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天地生まれの英霊譚  作者: 庵下 流
『夏至の日』
10/27

「夏至の日」10 ─ 鼠の主 2




     ☆




 ア・ロ・ワ神バライカは、異形の魔物を追って、突風の如く深い森の中を走り抜ける。踏めば地面が沈み、蹴れば岩肌に亀裂が走る。

 体から滲む重力の歪みが、時間と共に激しくなっていくのだ。その度に姿勢をただし、それが霊力を招き、さらに空間が引きずられ歪みが増す。

 晶陣行「白衣陣」を二重に絡め、「晶甲種白花弁」の防御界で外部との軋轢を緩衝しながら、周囲の破壊を最小限に抑えてはいるが、側から見れば「荒ぶる神」以外の何者でもない。

 森の神として後ろめたさはあるが、今はそれでも全力で追わなければならないのだ。


「縛糸千獄から外れたなら、黒い毛針鼠とは魂の毛色が違うってことだ」

 猛烈な勢いで丸めた鼠を投擲していたのは、巨大な魔獣の気配だった。近づいたバライカの存在を察した途端、姿を消した。だが、微かな痕跡を少年神は見逃さない。

 毛針鼠など、この地に渡ってきてから一度も目にしたことはなかった。西の大陸から持ち込んだのか。なんのために、どんな方法で?


「この森の鼠王はどこにいるんだ」

 トクリカの森で鼠の種族を治める鼠王には一度だけ出会ったことがある。大きくて立派な黒曜石の艶を湛えた毛並みの、土鼠の「鼠神」だった。齢は百をこえ、数千の一族を従え木鼠から山鼠まで支配する、叡智の宿る瞳を持つ強かな老鼠だ。

 余所者に縄張りを荒らされて黙っているはずがないのに。そういえば、蛇に猛禽、鷹も梟も姿が見えないのはなぜだ。あの魔獣が何か謀ったのだろうか。


「……念呪傀儡の妖精魔導士」

 疑念は尽きないが、鼠を縦横無尽に操り、弾にして投げつける異形の存在など他に考えつかない。


 ほんの三十年前にあった魔神戦役「地宙海魔変」の首謀者「魔神マ・デ・ア」の手先が思い浮かぶ。もちろんバライカはその戦いを体験した訳ではないが、「英雄アゼル・ドム」と四人の勇者に「絶界放逐」された、「魔精霊」の顕現神とその配下の話は幾度も耳にしていた。


「魔神マ・デ・アには関わるな」

 出会った至高の神々は、バライカにそう諭す。

「あれは古の貴族が相対すべき存在だ。こちらは縁起にない」


 そういうものかと納得してはいた。そもそも既にこの世界に存在しないなら関わりようがない。過去に終わった話だと思っていた。

「考えてもしょうがないか」

 森の平穏を脅かす者を放っては置けない。今はただ、騒ぎの元凶を追うだけと心に決めている。


 パキッ…ン!


 バライカを覆う防御界に何かが当たった。

 赤黒い染みが掠れる視界の外に流れた。

 それが合図だった。無数の黒い影が真紅の煌めきを発しながら、バライカめがけて殺到する。

 白花弁の渦巻く障壁は苦もなくそれらを弾き散らす。その度に苦悶の感覚が、バライカの意識にへばり付いてくる。


「赤茶の角鼠? 魔力がある。妖精か……」

 

 防御界の表層に電光が迸る。やむなくバライカは突進を止めた。

 大きな質量移動が唐突に停止した反動で、熱気が爆音を上げてその場で渦を巻く。バライカはそれを空に向けて捻じ曲げた。

 青白く雷光を孕んだ竜巻が、轟音とともに天めがけて噴き上がる。突撃してくる湿った赤茶色のツノを持つ鼠を、木々の枝葉や土塊ごと、それに巻き込み吹き飛ばす。

 だが、森のそこかしこから殺気に満ちた赤い影がいくつも現れ、バライカに向かって飛びかかってくるのが終わらない。


 ─── 白衣陣…「巌龍地鎮」

 ─── 白衣甲…「平衡「鉛圧…堅擬」」


 バライカを中心に、防御界の力場が半球状に膨れ上がる。

 飛び込んできた角鼠がそれに触れ、擦り潰れて地に落ちた。後から続いて跳び上がった鼠が、一匹残らず地面に叩きつけられる。それでも体を震わせ動こうとするが、上から押さえつけられているかのように起きることすらできない。


