第3話
「……どうして恥ずかしがってるの?」
手が離れて、リーエさんと目と目が合った。僕は咄嗟に目を逸らし、リーエさんは、首を傾げる。その仕草、可愛すぎだし、恥ずかしがるに決まってるでしょ。こんなに可愛い人が眼前にいるんだから。
「ん……? この匂い……」
リーエさんは僕の手のひらを鼻に近づけ、くんくんと嗅ぐ。僕は「臭いですよ!」と慌てて手を離そうとしても離れない。
圧倒的な力の差をこの短時間で感じつつ、リーエさんは首を横に振り、「臭くないよ」と口端を微妙に上げる。
「いい匂い。私、好き……だよ?」
——かぁーーーー! っと耳鳴りがするほど、に僕の顔が熱を帯びる。口をパクパクする。ありがとうの一言すら簡単に言えたらいいのに。だって初めてだから。この匂いが好きだって言われたのが。僕はより一層に彼女に恋焦がれる。だってステージが高い人ほど他者を見下すのに。世界最強の彼女はこの匂いすらも否定しないんだ。
「……自己紹介がまだだったね。私の名前はリーエ。君の名前は?」
「僕の名前はエル……です」
「……エルはこの街好き?」
「す、好きです!」
「私……この街のことよく”知らない”。だけど散策しろって、言われたから困ってる。この街を案内……してくれないかな?」
あ、案内!? 案内ですか!? と僕は思わず瞠目し、2度繰り返した。するとリーエさんは2回鷹揚に頷く。僕は静謐に、夢物語の中にいるかのように。
「分かりました」
って、頭を爆発させながら言ったんだ。好きな人が何故、そんなことを僕にいうのか深く思慮せずに、恋心だけが先行していた。
そこからは本当に夢のような日だった。屋台でクレープを分け合いっこして、僕が好きな街をぶらぶらと散歩した。ここは公園、この花言葉は、この草はですねと1年間ゼイウスの外で学んだ知識を活かした。リーエさんは終始、無表情で反応が薄くて、本当に楽しんでいるか分からなかった。でも、僕が楽しいですかと言うと。
「……私、楽しそうにみえない?」
「え……はい。見えないで……す」
「……楽しいのに」
って頬をプクッと膨らませる。僕はぼふっと地面に頭から地面に倒れて、昇天したのは恥ずかしかったなぁ。
それから夜7時になり、辺りが薄暗くなり、ゼイウスが活気づいてきた。僕は時計台に行きましょうという。
リーエさんは「ん」と一言いって、時計台の階段を上る。上に着く時には僕は少々息が荒くなり、体が蒸し暑くなっていた。
時計台の屋上に繋がる扉を開けて、涼しい風びゅーと吹き込み、僕は額の汗を裾で拭う。
「いつ見ても……綺麗だなぁ」
時計台から見下ろすゼイウスはいつも活気溢れていた。橙色の街灯が街を優しく包み込み、あそこでもあそこでも喧騒が渦巻いている。
僕はここから描かれる街と人が好きだ。元気が無くなった時、昔を懐古した時、リーエさんに追いつきたいと心の底から手を伸ばそうとした時、いつもここに来た。ここにくると僕の心を鎮めてくれる。この光景をまさかリーエさんと見れるなんて。
「……君はおもしろいね」
「……えっ? こ。こんな僕に面白いところなんてありまし……た?」
「うん、面白い」
ゴーンゴーンと僕の心臓並にうるさい、音が時計台から鳴り響く。
「今日はありがとう。楽しかった」
リーエさんは目尻を下げる。終わりなんだ。この夢のような一日は。僕はリーエさんと向き合って、最後であろうこの刻。僕は「最後に聞きたいことがと」僕は憧れに叫ぶ。
「どうしたら……リーエさんのように強くなれますか?」
1年前から成長の『せ』の字もしていない僕の、答え合わせ。僕はどうしたらリーエさんのように強くなれるのか。風がブゥォンと吹きあれ、リーエさんは髪を押さえる。
「強くなれないよ。エルは優しいから」
「っ——!」
傾聴して、心に刻まなくとも自分でも答えられる。僕は優しいんだ。この短時間で見抜いたんだ、僕の過去を。僕が悲鳴にも似た声でありがとうございますと頭を下げる。別れ言葉もなしに僕は屋上を後にした。もう会えなくとも、憧れの彼女(憧憬)に無理と言われた。1年間、淡い、淡い淡い恋心と期待だけを背負っていたのに。全てを壊された気分だ。世界最強にいわれたら、諦めがつく。滂沱の涙が僕の頬を伝い、遁走した。現実から彼女から。
「……本当に優しいんだね。エルは」
◇◇◇◇◇
僕はあの日から家にこもっていた。外に出る気力も、毎日の日課の薬草取りもほっぱらかして。もう、ゼイウスを去ろうと何回も思い至って、まだ心の中にある崩れた理想をまた組み立て直せと誰かにいわれている。もう僕は彼女の隣には立てないって気づいたのに。
地下室のようなジメジメした一軒家。ギルドで貧乏者に無償で提供される家だ。キッチンとリビンに仕切りはなく、お風呂もシャワーもトイレもない。公共のお風呂場か、公共のトイレに駆け込むしかない最悪の住居で、必要最低限なことはしながらも布団にくるまって1週間が経過した。お金も食事も底をつき、気づいたらまた明朝になっていた。鳥のさえずりがピチュピチュと耳に届く。
また朝か、また決断できずに1日が経った。僕は意気地無しだ。本当に。
「——はや、く」
「ギルド——よべ」
「た——へんだ」
今日も自問自答を繰り返すだけの日になる。目を瞑りながらもそう直感するが、なにやら外が騒がしい。どうしたんだと、布団を退かして立ち上がる。
外では沢山の人が走る足音や、絶叫とも呼べる声が聞こえた。僕はのそのそと扉を開ける。僕の家の前を通り過ぎる群生達。なんだ? と眩い朝日で目を細め、僕の耳を掠めたのは。
「【孤独の至宝】が死んでいるぞ!」
——走った、僕は腕を大きくして人を跳ね除け、力いっぱい走った。押しのけた拍子に聞こえる怒号、あの時、リーエさんと初めて出会った時と似ている怒号を僕は聞きながしながら、走る。リーエさんが死んでいる? 何かの間違いだと、雑多な思考などそこら辺に投げ出して走った。
ただただあの人が生きていることだけを信じて。
人だかりが出来ていたのは、ここいらの憩いの場の噴水だった。僕は人の間を通り抜けて、人の隙間から僕の双眸に映ったのは、噴水を赤く染めあげ、ぷかぷかと静謐に浮かぶ、リーエさんだった。目を瞑り、その美しさが、いつもより儚かなかったって感じた。大人たちがリーエさんを水から抱き上げた時に僕は人に飛ばされた。ここいらは冒険者たちの集まりだ、僕より強い人なんていっぱいいる。脱力する体を振り絞っても、大人たちを押しのけられない。だって僕は弱いから。
僕はその光景を目に焼き付けさせられ、それ以上はリーエさんを確認できなかった。
お待たせしました。投稿遅れてすみません