21 : 返り花ノックバック - 02 -
「ゲッフォゲッフォッ――! ちょ、ここ埃やばいんだけど! ……全く。俺は手伝うなんて一言も言ってないのに」
埃が舞う準備室の一室で、戸棚の上の段に段ボールを取り出しながら、稜はぶつくさと文句を言う。しかし、不平不満ばかり零すその口から漏れる声は、心なしか弾んでいた。
つばめが当たり前のように柏野を帰し、稜に手伝わせたのが何故か嬉しかったのだ。
人に――それも女子にいいように使われて喜ぶはずもないのに、つばめに「頼ってもいい人間」だと思われていたのが、予想外に心地よかった。
「はいはい。ごめんって」
つばめはしゃがんで、稜が取り出した段ボールの中を覗き込む。
どうやら文化祭で後始末をした人間が適当すぎたらしく、教師に叱られたらしい。つばめと柏野はクラスを代表して、仕分けのし直しに準備室へと向かっていたようだ。
来年以降の生徒のために、残った布やテープ類を保管しているようだ。その中に、到底再利用できないようなゴミまで詰め込まれていた。つばめは一つずつ段ボールを開けて、確認している。
「これも?」
「そう」
つばめに言われた通りに、段ボールを棚から取り出し、床へ移動させていく。
「つばめ」
「んー?」
全部段ボールを取り終えても、つばめは稜の方を向かない。真剣なのか、無関心なのか、わざと避けているのか、その顔からは判断がつかない。
膝を折ってしゃがみ、片手に顎を突いて稜はつばめを見つめる。つばめはまだ、手元の段ボールを覗いている。
稜はバランスを取りながら、座ったまま体を傾けた。つばめのすぐ隣から、顔を覗き込む。もう少しで、肌が触れ合いそうな距離にいる。横を向いて作業を続けるつばめも、流石にこれなら気付くだろう。
段ボールをじっと見つめていたつばめは数拍の後、ゆっくりとこちらを向いた。
(なんだ。真剣だっただけか)
避けられていたわけではないのだろう。そう結論を出し、稜は無自覚に顔を綻ばせた。目を細め、眦の輪郭を柔らかくぼかす。
つばめは何故か息を呑んで硬直すると、顔をしかめて手を突き出した。
「――近い近い」
つばめが稜の顎を押しやる。稜よりもずっと上手にコントローラーを握るくせに、稜よりもうんと小さな手だ。
「そんなに近いと惚れちゃうぞ」
顔を引きつらせて、つばめがそう茶化す。
呆気に取られた稜はぽかんと口を開けた。
「……は? はあああ?」
本気で戸惑った声が出た。単なる冗談だ。
焦った方が格好悪いとわかっているのに、声と共に、心臓が震える。
「な、何言ってんの、あんた」
「ね。困るでしょ。だから離れて」
狼狽する稜とは正反対に、つばめは淡々と言った。ダメ押しとばかりに、稜を押していた手に力を込める。
稜は一瞬黙った後、自身に力を入れてぐいっとつばめに近寄った。
「いや別に、離れる必要なくない?」
「聞いてた?」
「だってつばめ、こうしないとこっち見ないし」
「いるのはわかってるよ」
「話しにくいじゃん」
「私は普通だったけど」
「俺は話しにくかったの!」
***
「俺は話しにくかったの!」
子どものような事を真顔で言う稜に、つばめは困り果てていた。
とりあえず、稜に距離を取らせるのは無理なようだ。つばめは一度立ち上がることにした。しゃがんだまま、横にずれるなんて器用な真似は出来ない。
つばめが立ち上がると、自然と距離が出来た。そのことにホッと一息つく。
つばめは、稜との距離を見直そうとしていた。
稜は大切だ。最初は無理矢理始まった師弟関係だったが、今では師匠にしてくれて感謝すらしている。
(だって……人とやるスポラがこんなに面白いなんて、知らなかった)
四人で遊べば何連敗と続こうとも、自分一人で十連勝する時よりも楽しかった。
だが、そんなことを言えば正気を疑われそうなため、皆には言ったことが無い。それに、照れくさかった。だが、その気持ちに偽りはない。
(だから、これは困る)
つばめに続いて立ち上がっていた稜が、つばめと距離を詰める。立ち上がると、身長差は歴然としていた。
それに、稜の色素の薄い瞳が、つばめを追い詰めるようにじっと睨み付ける。
