第5話『手土産のエクレアは高級か』
寿命、と僕は彼女の言葉を繰り返した。
「そう……魔法を使えば使うほど、私たちの持つ寿命が削られていくのだと言われているわ」
「言われている? 確かなことではないの?」
「科学的な根拠はないらしいの。けれど過去に何人かの魔法使いで構成された研究チームが実証実験を行った結果、魔法の使用頻度と死亡年齢に何らかの因果関係があるのではないかという結論に達しているそうよ。同じ年の生まれである魔法使いでも、毎日のように魔法を使っていた人は三十歳手前で突然心臓発作を起こして死亡し、魔法にはまるで興味がなく一切使ってこなかった人が九十過ぎまで生きて最期は老衰……といった例が何件も報告されているんですって」
「そうなんだ……それならやっぱり、魔法を使えば使った分だけ早死にしちゃうっていうのは本当みたいだね」
「えぇ。さっき体力について言及した時に曖昧な返事しかできなかったのは、私自身、魔法を使った日はやたらと疲れを感じたり、翌日になって発熱したりといったことがよくあるの。だから体力についても寿命と同じように魔法の使用と何らかの因果関係があるんじゃないかって、自らの経験として感じていることなのよ」
へぇ、と彼女の話に聞き入りながら相槌を打った僕は、次の瞬間、はっとして目を大きくした。
「……ちょっと待ってよ」
あることに気がつき、僕は体温が一気に下がるのを感じた。その場に凍りつく僕をよそに、水梨さんはいつものすまし顔で小首を傾げる。
「じゃあ僕は……一年前のあの時、きみの寿命と引き換えに命を救われたってこと……?」
一年前。トラックに轢かれそうになった僕に、水梨さんは迷いなく魔法をかけた。つまりそれは、僕の命を救ったことで彼女の尊い寿命がいくらか失われてしまったということに他ならない。
「そういうことになるわね」
僕を生き残らせたおかげで自らの死期が早まったというのに、彼女は何でもない顔をしてさらりと答えた。
「そういうことって……! どうしてあの時教えてくれなかったんだよ!?」
「言う必要のないことだったからよ」
は? とすっかり混乱した僕はややきつい口調になりながら彼女を睨む。けれど彼女はやっぱりすまし顔を崩さない。
「私の父も魔法使いなのだけれど――魔法使いというのは魔法使いからしか生まれないのよ――、魔法の対価が寿命だという話を父から聞かされた時、じゃあ自分はこの先どうやって魔法と向き合っていこうかって真剣に考えたの。確かに他の人にはない魅力的な力ではあると思ったけれど、自分以外の誰かと通じ合える力ではないと思ったわ。魔法を使ったところで友達が増えるわけでもないし、それどころか気味悪がられたらどうしようって、不安になるばかりだったの。流行りの物語のように過去に戻って人生をやり直すことだってできないし、むしろ魔法は、ただひたすらに孤独を加速させるもの……私には、そう思えてならなかった」
少しだけ遠い目をして、彼女は内に秘めた静かなる想いをゆっくりと吐露していく。
「魔法による便利さに頼って人生の幕を人より早く下ろすくらいなら、魔法に頼らず地道にがんばって、周りの人たちと一緒に本来の寿命が尽きるまで人生を楽しみたい……だから私は、少なくとも自分の利益のために魔法を使うことは一切しないと決めているの。一年前のあの時は、純粋にあなたのことを助けたいと思ったから魔法の力を頼っただけよ。目の前でトラックに轢かれかけている同じ高校の生徒がいて、なおかつ自分には助けられる力がある……ここで力を使わなくて一体いつ使うのよって、瞬時にそう思ったことは今でも忘れていないわ」
朗らかに、そして優しい目をして、水梨さんは綺麗に笑った。その瞳に嘘がないことは明白で、だからこそ僕は、彼女のことを直視することができなくて。
「……ごめん」
うつむいて、消え入りそうな声を絞り出す。「やめてちょうだい」と彼女はからりと言いきった。
「謝られるくらいなら、『ありがとう』と言ってほしいわね」
