25 : 月明かりの負けイベント - 02 -
「珍しい。歩いて来たの?」
「こんな所で自転車なんて乗れないでしょ」
確かに稜の言う通りだった。いつもの住宅街とは違い、駅前は人で溢れている。クリスマス前だからと、平常時よりも装飾に力が入っているようで、イルミネーションを見に来ている親子やカップルもいた。
稜と並んで帰るのは、実を言えば初めてだった。
どれくらい距離を空けておけばいいのか、わからない。
稜が手をポケットに突っ込んでいるせいで、近づきすぎると彼の肘がつばめの腕に当たる。かといって離れすぎると、声を張らずにしゃべる稜の声は、冬の澄んだ空気に溶けて聞き取りづらい。
歩幅だって、どのくらいで歩けばいいのかわからなかった。気持ち大幅に開いているが、これが正解か不正解かは、誰も教えてくれない。
先程からずっと、右隣にばかり意識が集中していた。稜のことばかりが気になっている。
ちらりと稜を見ると、稜は真っ直ぐ前を見て歩いていた。
悔しいような、ほっとしたような、よくわからない感情が渦巻く。
つばめがマフラーを顎まで引き上げていると、稜が口を開いた。
「……今日、家でパーティーするの?」
「……知ってたの?」
つばめは目を見開き、稜を見た。今のつばめには、先程まで被っていたケーキ帽も、主役タスキも無い。一目見て、彼女が本日誕生日を迎えたという事実を、稜が見抜けるはずがなかった。
「知らされたの。さっき。乃愛って人に」
「わー」
「なんでつばめ以外の人に教えてもらわなきゃなんねえの」
「わー……」
それしか言えず、吐息混じりに答えた。
隣を行く目が、つばめを見る。
並んで歩くと、顔を見られながら話すことになることを、十七才になったばかりのつばめは知った。
じとっとした視線を感じてはいても、稜の方を向くことが出来ずに前を見たまま、つばめは真っ直ぐに歩き続ける。
「なんで教えてくれなかったの」
「……催促みたいじゃん?」
「しろよ」
間髪入れずにそう言われ、つばめは唸った。
(冬で、よかった)
頬が赤くなっても、寒いからと誤魔化せる。緩んだ口元を隠す、マフラーだってある。
リュックのショルダーベルトを掴んだつばめが、僅かに早口で言う。
「えっと、じゃあ。今日誕生日です」
つばめが言うと、稜は立ち止まった。つばめも釣られて立ち止まる。
「誕生日、おめでとう」
車道を走る車のライトに照らされた稜が、輝く。
息と一緒に、何かが肺に入り込んできた。つばめの胸を内側から満たす感情に支配されながら、吐息と共に言葉を吐き出す。
「……ありがと」
こんなに、胸がいっぱいになる言葉だったろうか。
先程、友人らにケーキ帽を被せられながら受け取った時と、何故こんなにも違うのか。
赤くなった頬を少しでも稜から隠そうと、またマフラーを摘まんでいると、稜がポケットから手を出した。
「ん」
稜の手には、手のひらサイズほどのラッピングされた袋が握られている。
ぽかんと口を開けて、稜の手元を見るつばめに、稜は顔をしかめて更に手を突き出した。
「ほら!」
顔を赤くした稜が先程よりも強く言う。つばめは慌てて袋を受け取った。
マットな質感の包装袋に、春色のリボンがかけられている。
誰がどう見ても、プレゼントだ。
「……え? 誕生日今日だって、知ってたの?」
「さっき教えられたって言ったの、もう忘れた?」
気恥ずかしさからか、いつもよりも語気が荒い。しかしつばめは全く気にならなかった。
「……え、じゃあなんで。用意してたの?」
プレゼントを見下ろし、呆然と呟くつばめに、稜はしまったという顔をする。
「……まさかわざわざ、買いに行ってくれたの?」
つばめと稜が住む市は、都会に比べれば田舎だが、田舎に比べれば多少住みやすい場所にある。とはいえ、こんなお洒落な包装のプレゼントを買いに行くとなれば、電車で往復一時間は免れない。
(学校帰りに、わざわざ……急いで?)
