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お転婆令嬢オティーリエの話

 薄暗い倉庫のような場所で、ひとりの女性が後ろ手を縛り上げられていた。

 濃緑色のデイドレスを纏った、赤毛と白磁の肌が目を引く女性だ。

 その身なりから貴族階級の女性であることがわかる。


(わたくしったら、無様にも攫われてしまいました……腕に覚えはありましたのに。これでは、コンラート様に相応しくありません……!)


 攫われてしまった女性、オティーリエは心の中で悔しがった。

 普通ならば、こんなふうに攫われて身体の自由を奪われれば怯えるだろう。自分が今後どんな目に遭うのかと考え、恐ろしがるだろう。

 だが、オティーリエは違う。

 幼少の頃より強くなるためにと鍛えてきた彼女は、そこいらの令嬢とは考え方が異なるのだ。

 彼女は、この事態を悔しがっている。不覚をとった己を恥じている。


 オティーリエも、最初からこのように強い娘だったわけではない。

 むしろ、幼少期は周りの令嬢たちよりも引っ込み思案で、泣き虫な少女だった。

 兄アントンの後ろをついて歩いて転んでは泣き、虫に追い回されて泣き、ペットの小犬にじゃれつかれては泣いていた。

 そんな彼女が変わったのは、家同士の繋がりで許嫁が決まったときだ。

 オティーリエの許嫁となったのは、コンヤック子爵家の令息コンラート。

 アントンの友人であり、オティーリエにとっては幼馴染だ。

 コンヤック家は代々騎士を輩出する家柄で、コンラートの祖父の代に功績を称えられ、子爵位を賜ったという騎士家の名門である。

 騎士家の令息に相応しく、コンラートも幼い頃から剣を取り、日々鍛錬してきた。

 そんな彼に幼いながらもほのかな恋心を抱いていたオティーリエは、彼との婚約が決まってとても嬉しかった。

 だが、彼を前にするとうまくおしゃべりできなくて、婚約後すぐの顔合わせでも、嬉しさと緊張で泣いてしまったのだ。

 そのとき彼にかけられた言葉で、オティーリエの人生は変わった。


『メソメソ泣くんじゃない。俺に相応しい、強い女になるんだ』


 慰めるわけでもなく、かといって過度に厳しく言うでもなく、コンラートは淡々と言った。

 それを聞いてオティーリエは何か目を開かれるような、あるいは憑き物が落ちたような心地がしたと、のちに語っている。



「不意打ちで眠り薬を嗅がされてしまいましたが……縄の縛り方が、何だか甘い気がしますわね」


 ひんやりとした床に転がされた状態で、オティーリエは自身の置かれた状況を確認した。

 今日は学園の卒業式。

 友人たちとの別れを済ませ、校門を出て実家の馬車に乗り込もうとしたところで、何者かに薬を嗅がされてしまった。

 日頃から、敵意や殺気というものにはかなり気を張って暮らしていたはずなのに。

 そんなオティーリエに気づかれずに薬を嗅がせることができるなんて、よほどの手練なのだろうか。

 だが、縄で縛っているのは上半身のみ。逃亡を防ぐには足も縛るべきだろうし、何より見張りをつけないのはおかしい。

 そして、その縄の縛り方はあまりにも緩かった。

 

