15 : 不意打ちヘッドショット - 02 -
「ちょ、どうした――!? 救急車っ、救急車呼ぶから!」
「……駄目」
つばめは声がする方に手を伸ばして、服をハシッっと掴んだ。
顔を見なくてもわかった。
そこにいたのは、稜だった。
何故こんな場所にいるのかはわからないが、つばめは心の底から安堵していた。状況は何も変わらないどころか、面倒すら起きそうなのに、稜がそこにいるというただその事実だけで安心できた。
服を掴まれた稜は焦りと怒りを滲ませた声で、つばめの隣にしゃがむ。
「駄目って――! あんたなぁ! そんなこと言ってる場合じゃ――」
「病気じゃ、ないから――……毎月、来るから……大丈夫」
痛みで顔を顰めながら、つばめは息も絶え絶えに答えた。
本当に生理痛が病気じゃないのかどうかは、つばめは知らない。しかし、多くの人が、生理痛は病気じゃないと言う。
母はつばめの体調を心配し、産婦人科に連れて行ってくれていたが、長期的に処方された薬が合わず、現状は頓服薬で様子を見ることになっていた。
「はあ?! こんな――……! ……あ?」
狼狽していた稜の気配が、徐々に緩やかになっていく。稜の母、美沙ママは開けっぴろげな風体なので、もしかしたら生理についても同年代の男子よりは知識があるのかもしれない。
心当たりがあったのか、稜は黙り込むと、不機嫌そうに言った。
「……立てる? 自転車、乗って」
蹲っていたつばめは、やおら顔を上げた。
つばめから視線を逸らした稜が、横を向いたまま言う。
「家、帰りたい? 学校行きたい?」
気恥ずかしいのか、頬を染め、耳まで赤くした稜はつばめの方を見ない。
出された選択肢に、瞬きを一度したつばめは、ゆっくりと口を開いた。
「……学校」
「わかった」
稜が引き起こすために、つばめの二の腕を掴む。しかし、どうすればいいか思いあぐねているようだ。
「……大丈夫だよ、迷惑かけちゃうし」
今は波が来ているだけだ。生理痛は、酷く辛い時間と、それほどでもない時間が、押し寄せる波のように行き来する。あと少し、ここでやり過ごせば自力で歩いて行ける。
「はあ?」
しかし、その遠慮を稜は許さなかった。
「もういい」
そう言って、稜はつばめの両腕を引く。勢いがついていたため、多少強引だ。しかし、立ち上がったつばめがよろけないように必死に体全体でバランスを取ろうとしているのも、伝わって来た。
「顔見られたくないなら、これでも被ってて」
衣替えを済ませた稜がブレザーを脱ぐと、つばめの頭からかける。
赤ずきんのように彼の上着を被ったつばめは、途方に暮れた顔で稜を見た。
「乗って」
むっすりとした顔で、稜が立てていたスタンドを上げる。自転車の荷台を指さされ、つばめはおずおずと座った。痛みと血のせいでいつものように跨げず、横座りだ。
「掴まる!」
つばめは言われるがままに、稜に掴まった。今日は遠慮も出来ない。両腕をぐるりと稜の胴に回し、体重をかけて寄りかかる。
稜が自転車に乗り込み、前に進む。
いつもより、ずっと穏やかな滑り出しだった。
緩やかに道を進む。稜のブレザーを被ったつばめは俯いているため、足下の景色しか見えないが、校門を通り過ぎたのは、舗装された道のおかげでわかった。
「――迷惑くらい、かければいいじゃん。俺なんだから」
つばめは稜の匂いがするブレザーの中で、息を止める。
「別に、あんたに迷惑かけられたところで、なんとも思わない」
つばめは、しばらく自分が息を止めていることすら、気付いていなかった。
「こらーーっ! 誰だー! 降りろ!」
「やべ、シバヤンだ」
「坂ノ上か! こらッ!」
学校の校庭内も二人乗りをしているため、教師に見つかった。稜が自転車を早くこぎ始める。稜の焦りも、周りから聞こえ始めた喧噪も、つばめには聞こえなかった。
ただ、くらくらとした。
それがどうか、貧血のためであってほしかった。
***
稜は校舎の横をすいすいと走り、人気のない場所で自転車を止めた。
