「夏至の日」17 ─ 終焉 1
─「終焉」─
太古の精霊がこの大陸に張り巡らせた霊力の脈道を元に、長い年月を掛けて整備、構築した「霊能転換路」がある。その上に敷設されたメルタル合金を基材とした「合煉霊能物質」の石畳が続く街道が「王都の威光」と呼ばれた。
各領地、またそこから国外に繋がるこの街道は、移動や物流、防衛の要として、この国だけでなく大陸の多くの文明を支えている。
年に一度、この街道が全ての「流れ」を停止させる夜が来る。それが夏至の日没から夜明けまで続く。
精霊の御力によって抑えられていたあらゆる存在と事象が、現世に顕現し始める。まさに「混沌」が解き放たれるのだ。
この混沌の齎す災厄に対処すべく、貴族は権力と文明を用いて、霊力の蓄積と処方の伝播を続け、それを特別な義務として代々伝え守ってきた。
また、世界に現れた神々は、この時のために「護法」を宿し、儀式を通じて世界の秩序を取り戻す役割を密かに与えられていた。
混沌は一夜にして退けられ、元の平穏が再び訪れる。
精霊の創り出した循環の中、「夏至の日」は各地で、一年の行動を省み緩んだ箍を締め直す、危険を伴う神聖な行事として、厳かに執り行われ続けているのだ。
「夜が開けても、霊力の流れが途絶えたままだったら……」
それを望む存在もあるのだとしたら、それを明確な「敵」として排除するのが己が使命。
白練の鑑別技官は、意を決していた。
ただし、ここへ遣わした「時変動の捌き手」、カ・ル・ラ神の思惑は窺い知れない。
黒鉄と繊維化したメルタル合金の艶やかな盤上に降り立ち、晶華煌めく大晶洞の天井に視線を向ける。
巨大な構造物である「叡智の礎」を吊り下げる、無数の太い「秘徒鎖」と、それらを束ねるように張り巡らされた「締女縄」が、岩盤から顔を出した石晶の淡い輝きに照らされている。
あの鎖の輪や、縄の結び目ひとつひとつに、英霊が宿っているのだ。その一部だとしても破壊などできる訳がない。
カ・ル・ラ神はこの「叡智の礎」が落とされるという危機感を、一連の事態の首謀者に与えたいのだろうか。
ならば、『鳳焔姉』にお出ましを……。
「なぜこんなところに『外法蔵』の輩が居るのか」
鑑別技官カレンは片膝立ちのまま、背後から聞こえる声に体の動きを止められた。
「その服装はシリカ属級の貴族か。いや、外法の分際で貴族を騙る不逞な侵入者だな。直ちに消えて無くなれ」
タン !
足元を鳴らし、カレンが立ち上がる。
激しい雷光が網のように広がりカレンを襲うが、その体を幾重にも防御する数多の極宝の力が尽く弾き返す。
「恐れながら申し上げます。確かに外法を宿した巫女にございますが、この白練の技官服は王宮より賜った承認の証。見慣れぬ軍装の御仁に、古代の韻唱で消し飛ばされる謂れはございません」
振り向くカレンの両目に、虹色が騒めく。その視線の先に、侵入者を消し炭にせんと雷撃を放った人物が、七宝煌めく凝った意匠の、豪奢な金属製の椅子に深く腰掛けている。
「ふん。では今一度問おう。なぜ、こんなところにシリカセン王宮の官職が忍んでおるのだ」
分厚い古代紫色の上着の立襟に納まった、青白い角ばった恐ろしい顔で、引き攣れた三白眼が微動だせずにカレンを睨みつける。
「我が国の平穏を脅かす厄介な不届者を探し出し、その企みを打ち砕く為に、私は王宮より遣わされました」
カレンは、身に付けた複数の極宝から流れこむ膨大な解析情報を即座にまとめ上げ、併せて探査、感応、状況処理を一瞬で行う。
「貴国の技官は、『豹者』の真似事も嗜むのか」
「恥ずかしながら心根が粗野なもので、自ら動いてこの手で始末をつけないと気が済まない性分なのです」
「ならば立ち去れ。叡智の礎は護られた」
軍装の大男は、椅子に凭れて瞬きもせず、睨んだきつい眼光をカレンから片時も離さない。
「では、この晶洞の底に残る、拳の異形は何事でしょうか」
「……顕現を目論んだ魔神の亡骸であろう。精霊の御使い『雷髄の担い手』により倒されたのだ」
