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第1章「覚醒の夜」・2

 そんなこんなで授業は全て終わり、待ちに待った放課後だ。しかも今日は金曜日なので土日と続けて休みということでなんだかいつもより開放的な気分になる。バスの後ろの座席に座る蒼はイヤホンを装着してお気に入りのアニソンのプレイリストを再生しつつSNSのタイムラインで何か面白そうな話題を探すが、なにやら話題の漫画の新刊が本日発売のようだった。その漫画は蒼も集めており、作者描き下ろしイラストのブックカバーもキャンペーンで貰えるらしい。人気作ということもあってあちこちでは売り切れの店舗も続出しており、買えなかったと嘆いているファンも多く目につく。


(早く買いに行かないとな……前巻の最後が気になる引きだったし)


 そして駅前の停留所でバスを降りた蒼は商業ビルの3フロアぶんを占有する大型書店で書籍を物色していた。辛うじて目当ての漫画の新刊は数冊残っており、蒼は無事それを確保出来た。しかし買い物はそれだけではなく、蒼は他のコーナーも覗いて面白そうな本を探してみる。彼が向かったのは心理学のコーナーだ。学術的な難しそうな本から何やら胡散臭いスピリチュアル系の本まで様々で宗教的なアプローチの内容のものもある。別に彼が将来心理学の方面に進む意志を持っているというわけではないが、ただちょっとした興味があって覗いているだけだ。


深雪黎人(ミユキクロト)……?」


 すると平積みにされた新刊のコーナーに見覚えのある名前を見つけて蒼はその著者の本を手に取る。最近何度かテレビに出演しているのを見た記憶があるが、白の父親なのだろうか。本のタイトルは『オートマータの世界』というもので、中身にざっと目を通してみるが人は自我を捨てることにより真の幸福が得られるというよくわからない話で、ちんぷんかんぷんな蒼はそっと元の場所に本を置いた。


「『アートマン』……?」


 適当に一冊の本を手に取り、パラパラとページをめくってみるとふとそんなワードが目についた。ヒンドゥー教などヴェーダの宗教で扱われる概念で、人間の意識の深淵に秘められた個の根源を意味する単語とのことだ。わけもなくそのワードが引っ掛かりつつも値段を確認してとてもじゃないが手を出す気になれなかった彼はそっとそれを本棚に戻す。本屋のあちこちのコーナーを覗いていたら大分時間が経っており、閉店の時間が目前にまで迫っていた。本屋を出た蒼はバスに乗り、そして降りて昨晩買い物したコンビニの前を横切り黙々と家に向かう。


(『アートマン』)


 先程から頭の中を埋め尽くすのはそのワードだ。白の背中から舞っていた黒い羽根、グラウンドで蒼に拳銃を突きつけた謎のロングコートの帽子男。それらが同時に思い出されてなんだか息苦しさを感じた。人気の無い夜道を足早に進み、やがてあの白い陸橋の前にやってくる。しかしそこに白の姿は無い。それになぜだか安心感のようなものを抱き、彼はそのまま陸橋を通り過ぎようとした。しかしその時唐突に強い風が吹いた。木々が揺れ、陸橋のあちこちから軋む音がし、蒼は腕で顔を庇う。そして風が止み、ゆっくりと閉じていた瞼を上げるとそこには、


「影……」


 グラウンドで遭遇したあの黒いコートに帽子をかぶった奇妙な男が立っており、二挺の拳銃を蒼に突き付けていた。蒼は咄嗟に背中を向け、陸橋の階段を駆け下りて夜道を疾走する。殺されるという予感があった。

街灯や民家、店や車のヘッドライトなど周囲に光源はいくつもあるが、目の前の闇を払うには心もとない。ちらりと後ろを見るとあの黒い影は蒼が走るのとちょうど同じスピードで後ろを着いてきている。恐怖と焦りで心拍数が急上昇していくが、ちょうどそのタイミングで交番が見え、蒼は一目散にそこに駆け込む。


