第4話
頻りに僕は頬を抓って、夢ではないことを確認して、右目から涙が伝う。呆然した。唖然した。瞠目した。僕は今、頭が真っ白だ。
そのまま僕は立ちほうけた。周りの人達から異様な目線を送られても。僕の脳裏には彼女が死んでいたのを記憶しているんだ。何も……出来なかった。大切な人が死ぬまで僕は何も変わらなかったし、何も出来なかった。
そこからの記憶はあやふやだった。冒険者組合の職員が、ここの地区の全員に事情聴取をした。僕も例外ではなく、心ここに在らずな声色で質問に答えた。昨日はどこにいた、今日は何をしていた、体に異常はないか。職員はその3つの質問をして、僕はものの数分で開放された。噴水近くは厳重で、近寄れないから僕は街を歩いた。ただ静かに。誰かにあった気がする、誰かに声をかけられた気がする。
気づいたら時計台の上にいて、街を眺めていた。隣にまだあの人の匂いがする気がした。日向のような暖かい匂いが。あの顔が脳裏をよぎる、僕は手すりを強く掴む。
「……僕は……好きな人に何も……出来なかった……! ちくしょう……ちくしょうッ!」
今日、時計台から見下ろす街並みは涙で滲んで、汚く感じたんだ。
「僕は……弱いっ!」
ただの空虚な叫びは、風と共に去ったんだ。
僕は時計台の手すりを掴み、柵を乗り越える。力に憧れて、周りの反対を押し切り、孤児院を出て住み着いたこの街の思い出なんてクソだよ。様々な冒険者に暴力を振るわれ、その日稼ぎの毎日。帰る場所などとうの昔に失い、夢だけが僕の寝床だった。
楽しいことなんてひとつも無かった。ひとつもなかったんだ。
「死ねば……楽に……!」
高い。ここは高い。落ちたら死ぬ。足が震える、涙が目尻に溜まってダムのように決壊する。怖い怖い怖い。死にたくない死にたくない。
「はは、意気地無しだ。僕は昔から……僕にすら勝てない……!」
僕は心の底から叫びたい。この混沌渦巻く心内を。僕は何も出来ないんだ。死ぬことすら、逃げることすら、どうせ明日からまた生きていく。理由を見つけられず、理由もなしに。本当に終わってるよ……僕は——
「あえっ?」
強風が吹いた。その拍子に足を滑らせた。世界が遅延する、世界の動きが。まるで神が意気地無しの僕の背中を押すように、世界は動いた。歓喜するのか、懺悔するべきか。でも、そんなのどうでもいい、僕は運命に踊らされて、死の鎌を刺されたんだから。
あー終わるんだ、僕の人生。終わるんだ、終わるんだ。終わるのか……? 本当に? 僕はまだどこにも足を踏み込めてない、手を伸ばしてない、そのステージすら嘱目出来てないのに? 悔しいという言葉だけが僕の頭を埋めつくし、死の鎌に刺された心臓が血を送り出す。最後の最後に僕は、
「まだ生きだいっっっ!!」
言ってやった。僕に勝った、死のうとしてた僕に勝った。やっと勝った。勝ったんだ! 降下する体からさぶいぼが現れ始め、僕は何度目か分からない涙を流し、茶髪の髪の毛を揺らす。
蒼色の瞳が最後の街の夜景を反射して、地面に接近する。人がちょうど通ってなくて、潰れたトマトのようにぐちゃっと辺りを響かせた。
『———頑張ったね』
耳朶が震えた、声が流れた。暗闇に光が指した。眩く、美しい光。僕はどこかで見たことがある。あぁ。あの人の光だ。
僕はあの人の温もりが感じたんだ。
◇◇◇◇◇
ゼイウスに衝撃を与えた翌日。全人類が、驚愕した次の日。僕は情けなく、昼過ぎまで寝ていた。顔をペちペちと叩かれて、目が覚める。
「だ……れですか?」
見慣れた天井。僕の家。夢見心地で瞳に写す天井は僕の心臓を大きく跳ね上がらせる。
「生きてるっっ!?」
って確信した。上半身をダンゴムシになるか如く、起き上がらせ、瞠目した。左手で体を触り頭を触り、周りを見渡す。いつもの日、ここは僕の家だ。時間が戻った? とか色々なことを錯綜し、10秒。心ここに在らずの状態で、右手が勝って動く。
「は?」
声を漏らし、右手がぐいっぐいっと僕を引っ張る。頭が正常な判断を出来ない。そういえば右腕の感覚が”ない”。僕は目を丸くして、瞳をぱちくりぱちくりさせる。右腕が更に僕を強く引っ張り、僕はなすがままになりながら、近くのペンを右手は掴む。そのまま汚い字で床に書かれる字は——
【私はリーエ】
という文字だった。僕ははへ? と上擦った声を出した後、思考を停止。思い出すのは死ぬ間際に聞こえたあの人の光と声。そして、動かない右腕と、目の前の字。空笑いをしたあと、嘶きのような絶叫をする。
「ええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっ———————!?」
近所の人からうるせぇ! と言われた気がしたけど、そんなのどうでもいい。リーエ!? リーエさん!? どういうこと!? と思考がおおお、追いつかない。
「リーエさんは死んだ……っで僕の右腕がリーエさんになった? なんで……? どういうことだ……ほんと——」
「邪魔するわよー」
突然に家の扉が開いて、入ってきたのはチーユ。僕はそんなことはいざ知らず、右腕を凝視し、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
チーユは僕の不自然な姿に、キモって吐き捨てて、頭をべちんっと平手打ちされる。