第3章「赤き月が落ちる日」・1
「ここが俺たち『オルフェンズ』の拠点だ。少しばかり狭いが」
蒼が玲司たちに連れてこられたのはやや手狭な部屋だった。中央にホワイトボードと会議テーブルが置かれ、左右に全員分の折りたたみ椅子が配置されており、流し台にはお茶を注ぐカップやポット、冷蔵庫、テレビ、本棚、オマケにエアコンなどもある。なかなか快適そうだ。
「旧棟の地下にこんな部屋があったなんて……」
「つっても殆どこんな部屋使ってないけどな」
「昔備品室として使われていたようだがもう長いこと誰も利用していないようでな。教員含めてほとんど存在を知られていないということでこうして拝借している。鍵は無いが『アートマン』で中から開け閉めできるし俺たちの活動にはお誂え向きだろう」
「モモカが見つけたんだよ~ここにあるものもミズキたちが『アートマン』の力を使って持ち込んだものだけど自由に使っていいよ~あ、でもお菓子に手を出したらダメだからね! あっクマくんただいま~いい子にして待ってた?」
桃歌はなにやら部屋の隅っこにちょこんと座っていたクマのぬいぐるみを抱き上げて何やらお話をしている。ちょっとメルヘンな感性の持ち主なのだろうかと蒼は思ったが特に他のメンバーは反応していないのでいつものことなのだろう。
蒼は適当に部屋を歩き回り、玲司は難しい顔をしながら隣でクマくんを抱きしめながらチョコレート菓子をつまんでいる桃歌と話をし、轟と萌葱はスマホに夢中で白は部屋の隅にぽつんと立っている。
「いつもこんな感じなの?」
「大体は。でも大分賑やかになった。昔はこんな拠点なんて無くて適当な場所に集まってたけど」
その口ぶりからすると彼女は大分古参のメンバーのようだ。蒼はなんだか自分がとても場違いな場所に居るような気がしてしまう。
「……でもこうしてアタシたちをここに集めたってことはそろそろあの計画を実行に移すってことでしょ?」
「まさか……」
萌葱の指摘にクマくんを抱えた桃歌がうんうんと笑顔で頷く。
「そう! 『怒りの日』を倒しに行くんだよ~!」
「ああ。こうして心強い仲間も増えたことだしちょうどいい機会だと思ってな」
玲司が部屋を暗くし、テーブルの上に載っているプロジェクターを操作してホワイトボードに『怒りの日』のデータらしい画像を表示する。全長三〇平方キロメートルにも及ぶその巨体はまさしくこの『彩羽市』に匹敵するサイズだ。蒼はこれから戦うであろう強大な敵のことを想像して緊張に膝が震えそうになる。
「でも勝機はあんのかよ?」
「俺たちはこの数日間にあのデカブツの調査をしていてな。ヤツの弱点である心臓部……あの「赤い月」にずっと展開されていた障壁が消えているのを確認できた。そこを叩いてヤツを倒す」
轟の当然の質問に腕組みをしている玲司は力強く頷く。
「それ本当なの?」
「ミズキも一緒だから保証するよ~ほら」
すると桃歌がノートパソコンを操作し、プロジェクターの画面が切り替わる。『怒りの日』の全体図のちょうど中央。そこに赤くマーキングされた箇所がある。どうやらそこがあのデカブツの弱点のようだ。
「マジか! 流石だぜ!」
「しかしまだ夜見をはじめみんなの『アートマン』の制御能力にはやや不安要素が残っている。ヤツを叩く前にその弱点を克服するんだ」
「ごもっともね」
萌葱が納得したように頷く。
「で、でもどうやって訓練するんですか?」
「簡単だ。メンバーと互いに戦えば良い」
なるほど確かにとても効率的である。しかし肝心のスケジュールに余裕があるのか『アートマン』の制御に自信が無い蒼には不安だ。すると白がちょうどよく手を挙げる。
「訓練するのに許された猶予はどれくらい?」
「あと一週間といったところだ。ゴールデンウィークで授業は無いしちょうどいいだろう。やつの『支配領域』はここ最近どんどん強力になっている。おそらくもうすぐ本格的にヤツが動き出すだろう。その前に叩く必要がある」