「おまわりさん! 助けてください! 銃を持った男に追われてて!!」


 机に向かって何やら書類を記入していた40代くらいでガッチリした体格の警察官は蒼のそんな言葉に面食らい、その場を立ち上がった。


「なに!? その男はどこに!?」


 蒼はいつの間にか目前にまで移動していた『影』を指差す。


「お、おまわりさんのすぐ目の前に!!」


 しかし警察官はあたりを確認し、拳銃のホルダーに手を添えつつ外も確認するがやはりすぐ近くに佇んでいる「影」には気付いてないようだった。


「居ないじゃないか。まったく……大人をからかうんじゃない! 大体キミ高校生だろう! こんな時間に出歩いて――あ、コラ待ちなさい!!」


 語気を強める警察官から逃れるように蒼は交番を駆け出し、ひたすらに家に向かう。あそこに逃げ込めばきっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。しかし「影」はしつこく蒼の背中を追い続けている。


――とにかくあなたは気をつけた方がいい。いつか『ソレ』に殺されかねないから


 白のそんな言葉を思い出した。しかしその時いきなりスマホが鳴り、相手の名前を確認するが知らない電話番号だった。頭が080なので個人からかかっていることだけはわかった。もしかしたらこの状況を打破する鍵になるかもしれない……蒼は一縷の望みをかけてその電話に出る。


「も……もしもし!?」


「よし繋がったか、いいか死にたくなければ俺たちの指示に従うんだ」


 若い男の声だ。歳は蒼より上の印象を受ける。自分とは違う、張りのある自信に満ちた声だと思った。


「あなたは誰……!?」


「説明している暇はない! とにかく俺の話を聞くんだ!」


「そんな……」


 電話の向こうの男は蒼の言葉も聞かず、ただそれだけを訴えかける。しかし蒼は不思議と素直に彼の指示に従おうと思った。そうすればきっと大丈夫だと、そんなカリスマを彼の声から感じた。


「名前を呼べ! お前の『アートマン』の名を!!」


「僕の『アートマン』の名前……?」


『アートマン』……人間の意識の深淵に秘められた個の根源。本屋でふと目にしたそのキーワードがフラッシュバックする。


「知っているはずだ、ソイツはお前自身なのだから!」


 電話の向こうの男の言葉には熱が宿っている。相手が一体誰なのかはわからないが、危機的状況である以上なりふり構っていられない。蒼は自宅を目指していた足を止め、静かに振り返って己の背後に佇む『影』を見据える。額に二挺の拳銃を突き付ける黒いロングコートに帽子の怪人。電話の男はただ名前を呼べと言った。そしてその名を自分は知っているはずだと。蒼は目を瞑り、だらんと下げていた右腕を伸ばし、怪人を制するように掌を向けた。そして閉じた瞼を開き、高らかにその名前を宣言する。


「――『彷徨える影(ナイトクロウラー)』!!」


 すると『影』……『彷徨える影(ナイトクロウラー)』は突然動きだし、蒼の首元に腕を伸ばし、思い切り何かを掴んだ。それが掴んでいるのは蒼の首ではない。彼の首に巻きついた透明な『何か』だ。ミシミシと黒い瘴気が『彷徨える影(ナイトクロウラー)』の指と指の間から漏れ出すのが見える。更に『彷徨える影(ナイトクロウラー)』が握る力を強めると透明な何かは徐々にその姿を現していく。


「なんだこの……ヘビ……?」


 それは細長い蛇のような異形の怪物だった。表面は黒くヌメっており、なんだか生理的に嫌悪感を抱かせる。どうやら蒼の首の違和感と痣の原因はコイツのようだ。するとヘビは全身を大きく動かして『彷徨える影(ナイトクロウラー)』の手から逃れ、空高く飛び上がると大きく口を開き、喉の奥から何かを吐き出した。咄嗟に蒼は地面を蹴るように後方へ飛び、間一髪のところで飛来した何かを回避した。


「!?」


 何かが焼けるような音と嫌な匂いがし、足元を確認すると何やら芝生が焦げて白い煙が揺らめいているのが見えた。どうやらヘビが吐き出した液体は強力な酸のようだ。あれが直撃したらひとたまりもないだろう。蒼は慌ててその場を駆け出し、ヘビから距離を取ろうとするが見た目に反してヘビの動きもかなり早く、絶え間なく酸を吐き出してくる。運動が苦手な蒼にとって相手の攻撃を回避するので精一杯だしスタミナが無いので既に息も絶え絶えという有様だ。


(どうすればいいんだこんな相手!?)


