13 : 圧倒的なフルコンボ - 02 -
そして翌日。
いつものコンビニで、稜は綺麗な顔を得意げに輝かせ、どうだとばかりにつばめに自転車を見せつけた。
「……これは?」
「荷台」
稜のサドルの後ろには、自転車用の荷台が取り付けられていた。本来の目的は荷物を置くためだが、この表情を見るに――つばめがスカートが云々と言ったために、スカートが捲れ上がらないようにするために、取り付けたのだろう。
「兄ちゃんに言ったら、昔取り外したのが倉庫にあるって、付けてくれた」
つばめはぽかんとして、自転車と稜を見比べた。
噂の兄には、二度ほど会ったことがある。稜に――いや、母親によく似て美人な兄は、稜よりも大層愛想が良く、つばめにも優しく接してくれた。
専門学生である彼が夜遅くに帰ってくるのは、恋人やバイトの関係らしい。たまに早く帰って来られた日は、狭い部屋に集まってスポラトゥーンをしているつばめ達に、笑顔と激励とお菓子をくれる。
――そんな彼に、つばめの嘘のせいで疲れている中、自転車に荷台を取り付けさせたと思うと、胃が痛む。
「申し訳なさ過ぎて吐きそう」
「なら乗って」
つばめは観念して後ろに乗った。これ以上何か嘘を重ねれば、また誰かに迷惑をかけそうな気がしたからだ。
ただ、問題があった。立ち乗りはしたことがあったが、荷台に座ったことがなかったのだ。
サドルに跨がっている稜の後ろに、同じように跨がるべきか、横座りをするべきか、悩む。
(……跨がったら、荷台を持てる?)
横座りをすれば、確実に持つ場所が無くて、稜を持たねばならなくなるだろう。そうすれば、本末転倒だ。つばめは意を決して、荷台に跨がる。
そして、自分が跨がった荷台の先っぽを、両手で持った。心許ないが、何も持たないよりはいいだろう。
しかしそんなつばめを、稜が怪訝な顔をして振り替える。
「……何やってんの」
「え?」
「座ったなら、ちゃんと持って」
「持ってる」
「はあ? 何処?」
ここ、とつばめが荷台を指さした。稜が更に、怒った顔をする。
「あんた……絶対落ちるから、それ!」
「失礼だな。落ちないよ」
多分、きっと、大丈夫なはずだ。つばめが頷くと、稜の額に青筋が浮かぶ。
「はー? なるほど? つばめは俺に掴まるぐらいなら、落ちて頭打って死んだ方がマシってこと?」
「そうは言って無いじゃん……」
はあ、とため息をついて、つばめは稜の腰のあたりのシャツを掴んだ。
「何? 脱がせる気?」
つばめが掴んだのは、ベルトのすぐ上だ。つまり、つばめが強めに引っ張ると、ズボンからシャツが出てしまう。
シャツから手を離し、つばめは稜の腰に手を回した。腰に手を回すと、当然のように上半身も傾き、稜の背に顔が近付く。つばめは出来る限り背を反らして、稜から距離を取った。
「初めからそうしてりゃいいのに」
ぶつぶつと呟きながら、稜がペダルを漕いだ。車輪が回り始めると、いつもの景色が流れていく。
当然だが、スカートは全く翻らない。
「ごめんね」
自分の言葉一つで稜を――更には坂ノ上家を――翻弄してしまった。
「何が」
「……スカートのこと、嘘だったから」
「はあ?!!」
稜の体が強張ったのが、触れている体越しに伝わって来た。
「本当にごめん」
「……嘘なら、別にいいけど。なんでそんな馬鹿みたいな嘘ついたの」
馬鹿みたいな嘘。その通りである。つばめは稜の背でしおしおと萎む。
「……二人乗りってどうしても、ほら、触っちゃうから……」
しかも、カーブなどではバランスを取るために体を寄せるので、かなり密着する。
「……はあ?」
しかし稜は全く意味がわからないとでも言う風に叫ぶ。申し訳なさにつばめが俯いていると、稜は神妙な声を出した。
「――……俺に触るのがそんなに嫌ってこと?」
「……いや……まあ……その……」
嫌である。好きになるかもしれないから。
などとは流石に言えずに言葉を濁すつばめを、稜は振り返った。
「はあ!?!」
「前! 前見て! 前!!」
つばめは悲鳴を上げた。
稜が舌打ちをしながら前を向く。
「まじでありえねえ……」
「嫌じゃないよ!」
「だるっ。んなフォローいらなすぎるんだけど」
完全にへそを曲げてしまった稜に、つばめは慌て――腹をくくる。
「嫌じゃない」
稜の腰を抱いていたつばめが、稜の背に額を押し付ける。稜の背が大袈裟に揺れた。密着することで、つばめ自身が嫌がっていたわけじゃないことが伝わればいい。
肩を怒らせていた稜の体から、怒りが抜けていく。つばめはほっと息をついた。稜を怒らすのも、誤解が原因で嫌われるのも、どちらも嫌だった。
怒りを解いた稜の背から額を離そうとすると、稜が自転車を止めた。驚いてバランスを崩しそうになり、慌てて稜の背にしがみつく。
気付けばいつの間にか、坂ノ上家に着いていたようだ。
