20 : 返り花ノックバック - 01 -
これは、まずいぞ。
全身を駆け巡る伝達信号を解読できるなら、きっとそう言っている。
ベッドの中で横になったつばめは、薄暗い部屋でぐるぐると考え事をしていた。冬に差し掛かろうとしている部屋は肌寒く、毛布に体を包み込む。
以前、「好きになるかもしれない」なんて中途半端な気持ちで至ったのの、比では無い。
――既に遠い昔にも感じる夏休み。
芽吹きそうだった種の上に被さったものは、もしかしたら土だったんじゃないのかなんて、馬鹿なことを考えてしまう自分がいる。
土であれば、それは土壌だ。
否応なしに、心に撒いたものが育ってしまう。
(落ち着け。男子に、免疫がないだけ)
なんと言っても、これまで身近な十代の男と言えば、兄くらいしかいなかった。
ちょっとばかし特別扱いされたからと言って、上靴がふわふわしすぎである。
一番恐ろしいのは――浮かれすぎたつばめの視界が、あらゆるものを都合よく歪めてしまっている気がすることだ。
(……ちょっと。まじで、落ち着こう)
つばめは目を瞑ると、毛布を鼻先まで覆って眠りについた。
***
「つばめ!」
声をかけると、一拍おいてゆっくりと振り返る。
そんな姿も見慣れて来た。
文化祭を終えて早々に始まった期末のせいで、最近つばめと放課後に会えていなかった。それどころか、試験期間中だったためにいつもと行動範囲が違ったのか、つばめ自身とこうして校舎ですれ違うことも無かった。
廊下を歩いていた稜が手を上げると、向こうから歩いて来たつばめも同じように手を上げる。
久しぶりに会うつばめに、稜の頬が自然と緩む。
だが、いつもならここで目が合うのに、今日は何故か目が合わなかった。更に、明らかに顔を背けられる。
(は?)
いや、避けられたと感じるのは早計である。もしかしたら、また体調でも悪いのかもしれない。
「つばめ先輩いんの?」
心配する稜の隣から、ひょいと一冴が顔を覗かせる。一冴は長い前髪の隙間からつばめを見つけると、顔を輝かせる。
「つばめセンパーイ!」
長い腕をブンブンと振りながら一冴が近付いていく。その明るいテンションに稜がぎょっとしている間に、一冴はつばめの目の前に立っていた。
「先輩これ見て。期末の結果!」
各教科の点数や順位が書かれた、細長い紙切れを一冴がつばめに見せた。
つばめは一冴から紙を受け取ると、微妙な顔をして一冴を見上げた。
「……112人中、98位……これは、どっち?」
「褒めて! 俺史初! 100番内入れた!」
「おめでと。よく頑張りました」
困惑していたつばめは、小さく笑って一冴を労る。
その顔を見て、稜は凍り付いた。
(は? マッツンとは普通にしゃべるじゃん)
普通どころか、とても優しく話している。なのにつばめは、稜の方を向きもしないし、声をかけもしない。その徹底した対応が、不自然さを強調していた。
(――え? 何? 俺? ……なんかやらかした?)
心当たりは無かった。
訝しんでいると、嫌な予感が頭を過ぎる。
(……もしかして。最近会わなかったのも、普通に避けられてた?)
自分の考えに驚いて、稜は目を見開いた。頭の奥が重くなっていくような感覚が、稜を襲う。
「祝ってくれてもいいよ」
「何? 歌でも歌う?」
つばめは呆れたような笑みを浮かべる。親しみの籠もった顔――稜もよく向けられる、困った弟子を見る師匠の顔だ。
「え~、じゃあ~、ハグしてほしい~」
細長い目隠れ男が、もじもじとしながら言う姿は、きしょいに値する。
(何言ってんだ。するわけないだろ)
白けた目で一冴を見ていた稜は、次の瞬間驚愕した。
「いいよ」
「は!?」
軽く言ったつばめに、一冴はぱっと笑みを浮かべ、稜は驚きの声をあげた。
「いや、何言ってんの、つばめ!?」
「や、別に……フリーハグとかあるし。それに、気のせいってわかるかもしれないから……」
遠巻きにしていた稜が近付いても、つばめとは目が合わなかった。やはり意図的に避けられているのだと察する。
(気のせいって何が! ていうか、フリーハグじゃねえだろ、これは!)
