24 : 月明かりの負けイベント - 01 -
「よう懐かれとるのう」
パックジュースのストローを噛んだ乃愛が、組んだ足をぷらぷらさせる。
「ほんとに」
誰に、なんてもう、言われなくてもわかる。
お弁当をランチバッグに仕舞いながら、つばめはこくんと頷いた。
「んで、告られた?」
なぜ、食事中に聞いてくれなかったのだろうか。そうすれば、噛んでいる振りをして、答えを引き延ばせたのに。
つばめは難しい顔で黙りこくると、ゆっくりと口を開いた。
「……ううん」
「ほーん」
つばめの返事を聞いた乃愛は、ストローを器用に弄び、パックジュースを浮かせる。
「何?」
「べっつにぃー?」
長めのセーターから指先を出した乃愛が、つばめの前の席から立ち上がり、教室の隅のゴミ箱にゴミを捨てに行った。
『アレが、コレに? 普通に考えて無いでしょ』
あんなに簡単に言い切っていた夏を、遠く感じた。
***
「じゃあ、また明日」
つばめの家の前で、稜が自転車に跨がる。
最近の稜は、つばめを送ってもすぐに帰らなくなった。
冬だからとつばめを早く送り返すようになった稜を、母が呼び止めることもあるし、兄が構ってほしそうに階段のカーテンを何度も開けてチラチラ見ていることもある。
そしてそれを、稜は引き受けるのだ。友達の家族なんて話しても楽しくないだろうに、嫌な顔一つせず家に上がっていく。
それがまるで、つばめを大事にしてくれているかのように感じて、稜を真っ直ぐに見られなくなる。
つばめは、抗うのを止めた。
元々何かに反抗するのは得意ではない。それが自分の心なら尚更そうだ。つばめが右へ行けと言って素直に右に行くのなら、抵抗など端からする必要もない。
ならもう、あるがままに身を任せるしかない。
ランクが落ちても死にはしない。つばめの抱えるこの感情が砕けようとも、きっと同じく、死ぬことはない。
(だから、真っ直ぐ、見ておこう)
目の前で――手が届く位置で、つばめを見る彼を。
「……あ。私、明日は行かない」
思い出したように、つばめは稜に言った。
今日の稜は、父とオセ口をした。盤面を一つ残らず父の石の色にされ、稜が演技じゃない悲鳴を上げた頃、ようやく彼に帰宅の許可が下りた。
「なんで?」
「乃愛達と遊ぶ」
稜は「ふーん」と興味なさげに呟いた後、ちらりとつばめを見た。
「俺とスポラやるより大事?」
「大事」
間髪入れずにつばめが頷くと、稜は明らかにショックを受けて、自転車ごとこけそうになった。慌ててつばめは手を伸ばしたが、稜は片足で踏ん張った。
「……あ、っそ」
じろりと恨みがましい目で見られた後、稜はつんとした顔で前を向いて、自転車を漕いで帰って行った。
***
「そこのいけてる少年」
「年下扱い止めてください。そういう空気出るんで」
「空気も何も、事実年下でしょうよ」
稜は冷えた目で目の前の女生徒を見つめた。
(名前は、確か……乃愛)
つばめの一番親しい友人だ。何の用か一年の教室がある三階で、こうして稜に絡んでいる。
クラスの女子や、知り合いでもないのに稜のことを呼び捨てで呼ぶような上級生なら、稜はこの面倒な会話を拒んでいただろう。しかし、乃愛は無視出来なかった。それはひとえに、彼女がつばめの友人だからだ。
つばめの大切なものには、自分も礼儀を払いたい。
稜はいつしかそう思うようになっていた。
そんな風に自分が誰かを――その人の大切なものごと――大切にし始めるなんて、思ってもいなかった。
(それに……)
彼女以前、つばめの危機を教えてくれた。
今回ももしかしたら、つばめに何か起きたのかもしれない。
「なんですか? つばめに何かあったんですか?」
心配になった稜が乃愛に尋ねる。
「今日つばめ、うちらと遊ぶから」
「知ってますけど!?」
反射的に叫んでしまった。
乃愛は片耳に手を当て、垂れた目で稜を睨む。
「気が短けーなー。んなんだから年下扱いされんでしょ」
稜は額に青筋を浮かべた。ぐうの音も出ない正論だったからだ。
そもそも、今日ほど乃愛に会いたくない日は無い。
昨日つばめから、自分よりも乃愛の方が大事だと、きっぱりと告げられていたからだ。
(友達を大事にするつばめだから、いいんだけどさあ!)
