第2章「白夜」・3
別の棟の屋上では轟と萌葱が口から白い湯気を吐きながら周辺の警戒をしていた。本来であればかなり遠くの方まで街を一望できるのだが、今日ばかりは白い吹雪によって視界は遮られ、何も見えない有様だ。遠くの方から何度か何か物音が聞こえたがそれも吹雪の騒音でよく聞き取れない。
「見つかったか?」
「居ないわね。敵の『支配領域』が強力でスマホの電波も届かないし気配も察知できないし、吹雪で視界も悪いし。もしかしたらステルス能力とか持ってるのかも」
蓋をされた貯水槽の上で轟と萌葱はそれぞれの『アートマン』で外側から校舎のあちこちを監視しているが、やはり標的の姿は見当たらない。
「にしてもマジで寒いな。冬かよ」
まるで肌を刺し貫くような寒さに轟は両手の掌を擦り合わせてどうにか体温を保とうとする。季節的にふたりとも春の格好をしているのでこの寒さはかなり堪える。
「防寒対策なんてしてる暇なかったしさっさと片付けるわよ」
「だな。凍えちまいそうだ」
そしてふたりが『アートマン』をそばに呼び戻し、場所を変えようと動き出したのと同じタイミングだった。フェンス越しに青白いオーラを纏うガラス細工のような『怪鳥』が姿を現し、威嚇の鳴き声を発した。どうやらふたりの気配を察知して仕留めに来たようだ。
「やっと来たわ。ほんと待ちくたびれた」
「よし! んじゃ一発殴りに行くか!」
萌葱と轟はそれぞれの『アートマン』を目の前に浮かぶ『怪鳥』のもとに向かわせ、攻撃に出る。
「喰らえ! 正義の鉄槌!」
轟の『アートマン』……『鉄王』が拳を掲げるとそのまま力強くコンクリートの床を蹴って『怪鳥』との距離を詰め、金網フェンス越しに敵を殴りつける。フェンスが砲弾でも当たったかのように派手に吹き飛び、拳が空気を切り裂くようにまっすぐ『怪鳥』を捉えるが、『怪鳥』は素早い動きでその攻撃を回避した。
「クソ! 外した!」
「アンタいちいち正義の鉄槌とかやめなよこっちまで恥ずかしくなるからさ」
「うっせぇないいだろ別によ!」
そっけない萌葱に轟が声を荒げるが、彼女は無視して敵に攻撃を仕掛ける。『賢者の原石』が杖……『ケリュケイオン』を掲げると周囲に浮かぶ六つのエメラルドのビットが一斉に動き出し、あらゆる方向から『怪鳥』に向かって突撃する。しかしそれらの攻撃を『怪鳥』は空中をめちゃくちゃな軌道で飛び、回避してしまう。
「軌道が読めない……! 図体がでかい割に厄介ね」
萌葱と轟は警戒を強め、『アートマン』とともにやや相手との距離をとるが、『怪鳥』はその隙を逃さず、大きく翼を広げてそこから大量の氷の羽根を発射した。分厚い弾幕だが、巨大な『鉄王』が盾となってそれをガードし、一部防げなかった羽根を『賢者の原石』がエメラルドビットで撃ち落とす。しかしその時真横から羽根が何枚か轟と萌葱の間を通過していった。
「危ね! なんか横からも飛んできたぞ!?」
「なんで横から……!? こいつは一体しかいないはず……まさか私の『賢者の原石』みたいに飛ばした羽根の軌道を変えられるの?」
だとすればかなり厄介だ。
ふたりは固まるよりも散開して相手の注意を分散する方が良いと考え、それぞれ『怪鳥』を挟み込むように大きくその場を動く。
「オラァ! 電撃は避けらんねぇだろ! 水属性だしよ!」
『鉄王』が地面に拳を打ち付けるとそこを中心に稲妻が生じ、ジグザグの軌道を描きながら空中の『怪鳥』に突っ込み、その全身に高圧電流を浴びせる。しかし『怪鳥』の体表に触れると電流は一瞬で霧散してしまった。もちろん『怪鳥』は元気に空を飛んでいる。
