16 : 不意打ちヘッドショット - 03 -
「お前、絶対遊ばれてるから」
夜七時。自宅に帰ったつばめに、二階から降りてきた兄――晋がそう言った。
大学に通う晋は、つばめとよく似ている。つまり女性とは縁がない、平凡なゲーム好きだ。
細身で眼鏡をかけていて、いつも同じような黒い服を着ている。コーヒーをよく飲むため、彼の部屋に入るといつもコーヒーの匂いがした。
またそう言う話題か、とつばめは辟易した。
大方、階段にある窓から、稜に送ってこられたつばめでも見ていたのだろう。
「残念。遊んでやってるのは私の方なんで」
嘘はついていない。
あまりにも堂々とつばめが言ったものだから、何でも斜に構えて受け取るくせに、晋は本気にとったらしい。ぎょっとした顔で妹を見る兄に溜飲を下げ、つばめはリビングへと向かった。
***
――しかし、兄に真相を知られる日はそう遠くなかった。
「鍵忘れた」
そう稜が呟いたのは、坂ノ上家の玄関先のことだった。
唖然とする稜を覗き込むと、稜は途端に嫌そうな顔を向けた。どんな顔をしているか見てやろうとした、つばめの行動は失敗だったようだ。彼の高いプライドが、「鍵を忘れた格好悪い自分」を許せなかったらしい。
対して、稜の格好悪いところなど見慣れているつばめは、あっけらかんとして言った。
「じゃあ、うち来る?」
稜は鍵を忘れた時よりも呆気に取られた顔をしたが、小さく頷いて自転車置き場へと戻った。
それから、四時間後。
つばめは薄暗い自室で目を覚ました。垂れていたよだれを手の甲で拭き取る。
「……はれ?」
何してたんだっけ。と携帯電話に手を伸ばすと、階下から笑い声が聞こえてきた。母が随分と、テンションの高い声で笑っている。
(そうだった……)
つばめは体を起こして、ふらふらと階段を降りた。リビングに顔を出すと、予想した通りの光景が広がっている。
「いえ、いつも僕が迷惑かけてばかりで……」
「そんなことないわよぉ! つばめだって絶対喜んでるから――あ! つばめ! 起きた!?」
「おはようございます……」
台所で夕飯の準備をしながら話している母と稜に、つばめはぺこりと頭を下げた。
「あんたねえ! 稜君可哀想に。お母さん達が帰って来た時、一人でぽつんとリビングに座ってたのよ! 鍵かけられないから帰れないし、家族もいないのに寝てるあんたの部屋にはいられないから、って!」
「それはもう、ほんとにごめん……」
何故か稜といると、つばめはいつもより眠くなってしまう。それも、夕方が一番眠い。坂ノ上家でも頻繁に寝てしまうし、今日はもう、完全に駄目だった。住み慣れた自室で、一台しかないswotchを稜に貸してしまったら、手持ち無沙汰なつばめは一瞬で眠ってしまった。おかげで、稜はリビングへと追いやられてしまったらしい。
いつも坂ノ上家でぐうぐう寝ていても問題なかったので、全く気にもしていなかったつばめと違い、稜は東崎家だからと気にかけていたらしい。
「お詫びにねえ、おばちゃんが稜君の好きなクリームシチュー作ってあげるからね」
「楽しみです」
稜がにこやかに言う。
爽やかに笑う稜を見て、つばめはぎょっとした。こんな稜、学校ですら見たことが無い。
つばめが唖然としていると、皿の準備を手伝っていた稜が、顔をしかめてあっかんべーをした。綺麗に母の死角である。
「稜君、副菜何がいい? ぱっと出せるのは、ほうれん草のおひたしと、ちぢみなんだけど。クリームシチューと合わないのよねえ」
「どっちも美味しそうですね」
「そお? じゃあそれにしちゃいましょうか。あ、ウインナーとベーコンはどっちが好き?」
「どっちも好きですよ。けれど、どちらかと言えばウインナーの方が」
「美味しいものね! じゃあどっちも入れちゃいましょ!」
稜は如才なく母の相手をしている。てっきりそんなこと、天地がひっくり返っても出来ない――もしくはしないだろうと思っていたので、つばめはずっと目玉が落ちそうだ。
「お前。遊ぶって、ゲームかよ」
いつの間にかつばめの背後にいた兄にそう言われ、驚いて振り返る。ふんと、つばめを鼻で笑う。
いつもなら悔しかったかもしれないが、今日は反対に、憐れんだ目で見てしまった。
