を握って、その拳を光の柱に思い切り捩じ込んだ。

 柱を走る霊力が暴れ、極箭を通じてバライカの体を侵す。

 少年神の生身を構成する理力に強引に分け入り、その白い体を形作っている神威に無理矢理染み込み支配しようと迸る。

 

 バライカは、衝撃と苦痛に身を退け反らせた。

 意識すら飲み込もうと襲いかかる強大な力に、ただ耐える。


 ─── 白衣陣…「巌龍…


 青白い燐光を放つ身体中の皮膚が硬化し、ひび割れ、剥がれ飛ぶ。

 肌が裂けて血飛沫が舞い、渦を巻いてメルタルの床に吹きつけた。


 ─── …昇天」


 空間が捩れ、重力が錯乱する。

 叡智の礎の動きが鈍った。晶洞の底に向け邁進しようとする勢いそのものが、躊躇うように衰える。


 バライカは、転移界を創るために注がれる莫大な霊力を奪って大地の理力を反転し、叡智の礎の巨大な質量に集中させた。

 脱出口の構築を遅延させ、そこへ向かおうとする鈍色に輝く構造物を押し留める。

 今できる唯一の手段。だが長くは持たない。己れを転換路にし、貫いていく激しい力のうねりに、体が壊されていく。

 時間稼ぎにしかならないとわかっている。

 その時間で何が起こせる?

 

『ごめん、ね……』


 光の環が唸りを上げて地表を滑りくる。

 紫電一閃、幼神を囲む霊力の柱の根元が揺らいだ。

 

 カミクが背中から円台に倒れ込んだ。

 両足の膝から下が無い。

 明滅し始める光の柱の中央に、流天靴だけが、咥え込んだカミクの足の切断面から溢れる血に塗れ、切り株のように残されていた。

 

