14 : 不意打ちヘッドショット - 01 -
「つばめ!」
廊下を歩いていると、大きな声で呼ばれる。
声がした方に近付いたつばめは、窓から外を見下ろす。校舎のすぐ下で、体操着の稜がこちらを見上げていた。一緒に、一冴と史弥もいる。
何か用事だろうかとつばめが見ていると、稜は手の平を見せた。釣られて、つばめも手のひらを見せる。すると満足したのか、稜はタッっと走って運動場へと向かった。
振り向きながら手を振る一冴と史弥に手を振り返しつつ、つばめも窓から離れる。
「それだけ?」
「っぽい」
一緒に廊下を歩いていた乃愛に、つばめは小さく頷いた。
どうやらただ、見かけたから声をかけただけのようだ。乃愛の目がキラリと光る。
「進展あったー?」
「あったよー」
「お!」
軽く答えるつばめに、恋愛脳の乃愛の目が輝く。
つばめは期待に添えるべく、真顔で頷いた。
「ようやくB帯から落ちなくなった」
「そっちじゃねーよ」
***
「落ちた……」
愕然とした声で、自室でswotchの液晶画面を見つめた稜が呟く。
画面の中ではイカ人間が、絶望から四つん這いになって落ち込んでいる。その上部には大きく、RANK DOWNの文字。
そして、そのswotchは――つばめのものである。
「だから、気にしないって」
当の本人であるつばめは、最高ランクであるSランクからAランクに落ちたというのに、けろりとしていた。
つばめにとってランクなど、プレイをする上でのただの指標でしか無い。ランクによって集まるプレイヤーのプレイにも特色が出てくるため、動き方などを多少調整する必要があるが、それもまたつばめにとってはスポラトゥーンの一種の要素だ。つばめはどのランクであれ、楽しくスポラトゥーンが出来さえすれば、それでいい。
しかし稜は、つばめの返答が気に入らなかったらしい。
つばめの隣で、お綺麗な顔を歪める。
「なんなのその余裕。むかつく」
コントローラーを置いた稜が、つばめのほっぺを引っ張る。両頬を摘ままれたつばめは、痛みよりもその距離感に戸惑った。
――稜の距離が、明らかに近くなって、数日。
あれから何故か、つばめが「嫌だ」と言い出さなければOK。と言うルールが出来てしまった。
これまでは前後に並んでやっていたゲームを、隣に座ってやるようにまでなってしまった。つばめはいつも通り、ローテーブルとベッドに挟まれた位置に座っているのだが、稜がわざわざ狭いつばめの隣に座るのだ。ベッドを背もたれにして、サイドボードの上に置いたテレビの液晶画面を見上げている。
最初に隣に座られた時には驚いて稜を凝視したが、彼はつばめを見もしなかった。
つばめも、わざわざ口に出して「座る場所変更したの?」と言うのもなんだかおかしい気がして、そのままにしている。
以降、ずっとこうである。
隣が嫌なわけじゃない。距離が近いのも理解はした。
だが、困る。
両頬を引っ張られたまま困った顔をするつばめを見て、稜は鼻を鳴らす。
「俺が絶対、あんたのランク上げてやるっ――!」
Aランクなど全く見えていないBランクの中の下が、偉そうに決意する。つばめは笑った。
「は? むかつくんですけど?」
引っ張ったほっぺを、稜が持ち上げる。つばめは痛い痛い、と稜の手を叩いた。すぐに手は離される。
つばめが笑ったのは決して、嘲りでは無い。
きっと心が揺れて、その反動で笑みがこぼれたのだ。
稜が指を離した自分の頬を、指先で擦る。つばめが擦っていると、稜はつばめの手を取った。つばめは僅かに息を呑み、稜を見る。
「赤くなった? 軟弱すぎない?」
言葉はつっけんどんとしていたが、心配した響きが含まれていた。稜がつばめの手を片手で包んだまま、彼女の頬を凝視する。
つばめは、浅くしか息を吸えなくなっていた。
目線を外していたつばめは、興味本位で、すいっと稜の方を見た。頬を見ていたはずの稜は、その色素の薄い目で、つばめの目をじっと見つめていた。
息が止まる。
わずかに開けられた窓から、秋の風が入り込む。すっと頬を撫でる風は涼やかだったが、つばめを煽り、熱くした。
――ガチャッ
「りょーちーん。カラムーチャのチーズキムチ鍋味売ってたー!」
「あ、もうつばめ先輩来てる」
ガサゴソとコンビニのレジ袋の音を立てながら、一冴と陽生が玄関から入ってくる音がした。一気に騒がしくなる。相変わらず、お邪魔しますも無い二人である。
「あいつら……」
稜はすっと立ち上がると、部屋から出て行った。
つばめは僅かに赤くした顔を手の甲で押さえ、「ふー……」と深く息をついた。
***
あの後、玄関から帰ってきた稜は何も言わずに、いつも通りベッドに座った。
つばめの横に座るのは、二人きりの時だけである。
それを、稜は何も言わない。
つばめも、何も聞かない。
そんな風にして、幾日か過ぎた頃――暦は十月になっていた。
寒くなり始めは、元々重めの生理が余計に重くなる。
お腹は痛いし、腰は重いし、股は痺れるし、歩く度に張った胸が痛むし、体はだるいし、頭は痛む。薬は飲んできたのに、いつもよりも効きが悪い。
震える体を引きずりながら、つばめは牛歩で学校へと向かっていた。途中途中、家の壁や電信柱に寄りかかりながら、既に人もいなくなった通学路を這うようにして歩いていた。
一歩あるく度に、下腹部が痛みに揺れる。ズキズキと痛む子宮から垂れた釣り糸で鉄アレイを釣っているようだ。鉄アレイが揺れる度に、子宮に衝撃が襲ってくるみたいに痛む。
痛みのせいで冷や汗が止まらない。体を伸ばしていると、下腹部が真っ直ぐになって痛いので、腰を九十度に曲げたままゆっくりと、体を揺らさないように歩く。
――途中で何度か、引き返そうとした。
しかし既に、家に帰るよりも学校へ向かった方が近い所まで歩いてしまっていた。行くも辛く、帰るも辛い。
必死に頑張ったが、学校まであと少しという場所まで来て、つばめは足を止めてしまった。チャイムは既に鳴っている。遅刻は確定していた。
だらだらと冷や汗を流して蹲る。
頭が痛いせいで、歯を食いしばったら余計に痛む。
(辛い。なんで女に生まれたんだろう。みじんことかがよかった。なめくじでもいい)
恥も外聞も無く道に蹲り、お腹を押さえる。
――キキィーーーッ!
もう一歩すら歩けないつばめの真横で、自転車がものすごい音を立てて止まった。
「つばめ!?」
焦った声がして、自転車が横に止められる。
(なんで、いるの……)
痛みに体中に力を入れていたつばめは、体から力が抜けていくのを感じた。あまりにもほっとして、しゃがみ込んでいるのに体がふらつきそうだった。