「せーんせー」
足をスタンド代わりにして、稜が校舎に向かって叫ぶ。
「こら。横着してるのは誰? 早く教室に――あら」
稜が見ていた場所は、保健室だった。
保健室の窓から顔を出していた養護教諭が、稜の後ろにいるつばめを見て言葉を止める。
「先生、取りに来てよ。動けないみたい」
養護教諭は慌てた様子で、保健室から外に通じるドアを開けてやってくる。
「どうしたの!?」
「道に落ちてるの見つけたから持ってきた」
「持ってきたって――どこに?!」
「学校のすぐ近く。なんか人がしゃがんでるって近付いたら、蹲ってた」
稜と養護教諭の会話を痛みの中でうっすらとつばめは聞いた。
「そう――歩ける? こんな状態で学校来ちゃ駄目でしょ」
「薬が効けば……落ち着くと思って……」
自分が話しかけられたことに気付いたつばめは、養護教諭に支えられながら自転車の荷台から降りた。自転車に乗っている間引いていた波が、また襲ってきている。痛みに顔をしかめるつばめを、養護教諭が腰に手を回して支える。
養護教諭はちらりと稜を見た。稜は自転車を止める振りをして、顔をすっと逸らす。
「――貧血?」
ボリュームを抑えた養護教諭の声に、つばめはこくんと頷いた。頷いた拍子に、首から冷や汗が流れる。
「薬は飲んでるのね? じゃあひとまず、電気毛布持って来るから、ベッドで寝ていなさい。――君は、教室」
養護教諭はつばめと稜に指示を出す。
「はーい」
素直に返事をした稜が、つばめの肩を持って体を支える。お腹を押さえているつばめは、稜に寄りかかるようにして、重心を預けた。
「こら」
「先生、細いから持てないでしょ」
「持てます。て言うかね、そんな簡単に女の子触らないの」
「簡単じゃないからいいでしょ」
稜の言葉に、養護教諭は「あら」と言うと、口を噤んだ。
「それよりほら、ドア開けて」
稜が本当に支えられるか心配そうに見ていた養護教諭は、慌ててドアを開けた。
養護教諭の案内したベッドまで、稜がつばめを連れて行く。つばめは倒れるようにベッドに横になった。痛みに蹲っているつばめを、稜が痛ましそうな目で見下ろす。
「この人が無理して授業出るって言っても、先生止めてよ」
「貴方に指図されずとも、私は養護教諭なんですけどね」
足下の戸棚を開けて、電気毛布を探している養護教諭は呆れた声で言った。
じっとつばめを見下ろしていた稜が、身を翻す。何処かへ行こうとしている気配を感じ、つばめは咄嗟に手を伸ばした。
つばめの伸ばした手が体に当たったのか、立ち去ろうとしていた稜がピタリと止まる。そしてすぐにつばめを振り返った。
痛みに耐えながら、つばめはうっすらと目を開いた。指を僅かに動かし、稜のズボンをきゅっと掴む。
稜は無言で、つばめの指と、つばめの顔を交互に見た。
つばめも無言のまま稜のズボンから、すっと手を離した。
しばらく、どちらも声を出さなかった。
横になるつばめに、おもむろに稜が口を開く。
「……ちゃんと寝て」
じゃあね、と言ってカーテンから出て行こうとする稜を、つばめが呼び止める。
「稜君」
稜はピタリと足を止め、振り返る。
「ありがと」
目を細め、出来る限りの感謝をのせて呟くと、稜は僅かに顎を引いてカーテンの向こうへ消えていった。
稜と入れ替わりに、養護教諭が入ってくる。
「延長コードで繋いでるから線、気を付けてね。お腹と腰、どっちに当てる?」
養護教諭がてきぱきと、つばめの体を労る。つばめは横になり、ぐったりとしているだけでよかった。
「じゃあ、おやすみ。痛みが取れるまで寝てなさい。あんまり激しいようなら、親御さんと病院に行きなさいね」
「はあい……」
つばめは小さく返事をすると、布団を鼻まで引き上げた。そして気付けば、眠りについていた。
***
――その後、稜はシバヤンこと芝谷先生に呼び出され叱責を受けたものの、その顔は始終にやけていたという。







