「夏至の日」16 ─ 妖精魔導士 2
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時折り天から飛来する星界の団岩のごとく、一片の慈悲もなく真上から迫り来る暴虐無比なそれは、この礫地を破壊し尽くすだろう。
言葉を失ったバライカと、背後から少年神を抱き締める妖精魔導士は、直撃から逃れるため、本能的にそれぞれ別の手段をとった。
バライカは左手を突き出し、手首から吹き出す血を贄にして、握った弓のメルタル石に自分の質量を極限まで偏らせる。
妖精魔導士は、バライカから剥がれると同時に無数に分かれ、理力の万象から逃れるべく、空間の狭間から転移を試みる。
平たく言うと、バライカは「受け流し」、魔導士は「雲隠れ」しようとしたのだ。
しかし、バライカの弓のメルタル石は粉々に砕け、薄まった妖精魔導士は逃げ込む隙間を潰された。
双方とも愕然とする。
飛んでくる脅威は力の波動に満ち、その余波だけで二人の行動をふいにする。
─── 命練…「精寂礼「貪蝕軍」」
沈みゆく陽の光が、森の木々の影を長く落とす。
「せっかく綺麗にしてもらったのに……」
熱く焼かれた砂礫の大地に丸まった蓑虫がいた。
艶を取り戻した蓑衣の表面は熱した泥が瘡蓋のようにこびりつき、抱えた頭巾も着けぬうちから埃まみれだ。
「……カミク?」
白い体のいたる所を血と土で汚された少年神が、礫地から半身だけ起こして、蓑虫をぼんやりと見ている。
「間に合ったのは幸いだが、力の制御に難がありすぎるのを痛感した。……なので、急いで我が極宝を取り戻す」
立ち上がったカミクは、よろよろ歩いて傷だらけのバライカに近寄る。
「我れの長靴は融通が利かぬ。と言うか、指示がしっかりと伝わらない。『バ・ベ・ル神』は星界の言語をもっと理解探求するべきだろう。……あ、これ」
近づくカミクを首を傾げて眺めているバライカに、しっかりと指の部分を握って、千切れた手首を差し出す。
少年神の瞳に黒紅と赤墨の彩りが戻る。
バライカは、ボロボロに壊れた弓を手放して、己れの右手を受け取る。それはいまだに温かかった。
右手の肌に左手が触れた途端に、極箭との感応疎通が回復した。無理やり引き千切られたにしては、断面の損傷は少ない。
「優秀な極宝だな。授けられた神のために、その時できる事をただこなす。大事にするがいい」
「……ありがとう。助けに来てくれたのか」
「色々と文句を言いにきた。けれど、我が至宝の奪還が先だ」
「うん。借りができたな。それはそうと、なんで貴族の子供みたいな服を着てるんだ?」
「色々とあったのだ。あとで、詳しく語ってあげる」
「そうだな。後でね」
右手を元に戻すため、壊れた体組織を組み直し、まずは橈骨と尺骨を継いでゆく。
「一瞬でもぎ取られた。覆った防御界を抜けて、魔力が作用するなんて……」
腱から筋肉が伸び神経が繋がる。外皮が継ぎ目を隠すと、血管が盛り上がって体液が流れだす。
バライカは周りを見渡した。
「あれだけの理力の渦と衝撃波はどうなったんだ?」
「霊力に変えてから地面に流した」
「……妖精魔導士はどこに」
「抱きついていた次元振動の群影のこと?」
「うん」
「封じた」
手首が元に戻るのを痛そうな表情で見つめていたカミクが、事も無げに答える。
一瞬息が止まったバライカは、目を見開いてカミクに詰め寄る。
「念呪傀儡の妖精魔導士だぞ。英雄と勇者四人から逃げ切った変幻自在の怪物を封じたって? どこに……」
「我れの『微養助妖精叢』は、次元振動であろうと丁寧に解いて栄養にしてくれる。……はず」
まだ痛そうな顔をしているカミクは、そう言って、持った頭巾で腹をさすった。
「! 食ったのか……」
カミクが唖然としたバライカを見上げた。泣きそうになっている。
「……おなか、痛い」
バライカは急いで跪いた。麻の貫頭衣に包まれたカミクのお腹は、心なしか以前より膨らんで見える。恐る恐る、取り戻した右手の指を、震えるそこに当ててみる。
雷に打たれたような衝撃が、その指先から意識に流れ込む。思わず尻餅をついたバライカは呻いた。
「お腹の中で、激戦が……。待て! 絶対外に出すなよっ。我慢しろ!」
「我慢にも限界が……」
震えて内股になるカミクの声が掠れて小さくなる。
「もう耐えられぬ……。でちゃうかも」
「諦めるな! カミクは強い神様だろっ」
バライカの右手で、極箭が煌めいた。
「……え? でも操られて……。怒ってるのか」
右腕を天に掲げる。突風が巻き起こった。
バライカの目の前に、ほのかに赤く色づいた光る毬玉が現れる。
