09 : 夜を走るアーリーアクセス - 03 -
「まだ帰って来ねえの?」
「んー。LIMEしてみるか」
食事を終え、後片付けまで終えた頃――外はもう真っ暗闇に包まれていた。
稜こそ早く帰らなくていいのかと思いつつ、つばめはスマホを開いた。なんとなくつけたテレビから、お笑い芸人の元気な笑い声が響く。
家族のグループLIMEを覗くと、母が習い事を終えたらしい報告が上がっていた。
今日の習い事は、習字だったらしい。「ともこ、帰ります!」と、自分の名前入りのスタンプを押している。つばめの母の名前は、智子である。
「お母さん帰ってくるって」
つばめがスマホを見ながらそう言うと、ふっとスマホに影が差した。
目を見開き、つばめは固まる。
微動だにできなかった。少しでも動けば、すぐ傍にある稜の顔に、自分の顔がぶつかりそうだったからだ。
「……」
「……」
つばめの肩から顔を覗かせた稜は、つばめのスマホを覗き込んでいる。
つばめは無言だった。稜も無言だった。
沈黙に先に耐えられなくなったのは、つばめだった。
「……どうしたの」
稜の方を向くことも出来ず、スマホを見つめたまま言う。出だしが僅かに、掠れてしまったことが、なんとなく悔しい。
「――……マッツンとフミ君に、LIME教えた?」
たっぷりの沈黙の後、稜がそう言った。
すぐ隣で話す稜に、頬が産毛を逆立てる。
「教えてない」
二人とはswotchの方でフレンド登録を済ませているため、一緒にスポラトゥーンをするには困っていない。そんな風に、いくつも言葉を連ねてもよかったのに、場に漂う緊張感からか、何故かそれだけしか言えなかった。
つばめの背後で、稜が動く。
指先一つ動かせずにいたつばめに、稜がスマホを差し出した。
「ん」
画面には、QRコードが映し出されている。
(――しようとか、してとか。なんとか言えんのか)
そういえば、初めて家に引っ張って行かれた日も、稜は徹底的な言葉を言わなかった。
力がこもった指先でスマホを操作し、稜のスマホに自分のスマホをかざす。瞬時に、稜がLIMEの登録者一覧に追加された。
一番上に表示された稜のアイコンをじっと見ていると、背後に立ったままの稜が愕然とした声を出す。
「――男がいる」
「そりゃ、いますが」
人類の半分は男である。なのに、宇宙人を発見したかのような驚いた声に、つばめは思わず素の声を出した。
「彼氏いたの?」
「いや、これは普通に、友達?」
つばめも多くの同級生と同じくクラスLIMEに入っているが、そこで話しにくい局地的な話――委員会や課題、グループ研究のこと――などを、フレンド登録したクラスメイトと話すことがある。
「彼氏、いたの?」
しかし、つばめの答えでは納得出来なかったようで、稜が単語を区切りながら、ハッキリと発音し直して、同じ質問を繰り返した。
しかも何故か、じとっとした視線を注がれている。睨み付けているとも言えるほどの強い目に、つばめは冷や汗を垂らす。
「……いませんけど」
そんなこと、わざわざ申告させずとも、見ればわかるだろうに。名実共にモテる稜と違い、つばめの知る多くの高校生は、交際経験が無い。勿論、つばめにも当てはまった。
「なら見栄張ってないで、いないって言えよ」
「いつ見栄張りました??」
ふんっと鼻で息をつく稜に、つばめは咄嗟に突っ込んだ。
***
「そう言えば、稜君は彼女いないの?」
とんでもなく今更なことを聞いてくるつばめに、稜はげんなりとした顔をした。
「いない」
彼女がいたら、つばめを家に上げるほど不義理なことはやってない。
ただの師匠とは言え――一冴と史弥もいるとは言え、彼女にとっては、女子を家に上げるのはさすがに嫌だろう。そのくらいは、稜にもわかった。
「いそうなのに」
「今憐れんだ? いましたけど? スポラ始めて別れただけだけど?!」
ムキになって稜は言い返した。つばめから、自分が女性に興味を持たれもしない、魅力の無い人間だと侮られるのは我慢ならなかった。
中学の頃に二人、高校に入って一人。稜は乞われるがままに恋人を作った。
しかしどの恋人とも長続きしなかった。精神が小学生男子のままの稜は、彼女がいるという一種のステータスを歓迎したはいいものの、彼女達に興味を持つことが無かったのだ。
腕を引かれ、同級生に冷やかされながら練り歩かされるショッピングモールよりも、一冴や史弥と自転車に乗って市内を回り、蝉の分布図を作る方が楽しかった。
先程、つばめに彼氏がいるのか探った時、彼女に故意に返答をぼかされたのだと感じた。
実際にはいなかったものの、その時の違和感――無理矢理言葉にするならば、焦りや疎外感と言ったようなものがまだ、稜の胸に巣くっている。
「ゲームばっかするから振られちゃったんだ」
というのに、当のつばめは、全く気にも留めていない。