「ふぅーん……よいしょっ……と!」


 オティーリエは胸部の大胸筋と腕上部の三角筋を膨らませるイメージで力を入れた。

 ブチブチブチ……と不吉な音を立てて縄の繊維は裂けていき、やがてブチンと弾けとんでいった。

 縛り方が甘いから力を入れれば抜けられるだろうと考えただけだったのだが、立派に鍛えられた彼女の筋肉は、縄を引きちぎってしまった。


「あら、いけないわ! どうしましょう……コンラート様から贈っていただいたドレスを、破いてしまいましたわ」


 自由の身となったオティーリエは自分の姿を確認して、涙ぐんだ。

 なんと、縄だけではなくドレスの装飾まで破いてしまっていたのだ。おそらく、最後のブチンという盛大な音は、縄ではなくドレスが裂ける音だったのだろう。

 いつでもここから抜け出せる状態にはなったが、この格好では外に出るのははばかられる。


「……荷物を奪うことも隠すこともされなかったのは、幸いでしたわね。でしたら、これに着替えるまで……」


 学園を出た際に持っていた荷物がそのまま近くに転がされているのを発見し、オティーリエはその中から一着の服を取り出した。

 それは、軍服。

 学園生活の中、先頭を切って組織していた〝学園騎士団〟の公式コスチュームとして着用していたものだ。

 コンラートと許嫁となった直後から、オティーリエは強くなるための訓練を始めた。

 いずれ王国騎士団の所属となるコンラートと並び立てるようにと、体を鍛え、剣をふるい、力を蓄えた。

 父や兄に頼んで、まずは実家であるヒロウィーン伯爵家の騎士団に入れてもらった。

 年端もいかぬ少女が剣をふるいたがるのを、周りの大人たちははじめは微笑ましく見守っていた。許嫁の真似がしたいのかと、その健気な心意気を温かく受け止めていたのだ。

 だが、幸か不幸かオティーリエには才能があった。

 怪我をせぬようにと手加減をされてお遊びでしかつけてもらえなかった剣の稽古は、いつしか大人たちが本気でかからねば怪我をさせられるほどのものとなった。

 若手の騎士たちの誰もオティーリエに勝てなくなった頃、騎士団の中でもより手練の者が稽古をつけてくれるようになった。

 才能がある上に、彼女は努力家だったのだ。

 手練の者に勝てないとなると、体を作り上げるために走り込み、筋トレをし、とことん自分を追い込む。

 そうするうちにオティーリエの体は細身でありながらも筋肉のついた美しく強いものとなり、剣技は鋭く研ぎ澄まされていった。

 十五歳になろうとするころには伯爵家の騎士団の中には誰も敵う者はいなくなり、見かねて父が花嫁修業も兼ねて学園へ入学させたのだ。

 しかし、騎士団から引き剥がしたところで、オティーリエの〝強くなりたい〟という思いが収まるはずはなかった。


「やはり、この格好が一番しっくりくるわね」


 紺地を貴重とした、シンプルな作りの軍服を纏い、オティーリエはほっと息をつく。

 肩の房飾りやボタンは金色ではあるが、それは彩りにはなっても決して浮ついた印象を与えない。膝下までの編上げのロングブーツとも相まって、彼女を凛々しく見せていた。

 学園へ放り込まれたオティーリエは、その内部の腐敗を捨て置けず、それを正すために学園騎士団を組織した。

 貴族の子女が集まる学び舎ではあるが、特別に優秀ならば平民でも等しく学ぶ機会を与えられているというのが、この学園の謳い文句だった。だが、実際は金を積んで入学した怠惰な貴族の子女が平民たちを虐げ、牛耳り、好き勝手していたのだ。

 オティーリエは、それを目の当たりにして怒りに燃えた。

 はじめはひとりきりの騎士団だったのだが、やがて彼女の真の強さと正しき行いに人々は心酔し、同志と信望者を増やしていったのだ。

 支持してくれる人を得たことで、オティーリエは学園の秩序と平和を守ることを誓った。その証として、信望者たちから贈られたこの軍服を身に着けていた。

 同じ年頃の淑女たちと親しむことで少しでもお淑やかになってほしいという周囲の願いも虚しく、学園を舞台に彼女はさらに凛々しく花開いたのだった。


「え、嘘……何で? ちょっとちょっと、だめだよ、縄を解いちゃ……」

「どなたかしら!?」


 倉庫の扉が開いたかと思うと、覆面をした男が入ってきた。自由の身となったオティーリエを見て、ひどく動揺している。

 オティーリエはいつでも迎え撃てるよう構えを取ったが、相手はその気はないとばかりに両手を上げている。

 これがならず者ならば勝手に縄を抜けたことに怒り狂いそうなものだが、なぜか目の前の覆面男はたじろいでいるだけだ。


「あなた……見た限りではあまり荒事が得意ではなさそうですわね。この組織に入ったばかりなのですか? わたくし、あまり手荒なことはしたくありませんの」


 この男ひとりならばいつでも昏倒させて脱出できるだろうと、オティーリエは踏み込む姿勢を見せて言う。

 相手が少しでも攻撃する素振りを見せれば、すぐさまその力を反転させようという構えだ。

 剣がふるえない状態でも身を守るためのすべとして、学園騎士団時代に会得した体術である。こういった剣技以外の役立つことは、平民出身の学生たちから多く教わることができた。


「いえ、あの……オティーリエ嬢、落ち着いてください」

「あなた……わたくしを知っているの?」

「存じておりますとも……なので、その、投げないで。それ、絶対痛いやつじゃないですか。僕が少しでも動いたら〝スッ〟て来て〝クルッ〟として〝ボーンッ〟て投げられるやつでしょ?」