「精霊のご威風に払われた邪悪の残骸でしたか。ならば私は、監視廟におられるアカサス領主や同行されている方々を地上にお連れし、せめてもの務めを果たしましょう」
男の瞳が、縦に薄く伸びる。
「無用だ。既に救助の部隊を向かわせておる」
「そうも参りません。王宮鑑別院『純白位鑑別技官』としての職務を全ういたします」
「鑑別技官の仕事とは思えぬが。……シリカセン王宮の者ならなおのこと、手出しはするな」
軍装の大男は、ゆっくりと長い足を組む。
「嫌疑が晴れるまでは、この聖域から出す訳には行かぬ」
「この領地の主をですか? 王族ですよ」
「例えシリカセンの王族であろうと『叡智の礎』に対するこの度の不敬の数々、許されざる大罪となるであろう」
「……どこぞの魔神が復活のために企てた邪事ではないと?」
カレンの虹彩に浮遊する幻光の彩りが輝きを増す。
「この聖域に、罪人を装い魔神の種を仕込んだ石人形を送り込んだのは、誰だ」
「メルタルの宝珠を横取りした盗人は、剛腕の勇者が所属する守護隊によって捕らえられ……」
「誰がここへ魔神の種を送り込んだかと訊いている」
「……剛腕の勇者です」
「そうだ。剛腕の勇者が神憑きの極悪人を封じた。魔神マ・デ・アを封印した実績があるからこそ、霊晶苑に秘徒柱が立った」
「魔神復活のお膳立てを、勇者が引き受けたと言うのですか。何の為に?」
「この辺境の地に、なぜ勇者が居るのか。そもそもメルタルの宝珠を盗んだ男は、なぜその場所に潜り込めたのか。勇者の娘の手引きではなかったか。今この瞬間、一体勇者は何をして居るのか。連絡も取れず行方知れずだ」
大男は一気に捲し立てる。
「ならば、まずは剛腕の勇者を捕え、尋問すべきでしょう。精霊群門のこの世の現し身ともいえる『王族』に、叡智の礎に対し不遜に振る舞われる御方など存在しません」
「王宮の官職であれば、それは正しい物言いだな。だが、類稀な戦闘力を備えた勇者とはいえ、身内だけでこんな陰謀を実行に移せるか?」
カレンは微笑んだ。見えない謀略の形が、うっすらとではあるが姿を現したと思えたから。
「どんな陰謀があるのですか。貴方のお話は本筋が見えません」
「それを明らかにするのだ。嫌疑が晴れれば、どこへなりとも連れ帰るがよかろう」
軍装の大男は、声を強めて吐き捨てるように言う。
カレンが心持ち早口になる。
「魔神が顕現を望み、それを手助けした勇者。その企ては『雷髄の担い手』により阻止された。しかし、勇者だけでこれだけの『策謀』は成し得ない。その背後に何者かが暗躍しているはず。それはシリカセン王宮である。……創りたい筋書きはこんなところでしょうか。……道理に合わぬ妄想ですね」
大男は無言で睨んでいる。
「そもそも叡智の礎はこの国の隠された宝です。それを王宮自ら危険に晒すことなど有り得ません」
「シリカセン王宮や、諸公はそうだろう。だが、あの領主はどうだ?」
「……グレブル殿下は、『現王』王位承継者のお一人ですよ」
「王位承継者が、この僻地に飛ばされ、生涯かけてお宝の番人か。魔神を用いてでもこの大晶洞を支配できれば、王宮に対する切り札を得て、『新王』の座が近づくであろうな」
カレンの口元から微笑みが消える。
「下衆の勘繰りも大概になさい。何が正しいかは精霊のご照覧のもと、明らかです」
「明らかであるならば、何を狼狽える。疑いを晴らし、大陸に拡がる疑念を払えば良い。シリカセン大王国の『正統』は保たれる」
「正統……」
カレンの考察は、輪郭をはっきりと見せてくる。
「無数の思惑を束ねて、この世界に再び動乱を引き起こすおつもりですか」
「何のことか。下衆の勘繰りも大概にして欲しいものだな」
大男は蔑んだ眼差しに変わり、口の端を吊り上げた。
その背後から、後光のように迸る光輝が近づいてくる。
カレンは右手で、左腕を撫でる。
準備はできた。後は半身を燃やすだけだ。
「精霊の御心に沿うはどちらか。勝負いたしましょう」
「ふん、面白い。外法の鑑別技官が真の正統に楯突くと申すか。受けて立とう」
