金魚とフクロウ
アパートは丘のような少し高い場所にあったので、目の前は下り坂です。
スピードが加速して顔に当たる風は少し冷たかったですが、
興奮しているペチャは、ちっとも寒さを感じませんでした。
「わああっ、速いなぁ」
下り坂が終わり平らになった道をしばらく進むと学校が見えてきました。
歩くといつも20分以上かかってたのに、たった5分でもう着いたのです。
「自転車って早いなぁ。あぁ、中に入りたかったな」
ペチャは学校の広いグラウンドで思いっきり自転車を漕ぎたかったのですが、
休日は正門が閉まっていて中に入れませんでした。
ペチャは近くの川に向かって自転車を漕いで行きました。
川沿いには舗装された河原があって、サイクリングコースになっていました。
河原を走っていると、何台かの自転車とすれ違いました。
「やっぱり、この自転車が1番だねー」
通りすぎる自転車を見ながら嬉しそうに言いました。
家からずっと漕ぎつづけて少し疲れたのでしょう。
一旦、川沿いで自転車を止めました。
川面に映る自転車は光に反射してキラキラと輝いて見えました。
「うわぁ、かっこいいなぁ」
水面をうっとり眺めていると、
(わたしも乗せてください)
女の子の声が聞こえました。
「えっ? どこ? だれなの?」
左右を見ても、振り返っても誰もいません。
(ここです、どうか助けて)
その声は川の中から聞こえてきます。
ペチャが水面にじっと目をやると、真っ赤な金魚が泳いでいました。
「金魚さん? どうしたの?」
声をかけましたが、返事はありませんでした。
金魚は水中で、同じ場所をぐるぐると回りながら泳いでいます。
「あっれ? 聞き間違いだったのかな」
不思議そうに水面を眺めながら、
「また、会いに来るからね」
ペチャは自転車にまたがると「よーし」と言ってまた走りはじめました。
すいすいと進んでいくのが気持ちよくて、自転車から降りたくありませんでした。
でも、お昼ご飯を食べてないのでお腹が空いてきました。
外も少し薄暗くなってきてたので、仕方なくUターンして家に戻ることにしました。
アパートの前まで戻って、駐輪場に自転車を止めようとして初めて気づきました。
「あれ? カギってどこ?」
その自転車にはカギが付いていません、カギは別に必要だったのです。
お母さんに話そうかと思いましたが、またお金がかかります。
ペチャは困りました。
(どうしたらいいの?)
仕方なく、アパートの1番近くに自転車を止めて家に戻りました。
「自転車は楽しかった?」
「うん、とっても。お母さんありがとうね」
「疲れただろうし、ご飯にしよか」
「はぁい」
ご飯を食べていても、ペチャは自転車のことが気になりました。
お母さんはペチャがいつもと違って、あまり話をしないので心配しましたが、
きっと自転車に乗って疲れたのね、と思ってそっとしておきました。
(自転車、大丈夫かな)
ペチャはご飯を食べ終わると、ベランダに出て自転車を探しました。
「あ、あった」
少しほっとして、お風呂に入りました。
「今日は疲れたでしょう、明日もあるんだし早く寝なさい」
お母さんが言ったので、いつもより早めにお布団に入りました。
1日くらい大丈夫だよ、と言い聞かせて寝ようとしましたが、
布団に潜りこんでも気になってなかなか眠れません。
こっそり布団から抜け出して、またベランダに行きました。
「あるある、よかったぁ」
ペチャはベランダの手すりに両腕をもたれて、自転車を眺めていました。
でも、外はだんだん寒くなっていきます。
周りの家の電気も少しずつ消えていきました。
駐輪場の電灯は光っていましたが、薄暗く自転車は不安そうでした。
ほんとに大丈夫かな、心配が大きくなってなかなか部屋に戻れません。
もう夜の11時を過ぎていました。
(朝までここにいないとダメなの?)
ペチャの目に涙があふれていました。
(だれか助けて)
突然、暗闇から何かがベランダの隅に飛んできました。
ペチャが慌てて目を向けると、一羽のフクロウが手すりに止まっていたのです。
「何してるんじゃ? 泣いているのか?」
フクロウが喋ってきたので、ペチャはびっくりしました。
(え、これって夢? だから、声がわかるの?)
彼女はほっぺをつねりました。
「い、痛い」
「これは夢じゃないぞ、困ってるんじゃろ?」
「う、うん、自転車のカギがないの。だれか取っていったらどうしよ?」
フクロウは駐輪場に目を向けて言いました。
「あれのことか。簡単じゃ、わしが見張っててやるわい」
「ほんとに?」
「ああ、わしは夜が得意なんじゃ」
フクロウは自信満々に言いました。
「盗んだらダメだよ、あれはお母さんが買ってくれた大切な自転車なの!」
フクロウは笑い声で言いました。
「はっはっ、フクロウに自転車なんていらんさ。空を飛べるんじゃよ?」
「あ、そっか。空を飛ぶのって気持ちいいの?」
「ああ、風を浴びながら空を飛ぶのは最高じゃわい」
「へー、まるで自転車みたいだ、空も気持ちいいだろなぁ」
「うむ。だから取ったりしないぞ、安心せい」
「フクロウさん、ありがとう。起きたらすぐに来るからね!」
フクロウは、ほーほーと鳴き声を上げて飛んでいくと、
自転車のかごの中に入っていきました。
ペチャはそれを見届けてから、お布団に戻って安心して眠りました。