 覆面男は、なぜかひどく怯えた状態で訴えてくる。

 どうやら相手はオティーリエを知っているようなのだが、彼女に心当たりはない。

 というより、オティーリエはコンラート以外の男性は眼中にないのだ。

 幼い頃からコンラート一筋。そのため、他の男性たちはみなジャガイモかダンゴムシだと思っている。かろうじて見分けがつくのは、父と兄くらいのものだ。

 というわけで、おそらく目の前の男が覆面を外したところで、知り合いかどうか判別はできない。


「えっとさ、実はこれ、コンラート様が仕組んだことでさ……」


 男はオティーリエからの攻撃を警戒しながら、おずおずと話し始めた。

 気を張って、緊張感をもって対峙していたはずのオティーリエは、それを聞いて突如色めき立った。


「え⁉ コンラート様がっ⁉」

「あの方は君のことを心配して、少し怖い思いをさせて身の程を弁えさせようと……」

「なるほど! これはコンラート様からの試練ですね!」

「え、ちょっと待って…コンラート様が助けに来る手はずで、まだ時間じゃ……グェッ」


 オティーリエは、男の話など聞いていなかった。

 コンラートの名を耳にした瞬間に、この事態を彼が仕組んだのだと聞いたときに、これは彼からの試練だと思ったのだ。

 学園を卒業した今、婚約者である彼との結婚は秒読みである。

 だから、彼に相応しい強い女性になったかどうか見定めるために、この試練を用意したのだと判断したのだ。

 それならば、やることはひとつしかない。

 これが仕組まれたことであれ本気の誘拐ではないのであれ、オティーリエのすべきことはただひとつ。

 ひとり残らず倒して、どこかで待つはずのコンラートの元へたどり着くだけだ。

 というわけで、手始めに覆面男を背負い投げ、彼の腰に佩いていた剣を奪った。そして、倉庫を飛び出す。


「え⁉ 出てきた⁉」

「どうなってんだ?」


 倉庫の外には見張りが数人。さっきの彼と同様に覆面を被っている。

 ここでオティーリエが出てくるとは思ってもみなかったのだろう。覆面越しにも目をパチクリさせているのがわかる。

 その一瞬の隙を突き、オティーリエは次々に男たちを昏倒させていった。

 そこからも、オティーリエはただひたすらに走った。

 どうやら彼女が攫われていたのは街外れの倉庫群のようで、だだっ広い敷地内にいくつもの倉庫が建ち並んでいる。

 それらの物陰に申し訳程度に立たされている様子の覆面たちを、片っ端から薙ぎ払っていった。

 薙ぎ払われた男たちは口々に、「何で逃げ出してる⁉」「立ってるだけでいいって言われたのに!」「こんなに強いなんて聞いていない」などと言っていた。

 そんなことは一切気にせず、オティーリエはひたすら走り続ける。途中で焦れったくなって「わたくしはここです! 隠れていないで出ていらっしゃい!」と叫び出した。

 その猛然と駆け抜けながら敵を倒していく姿を、学園騎士団の同胞たちは〝馬もないのに戦闘用馬車(チャリオット)〟と呼んでいたのだが、今の姿はまさしくそうだ。

 戦車に引かれたくはない覆面男たちは、やがて散り散りに逃げ出した。そこを、勇猛果敢なオティーリエによって仕留められていく。

 

「あまり、骨のない方々ばかりでしたわね……」


 敷地の端までたどり着き、もうどこにも気配を感じなくなったことで、オティーリエはほっと息をついた。

 だが、すぐにまた身構えた様子になる。先ほどまでの騎士としての臨戦態勢とは違い、今度は〝乙女の〟臨戦態勢だ。


「コンラート様……」


 物陰からそっと現れようとしていた婚約者の姿を、オティーリエは決して見逃さなかった。

 彼女はすぐに乱れた髪を整え、服装の乱れがないか慌てて確認する。そして、コンラートを恥ずかしそうに見つめてから、花がほころぶようにはにかんだ。


「や、やぁ……オティーリエ」

「コンラート様がわたくしに与えてくださった試練、見事突破いたしましたわ!」

「そう、だな……立派だった」


 何やら言いたそうにしていたコンラートだが、オティーリエの笑顔を前にするとどうやら、何も言えなくなったようだ。

 昔から、コンラートはオティーリエに甘い。可愛い笑顔を前にすると、努力の方向性が違っても勘違いによる暴走でも、訂正できなくなってしまう。

 おまけに無愛想で口下手だから、いつだって伝えたいことの半分も伝わらないのだ。

 だが、そんなコンラートのことをオティーリエは〝寡黙でクール〟だと捉えているし、彼に釣り合う女性になりたいとひたむきに頑張っている。

 だからまあ、この二人はこのままで、いいといえばいいのだろう。


 そうして二人はそのあと、無事に結ばれる。

 コンラートは立派な王国騎士となり、オティーリエはそんな彼を支える立派な(?)猪突猛進妻となったのだった。



〈END〉

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