 公衆トイレの壁に隠れ、何とか相手の攻撃から身を守る。背後から何かが焼ける音と刺激臭がするが流石にこの分厚い壁を破るほどの威力は無いようだ。しかし油断は禁物だ。


「攻撃が止んだ……?」


 周囲が静かになったことに違和感を覚えた蒼は恐る恐る壁から顔を出し、周囲の状況を確認するがあのヘビの姿はどこにも見当たらない。逃げたのか? いや違う。奴は姿を消す厄介な能力を持っている。ならばどこに潜んでいるのか。


「くっ――!?」


 嫌な予感がした蒼が大きく上半身を動かすと体のすぐ横を酸の塊が飛んで行く。それが放たれたのは前方ではなく後方。つまりいつの間にか相手の接近を許していた。姿が見えない相手をどうにか探そうとするものの、相手は攻撃する度に移動をしているようで場所の特定は出来ない。狙いは甘く、酸の塊が飛ぶ速度も遅いので一応どこから飛んできたかさえ把握できれば回避はできなくもないがそれでもスタミナと集中力の限界は近い。


「!」


 その時突然蒼の横を通過した酸の塊が軌道上にあった街灯のポールにぶつかり、一瞬で腐食が進んだポールは自重でへし折れ、盛大な音とともに倒れた。一瞬であたり一帯が真っ白になるほどの強い輝きが発せられる。しかし蒼は街灯を背にしていたのでその閃光で目を焼かれることはない。しかしその一方でマヌケは居た。黒板を引っ掻くような嫌な鳴き声をあげながら透明化していたヘビが再びその気持ち悪い姿を表す。


「見つけた……『彷徨える影(ナイトクロウラー)』!!」


 蒼の声に応じ、消えゆく灯りを振り払うように『彷徨える影(ナイトクロウラー)』は地面から……蒼の影から出現した。そして既にその二挺の拳銃の銃口は地面をのたうち回っているヘビをしっかりと捉えている。


「撃て!」


 蒼の命令と同時に右の拳銃の銃口から蒼炎を纏う弾丸が撃ち出され、ヘビの首を抉り飛ばす。すると吹き飛ばされた首は空中で霧散し、残った胴体も左の拳銃から放たれた弾丸で心臓を貫かれ、ほどなく掻き消えた。


「や……ったのか?」


 イマイチ実感が湧かないまま蒼は立ち尽くし、『彷徨える影(ナイトクロウラー)』も役目を終えてその姿を消す。蒼は周囲を見渡し、己の手のひらに視線を落とした。倒れた照明も公衆トイレの焦げた痕も焼けた芝生も全部幻ではなく現実だ。そして自分が持っている『アートマン』の能力も……その現実に膝が震え出した蒼だがポケットのスマホがいきなり鳴り出し、恐る恐る画面を確認するとそれは先程掛かってきた番号と同じものだった。


「……もしもし?」


『よし、無事なようで何よりだ。お前もなんとか『アートマン』の力に目覚めたようだな』


「そろそろあなたが誰なのか話してください、一体どんな目的で僕に近づいたのかも……!」


『それは後で話そう。今は時間が無い』


「まっ、待ってください! 僕はただ……」


『周りを見ろ。野次馬たちやパトカーたちが続々とやってきてるぞ。見つかったら面倒なことになる。悪いことは言わないから早くそこから立ち去ることだ。誰かにお前の姿が見られないうちに』


「うわ、本当だ……」


 スマホに耳を当てたまま蒼が周囲を見回すと近所に住んでいる人たちが老若男女問わず蒼の居る公園にやってくるのが見えた。更に耳を澄ませば遠くの方からパトカーのサイレンの音も聞こえてくる。もう間もなくこの公園は大勢の人々に取り囲まれてしまうだろう。そうなってしまったら確実に蒼は重要参考人として警察のお世話になる。


『まぁお前が俺たちについてよく知りたいということであれば『彩羽学園』の地下階段を降りた突き当りの奥にある部屋に昼休みか放課後に来い。そこに『俺たち』は居る』


「あっちょっと!」


 そうして一方的に電話は切られ、蒼は途方に暮れる。電話の向こうの人物が誰なのか蒼には知らないが、声は聞き覚えがあったし『彩羽学園』に居るということから自分の関係者であることはほぼ間違いないだろう。しかしこれ以上考えている時間もなく、蒼は人目を避けるように公園の隅へ向かい、金網フェンスをよじ登って現場から立ち去る。あとは最短距離で家に帰り、誰にも見つかっていないことを祈るだけだ。

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