カレンが左の手印を解く。
「戯言を宣う『帝国』の亡霊に『王都の威光』を奪われる訳には参りません」
「元は我れらが『覇帝』の所有物だ。返してもらうまでの事」
─── 智遮抜幹…「顕来「鳳焔姉」」
カレンの左腕の白練の生地が瞬く間に赤黒く染まり、朱霞の煙が立ち昇る。
思わず椅子から身を乗り出した大男の後ろから、青光りを撒き散らし、無数の赤銅の鎧戦士が次々に飛び出してくる。
─── 覇銅韻唱…「電流奔潤」
空間を飛び交う稲妻が、赤銅の戦士が掲げる直剣に集まり溜め込まれる。
赤い霧に包まれたカレンは、襲いくる戦士に身じろぎもせず、右手の手印を開放した。
─── 智遮奏爪…「顕来「猫天刄」」
剣を振りかざす戦士達の前に、金色に輝く光環が現れ、高速で飛び回りながら行く手を遮る。
振り下ろされる雷流を纏った剣に、勢いぶつかり弾き飛ばす。
擦音を上げて振れ回る光環の下に青い霞が降下し、そこに女童の人型が、一瞬だけ像を結ぶ。
思わず動きを止めた先頭の鎧戦士の首が飛ぶ。
光環が流れ走り、その度に赤銅の鎧が分断され床に散らばり、音を立てて滑り落ちていく。
「『式神』ごとき……」
軍装の男は、目を見開く。瞳が十字に割れた。
─── 覇銅韻唱…「威光断絶」
光環がぴたりと宙に留まる。
それを冠のように頭上に頂いた女童が、赤い唇を開いた。
『おしまい?』
女童の小さな両手の爪から噴射する、青白い高温の焔尖が収束する。
雷を帯びて現れた赤銅の鎧戦士達は、あっという間にその全てが欠片にされ残骸に変わっていた。
『それじゃあ……』
女童は、つまらなそうに上を見上げる。
空をつん裂く轟音と共に、眩い電撃が女童の姿を閃光で溶かす。光環は点にまで凝縮し、襲いくる電離流の束から離脱して飛び回る。
「外法に縛られた暴れ神などで、精霊の怒りは鎮められんぞ!」
軍装の大男の姿が、椅子ごと歪んだ。
その背後から、三重の光輪を纏った白い影がゆっくりと立ち昇ってくる。
「天罰にひれ伏せっ」
ビン!
張り詰めた音が響いた。朱色の霞が立ちこめた岩盤の天井で、張られた秘徒鎖の屈強な輪がひとつ、千切れ飛んだ。
解かれた鎖が『叡智の礎』の上に、音を立てて崩れ落ちてくる。
ブシッ!
外れた鎖を繋ぎ止めていた締女縄の結び目が、鈍い音を立てて毟られた。
『叡智の礎』のどこかで冷たい軋音がする。
「がっ……」
大男は目を剥き、絶句する。
「今すぐ立ち去りなさい。猶予は一瞬もありません」
「なにを……する」
「立ち去りなさい。さもなくば落とします」
白い女の顔から、くぐもった声がする。
大男は悔しそうに歯噛みした。
白い女の顔は、黒く艶めく不気味な光の錯乱と、血と肉と骨の絡みつく狂気の渦から生えていた。長い銀糸の髪は千々に乱れて生き物のように蠢き踊り回り、もはや人の形を無くしている。
「邪神かっ?」
「去らぬなら」
岩盤の天井から、幾つも嫌な破滅の音が鳴る。
壊れた鎖と縄が次々と降ってきた。
鈍色の金属の床が戦慄く。「叡智の礎」が僅かに傾いた。
「正気の沙汰ではないっ。貴様は、貴様はっ」
「次は中心の『鎖錨』を」
「雷髄の担い手ぇぇぇ」
男の後光の担い手になっていた、三重の光輪を持つ白像が両の腕を前に伸ばした。
その手が漂っていた朱色の霞に触れる。
途端に、逞しい太い腕が萎れて垂れ下がった。
真顔で唖然とする大男の背後で、音を立てて白い砂が流れ落ち山を作る。
「無駄な足掻きですね。『鳳焔姉』の『崩快能』は、力の結びつきを優しくほぐして昇天させます」
「『フォーンヌ-ソラルゥ』…神将だと?」
言下に大男の姿は椅子ごと消え去る。
入れ違いに、男のいた位置にまたもや白光の像が出現した。
今度は五重光輪である。まるで光の輪の筒に包まれたように、髪を結い上げた美しい瞑目の女人像が、左手を唇に当てて微笑んでいる。
「『雨髄の癒し身』…ですか」
どろどろに混じり合い、少しずつ贄として削り取られていく異形の体の中で、白い顔が揺れる仮面のように見える。