マンションの敷地内に入っていたことに気付いて降りようとするつばめの手首を、稜がハンドルから片手を離して掴む。
「嫌じゃないなら、掴んどけば」
「……ええ? 流石に邪魔だし」
「邪魔じゃない」
邪魔に決まっている。何しろ稜は今から自転車を降りようとしているのである。
「落ちちゃうって」
困った顔でつばめが言うと、稜は渋々手首を離した。つばめは自転車の後ろから降り、自転車を押す稜の隣に並ぶ。
稜の顔を見上げると、仏頂面だ。つばめは眉を下げて、言葉を重ねる。
「ほんとに嫌じゃないよ」
「……ふーん」
自転車を押す稜は釈然としない顔をしている。
「嫌だったら、嫌って言える」
「どうだか。つばめ、押しに弱いし」
「ほんと。絶対言える」
駐輪場に自転車を止めると、稜はつばめを振り返った。そのことに、心底ほっとする。
「絶対?」
「絶対」
静かな目で見つめられ、つばめは小刻みに頷いた。そんなつばめを見た稜は、挑戦するような強気な顔つきになる。
一歩ずつ、まるで威嚇するかのように、稜が近付く。
つばめは咄嗟に距離を取ろうと、左足を後ろに下げようとした。だが、その全てを稜に見られていることを思い出し、ぐっと足に力を込める。
今つばめが少しでも稜を拒絶する態度を見せれば、彼はもうきっと二度と、つばめを信じてくれない。直感が、そう告げた。
至近距離までやってきた稜を、つばめが見上げる。首が仰け反り、威圧感に驚く。
(……でか)
こんなに大きいと、気付いていなかった。居たたまれなくて、顔を背けたくなるが、稜の視線がそれを許さない。
真っ直ぐに見下ろす稜の目から、視線をそらせない。
蝉が鳴く。むわんとした風がつばめの髪を撫で、稜の髪を揺らして通り過ぎていく。
稜が背を曲げる。近付いてくる色素の薄い目に、体がわななく。
目を見開き、口をぽかんと開けたつばめの顎を掴んだ稜が、口を開く。
「――嫌だ、って」
低い声が、頬を掠める。
「言わなくていいの?」
鼻先が触れ合いそうなほど近くでそう言われ、つばめはよろめいた。
「……は!?」
足から力が抜けたつばめを、稜が慌てて抱き寄せる。
おかげで、寸前で膝を打ち付けずに済んだものの、つばめは稜の腕の中ですっかり硬直していた。
「ちょっ……つばめ?」
不安そうな顔をして、稜がつばめを覗き込む。そして僅かに息を呑んだ。
つばめは、自分でもわかるほど顔を熱くさせていた。
真っ赤なつばめな顔を見て目を見開いていた稜だったが、次の瞬間には、口元を楽しげに歪めていた。にやにやとしか表せないその顔に、つばめに苛立ちが芽生える。
瞬時にいつもの顔に戻ったつばめが、稜の手を掴む。
「は?」
そのままずんずんと、腕を引っ張って、つばめは稜を彼の家へと連れて行った。
――そして。
「クソが! クソ! クソクソクソ! まじでクソ!」
稜がコントローラーを握って、歯を剥き出しにして怒っている。その下に座ったつばめは、ふんっと鼻で笑う。
画面には成績結果画面が映っている。だが、いつもの画面とは違い、つばめと稜の一人ずつの成績しか表示されていない。自分達で自由にマッチングを指定できるプライベートマッチなら、1VS1が出来ることを先日知ったからだ。
つばめと稜の成績は明らかだった。
稜のデス数は、つばめの六倍――つまりつばめはそれだけ多く、稜をキルしたことになる。
ほとんどインクを撃つことさえ出来ずに、稜は倒された。復活地点で待ち構えていたつばめに、容赦なく、コテンパンに。
稜をボッコボコにしたつばめが、勝ち誇った顔をする。普段つばめは、格下であろうが誰であろうが、こんな戦い方をしない。復活した相手を即座に倒す行為――通称リスキル――は、つばめの信条に悖る。
しかし先程の後では、これも致し方ないと言えた。それがわかっているからか、稜もつばめに文句を言うことは無い。
「もう一回!」
「やだよ。稜君どうせ勝てないし、弱い者いじめ続けたって楽しくないもん」
いきり立った稜に、つばめがさらりと言うと、彼はショックに固まった。その間に、プライベートマッチの部屋を解体し、いつもの試合へと移動する。
稜を叩きのめしたことで溜飲を下げたつばめが、鼻歌を歌う。すると、つばめの背後に座っていた稜が、つばめの髪に触れた。
驚いて固まったつばめは、ゆっくりと振り返る。
「……ちょっと」
「なんですか? 嫌なんですか? 嫌なら言うんですもんね?」
わざとらしく敬語を使う稜に、つばめは苛立った。
(嫌だって言ったら、ふて腐れるくせに)
つばめは怒った顔を作って前を向く。嫌では無かったので、嫌だとも、結局言えなかった。
つばめから許可をもぎ取った稜は、得意げな顔をしているに違いない。振り向いて確認するのも嫌だったので、つばめは大人しく、稜に髪を触らせていた。