02 : とある夏の日のエンカウント - 02 -
「撃ったら逃げる」
漫画雑誌やペットボトルが床に転がった部屋の一室で、つばめは淡々と告げた。
「撃ち終わった後、棒立ちになってるのはなんなの? ここに的がありますよって宣伝してるの? そのお綺麗な顔を広告塔にしてくれなくていいから、さっさと移動する」
カコカコカコ――コントローラーのスティックが倒され、ボタンが押し込まれる音が、狭い室内に響く。
「射程の外で撃ち始めない。まだ自分の武器の射程覚えてないの? 潜伏するなら確実にヤれ。ヤれないなら潜るな。その間、前線は対面不利になってんだか――……あー」
「だぁああ! クソッ!」
部屋に置かれたテレビに、LOSE――負けの文字が表示される。
始終、相手のカウントリードのまま進んだ試合は、こちらの負けで終えた。
「負けたんですけど!?」
「負けましたね」
床に座らされたつばめは頷いた。つばめの背後のベッドに腰掛けている稜は、悔しそうに顔を歪めている。
『先輩が付き合ってくれるなら、勿論黙っておきますよ』
『今日うち、誰もいないんですよね』
美しい顔面から放たれた衝撃的な言葉にぽかんとしたつばめは、呆然としている間に稜に拉致された。
彼の住んでいるマンションに連行され、お邪魔しますも言えないまま彼の部屋へ詰め込まれ、ベッドを背もたれに座らされ、ローテーブルの上にswotchを設置され、コントローラーを握らされた頃には――つばめにも、彼の言葉の真意がわかった。
「……びっくりした。付き合ってくれ、って。告白されたのかと思った……」
「はあ? あり得なさすぎて笑うんですけど」
冷めた顔が皮肉を象る。鼻で笑われたが、むっとするよりも、腑に落ちてしまった。
(それはそう)
冷静になれば――ゲームは弱いし口も態度も悪いが―― 学年という垣根を越えて噂になるほどのこの男が、平凡を地で行く自分などに告白してくるはずがない。
(まあスポラは好きだけど……)
特出しているかと問われれば、そうでないと答えるしかない。つばめのいる環境では、つばめ以上に強い人間などザラにいる。
だが、稜にとっては違ったのだろう。
輝く目でコントローラーを握らされ「教えてほしい」と頼まれたら、断ることも出来ない。教え方などわからないなりに気付いた点を言ってみたが、こちらも必死にプレイしているため、必要以上に口が悪くなってしまった。
「んなことより、なんで負けるんすか? まさか手抜いてます?」
つばめの両肩を、自身の両足で挟むように座った稜の綺麗な顔が、ズズイと迫ってくる。この男、パーソナルスペースがつばめの四倍くらい狭い。
つばめは座布団の位置を整える振りをして、身をずらす。
「いやあ……。まあ……なんとも」
つばめが言いにくそうにしていると、稜は顔をしかめた。
「……俺のせいですか」
「……批判と思わず、聞いてほしいんだけど」
つばめが説明を始めると、稜はベッドから降り、つばめの前に正座をした。
つばめと稜は、ペアを組んで試合に挑んだ。四対四のゲームなため、残りのチームメイト二人と、相手チームの四人――合計六人はゲームが自動的に選ぶ。
ペアを組むと、キャリー ――故意に不適切なレベル帯で活躍し、他の味方を引き上げる――行為を禁止するため、経験値の増減幅が少なくなる他、ペアの中でランクが高い方に合わせてマッチングする。
「つまり、C帯の坂ノ上君は今、S帯でプレイしてるってことです」
スポラトゥーンのランクは、Cから始まり、B、A、Sと続く。Sは最上位のランク帯だ。
最下位のランクであるC帯の稜は、先ほどからボッコボコにやられていた。
「けど東崎先輩、さっきの奴らに圧勝してましたよね。なら、俺一人混ざってるくらいのハンデあったって、勝てるんじゃないですか?」
「あれは仲間が強かったのと、通話で連携してた、って言うのは大前提な上で――。坂ノ上君、勝率どのくらい? 50%無いくらい?」
「60%はあります」
「ごめん。じゃあ、たとえば、坂ノ上君がS帯でも勝率60%だとする。んで、私や、他の相手が暫定的に80%とさせてもらって――80%が四人いるチームと、80%が三人と、60%が一人いるチームってなると、どうしてもこっちが勝てないんだよね」
「……」
「このランクになると実力差ってほぼ無くなるから、偶然とかおこぼれとかが生まれなくなっちゃうのね」
拮抗したレベルの人と、実力で殴り合えば、穴があればすぐに見破られ、攻め込まれる。
ちなみにその穴は稜である。
つばめはそこまでは言わなかったが、わざわざ口に出さずとも、感じ取ったらしいことが彼の表情からわかった。苦い顔をして、項垂れる。初めて見る、彼の弱気な表情だった。
(……やめちゃうかな)
正論は時に人の心を折る。
(やっぱ、あれこれ言わなきゃよかった)