「あァ!?」
「氷は水と違って不純物を含んでないから電流を通さないわよ」
「マジか!」
「そのくらい知っておきなさいよ!」
純粋に驚いている相方に萌葱は呆れたようにため息を吐きつつ『怪鳥』を見据える。すると相手は嘴を大きく開いてなにやら喉奥から青い光を放とうとしていた。
「ガード!」
強力な攻撃の合図だと察した萌葱は咄嗟に自分の前に『賢者の原石』を立たせ、エメラルドビットを集めてシールドを作り出した。直後に光線が放たれたがなんとか防御に成功する。
「砲撃いくわよ! 『賢者の原石』!!」
『賢者の原石』がエメラルドビットを展開して円を形成し、その中心部から緑の光線を放つ。絶大な威力を内包したその光線は『怪鳥』に命中し、右の翼を根本から抉り、千切った。
「ロケットパンチだ! 『鉄王』!!」
片翼になったことでバランスを崩し、屋上に墜落した『怪鳥』目掛けて『鉄王』の右手から切り離された右手がバーニアから炎を噴き出し、弾丸のように『怪鳥』目掛けて突っ込んだ。直後に爆発があり、吹雪が吹き荒れる。
「やったか!?」
しかし煙の中から現れた『怪鳥』は無傷とまではいかないものの『賢者の原石』の攻撃によって失った翼を再生させており、鋭い双眼でふたりを睨んでいた。かなりの生命力だ。
「まだ生きてる!? 氷で傷を再生したの!?」
『怪鳥』は激昂したかのように声を荒げ、再び嘴を開いて青い冷凍光線を放とうとする。よほど激怒しているのか先程萌葱に放った時よりも光量が強く、みるみるうちに周囲の温度が下がっていくのが肌で感じられる。おそらくガードしてもたやすくそれを貫いてしまうだろう。
「どうにか逃げるわよ!」
「くそっ……!」
慌ててふたりはその場から駆け出し、『怪鳥』の放つ光線から逃れようとするがもう遅く、無防備なふたり目掛けて太い冷凍光線が発射された。屋上全体が青白い光に包まれ、あらゆる温度が奪われていく。轟と萌葱は手足の末端から冷気が侵食していくのを実感し、背筋が凍り付く。しかしそんな真っ白な世界で、ふたりの視界の端に何か黒いものが映った。その黒い色はどんどんと大きくなり、やがてそこからふたつの影が飛び出した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
虚空に生じた闇の穴から現れた長い前髪にメガネ、覇気の無い顔……その横顔には見覚えがあった。
「『彷徨える影』!!」
帽子とロングコートが目を引く闇色の『アートマン』……『彷徨える影』は両手に携えた双銃を乱射し、迫りくる冷凍光線に大量の弾丸を浴びせて爆発させた。
「あいつマジか……」
「どうして……」
動けないふたりを庇うように『怪鳥』と対峙するその少年は夜見蒼だ。戦うことをあれだけ怖がっていたあの少年が今こうしてふたりの危機に駆けつけた。轟と萌葱は驚きのあまり声も出ず、彼の姿をまじまじと見つめた。
しかし『怪鳥』はなおも抵抗し、翼を広げて大量の羽根をばら撒く。
「深雪さん!」
「『死想の聖母』……!」
すると蒼とともに闇の穴から深雪白が飛び出し、『死想の聖母』の大鎌をブーメランのように投擲して飛来する羽根をすべて叩き落とし、ついでに『怪鳥』の身体にも傷を負わせた。そして手元に戻ってきた大鎌をキャッチし、ふわりとコンクリートの地面に着地する。
「ごめん、遅くなった……」
「……ふたりとも無事?」
「マジで助かったぜ」
蒼と白がふたりを立たせるが、轟も萌葱も一応無事のようだ。しかしかなりの体力を消耗しているようで長時間この冷気に晒されているとまずいことになるだろう。早めに決着をつける必要がある。