稜が彼氏の有無を聞いたことすら、きっともう忘れている。
あからさまに憐れみの表情を浮かべたつばめに、稜は額に青筋を浮かべる。
「振ったんだよ! 対戦中も延々とLIME送ってくるし! 返事しなきゃ泣くしで、とてもじゃないけど相手出来なかったから!」
「好きな子なら、頑張れたんじゃないの?」
淡々と言われ、口ごもる。
つばめの言葉は、稜の思考の外側を突いた。
稜は彼女達を、大切にしたことはきっと無かった。大切に思ったことも、きっと。
好きだから頑張る――という意思を持ったことが、稜には一度も無かったからだ。
自分に問題があったことに気付かされ、稜は苦し紛れに言った。
「……つばめだって嫌でしょ。スポラしてる時、今日の夕飯なんだったか聞かれたら」
つばめは難しい顔をして押し黙った。それが返事なのだろう。勝ち誇った顔を向ける稜に、つばめは口を開く。
「……どうなんだろうね? 好きだったら、そっち優先しちゃうんじゃないかな?」
「はい嘘」
即座に言い切った稜に、つばめは眉を寄せた。
「失礼な」
「彼氏優先するような女がSなわけないでしょ」
「偏見が過ぎる」
偏見なものか。つばめはあまりにも簡単にSランクという立場を捨てようとするが、そのランクに辿り着きたいがために、どれほどの数のプレイヤーが日夜しのぎを削っているか。
「ていうかそんなこと、せめて彼氏作ってから言って」
「はいはい。どうせ私に、彼氏なんて出来るはずがないしね」
稜は心底驚いた。
つばめに彼氏が出来るはずが無いなんて、誰が思うだろうか。
つばめのスティック捌きは正確だ。全てを見通す広い視野と同じほど、心も広い。
稜がミスをすれば即座に伝えてくれるが、ランダムでマッチングした仲間プレイヤーに対する暴言は一度も聞いたことが無い。人に文句ばかり言う稜と違い、他のプレイヤーの分も何も言わずに、人一倍働く。
稜が太刀打ちも出来ないほどの敵と戦う時のつばめの眼差しはあまりにも真剣で、燃えそうに熱い。そんな時のつばめは、静かで、凜としていて、話しかけるのを躊躇うほどだ。
プレイ中、つばめには何度も助けられた。
同じほど、助けることは出来ていない。
なのに彼女はため息一つ吐かず、嫌な顔一つせず、次の試合も当たり前のように一緒にプレイしてくれる。
こんなに、格好いい女子はいない。
「――いらないんじゃない?」
だが稜は、つばめにそれを伝えなかった。
自尊心と思春期が邪魔をして、伝えることなど出来るはずもない。しかしもし伝えられたとしても――きっと、伝えることはなかった。
「弟子の面倒見るので手一杯でしょ?」
つばめの肩に顎を載せ、稜は上目遣いで彼女を見た。つばめは胡散臭いものを見るかのような目で、冷ややかに稜を見下ろす。
「……君は自分の顔の使い方を、よく知ってるねぇ」
ぐい、っとつばめの手によって、顔を押しのけられた稜は、心の中で舌打ちをする。
(んなこと言って、ドキリともしないくせに)
そんなことに苛立つ日が来るなんて、意味がわからなかった。
つばめは稜から離れると、仕切り直すかのように、話題を続けた。
「まぁ、今はスポラが一番かもだけど……いつか一緒にいて楽しい人と付き合えるといいね」
つばめの考える恋人象を聞き、稜は咄嗟に尋ねる。
「例えばどんな?」
「例えばどんな?? んー……稜君と一緒にスポラしてくれるような子、とか?」
「あ、俺の話か」
「え?」
てっきり、つばめの話かと思っていた。「彼氏なんて出来るはずがない」なんて言いながら、やはり恋人が欲しいのだろうか。
『稜君と一緒にスポラしてくれるような子、とか?』
稜と一緒にスポラトゥーンをしている子、に、稜は一人だけ心当たりがあった。
「――先輩は? どんな彼氏がいいの?」
涼しい顔で言ったが、心臓がひっくり返るかと思った。
言ってすぐ、取り消したい気持ちになった。聞くのが怖いような、けれど聞きたいような、高揚感が稜の胸を渦巻く。
「……馬鹿にされたくないから言わない」
心臓を高鳴らせている稜を、つばめがじっとりとした目でねめ付けた。そんなことにすら、何故か頬が緩んでしまう。
「どんだけ理想が高くても笑わないから」
「笑ってんじゃん」
「今からは笑わない。はい」
神妙な顔を作って、稜はつばめの言葉を待った。
つばめは不満げに稜を睨み付けた後、ため息をつく。
「そうだなぁ……別にどんな人がいいとか、そうのは無いんだけど……ゲーム、一緒にやってくれなくてもいいから、否定しない人がいいな。穏やかで余裕があって、一緒にいるだけで心が落ち着くような人」
はっ、っと。
気付けば笑いが漏れていた。
「そこまで具体的に言っといて、どんな人がいいとか無い、なんてよく言えたよね」
「もう二度と君の口車には乗らない」
鼻で笑った稜を、つばめが睨み上げる。
(まじで笑える)
稜は笑った表情を消さなかった。
(俺にかすりもしねぇ)