23 : バグ待ち秋燕
「稜君」
体育を終え、友人と笑いながら体操着で渡り廊下を歩いていると、声をかけられた。聞き間違えるわけもなく、稜はすぐさま声がした方に顔を向ける。
次の時間が体育なのか、体操着を着たつばめが向こうから歩いて来ていた。
そして稜に向かって、手のひらを見せる。
夏休み明けは学校で見かけても、まるで稜など見えていないかのように振る舞っていたつばめが、こうして稜の真似をしてあちらから挨拶をするようになっていた。
稜は頬を緩め、友人に別れを告げて大股でつばめのもとへ行く。
「次体育?」
「そう」
つばめが稜の友人に、ぺこりと頭を下げる。
「マッツンとフミ君以外にも、お友達出来たの?」
「はあ? つばめは俺の母ちゃんですか?」
「美沙ママほど綺麗じゃないよ」
何言ってんだと、本気で言いたかった。
母なんか比べものにもならない。
しかし、そんなこと言えるくらいなら苦労はしない。稜は黙って口をへの字に曲げる。
「つばめー。先行っとくね~」
「あ、ごめん」
つばめはそう言うと、ふりふりと乃愛に手を振った。その隣に、件の柏野もいることに気付き、稜は目を眇める。
「……そんな親しい人じゃない――んじゃなかったっけ?」
じろりと稜が睨むと、つばめは眉間に皺を寄せて、眉を下げた。
「次のスポラのイベントについて話してただけだよ」
「どうせ、一緒にやろうとか誘われたんじゃないの」
「……なんでわかるの?」
驚いたように目を見開くつばめに、稜は「ほらな!」と腹を立てた。
高校生男子の頭の中なんて、ゲームか女のことでいっぱいだ。
柏野は、普段なら女に声なんてかけなさそうな種族の男子だ。そんな男が、自分と同じような、地味で平凡なつばめを、ゲームの話を縁に話しかけ続けている。そんなの、「この女なら落としやすそう」とでも侮ってるに違いない。
自分にとって大事な人を軽んじられるのは腹立たしい。
「部屋に来いとか誘われた?」
冷えた声で言う稜に、つばめは軽く答えた。
「ううん。二人じゃあれだから、って。乃愛も誘って、イオソのフードコートとかでやる? って」
「へ」
「でも乃愛、スポラやってないからなあ。暇させちゃうかも」
稜は目を見開いた。そして心の中で柏野に謝罪する。どうやら、稜や、稜の知る下世話な高校生よりもよほど、柏野は人間が出来ていた。
「だから、断ったよ」
つばめが上目遣いで、じっと稜を見ながら、何かを見透かすように――いや、念を押すように言った。
稜はばつの悪い顔をして、ああ、とか、うん、とか、すんとか言う。
「Sランクなったって言ってて。私もSって言ったら、びっくりしてた。……あ、でも。女のくせにって、言われなかったな」
「っそんなの俺だって――!」
(言ってねえじゃん)
けれど、思いはした。つばめを初めて非常階段で見つけた時、女だからそんなに強くはないだろうと。
そんなことを思った時点で、きっと柏野よりも人間として負けている。
稜よりもつばめの隣に相応しい人間なんて――あの男だけじゃなく、この世に沢山いる。
今どれだけ近くにいさせてもらっていても、稜しか持っていないつばめなど、一つとしてない。
放課後に関しては全て三馬鹿でまとめられるし、話だけなら同年代で同じランクのあの男の方が合うだろう。
きっとつばめは簡単に、春を見つけたらひらりと飛び立つ。
「……つばめが強いことくらい、俺だって知ってる」
ふて腐れたような顔で、けれど言っておかねばならないことを、稜は言った。かつての稜なら素直に言えなかったことだ。
「……」
つばめが真顔で、稜を見上げた。
(なんか言えよ)
がやがやと一年生と二年生が行き交う渡り廊下で、稜は所在なさげに立っていた。たかだか心の形が変えられただけで、沈黙すら痛くなる。振り落とされる刃を待つ、重罪人のような気分だ。
「……ふふ」
そっぽを向いて刃を待っていた稜に届いたのは、柔らかな笑い声だった。
「ふふふ……」
つばめが手で口元を隠して、笑う。
柔らかく曲がった目尻には、朱が差している。楽しそうな、そして嬉しそうなつばめの顔が、喧噪の中で輝いている。
(ああ、クソ。ほんとクソ。クソだわ、クソ!)
そんなことで、呼吸さえままならなくなる。
(本当にこんなもの、クソでしかない)