「一週間……」
蒼は困惑気味に声を漏らす。そんな短期間で成果が出るのか非常に不安だ。しかし他のメンバーが不安がっている様子は無い。ならばこちらも覚悟するしかないと蒼はぎゅっと拳を握る。もう時間は残されてないしならば自分が出来る限りの努力を尽くすだけだ。
◆◆◆
(……しかし本当に一週間で間に合うんだろうか……)
ゴールデンウィークということでいつもと違って開放的な月曜日の昼下がり。めでたく『オルフェンズ』の一員となった蒼は他のメンバーとともに学校からそう遠くない自然公園に集まって「訓練」をしていた。しかし蒼たちが今居るのは緑に囲まれた芝生の上というわけではなく、『アートマン』の力によって生み出した亜空間……『支配領域』である。そのまま戦えば周囲に被害が出るからだ。
「モモカの『血みどろクマくん』なら幻覚系能力を応用して『支配領域』の風景変えられるけどどんなのがいい~? お菓子の家? ハートの女王が支配するワンダーランド?」
「この公園と同じようなところでいい」
「え~そんなのつまんないよ~」
文句を言いつつも素直に桃歌は玲司の言うことに従って外界とまったく差異が見受けられない精巧な『支配領域』を作り出した。この風に揺れる草花も爽やかな風も暖かな日差しも小鳥のさえずりもリアルに再現されている。
「何をしている? そちらから行かないならこちらから行かせてもらうぞ」
「ちょっ……まだ準備が……」
不安げに偽物の空を仰ぐ蒼のもとに玲司がやってくる。
「そんな甘いことを言っている暇は無いぞ! 『焔剣帝』!」
玲司は蒼のことなどお構いなしに『アートマン』……紅の甲冑と烈火を纏う騎士『焔剣帝』を召喚し、携えた大剣の切っ先を蒼に突きつける。相手はかなりやる気のようだ。
「……わかりました、行きますよ! 『彷徨える影』!」
蒼も大人しく腹を括り、同じく『アートマン』……『彷徨える影』を呼び出し、双銃を静かに構える。
「さぁお前の力を見せてみろ!」
「言われなくても!」
先に動いたのは『彷徨える影』だ。右の銃の引き金が引かれ、銃口から連続して三発の弾が発射される。対する『焔剣帝』はそれらの攻撃を横に動いて回避するが、『彷徨える影』の左の銃からもワンテンポ遅れて弾が発射されていた。玲司の動きを見越しての攻撃だ。
「なるほどいい攻撃だな!」
玲司は素直に褒めつつ目の前に迫る弾丸を『焔剣帝』の大剣で一閃のもとすべて蒸発させる。まるで小手先の攻撃など通用しないと言わんばかりの反応速度だ。
「まだだ……!」
『彷徨える影』が突進し、双銃の銃口から大量の弾丸をマシンガンのように『焔剣帝』目掛けてばら撒く。
「いいぞその調子だ!」
しかし『焔剣帝』は左手を突き出し、迫りくる分厚い弾幕を地面から噴き出した炎の壁で防いだ。更に続けて横薙ぎに大剣を振るい、炎の壁ごとその前方に立つ『彷徨える影』を切り裂くが、掻き消えてもその姿はどこにも無い。
咄嗟に後ろを振り返ると虚空に浮かぶ影の穴から半身を出した『彷徨える影』が『焔剣帝』の頭部に向けて銃を向けていた。
「当たれ!」
「ふん!」
しかしその死角からの攻撃も『焔剣帝』はあっさりと回避し、反撃として三日月のように炎の斬撃を飛ばして無防備な『彷徨える影』にお見舞いするが、慌てて蒼は『彷徨える影』を再び影の中に戻す。
「やっぱり反応が早い……」
「今度はこっちだ」
蒼が自分の前に『彷徨える影』を戻すのとほぼ同じタイミングで『焔剣帝』が大剣を振りかざし、『彷徨える影』が双銃を胸のあたりでクロスして迫りくる刃をガードする。しかし『焔剣帝』の巨体に匹敵する長大な大剣の破壊力は凄まじく、『彷徨える影』の細い身体はあっけなくふっ飛ばされて後ろの金網フェンスに叩きつけられた。
