「夏至の日」14 ─ 風雲急転 2
ゴゴォーン……。
晶洞の底から、重低音がゆっくりと響く。と、同時に細かな揺れが床を伝う。
「なんだ。地揺れか」
領主の声に、武人と戦士がすかさず動いて、左右の警護につく。
「あああ……『秘徒柱』が」
巫女のひとりが微かな声を出す。
高く立ち昇る光の柱の一本が不規則に明滅し、みるみるうちに細く勢いを無くしていく。その柱の根元に、青白く人の形が浮き上がってくる。
細身で背の高い男が、光輝を迸らせる淡い羽衣に包まれていた。
輝きを失っていく光芒の中で、穏やかだった表情が苦悶の歪みを見せ始める。
「なにが、何が起こっているの……」
床に崩れ落ちる布巻きの巫女を、駆け寄った従者が支えた。
「霊力の流れが変わった?」
壁面の「窓」に肩をつけ揺れを耐える、もうひとりの巫女が傍目にも震えているのがわかる。
「逆流し、捕らえているあの男に吸われてゆく……」
「これでは秘徒柱の中で力の衝突が……」
もう一本の柱が揺らめき始める。
奔る光輝の強弱が乱れ、その中で小柄な体が激しく揺さぶられている。その姿は、双生の巫女に瓜二つだった。
「ああっ! 英霊様が……」
二人の巫女が思わず手を伸ばした。
同時に柱の中の巫女が上下に引き千切られる。
血飛沫が光の柱を燃えるように赤く勢いづかせたが、すぐさま吹き消すように見えなくなった。
舞台から遠く離れた監視廟の中で、全員が絶句する。
二人の巫女は気を失って、石床に倒れ伏した。
「殿下っ! あの男は『形代』ですぞ。ディアマンの勇者そのものです!」
背後からの老人の叫びに、戦士と武人に挟まれて身動き取れない領主が目を剥いて唸る。
「ディアマンの勇者だと! どういう……」
「ただし、魂魄の欠片も見えませんっ。あの体の心は空っぽです!」
───
「これは奇怪な眺めだ」
「英霊の秘徒柱が絶え消えるなど、聞いたこともありません」
「そうであろう。英霊に対する不敬の極みだ」
「……やはり、精霊の叡智を壊すつもりでしょうか?」
「いやいや、何者か知らぬが、叡智の礎の略取や破壊どころではない。この国ごと乗っ取る算段やもしれぬ」
「……北方の国々へも攻め込まれているのです」
「ほう。国どころかこの大陸を掻き乱すか。『英神』に喧嘩を売るとは大したものだ」
───
「院長! 霊力転換路の配置図を」
「……これです。入出力の計測現況を重ねます」
「ううむ。逆流対応弁はどこだ」
「ここです。メルタル直結の大元が働いておりません!」
鑑別院長の声が上擦る。
デニ卿が目を細めて歯を噛みしめた。
「うぬ、夏至の日かっ! 各支流で堰き止められぬか」
「長老、調整機工の信号が途絶えております。これ以上の制御仔細は、もうこの段階では……」
晶洞内に続く振動が大きく脈撃ち始める。
「従者よ。巫女は」
筋肉の武人モリオン守護隊長が鋭く問う。
「巫女様はお二人とも、気を失っておられますがご無事です」
壁際に倒れた巫女に駆け寄った従者の若者が答える。
「ですが、すぐに栄養槽にお隠しせねば……」
従者は、巫女の布に包まれた小さな頭部を優しく両手で包み込んだ。
「殿下! 勇者の形代とはいえ、入魂なくば唯の人形と同じ。結界の力場を保てれば封じ込め続けられます」
デニ卿が、老人とは思えぬ指捌きで輝票を操作しながら言う。
「彼奴は足元のメルタルと、国中に延びる転換路から、霊力を吸い尽くすつもりです! 秘徒柱を霊力輻輳で崩されたらどうなるか……」
「夏至の日だぞっ! 年に一度の『王都の威光』がこの大地から消え失せる夜が来る。蓄えた霊力が無くなったら、どうやって明日の朝まで怪異や魔物の攻勢を防ぐのだ。……謀られたのか? バリューを呼べ!」