つばめは咄嗟に、逃げるように目を逸らした。ように、ではない。逃げているのだ。つばめはここ最近ずっと、稜から逃げている。
逃げなければ、焦げてしまう。
案の定、稜はつばめが逃げたのがお気に召さなかったようで、更に距離を詰めてきた。ぎょっとして、つばめは後退した。稜が更ににじり寄る。
稜の目は今や、熱く燃えていた。
それも、これが初めてなわけではない。
こんな目で、何度も何度も見つめられれば――男に不慣れなつばめでなくとも、彼の心を覗きたくなる。
幾度か逃げて詰めてと繰り返していると、当然だが、狭い教室の中では限界が訪れる。
つばめは背に教室の壁を当て、目の前の壁――稜を冷や汗を垂らしながら見上げた。
「――大体。なんでつばめと、さっきの奴なの。あいつ、前も一緒いたよね」
そういう言い方は、止めてほしかった。
独占欲のようなものをちらつかされると、焦りと共に、心がむずむずと揺れ動く。
不安と期待が振り子のように行ったり来たりして、涙がにじみそうになる。
「……文化祭で、班が一緒だったから。分担が少なかったし、じゃあ私達で片付けよう、ってなって」
「あんた大人しいから、体よく押し付けられたんだろ」
「大人しくないよ、言う時は言うよ」
「それは俺とか、仲良い奴にだけだろ」
つばめは口を閉ざした。その通りである。面倒事を押し付けられても、やってしまった方が早いと思ってしまう質だ。よほどのことが無ければ、反論したり、抵抗したりしない。その反面、親しくなったと思った人間には、とことん甘えてしまう。
「……だから、柏野君には、帰ってもらったでしょ」
そう。だから、さほど親しくない柏野には甘えなかった。
小さな声で反論したつばめに、稜は片方の眉を上げた。
「ふーん」
「別に、そんな親しい人じゃないよ」
「ふーん」
「スポラしてる人、ってくらいしか、わかんないし」
「ふーん」
何故こんな、言い訳めいた真似をしているのか、つばめは――そして稜も――きっとはっきりと言葉にすることはない。
稜は釈然としていない様子なものの、まるで許しを与えたかのように、つばめから一歩距離を取った。
「――じゃあ、俺のことはどんだけ知ってんの」
「え?」
「つばめの言う親しいって、どのくらいなの」
腕を組んだ稜が、居丈高につばめを見下ろす。
つばめは冷や汗を垂らして、目線をさ迷わせた。
「ええと……」
何を知っているだろうか。
つばめはスポラトゥーンでSランクをもぎ取る頭をフル回転させる。
「――兄がいて、他に兄弟はいない……?」
「は? 馬鹿にしてんの?」
案の定、即座に稜の額に青筋が浮かぶ。
つばめは眉間に皺を寄せて、目をぐるぐると回しながら、必死に稜について知っていることを探した。
「あああとは――」
「あとは!?」
「あとは……あ! 壁上りが下手」
「はあ?!」
「対面するとまだきょどるし」
「はああ?!」
「甘えた顔出ししまくるし」
「あんたが上手すぎるだけだろ!」
「それから、左はよく見えてるけど右が疎かになりがちで……」
「……」
「マップ開いても状況見れてないし……」
「……」
「裏取りが正義だと思いすぎてるところがあるし」
「……」
「それから……あとは……」
「――もういいよ」
俯いた稜が、つばめに手を伸ばす。
びくりとつばめが震える。自分のゲームダコだらけの指先に、稜の指先が触れていた。
一ミリも動かすことが出来ず、呼吸さえ出来ない。
「……つばめがちゃんと見てくれてるの、わかったから」
もう、いい。と、しおらしい声がする。
稜の顔は見えない。けれど、その満足していることが伝わってきた。
触れ合った指先が、痺れる。
(こんなの、知らない……)
見つめられて焦げそうになる心地も、わかってくれた喜びも、指先の甘い痺れも――全て、稜からしか与えられたことがない。
(でも、だって、それは、さあ……)
心の中で、言い訳ばかりを積もらせる。
どうしていいかわからず、つばめは真っ赤な顔で汗を流しながら、ただ稜の肩越しに真っ直ぐに前を見つめ続けていた。







