03 : とある夏の日のエンカウント - 03 -
「振ったって、何。嫌がらせすか?」
「え? いや。さっき、あり得ないって……?」
非常階段で「付き合って」と言われたのを恋愛的な意味だと勘違いしたつばめに、稜は確かに「あり得ない」と言った。
そう説明すると、稜は「はあ?」と言って、ベッドに両肘を突いたまま身を捩り、つばめの方を向いた。
「じゃあなんすか。俺はゲーム教えてもらう相手に『あんたは恋愛的にあり得ない』なんて言うような男だと思われてるってことですか?」
「……そもそも私、坂ノ上君のことそんな知らないから……?」
「さっきのは『こんな会ってすぐ告白するとかあり得ない』って意味しか無くないですか?」
「わかんないよ。君、口悪いし」
つばめがズバッと言うと、稜はうっと押し黙った。口の悪い自覚はあるようだ。
「……じゃあ俺、もうスポラ教えてもらえないんですか」
「え?」
悔しげに眉をひそめる稜に、つばめは驚いて目を見開いた。
「俺が東崎先輩のせいで、失礼馬鹿に見られたばっかりに」
「失礼馬鹿は間違いじゃない気がしてきた」
「はあ?」
「いや、そうじゃなくて――もう教えてもらえない、って、何?」
「俺のこと、そんな失礼な奴って思ってんなら、もう教えてくれないでしょ」
つばめは今度こそ、ぽかんと口を開いた。
「いや、教えるって……今日だけの話でしょ?」
「はあ?! 俺をSランクにしてくれるって言ったじゃないですか」
「言ってない。絶対に、言ってない」
つばめは慌てて首を横に振った。
彼をSランクにするまで付き合うだなんて――正直、どのくらいかかるのか想像さえつかない。
稜にゲームセンスがあるなら、きっとひと月もあれば可能だろう。しかしこの様子を見ていると――数ヶ月。下手すれば、年単位かかるかもしれない。
そんな長い期間、友人でもない人の特訓に付き合ってあげるのは、とてもじゃないが無理だ。
「無理無理」
「無理じゃない」
「坂ノ上君、めっちゃセンスあるよ。このまま一人ででも続けてれば、すぐだって」
「適当すぎて引く……。すぐじゃないことは、あんたが一番わかってんでしょうが!」
「そんなの誇らないでよ……」
「あんた達! ご・は・ん!」
開けたままだった襖の戸口から、芸能人が顔を出す。つばめは慌てて立ち上がった。
***
「東崎つばめと言います。遅くまでお邪魔してすみません。ご馳走になります」
ぺこり、と頭を下げてつばめは夕食の席についた。ダイニングテーブルには椅子が三脚あったが、あと一人の家族は不在のようだ。
カーテンを閉め切っていたせいで、完全に時計を見るのを失念していた。スポラトゥーンはこれだから困る。時間を忘れて、何時間でも遊んでしまえるのだ。
ダイニングテーブルに置かれていたのは、一人前のチャーハンだった。そして真ん中に、福神漬けやらっきょう、キムチが取り放題形式で置かれている。慣れているのか、稜はそれぞれのタッパーに置かれた箸を使って、ひょいひょいと自分のチャーハンの上に載せていく。
「稜のお母さんです。つばめちゃんは何載せる? あっ、納豆いる?」
「いる」
「はいはい」
「あ、私は。キムチだけいただきます」
「はーい。遠慮はしなくていんだからね」
つばめが聞かれたのに先に稜が答えたせいで、大いに慌ててしまう。そんなつばめに、稜の母はにこっと笑った。
(……お母さんだったのか……)
東崎家の「THE・母!」といった雰囲気の母とは、全く違うため、本当に誰だかわからなかった。しかし、稜の態度を見ていると、確かに親子に見えてくるのだから不思議だ。
いただきますと頭を下げて、レンゲでチャーハンを掬い、一口食べる。中華屋で食べるような本格的な味付けに、つばめは目を輝かせる。
「あの――お母さん。このチャーハン、すごく美味しいです」
「振られたとか言ってたくせに、お母さん呼びとかメンタル鬼強っすか?」
「坂ノ上君はもう少しメンタル鍛えないとね。死ぬ度に言い訳考えるんじゃなくて、負けた理由考えようね」
「ぐっ……」
レンゲを握りしめた稜が歯を食いしばる。母親の前で息子を言い負かしてしまったつばめは慌てて稜の母を見たが、彼女は楽しそうに笑っていた。
「私はじゃあ、美沙ママって呼んでもらおうかな。ママって呼ばれたかったのよね」
「美沙ママ」
「痛いから止めてほし――っつう」
チャーハンを飲み込んだタイミングでつばめが呼ぶと、稜がぼそりと呟くも、その瞬間に何故か脛を押さえて蹲った。ダイニングテーブルの下で、つばめには見えない攻防戦があったのかもしれない。
「離れて暮らしてる旦那の方針で、稜も稜のお兄ちゃんも、ちっちゃな時から『お母さん』呼びだったのよねえ」
一気に、坂ノ上家の家族関係を垣間見てしまった。稜は父と共に暮らしておらず、彼には夕飯を食べる時間になっても帰って来ない兄がいるようだ。
それほど稜と親しくもないのに、彼の大事な場所に無遠慮に踏み込んでしまった気がした。つばめは気まずさを誤魔化すように、自分の事を話した。
「そうなんですね。うちはまだ、偶にママとかパパって呼びますよ」
「ふっ。子どもっぽ」
「人のこと笑う人の方が、子どもっぽいと思う」