「微晶絮妖精達……。助けてくれる?」
毬玉の赤みが増して、バライカの指の先に乗る。
「カミク、口を開けて」
「……」
目をぎゅっと瞑っていたカミクが唇を開くと、妖精の塊をつまんだバライカが指を突っ込んだ。
「んっ……」
「もう少しだけ耐えてくれ。今援軍が向かう」
カミクは、嘔吐きそうになって喉を鳴らす。握った頭巾をお腹に当てて、絶え間なく襲ってくる苦痛から意識を逸らす。
すぐに喉の奥が暖かくなって、体の中へと降りて広がっていくのがわかる。
激しい痛みが起こる。だが、それきりで、後は随分と楽になった。
「おさまった? だけどこのままじゃいけない。また暴れ出す前に、確実に封じないと」
「んんんっ」
「あ。ごめん」
バライカは、咥えさせられたままのカミクに睨まれていることに気づいて、慌てて指を引き抜く。
「微晶絮妖精が頑張ってくれているうちに、魔神級を封印できる場所に移動しないと」
「……それは何処? もう、こんな痛いのは嫌だ」
「マジニ山の緘門の奥。でも、貴族に話をつけなくちゃ中には入れない」
「『緘門』ならば、我れの天露竜珠で侵入できる。あ、我れの竜珠はどこだ。返して貰おうか」
バライカはハッとする。
「あの玉なら、貴族の可愛い女の子の……」
カミクが、たちまち不機嫌になる。
「我れの宝玉を女の子に?」
「色々とあってね。あとで、詳しく話すよ」
「そうか。今すぐ話せ」
「えーと……」
面倒なことになったと、下を向いて考えこむバライカに、厳しい視線を送るカミク。
「鼠王と会う前に返そうと思っていたら、貴族になりたての少女の一行が大鼠の化け物に襲われていて、助けたんだ」
「森の神の面目躍如だな。それで感謝されていい気分になって格好つけて、その可愛い女の子に授けたのか。我れの宝玉なのに」
「いや違うんだよ……」
何も悪いことはしていないはずなのに、なぜオレは責められているのだろうかと、機運の無情を嘆くバライカが後を続けようとしたその時。
闇の冷気と光の奔流が、砂礫を震わせて地表に渦を巻く。
その中から、猛烈な熱気の塊が飛び出してきた。
幼神と少年神は、瞬時に飛び上がり、その変異から距離を取る。
「なんだっ!」
「魔神?」
闇と光の変異は消え去り、熱く燃え盛る黒い塊がうずくまっている。
「……神、か」
ぶるぶると震えるそれから、くぐもった声がした。
「貴族。……勇者かっ」
バライカが叫ぶ。
「ア・ロ・ワ……」
燃える黒い塊がゆっくりと立ち上がろうとする。
カミクが心配そうにバライカを見上げる。あまりの有り様に驚愕を隠せないバライカは、思わず駆け寄ろうとした。
「来るな!」
苦しげでしゃがれてはいるが厳しい一喝に、バライカは動きを止める。
「霊力が、身体を火熱に転換させ続けてる。……あの人、なぜ生きてるの?」
カミクはバライカの右腕を握って引き留めていた。
「あれは剛腕の勇者だ。わからない、何が起こってるんだ」
カミクの瞳が、淡い白群色から花浅葱に彩りを変える。
幻蛍種の割合が優って、再び倒れてしまった燃える体に何が起きているのかを探る。
剛腕の勇者は、着けていたものを全て焼き尽くされていた。その下の皮膚も真皮の奥まで壊されて黒く変質し、所々剥がれてぶら下がっていた。人であれば即死に違いない状況だが、勇者の再生能力は猛烈な速度で肉体を蘇生回復している。
しかし、その体組織そのものに、「呪」が刻まれていた。
回復が終わった途端に、その体組織自体を「贄」として霊力の招来が起きている。さらにその霊力が業火に転換され、己れの体を焼いているのだ。
再生する能力が強ければそれだけ、永く体を焼かれ苦しみ続ける。
「バライカ。あの男は勇者で、それなのに何か酷い悪行を働いたのか」
「この地に赴いて、初めて会った貴族があの人だ。魔神マ・デ・アを放逐した勇者のひとりで、最後の生き残り。優れた戦士ではあろうが、『悪魔』とは思えない」
カミクはバライカを見つめる。
「では、我れはあの男を救いたい。手立てはある」
バライカもカミクを見つめ返す。
「オマエは『神』だ。好きにすればいい」
カミクは地を蹴り、勇者の元へ跳んだ。
「……手伝うよ」
バライカが後に続く。
勇者の周囲には熱波が渦巻く。
カミクの蓑衣が熱気に煽られた。
左手で頭巾を抱えると、紫紺の霞を纏った右手を突き出した。
燃え盛る炎が一瞬で消え失せる。だが、すぐに再び火焔が吹き出し、体を覆う。
「自然の火ではないのか」
「霊力転換された理力の炎だ」
「どうする」
「霊力そのものを吸い出して、転換を停止させる」
「火は消えるだろうけど、霊力の発現は抑えられないぞ」