そうやって自分も、大切にされている。
前から約束している友人を優先するのは当然である。それでなくとも、稜はつばめの放課後をかなりの割合でもらっていた。
だから大人しく、聞き分けよく引き下がろうとしているのに――わざわざ自慢しに来られては大きな声も出るというもの。
「んでそこに、坂ノ上君も呼んであげてもいいけど」
「は?」
乃愛の言葉の意図がわからずに、稜は訝しんだ。まさかつばめを餌に、自分を呼び出そうとしているのだろうか。
疑心暗鬼になる稜に、乃愛は髪の束を手で梳きながら言った。
「プレゼントは買っておいでよ」
「はあ?」
また意図のわからない言葉である。
しかし、乃愛の挑発的な目を見て、稜はピンときた。
「――まさか」
察しのいい稜に、乃愛は満足気だ。にんまりと口に笑みを浮かべる。
「……っ何処に、何時ですか」
悔しさを堪え、稜は尋ねた。
「八時くらいまで? 駅前のカラオケにいるから」
「わかりました」
頭を下げる稜のつむじを、乃愛はピンッと指で跳ねると、短いスカートを翻して去って行った。
***
「んー。来んかったな」
終了時刻を告げる電話を、カラオケのカウンターから受け取った乃愛が、受話器を戻しながらぽつりと零した。
本日の主役タスキを掛け、ケーキ型の帽子を被ったつばめは、デンモクをテーブルに置きつつ、乃愛に尋ねる。
「え? 何か頼んでたの?」
「いやー」
カラオケのテレビ画面には、つばめ達にとっての定番ソングのタイトルが映し出されている。いつも集まるこのメンバーで、誰かの誕生日カラオケをした時に、最後に皆で歌うのだ。
「ほら、始まるよ」
マイクを持つつばめに、乃愛が肩を寄せる。そして全員で揉みくちゃになりながら、花束を捧げる愛の歌を歌った。
「え? なんでいるの?」
首にマフラーを巻きながらつばめが店から出ると、壁により掛かって携帯電話をいじっている稜がいた。
「迎え来た。帰ろ」
鼻先を赤くした稜が、携帯電話をコートのポケットに突っ込む。
一緒にカラオケに行っていた乃愛以外の友人二人が、稜を見た後、つばめをバッと振り返る。
「ちょ。坂ノ上君じゃん」
「えっ? 噂マジだったん?」
興味津々な二人に向けて、つばめが鼻の上に皺を寄せる。すると二人はぴたりとおしゃべりを止めた。つばめが嫌がってるのをわかってくれたのだ。
「うちらの前で歌うの嫌だったか」
にやにや笑いながら、つばめの横から乃愛が稜に話しかけた。稜は澄ました顔で乃愛を見据える。
「遠慮しただけですし」
「ふーん」
乃愛がつばめの体に寄りかかる。肩に肘を置かれ、頭頂部に側頭部を押し付けられる。乃愛はいつも、甘くてちょっとミルクっぽい香りを好んでつけている。
つばめは乃愛の支え棒になったまま、稜に困った顔を向けた。
「今日、無理って言ってたじゃん」
「家に送る間くらい、いいでしょ」
むっとした顔をする稜に、乃愛が笑う。
「いいよぉ。持ってきなー」
乃愛はつばめから離れると、他の友人二人の腕を取った。今から三人で、つばめと稜のことを好き勝手話すのだろう。友人二人も楽しそうな顔をして、つばめに手を振っている。
つばめは困った顔で、稜を見た。
稜は既に何歩か進み、つばめを振り返って待っていた。つばめは一つ息を吐いて、稜の方へ足を踏み出した。