「でもどうやってここまで来たのよ?」
「僕の『彷徨える影』の能力で作り出した『影』の中に入ってここまで来たんだ。中は真っ暗だからほぼ手探りだけど……」
「……話すのは後、まずはあの『ニラートマン』を排除しないと」
白が指差した先にいる『怪鳥』は空高く飛んでぐるぐると校舎の周囲を巡りながら蒼たちの様子を伺っている。あちらも戦力が拮抗しているということで焦りを感じているのかも知れない。おそらく次からは強力な攻撃を繰り出すのだろう。
「深雪さん、アイツは体表面に冷気のバリアを展開してるみたいだ。アレのせいでこっちの攻撃の威力が削がれてるんだと思う。どうにかそのバリアを無視できるくらい至近距離から強力な攻撃ができればいいんだけど……」
「それならいい方法がある。とてもリスクが大きいけどあの『ニラートマン』への有効打になりえるはず」
「それってどんな……?」
蒼が横の白をじっと見る。
「さっき私たちが入った『彷徨える影』の影の中。そこにもう一度入ってタイミングを見計らってあの『ニラートマン』の目の前に出て攻撃を当てる」
白が提案したのはクールな彼女にしてはやや大胆なプランだった。
「でもあそこは真っ暗で何も見えないよ。タイミングの把握なんてとても……」
「私なら暗闇の中でもあの『ニラートマン』の気配を探知できる。精度も保証する」
「……わかった。お願いするよ」
やや不安ではあったが、白の毅然とした返事に蒼も心強さを感じ、彼女の提案に乗る。
「で、オレたちはどうすりゃいいんだ?」
「ふたりはアレの注意を引きつけて。私たちの動きを悟られないようにしたい」
「オーケー。頼まれてあげる」
「さて逆転と行くかー! 具体的にどうするのか知らねぇが!」
こうして役割が決まった四人はそれぞれの『アートマン』を構えて臨戦態勢をとる。そして空をぐるぐると移動していた『怪鳥』の方も身体を蒼たちの方に向けた。ようやく攻撃を仕掛ける気になったようだ。
「夜見君、お願い」
「うん」
『彷徨える影』が虚空に影の穴を作り出し、蒼と白はサッとその中に入る。やはり中は光ひとつなく、上下前後左右の感覚も掴めない。かろうじて外の音がかすかに聞こえるくらいだ。
(どこだ……やっぱり何も見えない……)
「こっち」
「……!」
するとそばに居た白が蒼の手を握ってきた。掌から伝わる柔らかな感触と体温に蒼の心臓がわずかに跳ねる。しかし彼女と手を繋いだ途端に真っ暗だった世界にわずかに外界の輪郭が浮かび上がった。朧げなシルエットであるが、ちゃんと轟や萌葱、『ニラートマン』の姿は確認できる。
(僕にも見えた……アイツの居る場所が……!)
羽根や冷凍光線で激しい攻撃を繰り出す『怪鳥』相手に轟と萌葱は奮戦している。
『オラァ!!』
『起爆!!』
『鉄王』が『怪鳥』にタックルをしてふっ飛ばし、萌葱が地面に仕掛けたトラップを起動させて無防備になったところにダメージを与える。しかしそれでも『怪鳥』はタフですぐに動き出してしまう。
『まだ生きてるの……!?』
『やべっ!』
瀕死の『怪鳥』が迎撃に飛ばした羽毛をふたりは咄嗟に『アートマン』でガードするが疲労のせいですべてガードすることはできず、いくつか食らってしまった。
『まずい! 氷で足を止められた!』
『こっちも動けない! 攻撃が……!』
足を氷漬けにされたふたりの前に『怪鳥』はゆっくりと近づき、嘴を開けた。これほどの至近距離だと『アートマン』でガードするのも不可能だ。絶体絶命の危機に轟と萌葱はハッと息を呑む。
(間に合え……!)