「くっ……なんて破壊力なんだ……!」
よろよろとよろめきつつも『彷徨える影』は立ち上がり、大剣の切っ先を静かに向ける『焔剣帝』を見据える。ダメージは大きいがまだ戦える。
「お前の力はそんなものか?」
「なら……!」
すると『彷徨える影』は再び虚空に影の穴を展開し、その中に身を隠す。玲司はまた死角からの攻撃かと予想するが、それは違った。むしろもっと目立つ効果的な方法だ。
「影の穴を連発している……⁉︎」
蒼が選んだのは『彷徨える影』を影の穴から影の穴に移動させ、あらゆる方向から『焔剣帝』を攻撃するというものだった。こうすることで相手を撹乱し、移動の隙をなくすことで相手に反撃の機会を与えないことができる。
「なるほど、面白い……!」
しかし玲司は楽しそうな笑みを浮かべ、『焔剣帝』へと襲いかかる無数の弾丸を機敏に動いて回避し、大剣で弾き、炎の壁で防ぐ。そして地面から吹き出す炎の壁ごと横一文字に斬撃を飛ばし、その先に居るであろう『彷徨える影』に攻撃をする。しかし既にそこに『彷徨える影』の姿はなく、咄嗟に足元を見ると『焔剣帝』の懐に『彷徨える影』は潜り込んでおり、双銃の銃口を鎧の胸元に突きつけていた。
「これで……!」
「狙いはまずまず、反応も悪くない。だが……」
すると突然『焔剣帝』を中心として爆発が生じ、『彷徨える影』の体を吹き飛ばす。さらに『焔剣帝』はその場を飛び上がると無防備な『彷徨える影』に向かって上から下に大剣を振り下ろす。赤熱した分厚い刃は『彷徨える影』の胸の中心を捉えており、その細身を地面に叩きつけると最後には天高く火柱が生じてその身を焼き尽くす。
「……っ!」
「……まだ経験値が不足しているな」
『彷徨える影』が負ったダメージのフィードバックで蒼は膝をつき、玲司は静かに『焔剣帝』を己の内に戻す。力の差は明らかだった。
「流石だなぁリーダー。まったく容赦がねぇ」
「轟、お前もボサっとしてないで腕を磨け」
遠巻きに観戦していた轟を玲司が嗜める。
「トドッチ暇そうだしモエギンと一緒に戦ったら~?」
「そうね。アタシもちょっと腕が鈍ってる気がしてたところだし」
クマくんとおしゃべり? している桃歌の提案にひとり『賢者の原石』でエメラルドビットの操作をしていた萌葱も乗っかる。
「オイオイマジかよ、ボコられるのはごめんだぜ?」
「日頃の鬱憤もここで晴らしてやるわ」
うんざりしたようなため息を吐きながら轟も腹を括って『鉄王』を呼び出し、『賢者の原石』との戦いが始まった。手数が多い『賢者の原石』側の一方的な試合になるかと思いきや戦いは拮抗している。
「みんなやる気だね~モモカも頑張らないと~。ねっ、 『血みどろクマくん』!」
「ちょっと桃歌⁉︎ なんでアンタも⁉︎」
「おいおい二対一ってずりーだろ! タンマタンマ!」
すると桃歌の『アートマン』……『血みどろクマくん』も動き出し、お腹の裂け目から包丁とカッターナイフを取り出すと『鉄王』と『賢者の原石』に向かって突撃する。
(みんな元気だなぁ……)
木陰で休みながらみんなの訓練風景を眺める蒼だが、白が歩いてきて蒼のとなりに腰掛ける。何か話したいことがあるようだ。
「『アートマン』の制御はできるようになった?」
「うーん……どうだろう。コツはちょっと掴んできたつもりだけどやっぱりまだ自分の手足のように扱えるってわけではないかな……深雪さんは『アートマン』を動かす時に意識してることとかある?」
「特に無い。普段息をしたり歩いたりするように意識せず『死想の聖母』は動かせる」
「そ、そうなんだ……すごいね」
「別になんてことはない。キミもすぐにこのくらいできるようになると思う」
