22 : 返り花ノックバック - 03 -
稜とつばめが帰る頃には、すっかりと暗くなっていた。
往来真面目な二人は、あれから黙々と仕分け作業を行った。
あまりにも淡々と後片付けをしていたものだから、戸締まりのために見回りに来た教師が、腰を抜かしそうなほどに驚いていた。こんな時間まで頑張っていると知らなかったらしく、つばめ達は慌てて帰らされた。
「つばめ、両手広げて」
誰もいない校庭を二人で歩き、駐輪場に辿り着くと、稜は口を開いた。隣を歩いていたつばめは、不思議そうな顔をしているものの、言われた通り素直に両手を広げる。
広げたつばめの両手首を、稜はがしっと掴んだ。つばめの顔が瞬時に引きつるのが、駐輪場にぶら下がった薄暗い蛍光灯の光でもわかった。稜は構わず、そのままぐいっと自分に引っ張る。
しかし、つばめは強く踏ん張って抵抗した。
「なになになに!」
「何って、ハグ」
元々、そういう話だった。
稜がつばめの教室へ行ったのは、ハグをしてもらうためだ。稜が端的に言うと、つばめは愕然としたように口を開く。しかしすぐに顔を引き締め、ゆるゆると首を横に振った。
「駄目だよ」
「なんで。マッツンとフミ君にはしてたろ」
「あれは――」
「八位」
「……」
稜が言い募ると、つばめは難しい顔をして押し黙る。
(なんで)
つばめの作り出した沈黙が、鳩尾の奥を刺しているかのようだった。響くように、じんじんと痛み始める。
(二人はいいのに。俺は駄目っておかしくない?)
やはりつばめは、自分を避けていたのだろうか。
稜の呼吸が勝手に浅くなる。傷つきたくなくて、つばめが拒む理由をいくつも考えた。
(誰か見てるかもしれないから。また、変に女子に呼び出されたくないから。だから、嫌がってるだけかもしんねえじゃん)
けれど、辺りは真っ暗だ。校舎にも校庭にも、すでに生徒が残っていないことは知っていた。
それにつばめは、稜などおらずとも、自分に降りかかった災難を振り払うことが出来る。つばめが以前女子に呼び出された時、稜は無様にも我武者羅に市中を自転車で走り回っていただけだった。
(じゃあ俺が今、埃っぽいからとか。汗臭いからとか)
それはそれで嫌だったが、つばめが「稜」自身を拒んでいるよりも、そちらのほうがうん倍ましだった。
「……もう、いいや」
しばらく無言だったつばめが、諦めたように言った。いつの間にか俯いていた稜は慌てて顔を上げる。
「……何その、仕方なさげな感じ」
「その通り、仕方ないからだよ」
「は?」
「――もう、認めてしまおうと思って」
つばめが心底嫌そうに、けれど何処か穏やかな口調でそう言った。
若干傷つきながらも、稜はつばめが広げた両手に吸い込まれるように近付いていった。
稜の体に、つばめの腕が巻き付く。
細い腕が自分の体を包む感触を、稜は知っていた。
けれどそれはいつも、後ろから与えられるものだった。同じ自転車に乗った稜を、支えの代わりにして、しがみついているだけ。
稜の両腕が無意識に動いていた。つばめの背を抱き寄せ、自分に引き寄せる。
つばめはびくりと体を揺らした。
腕に抱く彼女が出て行かないように、稜は心の中で祈ることしか出来ない。
しかしつばめは、稜を振りほどかなかった。おずおずと手を動かし、稜の背をぽんぽんと叩く。
「羨ましかったの?」
「別に」
羨ましかった。途方もなく。
「――みんな、大事な弟子だよ」
「っみんなって――!」
瞬時に衝動が稜の体を突き抜ける。稜は思わずつばめの体を離した。傷ついた子どものように顔をひしゃげて、掠れた声を出す。
「あいつらは――! ……来ない日だってあるじゃん!」
「でも、慕ってくれてるし」
「俺の方が頑張ってる!」
「……そうかもね」
つばめは困ったように笑った。そんな顔をさせたのが自分だと気付き、稜はつばめの肩に埋まるように、額を押し当てる。
「……稜君が頑張ってるの、ちゃんとわかってるよ」
困った弟子の頭を撫でる師匠の声は、冬の夜を溶かすほどに温かい。
「照準はかなり合うようになってきたし、味方の生存確認も出来るようになってきてる」
「……」
「言ってなかったけど。みんなと遊ぶの、楽しいよ」
えらく「みんな」を強調した、不自然な程に淡々としたつばめの言葉が、稜の耳に届く。
稜はつばめの肩の上で、拳を握った。
(わかった。みんなと一緒じゃ、嫌なわけ)
あいつらにつばめがハグするのが、心底嫌だったわけが。
歯を食いしばった。足がきっと、雪の寒さのせいで震える。
いつの間にか稜の胸に巣くっていた大きな感情を直視するのは、稜にとって簡単なことではなかった。
(くそっ……。わかったからって、なんだよ)
かじかみそうな、夜空の下。
稜は一人で、初めての心の痺れを受け止めていた。