ただ「楽しむ」のに、厳しい助言は必要ない。
彼とはもう二度と一緒に遊ぶことも無いだろうが、同じゲームをプレイする者として、つばめは稜にスポラトゥーンを好きでいてほしかった。
謝るべきかと、居心地の悪さにそわそわしていると、稜が顔を上げた。
「……わかりました」
ため息交じりの低い声を出す稜を、つばめはじっと見つめた。
「つまり、俺が80%にまで上がればいいってことですよね」
「……そうです」
80%になる――それは、つばめのたとえを用いるなら、Sランクになるということだ。
「東崎先輩、コントローラー!」
有無を言わせず、稜がつばめにコントローラーを押し付ける。
つばめはぽかんとしていたが、その勢いに押され、僅かに笑う。
(そろそろ帰ろうと思ってたけど……まあ、今日くらいはいっか)
どうせ、今日までの縁だ。あと少しぐらいいいやと、つばめはコントローラーを握る。
稜は既に試合をする準備を終えていて、ちんたらしてんじゃねえよとばかりに、つばめに聞かせるためにボタンを連打している。
つばめは苦笑して、了承を示すためのAボタンを押した。
***
「そんな場所で何してるの?」
「あんたが前線に行けって言ったんですけど」
「そこは前線じゃない。あと二十歩前に出て」
「二十歩って……敵の陣地じゃねえか!」
「あってるよ。前、ついて来て」
狭いスペースに膝を抱えて座ったつばめが、慣れない態勢で小さな画面を覗き込む。
「顔も良くて頭も良くて運動神経も良いって聞いてたんだけど、噂って当てにならないね」
「はあ?!」
「そのミス、さっきも言ったよね。撃ったら逃げる。体の栄養全部顔に行った?」
「逃げようとして、撃たれてんですよこっちは!」
必死過ぎるあまり、口はどんどんと悪くなっていく一方だ。
自分の手も動かしつつ、稜の動きを見るのは予想以上に大変だ。
「今、画面見てた?」
「見てました」
「見てたら、人数不利なことわかったよね?」
「目の前以外見る余裕なんてないんすけど」
「見て。それが画面を見るってことだから」
「んなの見えるわけねえ……」
「それより、なんで相手の武器より射程短いのに、前から突っ込んで行ったの?」
「あんたがさっき、前線には出ろって言ってたから――!」
「いや。なんでも前に出ればいいってもんじゃない」
「はあ?!」
「君が人数不利で対面する時は、よっぽど勝てそうな時以外、味方を待って。そうじゃないと一生、人数有利に持っていけない」
「あぁぁぁああああクソ!」
奇声を上げた稜は、背中からベッドに倒れ込んだ。画面に表示された文字は、既に何度も見てきた文字――LOSEだ。
「お疲れ」
「まじクソ! クソゲー!」
その綺麗な顔から紡がれたとは思えないような野太い声を、腹の底から絞り出す。稜の柔らかな明るい色の髪が、苛立ちを乗せた指先でぐしゃぐしゃにかき乱された。
しかしすぐに身を捩り、枕元に広げていたノートに、稜がシャーペンを走らす。先ほどからつばめが言った注意点をこまめにメモしているのだ。
稜はつばめがどれだけボロクソに貶しても、めげなかった。
そしてずっと負け続けているというのに、その目は輝きを増し続ける。
(楽しそうな顔、出来るんじゃん)
遠目であっても、学校で見かける彼はいつも無気力だった。話題の中心になっている姿も、活動的な姿も、明るい笑顔も、見たことが無い。
そんな彼だったが、スポラトゥーンは好きなようだ。
背もたれにしていたベッドに肘を突き、ノートに書き込んでいる稜を見ていると、襖の向こうから落ち着いた女性の声がした。
「終わったー? 彼女、ご飯食べて帰りなよ」
「あ、すみません、お邪魔してます。帰ります。彼女じゃ無いです。さっき振られました」
流れるように否定して襖の方を向いたつばめは、ぎょっとした。
庶民的な家に、芸能人がいるかと思ったのだ。
稜にそっくりな女性は、稜よりも迫力とオーラがあり、美しさに磨きがかかっていた。年齢もわからず、姉か母なのかすら不明だ。
レッドカーペットを歩いてそうな女性が、着古したエプロンを身につけ、フライ返しを持っている。そのギャップに、つばめの頭がフリーズする。
「あんた、振った相手にそんなしごいてもらってんの? 人でなしか?」
「うるさいな。振ってねえよ」
「はあん? まあいいや。なんかずっと面倒見てもらってるのは聞こえてたから、食べてってよ。もう作っちゃった」
美しい女性と、美しい少年が、美しい声で会話をしている。つばめは、堂々とした女性の物言いに押され、こくこくこくと首を縦に振った。
思えば、ものすごくお腹が空いていた。夏期課外が終わって即拉致されたため、昼ご飯を食べ損なっていたのだ。
エプロンで手を拭きながら、女性が襖の向こうに消える。
ぽかんと戸口を見守っていたつばめを、稜がじろりと睨んだ。
「振ったって、何。嫌がらせすか?」