「そうだ。勇者の再生能力そのものを正常に戻さないと意味がない。体の成り立ちの仕組み自体に細工がされているから、治ったそばから霊力を招いてる」
「それを吸収し続けたら、オマエに霊力が溜まりすぎないか」
「お腹の妖精叢の活力補給に使えて都合がいい」
カミクは霞を飛ばして右手の平を勇者の頭にゆっくりと置く。
頭の皮がずるりと動いた。置いた右手が眩く発光する。カミクは歯を食いしばった。
再び消えた炎は、もう戻らない。カミクの右手が直視できないほどの光輝を放つ。
「さすが勇者。すごい霊力の流れ……」
「で、次はどうする」
輝きに思わず目を細めたバライカが聞いた。
「分裂回復する仕組みから『呪』を抜く」
カミクは全身を輝かせながら答える。
「正常になった部分は霊力に変わらないから残る。バライカは、戻った体組織を使って再生促進させて」
「理解はしたけど、時間が……」
「霊力は溢れるほどある。任せて」
カミクは頭巾を置いて、左手も伸ばした。
カミクの体が、強烈な青白い光の玉と化す。
全ての細胞情報を確かめ、確かな異物を認めて、それを一瞬で抜き取ろうとした。
だが、力の制御がほんの僅か狂った。
引き抜いた膨大な数の『呪』のうちたった一つが、カミクの体の何処かに刻まれた。
「……」
「どうした?」
「なんでもない。悪い仕掛けは、取り除いた」
「そうか。勇者の再生能力に合わせて、蘇生回復を進めてる。霊力転換しているところは無くなった。これならすぐに復活できるぞ」
バライカは立ち上がる。
「この人はもう大丈夫だよ。お腹の具合はどうだ?」
「ん。勇者の霊力が効いたみたいだ。まだ痛くはない」
頭巾を両手で持って、お腹をさする。
「さあ、急ごう」
「待ってくれ……」
黒焦げの焼死体のような俯せの体から声がした。
若い神々はゆっくりと後ずさって離れようとする。
焼け焦げた体はまだ動かせなかったが、頭を微かに傾けて、なんとか聞こえるほどの声を出す。
「……決め技の…持続呪効を…解呪するとは、恐れ入った……」
「剛腕の勇者よ。我らは故あって急ぐのだ。またの機会に語り合おうぞ」
バライカは厳かな口調で静かに言うと、カミクの手を取ってこの場を離れようとする。
「頼む。ほんの少しだけで良い。話を聞いてくれ…ア・ロ・ワ神よ」
バライカは背を向けて立ち去ろうとしたが、手を握ったカミクに引き留められて、仕方なく勇者を振り向いた。
「……魔神が復活する」
「なんだって?」
「同時に、その眷属どもも、姿を現すだろう」
カミクとバライカが顔を見交わす。
「今日、夏至の日に合わせて、落日大陸の勢力が、この地を蹂躙すべく、暗躍していたのだ。……狙いは、古精霊の大晶洞に、違いない」
「我らはこれから、マジニ山の大晶洞へ向かうつもりだ」
勇者が、体を震わせた。
「……そうか。精霊の思し召しが……」
「我らは異邦の逸れ神だ。だが、この地に恩義もある。できる限りの助力はしよう。大晶洞の叡智は精霊の御心そのものだ。それに仇なす輩は、我らにとっても敵だからな」
再び勇者が、震える。
「ならば、今すぐ、送り届けよう……」
勇者が右手を地面に擦り付けた。赤黒い爛れた皮膚が破れて、血を吹き出す。
「まだ動いてはダメだ。体の大半が再生したばかりだから」
思わず、頭巾を持った手を伸ばして、カミクが声を出す。
「……その、声音。……ああ、思い出した。そうか……」
─── 勇武韻唱…「一気通貫」
勇者が現れた時と同じ、光と闇のねじれた渦が現れ、遥か彼方に伸びている。
「その渦の先は、大晶洞の底に、一瞬で届く……」
バライカは躊躇った。だが、握ったカミクの手の震えと、腹にきつく押し当てた頭巾に気づいて、渦の大穴に向かう。
「誉の御業、有難く受けさせてもらう」
カミクは、駆け出したバライカに腕を引かれて、一緒に走り出す。
「何が待っているかわからない。神威全開で飛び込むぞ」
「わかった……」
そして静寂が訪れた。霞む視界に、地に臥している自分の影が伸びているのが見えた。日暮れも近い。
「この歳で漸く、『早逝の誉』を、受ける時を迎えるか……」
何が正しかったのか、この期に及んでも断言できずにいた。
今日まで、ひたすら間違った道を突き進んできたのかもしれない。
ただ、最期には後悔をせずに済んだと思えた。
ひとり残った娘も立派になった。まだ危なく思えるところもあるが、充分にこの先、人として生きて行けるだろう。
待っておれ。魔神マ・デ・アよ。今度こそ本当の決着をつけてやる。
もう何も見えない。体の感覚もなくなった。
剛腕の勇者バリューは、穏やかに、眠るように息絶えた。
終焉 へ つづく。