唖然として、つばめは手の中のプレゼントをじっと見つめた。
息を吸う度に、冷たい冬の空気の中に含まれたキラキラとした何かが、つばめの胸を刺す。それはあまりにも不可思議で、けれども日常的なまばゆさに溢れていた。
チクチクして、むずむずして、ふわふわする。
駅を彩るイルミネーションよりも目を輝かせ、プレゼントを凝視するつばめに、稜は頭をかきむしり、その場でしゃがみ込む。
「引いたなら引いたって言えばいいだろ!」
「違うって。感動したんだって。ほら、つばめちゃん見て。顔出して」
頭を抱え、道の隅にしゃがみこんでしまった稜の肩に手を乗せる。
稜は素直に、腕の隙間から目を覗かせ、つばめを見上げた。彼の真っ赤な頬と眦に、胸の高鳴りが止まない。
つばめはマフラーを解き、顔を見せる。緩んだ顔を見られるのは恥ずかしかったが、稜のためならなんてことはなかった。
つばめの心を溶かし、突き動かすこの感情のままに、柔らかく笑った。
「……ありがとう。凄く嬉しい」
稜のために、素直に言った。
すると稜は膝を抱えたままふんと鼻を鳴らす。
「別に」
ふて腐れた顔のまま顔を逸らした稜だったが、すぐにそわそわし始める。そして、つばめをちらりと見ると、尖らせた口で言う。
「……つけないの?」
「――今?」
何処で、とつばめが辺りをきょろりと見渡すと、稜はすくっと立ち上がり、つばめの手を取った。
そのままずんずんと、つばめの手首を引っ張って行く。
少し歩いた先にあった、アーチ状の車止めまでつばめを連れて来た稜は、隅っこに腰掛けた。つばめも稜に倣い、彼の反対側に腰掛ける。
お互い、尻が半分と、片足くらいしか乗っていない。手を動かせば、肩が当たる。けれども、気にしていなかった。
気にしない、ふりをした。
リボンを摘まむ。微かに指先が震える。
綺麗な花に触れるように慎重に、リボンを解く。
ラッピングの中から出て来たのは、銀色のチューブのハンドクリームだった。手のひらに乗るコロンとしたサイズだ。
「……可愛い」
黒いキャップの下には、桜の絵が描かれている。ロゴはつばめでも知っている、女性向けのコスメブランドだ。
「店の人が、奥から出してくれた」
「なんで?」
「あげる人の名前、つばめって言ったから。去年のだけどって」
今は十二月。どれだけ季節を先取りしても、春物を置くにはまだ早い。
どんな会話が店員と稜の間におきたかは知らないが、稜がつばめのために悩んで買ってきてくれたのだとわかる。
(やばい、顔、上げらんない)
目が潤み、頬が赤らむ。
猛烈に、胸が熱くなった。
「俺がつける」
「ええ?」
稜は有無を言わせず、つばめからハンドクリームを取り上げた。黒いキャップを捻り、開けようとしている。
(私がもらったのに……最初くらい、私につけさせてよ)
感動を返せ、この自己中。とつばめが稜をじっとり見つめていると、手のひらにクリームを出した稜が、つばめに手のひらを見せる。
「ん」
「?」
「手」
「手?」
首を捻り、つばめは稜に手を見せた。すると稜が、つばめの手を両手で掴む。
「……」
そのまま、稜の手のひらに出したクリームを、つばめの指に塗っていく。
骨張った稜の手の中で、見慣れてるはずの自分の手がひどく小さく、頼りなく見えた。
ぬるりとした感触が、二人の手の中で滑る。浸透力のあるハンドクリームは、よく伸び、そして簡単につばめの肌に染み込んだ。二人の肌が合わさった部分がぴったりとくっつき、離れようとすると、まるで嫌だとでも言う風に互いの肌を持ち上げる。
ハンドクリームから上る桜の香りが、つばめの鼻を掠める。
彼の手の中に生まれた春が、つばめを包み込む。
指の腹を稜の手が掠める度に、つばめは息を止めた。むずがゆさや、気恥ずかしさとは違う痺れがつばめを襲う。
思わずつばめは稜を見た。手を見つめていた稜も、同じタイミングでつばめを見た。
二人の視線が重なる。
互いに顔を赤くして、目を潤ませていた。つばめはぽかんと口を半開きにしていたが、稜は反対に、きゅっと引き結んでいた。苦しそうな顔だ。それでいて、熱に浮かされている風でもある。
(だから、その、目)
押し寄せる熱が伝わる。
(……熱いん、だって)
今にも絡め取られそうな潤んだ目は、直視するのが怖いのに、逸らすのを許してくれない。
息が出来ない。
冬の冷たい空気で、まるで体が凍り付いてしまったかのように身じろぎすら出来なかった。それなのに、心の中は今にも焦げ付きそうなほどだ。
パッ、っと。車のライトが二人を照らす。
眩しさで我に返り、つばめはすぐさま俯いた。
赤くなった顔をマフラーに埋め、反対の手を握りしめる。その手は微かに震えていた。
(座ってて、よかった)
立っていたら、もしかしたら自分は腰を抜かしていたかもしれない。足が甘く痺れて、ふわふわとする。
「……ちっせ」
カチコチに固まったつばめの隣で、稜が掠れた声で呟いた。
「こんなんでコントローラー、握れんの?」
「――君よりかは」
いつも通りの憎まれ口を叩いた稜に安心して、つばめもいつも通り言い返した。
心底ほっとした。
冬に、夜に、飲み込まれそうだったから。