領主が叫び、モリオン隊長が振り返る。
「バリュー殿は、オーギュビー湖周辺の魔物討伐に向かってから伝信が通じません」
「なんだと。逃げたのか? まさか、バリューが裏切ったか」
「有り得ません。考えられるとすれば、向かった先で『勇者』ですらすぐには対処できない何事かが起こっている……」
「秘徒柱」のうち、一本は完全に消え失せた。最初に細くなり、光量を衰えさせたもう一本も、支える英霊の姿は萎れ今にも朽ちそうに震えている。そのためか、円台の中心に男を封じている、幾重もの結界の力場が歪んでいた。
残りの光芒の柱から、メルタルの石床を伝って光の漣が流れだした。濃淡のできた結界強度を補正するためだ。
青白く輝く囚われていた大男が、やおらに顔を上げる。
その額から顎にかけて、真っ直ぐにその皮膚が裂けた。
光を全く反射しない漆黒が、その隙間から押し出されるようにはみ出てくる。
顔が割れ、溢れた漆黒が丸く固まると大きな瘤になり、その塊が次々と男の頭に増えていく。
「院長。『透視窓』をあの男の頭部がわかるように拡大してはくれまいか」
デニ卿が静かに言う。操作する院長が応えた。
「……これで限界です」
壁の窓中に四角い囲みが現れて、捕らえている金剛人の頭部が大きく映し出された。
そこにもう顔はなかった。漆黒の球体が無数に吹き出し、房になる果物のように実っている。
実のひとつの表面に電光がひび割れの如く走り、弾けた。
結界の力場に漆黒が広がる。まるで空間の穴のように円く浮かぶその漆黒の奥から、眩い光輝が迸る。
円台の端を滑ってその外へ、光る何かが落ちた。
「あれはっ!」
モリオン隊長が叫ぶ。
もはや萎びた骸骨のようになりながらも、自らを取り巻く光の柱をかろうじて保っていた英霊を、背後から一閃が薙ぐ。
その姿は燃え落ちて形をなくし、柱が消え失せた。
柱のあった場所の外側に、ギラつく鏡面で覆われた金属鎧の人影があった。
「鏡宴の騎士。北ディアマンの貴族か?」
「姿はそのものですが、金剛人ではありません」
「今この時点では、人種すら判別困難です……」
モリオン隊長の言葉に、デニ卿と院長が応える。
力場に張り付いた漆黒がじわじわと薄くなる。その向こうで、また黒い実が弾ける。今度はふたつ。そして離れた場所でもうひとつ。結界の力場に漆黒がぶち撒けられる。
そしてそこから、全く同じ姿の騎士が飛び出してきた。
「封印の力場自体が転移の境界にされている……。秘徒柱を守護いたします。扉を開けてください。ゴルティナ卿、あとはお任せします」
モリオン隊長は、廟の出口に走り寄る。
「守護隊長、この廟内の安全を脅かすのか」
近衛騎士ゴルティナが、武人を留める。
「扉は開けられぬ。殿下と巫女を危険に晒すことになるぞ」
円扉に拳を当て、モリオンは動きを止めた。
「ですが、このままでは秘徒柱が……」
「ここは古の聖域だ。叡智の礎そのものの防衛力は国軍を上回る」
ふらつく領主の肩を支えながら、近衛騎士は窓から上を仰ぎ見る。
「秘徒柱の英霊は、精霊の御心と共にある。聖域の守護のため身を尽しても、皆それを誉と思うに違いない」
透き通った滑らかな刀身を持った剣が、立ち昇る光の柱に叩きつけられる。激しく火花が散るが、弾き返される。
だが、振るわれる剣の数が次第に増えてゆくのだ。黒い穴から飛び出してくる騎士は、既に十体を超えていた。
突如、剣を振り上げた騎士に霹靂が落ちた。騎士の体が赤く輝いて、煙を残して蒸発する。
次々と騎士に向かって雷撃が襲う。避ける間もなく貫かれ、焼かれて消えていく。
残った騎士は、一本の勢いを無くしている柱に集まり、剣を振い続ける。
───