カレンは、神将の制御に苦慮しながらも、まだ保たれた意識の内で苦笑いした。
あの男。古代帝国の壊滅した大軍団の生き残りだ。いや、もう生きてはいないのかも知れない。怨念を孕んだ未知の自律機工か、妖精化した軍閥の成れ果てか。
どこからか、男の声が響き渡る。
「立ち去れだと? 誰にものを言っておるのだ。神将を操る霊力なぞ、いつまで続くと思っている。『雨髄の癒し身』で、永劫までも修繕し続けてやるっ!」
この男の古代の韻唱で、外部からの霊力招来が断絶されている。この身の転換で取り出した霊力だけが頼りだ。
鎖も縄も、未だ充分にこの巨大な構造物を支えていた。
「猫天刄」は巧みに飛び回って、鎖と縄に、英霊に届く微かな傷をつけ回っている。そこに崩快能が届けば、物質を衝結させている英霊は、霊力の枷から解き放たれる。
結果、鎖の輪は千切れ、縄の結び目は解かれるのだ。
しかし、「雨髄の癒し身」は、鳳焔姉の崩快能をそのまま作用反転して「無かった」事にできる。
カレンは即座に霊力転換と持続時間を再計算した。
「……」
悠長に睨み合ってはいられない。
「どうしたぁ! このままそこで、霊力を搾り尽くして、死神に食われてしまえ!」
「それは困ります。なので……」
─── 智遮掃闘…「顕来「獅天鷹」」
大晶洞の全てが震えた。
宙空から、黄金色の光環が滲み現れる。その下に銀翼の蕾が生まれ、空気に触れて鉛丹と紺青の羽色に染まり、その主翼一対が大きく広げられた。
巻きつく二対の翼に包まれた、見事に熟した女神体の花貌で、瑞光を宿した双眸に怒気が満ちる。
励起して揺蕩う羽毛の奥で、カレンの生気を失った青白い顔が、激しく歪んで潰された。
───
「奇瘡の巫女。あの豊満な女人像を破滅させれば良いのだな」
「……してんのう」
「一閃叩き込めば決着が着こう」
「……あれを、こわしては、なりませぬ」
「なんだと?」
「……えいちの、いしずえが、おちて」
「落とすために私を呼んだのではないのか」
「……いけない」
───
カレンのどこかに存在する耳元で、甘く切ない三和音の吐息が漏れる。
───
「奇瘡の巫女よ。破滅をもたらす神将の私に、他に何を望むのか」
「……まだみえぬ、せいれいの」
「この一瞬で、英霊の命魂に匹敵する霊力を転じているのだぞ。そも、神将三柱がこの時空に同時に在るのが信じられぬ。其方はなぜ滅せぬのか」
「……かきん」
「『瑕瑾の穢れ』だとしても、霊力を導く間口は変わらぬ。人の限界を超えておろうに」
「……げんきんを、にじゅうごばいで」
「霊源に『幻瑾』を使ったか。二十五倍だと? そんな寿命を賭けた契約が成立するはずは」
「……」
「……。哀れよのう」
───
カレンの血が溢れる裂かれた背中ごと抱き竦める。透き通った無垢の熱い指先が、その体からはみ出て震える血肉の内側を撫でて、優しく慰める。
───
「……じかんが」
「何を為せと」
「……あれが、ほしい」
「ふむ。『雨髄の癒し身』か。手に入れてどうする」
「……せかいの、へいわを」
「途方も無い愚か者か。……愛おしいわ」
───
広げて鉱物霊素を存分に溜め込んだ翼が、羽根の全てを良く撓う伸縮自在の触手の形に変える。
───
「細かい仕事は慣れぬゆえ、辺りが壊滅しても許せ」
「……こわさないで」
「陸を海に変える方が容易いわ」
「……おねがい」
───
破滅の神将は、己れの胸元に視線を落とす。
羽根に包まれた谷間に、赤黒く蠢く溶けた肉塊が溜まり、そこから白い眼球が浮かび上がる。
その瞳が、光を分けて彩りを目紛るしく変化させる。
翼の触手が一本だけ、あらゆる防御を無視して、五輪の女人像の豊満な胸に突き刺さる。
像が叫ぶように口を大きく開く。次の瞬間にその姿は掻き消えた。
───
「為したぞ」
「……ありがとう」
「あれはどうする」
「……」
「下からくる奴だ」
「……ああ、どうして」
───
晶洞の底から渦を巻き、叡智の礎を目掛けて、何かが猛烈な速度で突進してくる。
終焉 2 へ つづく。