淡々とつばめが言えば、稜は面白くなさそうな顔をして押し黙った。そんなつばめと稜を、美沙はにこにこと見守っていた。
***
「ご馳走様でした。遅くまでお邪魔してしまって、すみません」
夕飯を食べ終え、食器を炊事場のシンクへ持って行く。スポンジに食器用洗剤をかけた美沙は、つばめに手を振る。
「またいらっしゃいね。稜、送っていきなさい」
「わかってるよ」
当然のように稜も立ち上がったため、つばめはぎょっとする。
「ええ? いいよ」
「道わかるんすか?」
「……わかんないわ」
途方に暮れた顔をしたつばめを、稜は鼻で笑う。
彼の自室に戻り、帰り支度をしていると、携帯に通知が来ていた。家族全員が入っているグループLIMEに、つばめの帰宅時間を尋ねるメッセージが入っていたのだ。
時計を見ると、八時前。
ここに来てすぐに、友達の家にいることは伝えていたが、流石に時間が経ちすぎている。
怒られるのを覚悟して、つばめはメッセージを打った。
【ゲームしてたら時間見てなかった。今から帰ります】
【そんなことだと思った。気を付けて】
つばめの素行に対する信頼と、つばめのゲーム癖に対する信頼が同時に寄せられたメッセージに無言で頭を下げると、つばめはリュックの中に携帯を投げ入れた。
「家どこっすか」
自転車の鍵を持った稜が、玄関のドアを開けながらつばめに尋ねる。つばめが地名を言うと、学校を挟んで、丁度反対側だった。自転車で十分と言ったところだ。
「気を付けて帰るのよー」
炊事場から顔を覗かせる美沙にぺこりと頭を下げるつばめの横で、稜が言う。
「明日も来るから」
「来ないです」
ぎょっとしてつっこむが、稜は涼しい顔だ。
「予定あるんすか?」
「え、いや、予定とかじゃなくて……」
「予定は?」
「課外」
「じゃあ、終わるくらいに迎え行くんで」
「えええ……」
全く話を聞いてもらえなかった。イケメンに生まれれば、こんな傍若無人が許されるとでも言うのだろうか。
(まあ、冗談でしょ)
つばめは先ほどきっぱりと断っているし、彼とてそう何度もほいほいと、見知らぬ上級生女子を家にあげることもないだろう。
つばめはそう結論づけて、稜の後を追ってマンションの階段を降りた。
マンションの敷地内にある駐輪場に停めてあった自転車の鍵を外すと、稜は足を上げてサドルに跨がった。
「後ろ乗れます?」
「乗れる」
「警察と先生見つけたら秒で降りてくださいね。捕まりたくないんで」
おんどれ、と思いつつも、つばめは車輪の軸に足をかけた。ここから数十分歩いて帰りたくなかったからだ。
立ったまま乗り、肩に手を置く。この姿勢なら、遠くまで見渡せるし、すぐに自転車から飛び降りられる。
稜が自転車を漕ぐ。
ゆっくりと車輪が回り、前に進んだ。
(……変なの)
おかしな気分だった。
今朝までつばめと稜は、同じ学校に通う生徒という以外、一つも接点が無かった。互いのクラスさえ知らないだろう。
なのに今では、家に上がり込んで、夕飯までご馳走になり、自転車で二人乗りをしている。
見下ろすと、稜のつむじが見えた。今日知り合ったばかりの年下の子に、自転車を漕がせていることに居心地を悪くする。
「……重くない? 替わろうか?」
「重いですけど、替わられても困るんで俺が漕ぎます」
困る。
確かに、これは彼の自転車だ。壊されでもすれば困るだろう。つばめの身長には、サドルの位置が合わないかもしれない。
それに、女に漕がせるのは体裁も悪い。それも、困るのだろう。
困ると言われれば、無理に替わることも出来ない。つばめは提案を引っ込めた。
スポラトゥーンをしていなければ、稜と話す話題などない。途端に、沈黙に包まれる。当然だ。彼とつばめは今日まで、会話一つしたことが無かったのだから。
「……暑いねえ」
「別に無理してしゃべんなくていいんで」
「わかった」
沈黙に耐えきれず、無理に話し始めていたつばめは、素直に頷いた。稜の返事はぶっきらぼうだったが、つばめの心は軽くなった。
その後は、稜が回す車輪の音を聞きながら、夏の蒸し暑い風を切って、夜空の下を走った。
いつしか闇が広がっていた空には、点々と星が輝いている。見慣れた景色も、いつもと目線が違うからか、まるで違って見えた。
シャカシャカと回る車輪の音が、非日常を更に際立たせる。目の前がキラキラと輝くような、不思議な夜だった。
夜な上、住宅街ばかりを走ったこともあり、ありがたいことに警察にも教師にも出会うことはなかった。
「ありがとね」
「じゃあ」
東崎家の玄関前で言葉少なに別れた稜は、すぐにUターンして立ち去った。その背中を、つばめはしばらく見送る。
「……変な日だったな」
もう二度と、彼とこんな風に話すことは無いだろう。
あちらは学校の有名人。片やつばめは、平凡を極めたただの女子高生。
明日からは、学校ですれ違っても目も合わないに違いない。
今日のことはその内お互いに、夢のようなものだったと、記憶の中に埋もれて、忘れていく。
くるりと振り返り、玄関ポーチを歩いて、扉を開ける。
「ただいまあ」
「つばめ! あんたね、遅くなる時は――」
「ごめんなさーい」
リビングから轟く母の小言にのんびりと謝りつつ、つばめは日常へと戻っていった。