前よりはある程度上達したとはいえやはり玲司や白のように完璧に『アートマン』を使いこなすということは叶わず、蒼は少し自分が情けなかった。玲司たちは覚醒したばかりにしてはかなり上々だというがやはりもう少しでラスボスたる『怒りの日』と戦うのだからまだ全然能力は足りないと思う。しかし蒼は自分が持っているこの力に関して知っていることはまだまだ少ない。
「そういえば深雪さんはいつから『アートマン』の力に目覚めたの?」
ふと蒼はとなりの白に素朴な疑問を尋ねる。なんだか彼女のことについてよく知りたいと思ったのだ。
「あまり覚えてない。でも小さい頃から『死想の聖母』はそばにいた」
「怖くなかったの……?」
「何も」
白はやはり無表情でみんなの訓練風景を静かに眺めている。いや彼女が見ているのはもっと遠くにあるのかもしれない。それはきっと蒼には見えない何かだ。
「……『アートマン』ってなんなんだろう。僕は何もわからないよ」
「『アートマン』はその人のコンプレックスやトラウマ、願望を映し出す鏡みたいなものだよ~」
すると萌葱とともに轟を倒してご満悦な桃歌が蒼のとなりにやってきて腰掛ける。ちょうど白と挟まれるような感じになってなんだか蒼は気まずくなった。
「……それってどういうこと?」
「人は誰しも自分の嫌なところとか過去にあった辛い記憶とか欲しい物とか将来の夢とかあるでしょ~? そういう『満たされない心の隙間』を満たす注ぎ足した後付けの心の部分……それが『アートマン』。アオッチにも心当たりあるでしょ~?」
「僕の『満たされない心の隙間』……」
ぽつりと呟く蒼はそっと自分の胸に手を当ててみる。これまで生きてきた中でずっと抱えてきたモヤモヤした気持ち。決して埋まることのない虚無感。それが自分の持つ『アートマン』の力の正体なのだろうか。すると桃歌はニコニコ顔でぐっと蒼に顔を近づける。しかし蒼は気づいてしまった、桃歌の目が笑ってないことに。
「だから「心の隙間」が大きくなればなるほど『アートマン』も強力になるんだよ? それこそ元の自分の人格がめちゃくちゃに壊れるくらいショッキングな出来事に遭ったとか、ね?」
その時強い風が吹き、桃歌の羽織るパーカーのフードが深く被さって目元が隠れる。しかし風が止むと桃歌の顔は普通の人懐こい笑顔に戻っていた。
「なんてね~ミズキちょっとおしゃべりだったかも~モモカいけない!」
そうして桃歌はわざとらしく自分の頭をこつんと叩くが、蒼はそんな桃歌に素朴な疑問を尋ねる。
「……そういえばなんで水姫さんは一人称がミズキとモモカなの?」
すると桃歌の動きはぴたりと止まった。
「……? ミズキはモモカだけどモモカもミズキで――あれ? あれれ?」
「あー……それはこいつの口癖みたいなものだ」
蒼たちのもとに歩いてきた玲司が硬直している桃歌の頭に手を乗せるとスイッチでも入ったかのように桃歌の止まっていた身体がいつものように動き出した。
「レイジのなでなで好き~」
「どういうこと……?」
桃歌のおかしな様子に蒼は怪訝そうに眉をひそめるが、玲司は人差し指を立てて何も言うなとジェスチャーする。
「誰にも知られたくないことのひとつやふたつあるものだ」
「なんかすみません……」
「気にしなくていい」
何か地雷を踏んでしまったのだろうかと蒼は気にしてしまうが玲司は桃歌に抱きつかれたまま蒼と白に背を向ける。
そのあとも休憩を挟みつつしばらく特訓は続き、いつの間にか時間は夜を迎えていた。蒼や轟、萌葱はヘトヘトで玲司や桃歌、白の顔にも流石にやや疲労が見える。
「ではそろそろ解散するか。日曜日に作戦を開始する」
(本当に大丈夫かなぁ……)
そうして蒼たちは解散し、それぞれの帰路につく。ひとりバスに乗る蒼は座席から街並みを眺める。するとどこからか地響きみたいな不気味な鳴き声がして目を凝らすとオレンジ色が眩しい夕焼け空の向こうにかすかに浮かぶ影が少し動いた気がした。もう時間は残り少ない。