あの時も聞いたけれど、と彼女は楽しそうに笑った。まったくもって彼女の言うとおりだ。命をつないでもらったのに、謝ってどうする。
「ありがとう……水梨さん」
今度はちゃんと彼女の目を見て、僕は精一杯の感謝を伝えた。「どういたしまして」と彼女は穏やかに微笑んだ。
「それはそうと、一体誰が赤嶺さんを殺したんでしょうね?」
「うん……。殺害予告を出すくらいだから、よほどの恨みがあったんだろうとは思うけど」
「殺害予告?」
水梨さんは興味をそそられた目をして言った。どうやら今朝方の出来事については聞き及んでいないらしい。
一呼吸入れてから、僕は改めて口を開いた。
「今朝、赤嶺さんの机の上に花が飾られていたんだよ」
「まぁ、そうなの……。知らなかったわ、そんなことがあったなんて」
「で、それを見た智詩が殺害予告じゃないかって言い出して」
「サトシ?」
「茶谷智詩。知ってる?」
「えぇ、苗字を聞いてわかったわ」
「冗談で言ったんだろうけど、まさか本当に殺されちゃうなんて……」
今朝の出来事を振り返ると、それに伴って赤嶺さんの遺体の様子までもが脳裏にくっきりと浮かび上がってしまった。ぎゅっと目を瞑り、焼きついた映像を振り払うべくぶんぶんと首を振る。
ふふっ、と唐突に水梨さんが笑った。
「今回の犯人はずいぶんとユーモアのセンスにあふれた人のようね」
「ユーモア?」
「だってそうでしょう? 赤嶺小百合さんの机にユリの花なんて」
「あ」
なるほど、小百合にユリか。今の今まで気づかなかった。
「ねぇ、このまま犯人捜しを続けるつもり?」
面白いおもちゃを見つけた子どものような目をして、水梨さんが問うてきた。僕は少しだけ考えて、「そうだね」と答える。
「きっと何日も警察が学校内をうろつくだろうし、マスコミだって黙っちゃいない……このままズルズルと非日常の世界が続くのはやっぱり気に入らないよ。それに僕、一度気になり出したことは白黒はっきりさせたい質だから」
そうだったわね、と水梨さんは髪を耳にかけながらやや目を細める。
「だからあなたは、イレギュラーな事態に巻き込まれてその一点に思考を持っていかれないよう、徹底して同じ毎日を繰り返している。抱いた一つの小さな疑問に、時間を奪われてしまわないように」
うん、と僕は淀みなくうなずいた。水梨さんは困り顔で肩をすくめているけれど、それが僕の生き方なのだから仕方がない。
「それに……」
「それに?」
「……きみの無実を、きちんと証明できたらいいなと思って」
結局のところ、僕の知る魔法使いは現時点で水梨さんただひとり。彼女が犯人ではないと心から信じるためには、別の魔法使いによる犯行であることを立証しなければならない。
半分は、意地の問題だと思った。
たぶん僕は、心のどこかで水梨さんが殺人犯であってほしくないと思っている。
だって彼女は、僕の命の恩人だから。
「そう。それはとても心強いことね」
水梨さんは微笑んだ。
「何か協力できることがあればお手伝いするわ」
「ありがとう。……うん、きっとあるよ。だってこれは、きみたち魔法使いが起こした事件だからね」
戻ろう、と僕は水梨さんとともに校舎内へ向かって歩き出した。さすがに何十分もコートなしで外にいたんじゃ体が冷えて仕方がない。
水梨さんと別れて教室に戻ると、智詩が保健室から帰ってきてクラスメイトたちと話をしている姿が一番に目に入った。マスクをしているからはっきりしたことはわからないけれど、休んだおかげかさっきよりも顔色がよくなっているような気がした。
「おう」
向こうもこちらに気づいたようで、一直線に僕を目がけてやってきた。
「どこ行ってたんだよ?」
「んーと……野暮用、かな」
「はぁ? 何だよそれ」
「それより、もう大丈夫なの? 体調は」
「あぁ、短い時間だったけどぐっと眠れたからだいぶ回復した。つーか、オレのことより赤嶺だよ!」
興奮冷めやらぬ様子で、智詩はぐいぐいとまくし立てた。
