塔の中の青い鳥
その国は小国でありながら数百年もの間、平和を保っていた。
農業や畜産は、国内消費とトントン。
これといった輸出産業も無い。
それでも国がそれなりに潤い、円滑に外交が続いたのは、王家が占い師を大切にしているからだ。
占いによって大きな災いを避けたり、進むべき方向を見つけたりするだけではない。
より幸福な未来に近づくために、努力を積み重ねることも怠らなかった。
そんな王国の、今代の王と王妃の間には女の子が一人だけ。
その王女が年頃になり、今は婿探しの真っ最中である。
占いによれば、相手の男性はこの国の民で王女に相応しい者である、と出た。
しかも、王女は自分の夫となる者の顔を見れば、すぐにその者だとわかる、というのだ。
最初にこの結果がもたらされた時、王室はホッとした空気に包まれた。
王女の相手が国の民で、見ればわかるのであれば、簡単に相手が見つかるだろうと誰もが思ったのだ。
該当しそうな相手を一堂に集めて、さっさと話を終わらせることが出来れば、確かに簡単だったかもしれない。
しかし、特に貴族たちの間から、身分がある者同士の見合いを雑に行うのはいかがなものか、という声が上がった。
それで仕方なく、王女は国内の主立った貴族や有力な商人などの子息と一人一人会うことになった。
さほど広い国ではないからと、相手の領地に招かれ、もてなされる。
そうなれば、嫌な顔一つ見せることも出来ない。
王女の前だからと取り繕った笑顔と、良いことしか紹介されない領地の話と…
せめて、領地の実情を正直に話してくれるのであれば、国内事情の把握に役立つのだが、ほとんどがただの無駄話だ。
そうして一年経ったが、運命の相手は今も見つかっていない。
しかも、一年の間に主立った家の子息とは全て会い尽くしてしまった。
後は、占いを軽んじる家や、素行に問題がある子息のいる家ばかり。
それでも、王家が占いを疑うことは出来ない。
運命の相手が見つかっていない以上、会いたくない人間の中に、その人が見つかる可能性がある。
その日、何十人目かの見合い相手の領地から帰って来た王女は、城の塔にある占い師の部屋を訪れた。
「今回も、運命の相手ではなかったわ」
占い師は詫びるように、ゆっくりと頭を下げた。
「いいえ、あなたのせいではないもの。
……何か、新しい占い結果はあった?」
占い師は首を横に振る。
この占い師は、王女の婚姻について占う者だ。
占い師とは、学んだ占いの術で問われたことに答えるもの。
この一年、塔に籠っていた彼も、何度も王女のために占いを重ねた。
だが、最初に出た結果はけして変わることは無かった。
術の結果を捻じ曲げでもしない限り、占い師に責任はないのだ。
「でもね、少しだけ愚痴を聞いてくれる?
明日からは、少し身の危険を感じる場所にも行かなくてはならないの。
やはり、怖いわね。でも、王女の役目だから仕方がない。
だからね、もし…夜這いでもかけられて、既成事実を作られたら、それはそれで運命かもしれないって考えることにしたわ」
「……」
「今まで、話を聞いてくれてありがとう」
この一年、毎日のように見合いをする王女の心の負担は尋常ではなかった。
しかし、護衛や侍女やメイドなど、彼女の身の回りの世話をしている者には、なかなか愚痴がこぼせない。
だが、占い師だけには本音を語ることもあった。
『愚痴だなんて。
いろいろ面白いお話も聞かせていただきました』
占いの結果を告げる以外、私語を禁じられている占い師は心の中で思った。
『今日のお見合い相手はなかなかハンサムなのに、下まつ毛にマスカラを付け過ぎなのよ!
そのままだったら、素敵な下まつ毛なのに、舞台化粧みたいになって吹き出しそうなのを堪えるのが大変だったわ!』
『暑い季節になったわね。この塔は風通しがいいから、大丈夫かしら。
でも、気を付けてね』
失敗した見合いの成果を、面白おかしく語る王女。
そして、塔に籠っているだけの占い師までも気遣う王女。
芯が強く、優しく思いやりのある方だ。
占い師は王女の人柄に深く触れた一年間を振り返り、何もできない自分を歯がゆく思う。
「きっとなんとかなるわね」
王女は笑顔を浮かべる。
いつもそうだった。
少し弱音を吐いても、最期はしっかり前を向いて歩き始める方だ。
占い師は、被ったベールの中から、何も言えないまま彼女を見送った。
翌朝、王女はいつものように、見合い相手の領地へ向かうための馬車に乗ろうとしていた。
ステップを上る彼女を手助けするため、一人の従僕が手を差し出す。
馬車に乗る王女を手助けする従僕は、たいてい少年だ。
それは、使用人として経験を積み始めた者の仕事だった。
「ありがとう」
差し出された手が、いつもより少し高い位置にある気がして、王女はふと従僕の顔を見た。
その瞬間、彼女はやっと巡り合えたことを知った。
「…あなただわ」
目を瞠った王女は、従僕に告げた。
「殿下?」
「あなたがわたしの運命の相手」
初めて見るその従僕は、スラリと背が高く、癖のない長髪を首の後ろで束ねた美しい男だ。
「あなたは、誰?」
「…私は昨日まで、占い師の塔におりました。
殿下の万一の時に、この身を捧げてお守りしたく、従僕となる許可を国王様よりいただきました」
王女は驚いた。
あのベールの下に、こんなに若い男性がいたなんて…
しかも、どストライクの好みの顔!
この人に、私は愚痴を聞かせていたのだわ。
思考が戻って来た彼女は、恥ずかしさのあまり思わず赤くなった顔を伏せてしまう。
そういえば、顔を見るのは初めて…
声を聞くだけでも心地いい。
「私は…自分のことは占えないので。
本当に、私なのでしょうか?」
従僕は戸惑っている。
王女は顔を上げた。
「自分の占いに自信を持ってちょうだい!
あなたよ。間違いないわ」
そう言い切ってはみたものの……
彼は、この一年間、自分が本音を語ってきた相手。
王女は急に心配になる。
「あの…わたし、愚痴ばかりこぼしていて。
あなたが運命の相手なのは確かなんだけれど…
あなたにも選ぶ権利があると思うわ」
従僕は優しく微笑んだ。
「この一年、国のために、殿下は頑張っていらっしゃいました。
お話を聞くことしか出来ませんでしたが、ずっと見守っておりました。
貴女は私にとって、一番大切な方」
「……わたしにとって、あなたは一番側にいてくれた人。
黙って話を聞いてくれるあなたに、ずっと癒されていたわ。
これからも、ずっと側にいて欲しい。
……本当に、わたしでいいの?」
「他に心を捧げたい方など、おりません」
従僕は、一片の迷いもなく、そう告げた。
胸の内に溜まった全てが流れ出るかのように、涙の止まらなくなった王女を従僕が抱きしめる。
見守っていた周囲の護衛や侍女たちの拍手が、さざ波の様に広がっていった。
その喜びは、城内に、やがては国中に広がっていき、若い二人を温かい祝福で包み込んだ。