『途方もない霊力ね。でも、いつまで持つかしら?』


 背後から声がした。人の言葉に違いないが、音色が違う。

『霊源は重宝種かな。それにしては範囲が広いけれど。授けられた極宝が優秀なのね』


 バライカは動けない。顕現した霊力の渦に対し極箭は制御に全力を尽くしている。淡く輝く白い頬に冷たい汗がにじむ。

 視覚を使わずとも、すぐ後ろに何者かが存在しているのがはっきりわかる。張った防御界を抜けて入り込める生き物はいない。なのに小さな鼠の姿がそこにあるのだ。


「鼠王の配下? 違うな。魂の……」

『山峰の木鼠だよ。この森の様子がおかしいので降りてきたの』

「その姿は『仮象』だね。『齧歯怪ク・リ・ス神』の類いか」

『仮象だけど実体はここにあるもの。こんな危ないところに長居はしたくないし』


 毛房の尻尾を揺らせて細かく跳びながら、小さな影は足元まで近づいてくる。

 魔力の抵抗を力尽くで抑え続けるバライカは、何もできない。


『うん。まだ幼いけど見事な肢体よね。精霊の素敵な恩寵に恵まれている感じ』

「見ていないで手伝ってくれ。あれは山の神にだって脅威だろ」

『無茶を言わないで。この非力な栗鼠の体で何ができる?』

「ク・リ・ス神なら群隊を呼べるはず。妖精鼠の相手だけでもしてくれよ」

『あれは魔神の手下だよ』


 バライカは息を呑む。


『そもそもその霊力ならば、襲ってくる鼠を贄に捧げれば、すぐにでも片が付くでしょうに』

「命を、これ以上……」

『今更? 魔神の思う壺ね。本能操作された哀れな余所者ネズミに罪はないのかしら』

「……」

『この森に住む猛禽も蛇も鼠ですら、賢く姿を消しているというのに。あれを何とかするのは貴族の役割でしょう。それともク・バ・ツ神に命じられたの?』

 バライカは押し黙る。ク・バ・ツ様はこの状況にもかかわらず全く応答がない。知っていて何も手を打たないのか。森の鎮守神なのに。


『うふふ。若いわね。貴族と魔神がどうなろうと、それはあちらの因縁に過ぎないわ。これは精霊の定めた諍いだから。でしゃばって関わる愚か者になりたいのかな』

「森で争いが起きたら、それを収めるのが神じゃないのかよ」

『理解できないかぁ。だけど、自身の体を酷使して霊力招来を続けるには、未成熟なその体では荷が重いでしょう。霊障を受けて結晶化が起き始めているよ』

 バライカの足元から皮膚の柔軟さが失われ、重力に引かれて地面に沈み込んでいく。


『ここで美麗な少年神の立像ができあがるのを眺めていても良いけれど。……余所者の鼠王が痺れを切らしたようね』

 栗鼠の仮象から発せられる声に微かな緊張が混じる。

『大人しくしていればよかったのにね。……もう遅いわよ。命がどうとか言ってられない。すぐに角鼠の妖精を潰して。魔神力を身につけた大鼠の王は手強いから、雑魚に構ってる暇はないわ』


「……オマエ、ク・リ・ス神じゃないな」

『んふふ。可愛い男の子は好きよ。でも、そんな子がいじめられる姿はもっと大好物』

 バライカは歯を食いしばった。

 見えない真空の刃が、背後の栗鼠目掛けて飛ぶ。

 同時にその姿は消え失せた。


『あはは。頑張ってね。安全なところから応援してるから』

 言葉は掠れて微かな残響を残し、その気配は感じ取れなくなった。

 

「どこの風来神だ」

 バライカは顔を上げて、周囲を探る感応術の範囲を広げる。

「……ああ、パオロシャ沼の籠り神かな。悪さばかりするんだから、早く封じてしまえばいいのに」

 沼の祠の女神の噂はいろいろ聞かされていた。碌でもない存在なのは明らかだが、あくまで噂と聞き流していた。


 今、己れの未熟さを突きつけられ腹が立ったが、それはおそらく正しい指摘だからだ。このまま角鼠の妖精を圧しながら、得体の知れない鼠王に立ち向かうのは愚かな行為とわかっている。


「だけど、魔神だって? なぜそんなものがこの森に……」


 ガンッ!


 背後から、何かがぶつかる鈍い音がした。大きな塊が防御界にぶつかり四散する。それは瞬く間に微塵にされ、バライカを取り巻く旋風を黄色く染め上げた。みるみるうちに周囲の草木が生気を失い、枯れ果てちぎり飛ばされていく。


「瘴散術か」

 解呪が間に合わない。風に乗って森中に毒素をばら撒く前に、白花弁の防御界を閉じざるを得ない。

 バライカを取り巻く白霜光の結界が消え失せ、風が止む。

 それを待っていたかのように、バライカの頭部めがけて丸まった鼠が飛んでくる。避けようにも足元が硬化し、地面に埋まって動けない。

 鼠玉が顔面に直撃する寸前、それは発光し消え失せた。

 