盛大な下心しかないハグ要求の、どこがフリーハグだ。
「はい、じゃあ。よく頑張りました」
唖然とするつばめの横で、ひょろりとした一冴を、つばめが抱き締める。細いつばめの腕が、一冴の背中に回される。
一冴が両手で顔を覆い「キャー」と女子のような声を出した。
(……はぁ!?)
つばめはすぐに一冴から離れたが、稜は額に青筋を浮かべた。
(言えばハグしてもらえたってこと!? 順位よかったから? いやマッツンの順位がいいからって、別につばめがする必要なくない?)
考えが全くまとまらない。何故こんなに苛立っているのかもわからない。
(なんなの? 俺には――俺は、顔も見ないくせに)
苛立ちから、稜は首を強く横に振った。
どれだけ振り払っても、先程の光景が頭から離れることは無かった。
***
その後、合流した史弥も何故か前回よりも順位が二つ上がっていたからという理由で、つばめにハグしてもらっていた。
(俺は学年八位でしたけど!?)
文化祭での王子役を人一倍頑張りながらも、順位は落とさなかった。勿論、つばめに褒められるために頑張ったわけではない。だが、自分だって――いいや自分こそが一番に盛大に褒められてもいいのではないかと、ふつふつと怒りが湧く。
「りょーちん、今日どうする?」
「俺、ちょっと先生に呼ばれてるから」
「ほーん。んじゃまた」
帰り際、声をかけてきた史弥と一冴に嘘をつくと、稜は二人が帰ったのを見計らって二年の教室へ向かった。
こっそりと教室を覗くと、まだつばめは教室にいた。素知らぬ顔で通り過ぎ、廊下の隅で携帯電話を手に取る。稜が教室に顔を出すとつばめが嫌がるため、LIMEで帰る約束を取り付けようとしたのだ。
しかし、LIMEを立ち上げる間もなく、つばめが教室から出て来た。男子生徒と一緒だった。しばしぽかんと見守った後、慌てて駆け寄り声をかける。
「つばめ」
つばめがいつも通り足を止め、ゆっくり振り返る。
しかしその表情から、歓迎されてないことは明白だった。
「一緒帰ろ」
「今日は駄目」
とりつく島もなく断られる。つばめの横に立つ人畜無害で人の良さそうな眼鏡の男子が、興味深そうにつばめと稜を交互に見た。
(見んな)
こういう目があるから、つばめは稜といるところを、人に見られたくないのだ。
苛立っているが故に、いつもは気にならないようなことまで気になってしまう。
「俺、期末八位だった」
「えっ。すごっ」
「俺も祝って」
「……うーん。でも、うーーん……」
つばめは隣の男子――柏野をちらりと見て、眉間に皺を寄せた。
柏野は眉毛を上げる。その拍子に、彼のかけていた眼鏡も上に動いた。
「いいよ、東崎さん。どうせすぐ終わるだろうし、俺一人でも」
「いや。柏野君にはこないだもそう言ってもらってるから、駄目」
つばめは首を横に振った。どうやら、二人でまた何かしらの役目を負っているらしい。
二人は同じクラスのクラスメイトだ。稜の知らない、つばめと柏野の時間があっても不思議ではないのに、何故かそれにもやつく。
つばめは少し考えた後、柏野に向かって手を振った。
「こないだ一人で持ってかせちゃったし、柏野君帰ってくれていいよ」
そう言って、つばめが稜の二の腕の服を掴み、ぐいっと引っ張る。
「今日はこの子に手伝わせるから」