「やべぇって! まさかマジで殺されちまうとはなぁ! しかも空から降ってきたんだって? くぁーっ、オレも見たかったわーあいつが落ちてくるところ!」
「実際に見ていないからそんなことが言えるんだよきみは。僕はもう二度とあんな光景は目にしたくない」
やっぱり思い出してしまい、胃のむかつきを覚えて思わず右手で腹をさする。しばらく食べ物がまともに喉を通らないかもしれない。
「……誰が犯人なんだろ」
「な。ってか、この学校に通ってるヤツのほとんど全員が容疑者みてぇなもんだろ」
「そうかな」
「そうだよ! あいつほど誰彼構わず喧嘩腰で、他人の恨みを買いまくってたヤツが他にいるか?」
確かに、それについては全面的に同意する。敵の多さだけで言えば彼女は別格だ。
――そうか。
智詩の一言がヒントになった。彼女が誰からどんな恨みを買っていたのかが具体的にわかれば、犯人に近づけるかもしれない。
「ごめん、僕ちょっと出るよ」
「あ? どこ行くんだよ?」
「野暮用」
短く答え、僕は智詩に背を向けて再びC組の教室を離れた。智詩から「またかよ!」と声をかけられたけれど、彼は僕を追ってはこなかった。
目的の人物は二年A組の生徒だったが、教室に彼の姿はなかった。その行方をA組の友達に尋ねると、「そりゃああれだよ、取材!」と返ってきた。なるほど、もっともな答えだ。こんな大事件を前に、ジャーナリストである彼が黙って席についているなんてあり得ない。
とはいえ、この広い学校の中で彼の居場所を特定するのは極めて困難だ。仕方なく僕は彼の連絡先を聞き出し、電話をかけてみることにした。
すぐに連絡がついたものの、やれ取材で忙しいだの誰から連絡先を聞いただのと散々文句を言われ、本題に入る前から僕はぐったりさせられてしまった。
『で? 何の用?』
「あー、きみから情報を買いたいと思って」
『ふぅん、いいよ。何がほしい?』
「ついさっき亡くなった赤嶺小百合さんについてなんだけど」
『へぇ、何なに? きみもこの事件について調べてるわけ?』
「まぁ……ちょっと事情があって」
『ほぉう、彼女とは何かワケありなのかな?』
「違う、そういうことじゃなくて……!」
『ふふっ、まぁいいよ。きみと赤嶺さんとの関係なんて調べればすぐにわかることだからね。で、具体的にどんな情報をご所望なのかな?』
「あ、えっと……この事件に関する情報なら何でも」
『何でも! ずいぶんと欲張りだな、きみは』
はっはっは、と電話の向こうから快活な笑い声が聞こえてくる。どう反応していいのかまるでわからない。
『いいよ、わかった。今はまだ取材中だから、明日また改めてってことでいいかい?』
「うん、もちろん。……あー、きみは情報料を取るって聞いてるんだけど、いくら用意しておけばいいかな」
『駅前にある〝パウンドフレーズ〟っていう洋菓子屋さんのエクレア』
「へ?」
思いもしなかった言葉が飛び出し、僕はおもいきり素っ頓狂な声を上げてしまった。
『そうだな……三つ。三つ買ってきてくれればだいたいの情報は提供できると思うよ。保険をかけて五個買ってきてくれてもいい。いただいた分の情報は確実に提供することを約束しよう』
なるほど、彼に対する情報料は金銭ではなくスイーツで支払うシステムか。
「わかった、買うよ」
『オーケイ、それじゃあまた明日』
ほとんど一方的に通話を終了され、どっと疲れが押し寄せてきた。
「……エクレア、高いのかなぁ」
はぁ、と大きくため息をつく。自らの意思で調査を始めたのは確かなのだが、それがどうして財布の心配をする羽目になっているのかと、僕は自分自身に対して苛立ちを覚え始めていた。
かといって、僕の性格上もう何もかもが手遅れだ。犯人が誰であるのか、突き止めなければ気が済まなくなってしまっている。心のモヤモヤを抱えたままでは、いつまで経っても平穏で秩序的な日々には戻れない。
湧き上がる苛立ちをどうにか鎮め、僕はC組の教室へと戻った。クリームたっぷりのエクレアを想像したら、胃のむかつきが加速した。