(……晋君なら、これは出来んだろうな……)
女友達の家に来て、女友達のいない場でその人の母親と笑顔で会話し、かつ、台所に二人で立つなど、晋には到底無理である。女友達の家族と目を合わせて話すことさえ無理だろう。
(……あ。いないか。女友達)
「ってつばめ! あんた制服のまま寝てたの?! しわくちゃじゃない!」
兄を見ながら失礼なことを考えていると、母の叱責が飛んで来た。つばめは自身を見下ろし、皺だらけのカッターシャツを見て、母にまた頭を下げる。
「ごめんなさい」
「着替えてらっしゃい」
「はーい。シチューまだでしょ? ついでにシャワー浴びてくる」
つばめが言うと、稜は皿をテーブルの上に並べながら、目を見開いた。
「いってらっしゃーい」
母が送り出す言葉をつばめに投げると、更に驚いた顔をして、つばめと母を交互に見る。
つばめは何故か困惑する稜を置いて、さっさと脱衣所へと向かった。
***
「……え? すご」
シャワーから出て来たつばめは、タオルで髪を拭きながら、リビングに戻った。
(珍し。晋君が、笑ってる)
中二病をこじらせ、人間関係をこじらせ、人とまともにコミュニケーションすら取れないと思っていた兄、晋が、稜と笑って話をしていた。
「――な! あれ、ピックアップの時のトレンド見た?」
「見ました。声優さんの名前、変なとこで切れてて」
「そうそう!」
兄がはしゃいでいる。
兄が、イケメンに、はしゃいでいる。
どう見ても陽キャの稜と、同じアニメやゲームの話題で盛り上がれるのがよほど嬉しいようだ。見たことが無いようなテンションの高さに、少し引く。
イケメンは全人類の心を躍らせるのだなと、つばめは生温かい目で見守った。その気持ちは、非常にわかる。晋は今、五十年分くらいの自己肯定感を稜からもらっていることだろう。
きっと今夜、自分のはしゃぎ様を思い出し、布団の中でもんどり打ったとしても、晋にとってこの瞬間は何よりも楽しい時に違いない。
リビングの入り口でうんうんと頷いていると、いつの間にか稜がこちらを見ていた。その顔は、明らかに怒っている。
(……あ。家族二人の中に置いてっちゃったから?)
着替え=お風呂、だったつばめは、自宅にいる安心感からか、いつも通りに動いてしまった。申し訳なく思っても、後の祭りである。
案の定、稜はすごく怒った顔で、こちらに向かって歩いてくる。
「つばめ!」
「はい」
「髪! 凄い濡れてる! なんで乾かして来てないの!」
「……髪?」
つばめは濡れた髪を指で触った。毎日のシャンプーが面倒だからと短くしている髪は、放っておいてもそのうち乾く短さだ。
「え? 駄目?」
「あんたっ……ほんとにっ、俺がいんのにっ――さっきもぐうすか寝るし、ほんとっ……ほんとっ……!」
「ごめんて」
稜が何かわからない言葉を喚きながら、地団駄を踏む。
(私にも、さっきの顔で笑えよ)
稜はいつもそうだ。一冴や史弥には先程のような気安い笑みを見せるのに、つばめには見せない。オンライン上でも、男子同士の仲の良さを見せつけられると、いつも心がもやっとする。女は一生、その輪の中には入れないような気さえする。
「ドライヤーして来て」
「面倒だしいいよ」
「はあ?!」
「その内乾くって」
「じゃあもう俺が乾かす! ドライヤー何処にあ――」
ぶち切れる稜の肩を、母がぽんぽんと叩く。
にこにこ笑顔の母が、ドライヤーを持ってきた。
先程までの、爽やか笑顔の好青年の仮面を完璧に脱ぎ捨ててしまっていた稜は、顔を真っ青に染め上げる。
「稜君、しっかり者なのねえ」
稜はこれから死刑宣告を受ける罪人のように震えながら、母からドライヤーを受け取った。
「うちの子マイペースだから、助かるわあ」
母の言葉に、稜が「はは……」と笑う。
その隣で、つばめは心外な顔をして晋を見た。
「え? 私マイペースじゃなくない?」
「そういうところがマイペースなんだろ」
その後、稜はつばめの髪をドライヤーで乾かし、帰って来た父と共に五人でウインナーとベーコンの入ったクリームシチューを食べると、愛想笑いをしすぎたのか、げっそりとした顔で帰って行った。