焦る蒼に対し、白は至って冷静に飛び出す機会を伺っている。早すぎてもダメ、遅すぎてもダメという相当プレッシャーのかかる部分だが、それでも白の目に迷いはない。決して冷徹というわけではなく、頬にはわずかに汗が伝っている。重圧を感じているがそれを押し殺して最善の結果を導こうとしているのだ。そんな永遠のような数秒間の短い時間の中、ついに白が合図をする。
「今……!」
「開ける!」
遂に影の穴が開き、勢いよく蒼と白が飛び出すと今まさに攻撃を放とうとしていた『怪鳥』の迎撃に向かう。
「『死想の聖母』……」
白の『死想の聖母』がボロボロになった『怪鳥』の胸元を斬りつける。するとダメージを受けた『怪鳥』の顔が大きく動き、それに伴って吐き出される冷凍光線の軌道も変わって身体のすぐ横を通り抜けるが白は涼しい顔をしている。
「今傷を作った、そこを狙って」
見ると確かに『死想の聖母』の大鎌によって『怪鳥』の胸には深い切り傷が刻まれている。そこから全身に細かくヒビが走っており、あともう少しで粉々に割れてしまいそうだ。蒼は頷き、『彷徨える影』とともに『怪鳥』の前に飛び出した。
「今度は確実に当てる……! 彷徨える影!!」
そして『彷徨える影』が双銃を構え、同時に引き金を引いた。すると銃口からは機関銃のごとく大量の青い弾丸が発射され、『怪鳥』の胸の傷に殺到し、たやすく貫通した。致命傷を受けた『怪鳥』は耳をつんざくような断末魔を発し、床に叩きつけたガラス細工のように粉々に砕けてしまった。
「やっと倒せた……」
肩で息をする蒼は寒いのにも関わらず額を伝う汗を拭い、周囲を見回す。苦戦を強いられたが白も轟も萌葱もなんとか無事で胸を撫で下ろした。これで一応危機は去ったということだろう。しかし隣の白は何やら怪訝そうに周囲の様子を伺っている。
「……おかしい。『ニラートマン』を撃破したのに『支配領域』が消滅しない」
「それってどういう――」
意味深な白の言葉の意味について蒼が尋ねるが、その時屋上の出入り口のドアを突き破って何かが飛び出し、四人はさっと後ろを振り返る。そこに居たのはあの氷と冷気を操る『怪鳥』だった。しかしあれはまさに今倒した筈である。ならばそれが意味するのは――
「もう一体!?」
「やっぱり複数居たのね。どこかに潜伏していたみたい」
「おいおいどうすんだコレ!? また同じ戦法が通用するとは思えねぇぞ!?」
「黙りなさい! 覚悟決めるしか……!」
動揺する蒼たちだが、逃げる選択肢はできない以上体力の限界が近くても迎撃するしかない。覚悟を決めてそれぞれの『アートマン』を四人は呼び出す。そして無傷の『怪鳥』は処刑を宣言するかのごとく吠えると、満身創痍の蒼たちに向けて翼を広げ――
「灰燼に帰せ、『焔剣帝』」
その時、『怪鳥』の全身が紅蓮の炎に包まれた。耳障りな絶叫を上げながらみるみるうちにその氷の身体は炎の光を反射しながら小さくなっていく。そして空中に浮かぶ炎の塊は力尽きたかのように墜落し、最後は欠片みたいに小さくなって何一つ痕跡を残さず消失した。それと同時に『支配領域』も崩壊し、くまなく霜が覆った校舎はまるで嘘みたいにいつもの姿を取り戻し、真冬のように寒かった気温もみるみるうちに平常気温に戻っていく。むしろ暑いくらいで、オマケに戦闘の余波であちこち破壊されていた校舎も何事もなかったかのように元の状態に戻っている。まるであの戦いが嘘だったみたいだ。
「これで最後だな? 桃歌」
「うんバッチリだよー。四体全滅で『支配領域』の消滅も確認。ミズキ今日も頑張ったでしょー?」
そして開け放たれた出入り口の方からふたりぶんの足音が聞こえて蒼たちはそちらに顔を向ける。青年と幼い少女の声だ。その声の主たちは暗闇からゆっくりとその姿を晒け出す。まず目を引くのは無骨で雄々しい真紅の甲冑を纏う『アートマン』とピンクと水色の色に分かれたやたら体が大きいクマの着ぐるみだ。そしてそれらを従えている長身の青年と小柄な少女。
「お前が夜見蒼だな」
状況が飲み込めず、困惑の表情を浮かべる蒼の前に長身の青年がやってきて涼しげな切れ長の目で蒼を見下ろした。
「あなたは……」
「俺は緋野玲司。『彩羽学園』生徒会長にしてこの『オルフェンズ』のリーダーだ」
「モモカは水姫桃歌! 一年生! よろしくね~」
これが蒼と『オルフェンズ』の邂逅だった。