「カ・ル・ラ神。私をあの霊晶苑に投げ入れてください」
「生憎だが、これは過去の記録だ」
「……時が重なるまで、後どれほどかかるのでしょう?」
「ただ見ているだけなのは、涙を流すほど辛いか」
「泣いてなどおりません。神よ、答えてください。あそこで起きているのは魔神マ・デ・アの復活ですか」
───
この空間の天井に吊られた精霊の叡智の礎の底に、激しく脈打つ三重の光輪を纏った人型が現れていた。
晶洞の遥か底を睥睨し、姿そのものから燐光を発して、羽衣に巻かれた逞しい左腕を下に伸ばすと、ゆっくりと六本の指を開く。
稲妻が轟音を散らし、洞壁の石晶が眩く煌めく。
メルタルの円台が、跳ね飛ぶ雷光を紅蓮の狂焔に変え、輝く鎧騎士を巻き込んで溶かし、混じり合わせて吹き飛ばす。
一瞬で、秘徒柱を叩いていた全ての騎士が消え去った。
同時に、結界に封じられた金剛人の腹が横に割れる。
そこから流れ出た漆黒が、見えない力場を闇で塗り染める。
地鳴りが続き、揺れが激しさを増す。
結界そのものが漆黒となり、その深淵から魂を凍らせるほどの冷たい響きを持った咆哮が迸った。
メルタルの演舞台に、再び鏡宴の騎士が四人現れる。
ただし明らかに様子が違う。それぞれが、剣、弓、槍、盾を持ち、体格も異なっていた。鎧鏡面の輝きは僅かに落ち着き、微かな虹色が表面を移ろう。
叡智の礎の底下に浮かぶ光輪の人型が、右腕を上げた。
四人の騎士の姿が歪み、舞い上がった。
閃光と雷撃が激突する。
火焔に旋風が乱れ、晶洞の壁面で幾つもの爆発が起きた。
円台に騎士の姿が戻ってきた。剣は折れ、盾は半分が溶けていた。
人型は光輪をひとつ無くしている。さらに、左手の指が二本欠けていた。
騎士が飛び立つ。熱い雷撃が迎え撃つ。
直後に、メルタルの床に四人のさらに異なった特徴を持つ鏡宴の騎士が立っていた。
壁に叩きつけられ、盾の騎士が砕け散った。
新たな四人が石床を蹴り、加勢に飛び立つ。
剣を無くした騎士が床に落ちて四散する。
弾かれた黒曜の矢が折れて、地表に降り注ぐ。
割れた矛先が飛んで壁に突き刺さる。それは監視廟へ続く覆道を粉々に吹き飛ばした。
───
「あれは、魔神マ・デ・アなのですか」
「絶界放逐された存在に復活など有り得ぬわ。強いて言うなら、新たな魔神の出現か」
「ならば、戎尼神将から『獅天鷹』と『猫天刄』を呼び覚まします」
「なんと極端な。どれほどの贄を捧げるつもりか。霊力を使い切ってでも制御できぬぞ」
「私は、救い難い『瑕瑾の穢れ』を持つ身。この世の平穏のためならば、全てを費やしても構いません」
───
荒ぶ轟音と大地の振動が全てを揺さぶる。
光輪の人型の下半身が、無数の亀裂に耐えきれず崩れ落ち始めた。
メルタルの霊晶苑に、次々と鏡宴の騎士が姿を現し、光輪の人型へと飛びかかる。
「まさか……礎守護の『雷髄の担い手』が壊されてゆく……」
目を見開いて、眼前の光景に呆然とする近衛騎士ゴルティナ。
「転換路の逆流を、止めなければ……」
研鑽房長老のデニ卿が、指の骨が折れるのも構わず、操作板を激しく叩く。その隣で、腰を抜かした鑑別院長が、口を開けてただ首を横に振っている。
「礎が、壊される? おおおお」
頭を抱える領主。その側に戻った、守護隊長モリオンが固唾を呑む。
「誰か、巫女様を奥へ避難させ……」
若い従者が巫女を抱き起こし、もう一方の巫女に悲しげな視線を送って力無く呟いた。
<<<「頑鉄の掟」に神々の心血を。
円台の真ん中で、巨大な黒光りする鉱物結晶に成り果てた金剛人だった存在が、突然の断末魔をあげた。
「転換路の流れが……」
「騎士の侵入が、止まった?」
「転移界が閉じたのか」