 ─── 自在鏃…「罰死永獄」


 バライカは弓を引く。もう躊躇いはない。標的は魂魄を抹消され無に帰すのみ。

 極箭が振動し唸り出す。溜まって融合寸前の霊力の転換を促進するため、体中から神力因子を導いて、見えない矢に流し込む。


 ─── 光箭…「瞬刻必中」


 必滅の矢が放たれた。

 バライカは森の奥を睨む。

 もう後戻りはできない。




     ☆




 湿った穴の奥深く、硬い毛針を擦り合わせて鼠が蠢く暗い巣穴にそれはいた。

 黒鼠の大きさを遥かに超え、山麓の赤毛熊に匹敵する体躯を持つ化け物だった。もはや漆黒の剛毛と赤黒い目玉のほか鼠の面影は無い。その目も三対もあるのだ。


「よくもそこまで変化したものだな」

 鼠が近寄らない一角があり、そこには見えない不穏な影が塊となって揺れている。その中から薄ら寒い声音が響いた。


「ウググッ。ラノグの王はこんなものじゃらいぞ。まだ育つッッッ」

 口は裂け、不揃いの牙は口唇を傷つけ、そこら中を己が血で濡らし、どす黒く腫れ爛れている。

 周りで揺れ動いている黒鼠達がくるくる回り、歪な丸い塊をいくつも化け物の側に運んでくる。

 捩れたかぎ爪を持つ前肢が伸びてそれを掴む。

 鼻先に持ってくると、爛れた口が開いて齧り付いた。

 骨の砕ける嫌な音がする。無数の舌が伸びて中身を舐め尽くす。ついでに己れの唇がさらに裂け、滴る鮮血も一緒に味わう。

「美味! 王はまだ育つッ」


 影の塊が震えた。

「『聡明神』様のお力添えに感謝するがいい。新たな縄張りで存分に増えろ」


 割られた頭蓋骨がふたつ転がり落ち、たちまち黒鼠が群がる。

「ウググッ。感謝。感謝しる。あの萎びた礫地よか住みやすい。生きやすい。増えやすッ」


「ははは。この森を鼠で埋め尽くせ。敵は、美味はまだいくらでもある」

「増やす。ラノグのラノグは増えまくる。あああ、ムラムラ。増やずぞッ……むふぁッ」


 咽せたのか、盛大に脳漿を口から吹き出した。

 前にいた鼠がそれを浴び塗れて、そこに周りの鼠が押し寄せる。


「焦らず、ゆっくり味わうがよいぞ?」

「あが。うがが。……いなくなっ……たげ」

「何がだ」

「らー、ラノグのラーが無くなったががご」

 六つの目玉が不規則に動き、そのうち一つが赤黒く発光する。


「何するわれッ。ラノグのラーは最初のラノグぞ。ぞぞぞ」

 突然化け物は前肢を振り回し始めた。猛烈な勢いで近くの黒鼠が吹き飛ぶ。

「あああ。食うでもなく、無くしたッ! どこやっだッ!」


 叫び出す化け物に、影の塊が微妙に遠ざかる。

「最初の分化妖精群か。森の小僧と遊んでいたのだろう?」

「ガーーーーっ。ラノグのグーが消えちゃッ、いやーッ」

「落ち着け。分化妖精など幾らでも拵えてやる」

「悲しー。ああ、なんだあれッ」

「ただの精霊どもの偶像だ。我らの影のような存在にすぎない」

「影? 影の影? 影はラノグを無くしたりできなッ」

「放っておけ。復像化妖精が追い払うだろう」

「ガーーーーっ。消えてくッ、むかつくッ、侘しー」

 ドシンドシンと後肢で地団駄を踏み出した。巣の岩壁が揺れ崩れて、下敷きになった黒鼠がちゅうと鳴く。


「ラノグの王が相手してやるッ」

 六つの赤目が爛々と光りだす。

「待て待て。王は本拠でどっしり構えるものだ」

「ラノグのラグーまで無くなったのぞッ」


 影の塊がぶれて薄くなる。

「しつこい小僧だな。復像化妖精にまで刃向かうか。この森の神どもには警告したはずだが」

「神だか影だかしらんッ。なぶり殺して、ちゅーちゅー吸ってやるッ」


「……もしや、この地の神ではない?」

「ガーーーーっ。ノグーが消えてくッ、もう怒ったーッ」


 影の塊が一瞬萎み、いくつかに分裂する。

「新生なる鼠王よ。望み通りあれの相手をしてやろう」

「ウググッ。嬲って捻って毟って、骨になるまで舐め舐めしてやろごッ。……ブァっ!」

 上を向いて頭を振り回したかと思いきや、唐突に勢いが止まった。


 大きく開いた口が静かに閉じられる。

「うぬ。これは繰りがいがある化け物だな。どれ、試してみるか」

 鼠王の口は動いていないが、そこから影の声が漏れて出る。

 周りに溢れていた鼠が、ざざっと音を立てて引き、震えながら離れた。


「……文句を言うな。仇はとってやる。この『風雅鼠玲王』がこの地を治める手始めに、小癪な小僧を懲らしめてやろうではないか。

 ……ああ、倒したらその体は勝手にするがいい。

 ……いや、足も腕もいらぬ。

 ……だから、頭もそのまま……中身にも手を付けぬわ」


 何やら困った声音でひとしきり呟くと、赤い目玉の視線が一斉に揃って前を向く。

「暫くは大人しく、己が体の力の凄まじさを感じ取れ」


 全身を覆う硬い針毛が擦れて、砂流のごとくざらざらと音を立てた。

 六眼が灼熱光を放ち、化け物がゆっくりと動きだす。



霊選装束 へ つづく。

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