─── 命練…「逓減命放「漆黒華…解極」」


 カミクの視線の彼方に叡智の礎が歪んで見える。

 花浅葱で彩る白群色の瞳が潤む。


─── 命練偈…「 胎 動 鎖 刻 」


 大晶洞の空間の中心に、紫紺の闇が湧き出した。




          ☆




 黒鉄の巨体が激しく振動する。

 秘徒鎖が軋み、締女縄が撓む。

 まるで苦痛にのたうつ生き物の呻きのように、叡智の礎から重い亀裂音が鳴り響く。



───

「導線は途切れた。仕舞いをつけるぞ」

「……」

「次元振動は封じた。饗死楼も落ち着きを取り戻すであろう」

「……」

「さあ。魔神の形代を受け取れ。これで思い残すことはないな」

「……獅天鷹?」

「『終わり』はすぐそこまで迫っている。今更の後悔なぞ投げ捨てよ」

「……底から満ちてくる、あの暗闇は」

「気にするな。滅する其方が煩うことはない」

「獅天鷹。答えてください。あの稀れ神の蒔いた種は、この世界を滅ぼすのですか」

「奇瘡の巫女よ。これは精霊の因果の報いだ。あの小さな幼神はその切っ掛けに過ぎぬ」

「運命は変えられない、と?」

「続いた均衡が終焉を迎えるだけだ。まだその先は続く」

───



 少しずつ千切れて霧散する大きな翼の羽毛に包まれ、カレンの瞳から光が消え失せていく。



───

「恐れるな。ただ滅するだけだ。無くなってしまえば、精霊の瑕瑾を踏み倒せるかも知れんぞ」

「……それは、できません」

「そうか。では静かに眠るがいい」

「いえ。最後にお願いがございます」

───



 暗く開いたカレンの瞳孔の奥底で、虹色が弾けた。

 血の気が失せた唇が戦慄く。


「力を……。『レオテピタル-アンジェ』……。あなたが……欲しい」




          ☆




 紫紺の霞は雷雲のように瞬く間に広がり、垂れ込んでゆく。

 脈動の途絶えたメルタルの床石に、血糊を擦り付けながら満身創痍の少年神が両膝を突く。

 頭上に現れた暗く渦巻く霞の覆いは、霊力の流れを一瞬で遮った。同時にバライカの抵抗も意味を無くしていた。

 光の柱は消え去り、目の前には燻る長靴が転がっている。

 バライカは両手で探るように、それへ這い寄った。五感は力尽き、体も上手く動かせない。

 神体の六感だけが頼りだ。

 伸ばした右手が流天靴に触れた。力を振り絞ってそれを抱え込む。


「カミクは……」

 倒れた幼神の方を向く。黒い塊が伸びている。

 神威が感じられない。バライカは咄嗟に近づこうと体を動かした。身を支えて床についていた膝と左手がぬるりと滑る。

 石床に顔から倒れ込んだ。むせ返る血の匂い。


『無理しないで。この子の出血は止めたわ』

 ロ・リ・マ神の震え声が、辛うじて聞き取れた。

『まだ魂魄は繋がっているの。でも、このままじゃ身体が』 

「……叩き起こせ。意識があれば回復能を補助できる」

 カミクの血に浸った横顔を上げて、バライカがなんとか声を上げる。

『無理よ。もう自分の意識の維持だけで精一杯』

「霊力をぶち込まれたり抜かれたりされ過ぎて、おかしくなりそうだ」

 バライカはそれでも、激痛に耐えて半身を起こす。

 濃い血が滴り落ちる。もう身体中が自分とカミクの血に染まっていた。


「上に広がった暗闇はなんだ? だんだんと降りてきているぞ」

 女神の返事は無い。

 バライカは、それに気づいて息が止まる。


 カミクの傍らに、小さな姿がうずくまっている。

 ぼんやり輝く薄衣を纏った女童が、膝を抱えて悲しげにカミクを見つめていた。時たま揺らぐその体は、背後が透けて見えるほど儚げだ。

「霊魂……『冥霊』か。カミクの友達?」


『このこ、もうなおらない?』

 女童は顔を上げてバライカを見る。今にも泣きそうだ。

「カミクは神だ。霊力にさえ届けば、元に……」

 バライカの視界の隅で、頭巾の猫耳が何やら騒がしげに震えている。


「近づていくる暗闇はなんだ。カミクの霊友なら、何か知らない?」

『しらない。あれがあると、もどれない』

 女童は目を瞑って首を横に振る。その姿はさらに空間に沈んで淡くなる。

「あの闇に飲まれる前に、ここから脱出しないと」

 だが、万策尽きている。広がった闇の空間は、どんな探査能力を向けてもなんら情報が返ってこない。粒子も波も反射しない。それこそ虚無だ。こんなものが拡がり続けたら、この世界そのものが無くなってしまう。


『ここからでたら、なおる?』

「出られたらね」

 バライカの心は落ち着いてきた。全てが終焉を迎えるのなら、それはそれで仕方が無い。思い残すことは多々あるが、諦めも必要だろう。今やれることは、もう無いのだから。


『じゃあ、ちょうだい』

 突如、迫る闇を祓うように光輝が生まれた。

 石床に広がった血が舞い上がり、渦巻く風に吸い込まれる。

 立ち上がった女童は、頭上に光の環を回し、その威光に包まれ圧倒的な神威を解き放った。

『なおったら、みんなであそぶの』


 バライカは、唖然とする。

『キャトフェロン-アンジェ!』

 頭巾から女神が叫んだ。


『やくそくだから、ね』

 女童がなんだか恥ずかしそうにはにかんだ。

 血飛沫が光環に流れ込み、女童の足元の石床に霊力が蘇り脈動し始めた。

 幼神と少年神はメルタルの円台にゆっくりと沈み込んでいく。


『猫天刄……様。やっぱり本物は、超かわいい……』

 ロ・リ・マ神の呟きが闇に溶ける。


 古精霊の聖域。その大晶洞に、暗黒が満ちた。


 天地生まれの英霊譚『夏至の日』はここまで。

 お読み頂いた方々、ありがとうございます。

 ほぼ半日のお話なのに、一年かかってしまいました。

 次は『騒乱の夜』(仮題)になります。


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