「ああ、精霊よ。我を救いたまえぇぇぇ」
───
「頑鉄の砦が、息を吹き返したか。そろそろ戻る頃合いだ」
「残るは本体と、十五体の騎士紛いだけですね」
「紛いとはいえ、あれはディアマンの騎士より手強いぞ」
「二柱の神将で掃討できるでしょう」
「まだ言うか。ここで身を滅してどうするのだ」
「確実に禍根を断ちます。……これまでのお力添えを感謝いたします。そちらの天馬の体は末長くご愛顧いただけましたら幸いです。本当にありがとうございました」
「うむ。なんというか。とても不安だ……」
───
黒く結晶化した金剛人の成れ果てが、辺りの全てを巻き込み粉塵の爆流とともに吹き飛んだ。監視廟の窓には薄色と二藍の気流が渦巻くばかりで何も窺い知れない。
「自爆? 秘徒柱は、礎はどうなった」
光の柱がひとつだけ煙幕の向こうで残って見える。薄暗がりの中で、少しずつ視界が開けてきた。
巨大な拳があった。
遠近感が狂ったのかと気が動転するほどの大きさだ。
それは演舞台の上空に浮いていた。手首の付け根は闇に紛れて、その先には何も無い。
蝋で形作られたかに青白く血の気が無い筋張った拳は、光輪を全て失った人型を握り潰していた。
そしてそのまま、猛烈な勢いで振り下ろされる。
円台に最後に残った秘徒柱が、叩き潰された。
☆
風を感じて、鑑別技官カレンは目を見開いていたことに気づいた。
─── 縛術韻唱…
─── 「無「分別識」「「解放」「解脱」「智
「割り込むぞ」
カレンが呼吸を思い出し、激しく息を吸う。
「其方はまるで、枝揺れを亡者に見間違え、恐ろしいからと舌を噛みちぎる怯者の股座のようだな」
「……喩えが、いまひとつ解りづらいかも知れません」
「とりあえず落ち着け」
「人心地憑きました。まずは私の右半身を捧げ、永劫の隷属を約し『猫天刄』の下僕、僕従となって…」
「落ち着け。『戎尼神将』が気の毒に思えてきた」
「……」
「良いか。しっかりと聞くのだ。今から、其方を叡智の礎の上部、吊り元に落とす。礎は百八つの『秘徒鎖』と『締女縄』でもって中空に固定されている」
「吊り元を死守せよ、と?」
「いや、打ち壊せ」
カレンがうっすらと微笑む。
「……ご心配をおかけいたしました。今のお言葉ではっきりと目が覚めました」
「そうか。それは良かった」
天馬はほっとしたように溜息をつく。
「それで、吊り元でどのように死守せよと?」
「秘徒鎖の三分の一と、締女縄の半数を破壊するのだ」
「……大きな犠牲が必要なのですか?」
「そうだな。英霊には深く詫びなければなるまい」
「でも、それでは、礎が底に落ちて壊れてしまいます」
「英霊方の頑張り次第だが、場合によっては落ちるかもしれんな」
「カ・ル・ラ神……道理はどこへ」
「あれだけの戦闘で、礎には傷ひとつない」
「……『雷髄の担い手』の見事な働きの結果では」
「ない。雷髄の担い手は精霊の裁き手だ。替えは幾らでも用意できる。なぜそうしないのか」
「霊力の枯渇が招いた緊急事態なのでは」
「枯渇? 精霊界に紐づく叡智の礎だ。百体の担い手を同時に出現させることさえ容易いのだぞ」
カレンは真顔になる。
「礎が落下するとどうなるのですか?」
「事を企んだ何者かは驚愕するであろうな」
「それは、……精霊ですか?」
ひと際大きな地鳴りが起きた。
「準備は良いか。一瞬で放り込むぞ」
「考えはまとまりました。ですが、感情は乱れたままです」
天馬の背で、カレンは未だ突き立てていた左手の黒鞭を音もなく引き抜く。
「では行け。奇瘡の巫女よ」
天馬の言下に、その背の白練色が消え失せる。
「その身の運命に、従うのだ」
妖精魔導士 1 へ つづく。




