01 : とある夏の日のエンカウント - 01 -
汗ばんだ肌に、制服が張り付く。
高校の非常階段で、校舎には似つかわしくない音がゲーム機から微かに鳴っている。顎のラインで切り揃えられた髪が、夏の風に揺れた。
繊細な指捌きで、細い指がスティックを動かす。
{一人やったー}
{ごめん死んだ!}
{イチイチだよ。ナイスー}
{右高台}
片耳にだけはめ込まれたイヤホンからは、絶え間なく仲間の声が流れる。
「私行きます」
淡々と答えたのは、人目と、燦々と降り注ぐ夏の日差しから逃げた女子高生――東崎 つばめだった。
つばめは階段の段差に腰掛けてゲームをしている。
ワイヤレスWi-Fiでインターネットに繋いだ携帯ゲーム機をスカートの上に置き、操作性を重視した大振りのコントローラーを両手で持ち、胸ポケットに入れたスマホで通話をしていた。
しているゲームは、スポラトゥーン。
ゲーム画面の中では、操作キャラクターであるイカ人間が、持っている武器でインクをまき散らしている。
スポラトゥーンは、アクションシューティングゲームだ。武器を持って四対四で戦い、地面にインクを塗りつつ対戦相手をインクで射貫き、勝利条件を満たしていくゲームである。
種目は数種類用意されている。一番代表的なのは、どちらがより多くの地面をインクで塗り広げるか競うルールである。
つばめはそれよりも、いくらか複雑な種目のルールで遊んでいた。インクを塗り広げつつ、仲間と協力して勝たねばならない。
つばめの操作するイカ人間を、潜伏していた敵が狙う。しかしつばめのイカ人間は、敵のインクを避けて返り討ちに遭わせた。
そのまま、流れるように次の敵に照準を合わせた時、頭上から声が聞こえる。
「うまっ」
つばめの照準が一瞬ぶれる。なんとか目の前の敵は倒せたが、脇から出て来たもう一人の敵には対応出来ずに、つばめのイカ人間はインクをまき散らして破裂した。
再度復活するまでの時間に、つばめは上を見上げた。
非常階段の上で、手すりに身を乗り出しながら画面を覗いている男子生徒がそこにはいた。
「やば。さっきの避けんのかよ」
{どうした?}
再起の準備が出来ても動き出さなかったつばめを心配した仲間の声で我に返り、つばめはゲーム画面に視線を戻した。
「ごめん、なんでもない」
頭上の男子生徒を無視して、通話していた仲間にそう言うと、つばめは試合に集中する。
白熱した試合は延長戦へとなだれ込んだものの、なんとか勝利を収めた。
WIN! と大きく書かれた成績結果画面が表示されると、つばめの頭上で息を呑む音がした。
「23キル? Sランク? マジ?」
つばめが敵を打ち倒した数とランクを見て、男子高生がぎょっとしている。つばめの方こそ、ぎょっとした。彼はつばめのすぐ後ろに立っていたのだ。
つばめの頭越しに覗き込むようにして、画面を見ている。つばめのパーソナルスペースは狭くない。
「このランクでその武器通用すんの? なあ、もう一戦やる? さっきの置きエイム偶然? てかなんでこんなとこでやってんの?」
携帯ゲーム機を膝の上に置いたつばめは、耳にはめているイヤホンを調整する振りをしながら、男子生徒の視線から身をずらす。
「――あと二試合するから。見るなら、静かに」
仲間達に聞こえないようひそめた音量で言えば、男子生徒は「はーい」と言うと、すぐ隣に座って、つばめの手元を覗き込んだ。
(近っ……)
彼の膝が、つばめに当たりそうなほどの距離に、思わず身が竦む。
よく見れば――よく見なくとも――彼は、美少年だった。
つばめは彼の名前を知っていた。
坂ノ上 稜――
一学年下の、一年生。イケメンが入学したと、四月には二年の教室まで噂が上るほど大騒ぎだったからだ。
すらりと高い背、しなやかな手足。文武両道と名高く、入学直後は数多の部が彼を追いかけ回していた。
着崩した服は品が悪いというほどでもなく、彼の魅力を更に引き立たせている。細く柔らかそうな髪の色は、日の下にいるためか随分と明るい。
自信に溢れた表情は、人によっては生意気とも冷めているとも言うだろう。少なくとも学校内では、クールという評価を受けていた。
中性的な顔つきは非常に整っており、遠目で数度見ただけのつばめですら、目の前の彼が噂のイケメンだと瞬時にわかるほどだった。
彼の瞳の色が薄いだなんて、これほど近付かなければ知ることもなかっただろう。
稜の美しさと距離の近さにびくついていたつばめだったが、試合が始まると見られていることも忘れた。
{自陣入られた!}
{一人やったー}
{ごめ、死んだ}
{二人やったー}
{あー。まじあの武器、射程クソ}
{スペ溜まったー}
「私も溜まりました」
必要最小限だけ会話に参入しつつ、つばめは次々と敵を打ち倒していった。
順調に一試合、二試合と終え、つばめは通話を切る。
つばめがゲーム機の電源を切るよりも早く、待ちきれなかったとばかりに隣に座っていた稜が話しかけてきた。
「――えっぐ……。マジかよ。てか最後なんで対応できたん? 右端の敵見えてたとか無いよな?」
「先輩には敬語使おうね」
イヤホンを外しながら、つばめは淡々と答えた。履いている上履きの色が違うため、稜も気付いていたのだろう。さして驚いた風もなく、涼しい顔をしている。
「俺のこと知ってんすか」
「有名ですから」
何事にも興味がない――そんな風にも見える、冷めた風貌の少年に目も向けもせず、持ってきていたリュックにゲーム機やポケットWi-Fiを詰め込む。
「武器は通用する。置きエイムは感覚。敵は見てた」
帰り支度をしつつも、律儀に溜まっていた質問に答えていくつばめに、稜は面白そうに口角を持ち上げる。
「こんなところでやってた理由は?」
「今日、夏期課外あるの忘れて、約束しちゃってたから。家に帰ってたら約束の時間に間に合わなくて」
現在、つばめと稜が通う高校は夏休み中である。
夏休みは始まったばかり――にもかかわらずこうして登校しているのは、夏期課外があるためである。
夏休み開始から約二週間、一時間目から四時間目まで通常通りの授業があり、馴染みのクラスメイトと毎日顔を付き合わせる。一応自由登校という体ではあるが、参加はほぼ強制であり、夏休みとは名ばかりの期間である。
「真面目そうな顔して、やること大胆っすね」
「夏期課外来てるんだから、どう考えたって真面目でしょ」
中には当然、強制力などものともせず、夏休みを謳歌する学生もいる。そんな中で登校しているあたり、稜も見た目よりもは真面目な生徒なのかもしれない。
「じゃあ、さようなら」
立ち上がり、帰ろうとするつばめの背で、座ったままの稜が口を開く。
「そんな真面目な先輩が、学校にswotch持って来たなんて知られたら、大変ですね」
「……ばらすの?」
階段を降りかけていたつばめは、振り返った。
下の段にいるとは言え、立っているつばめの方が稜よりも目線が高い。涼しげな顔でいう稜を、顔をしかめて見つめる。
つばめの視線など物ともせず、稜はよく通る声で言った。
「先輩が付き合ってくれるなら、言いません」
「……え?」
思わず、間抜けな顔で目を見開く。
美しい少年は、その美しい顔で、美しい笑顔を作った。
「今日うち、誰もいないんですよね」