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第4話『アリバイ、トリック、錯覚』

 水梨さんはしばらく僕のことをじっと見つめ、やがて風によって乱された髪を右手でそっと耳にかけた。


「私は何もやっていないわ」


 しなやかな口調で紡がれたその答えに、僕はやや眉を上げる。


「本当に?」

「えぇ。……まぁ、たとえ私が犯人だったとしても同じように答えるけれど」

「…………」

「冗談よ。本当に私じゃない」


 どこまで信じたものかと一瞬戸惑ったけれど、ひとまず彼女の言うことを信用してみることにする。


「でも、赤嶺さんが空から落ちてきた件については間違いなく魔法によるものだと僕は思うんだけど」

「直接事件現場を見たあなたがそう言うのなら、きっとそうなのでしょうね」

「でも水梨さんは犯人じゃないんでしょ?」

「えぇ、そうね。他の魔法使いの仕業じゃないかしら」

「他にもいるの? この学校に魔法使いが」

「私が知っているだけでもひとりは確実にいるわね。きっと他にも何人かはいるでしょう」

「きみが知っているひとりっていうのは、具体的に誰なの?」

「それは教えられないわ。本人の名誉にかかわることだもの」


 そういうものなのか。どうやら彼女たちには彼女たち魔法使い同士にのみ通ずるルールがあるらしい。


「とにかく、赤嶺さんを殺したのは私じゃない」

「それ、きちんと証明できる?」


 こんなことを口にしてしまうのだから、やっぱり僕は彼女のことを信用していないのかもしれない。水梨さんはクスリと小さく笑った。


「なんだか刑事さんみたいね」

「いや、僕は……別に」

「怒っているの?」


 小首を傾げ、水梨さんは僕を覗き込んでくる。


「あなたの愛してまない、平穏で秩序的な日常をひっくり返されてしまったから?」


 図星を突かれ、僕は黙るしかなかった。水梨さんはクスリとまた笑う。


「いいわ、証明してみせましょう。私には完璧なアリバイがあるのよ」

「アリバイ?」


 えぇ、と水梨さんはすました顔で答える。想定外の単語が飛び出し、僕は眉間にしわを刻んだ。


「魔法を使って殺したのに、アリバイなんて証明してどうするの」

「勘違いしてもらっては困るわ。魔法というのは、あなたが思っているほど万能ではなくてよ?」


 どういう意味だ。一口に魔法と言っても何から何まで自由に操れるわけではないということか。

 僕のしかめっ面を見て、ふふふ、と水梨さんはますます楽しそうに笑った。


「……何がおかしいんだよ」

「ごめんなさい。やっぱり普通の人からすれば、魔法と聞くと夢のようなアイテムを想像するのね」

「違うの? 実際は」

「半分は正解、もう半分は不正解……といったところかしら」


 そう答えた彼女は居住まいを正し、改めて話し始めた。


「まず知っておいてほしいのは、私たちの使う魔法の効力が及ぶのは、魔法使いを中心として半径五メートル以内に限定されるということ。魔法をかけた人、あるいは物が効力範囲外に出てしまった場合、効果が切れ、これまでどおり自然界の法則に従うことになるわ」


 へぇ、と僕は素直な感嘆の声を上げた。なるほど、そうやって聞くと確かに魔法というのは万能ではないように思えてくる。


「たとえば私があなたに〝透過〟の魔法をかけたとして、私の立つこの場所から半径五メートル以内にあなたが入っている限り、あなたの体はすべてのものをすり抜けることが可能になる。けれど、一歩でも範囲外に出てしまえば、あなたにかけた〝透過〟の魔法は効力を失い、あなたはこれまでどおりすべてのものに触れられる体に戻ってしまうという仕組みね」


「ということは、一年前にきみが僕のことを交通事故から救ってくれた時、僕はたまたまきみの魔法の効力が及ぶ半径五メートル圏内にいた……だからきみは、僕に〝透過〟の魔法をかけることができた?」


「えぇ、そのとおりよ。つまり、もしあなたの言うとおり赤嶺さんが魔法によって空に浮かび上がらされ、転落死させられたとするなら、少なくとも犯人である魔法使いは犯行当時、彼女と半径五メートルの範囲内で一緒にいたということになる。グラウンドから三十メートルも上空から落ちてきたわけだから、犯人が地上にいたということも考えられない。もしも犯人が地上にいたのだとすれば、彼女の体が宙に浮いていられるのは地上から五メートルの高さまで。それ以上は自然界における物理法則に従うため、彼女の体は地球の重力に引っ張られて空へと舞い上がることはできず、改めて魔法をかけられない限り、そのまま地上へと落下する」


 要するに、と水梨さんはピンと右の人差し指を立てた。


「彼女が空から落ちてきたその瞬間、犯人も彼女と同じくあなたたちのいたグラウンドの三十メートル上空付近を飛んでいた、ということね」


 なるほど、と僕は完全に納得した顔をしてうなずいた。しかし、そうすると一点疑問が生まれる。


「でも、僕らが見たのは赤嶺さんの姿だけだよ?」

「〝透明化〟の魔法をかけていたんでしょう」

「〝透明化〟?」

「そう。〝透過〟がものをすり抜ける性質を与える魔法であるのに対して、〝透明化〟は物や人を目に見えないよう透明にしてしまう魔法よ。……まぁ、名前なんてどうでもいいわね。アニメや漫画の世界と違って、私たちが魔法を発動させるのに詠唱は必要ないもの」


 心の底からどうでもよさそうに、水梨さんは素っ気ない口調で言った。


「トリックと言うにはいささ大袈裟おおげさかもしれないけれど、犯人の魔法使いはきっとこんな手段を用いたのでしょうね……まず、体育の授業に向かった赤嶺さんをひとりきりにする。……そうね、たとえば持ってきたはずの体育館用シューズに〝透明化〟と〝透過〟の魔法を同時にかける。そうすると目にも見えないし手に持っている感触もなくなるから、彼女はシューズを教室に忘れてきたと錯覚するでしょう。そんな感じで教室へ戻らせるよう仕向けてひとりの時間を作る、とか。そして犯人は、ひとりになった彼女に再び魔法をかける……周りの人間から姿を見えなくする〝透明化〟、叫び声を上げさせないための〝消音〟、そして彼女が上空で暴れ出さないよう動きを封じる〝石化〟……そんなところかしら。彼女へのそうした下準備を施したのち、犯人は自らにも〝透明化〟と〝飛行〟の魔法をかけ、地上三十メートルの空へと透明化した彼女を抱えて舞い上がる。あとはタイミングを見計らって彼女にかけた魔法を一気に解き、地上目がけて放り投げれば……」


「グラウンドにいた僕らには赤嶺さんが空の上に突然現れたかのように見え、僕らは彼女がひとりでに転落したと錯覚する……」


 えぇ、と水梨さんはうなずいた。僕はごくりと唾をのみ込む。


「体育の授業中を選んだのはあなたたちのような目撃者がほしかったからでしょう。彼女の体が宙に浮き、真っ逆さまに地上へと墜落した……そんな魔法使いらしい派手な演出を楽しんでもらいたかったのかもしれないわね」


 楽しむどころか、食べたばかりの朝食を盛大にぶちまけることになった生徒が続出して、そちらはそちらで大変な騒ぎになってしまったのだ。どうせ殺すのなら僕らの前でなくひっそりと事を遂行してもらいたかった。……いや、何と言っても人殺しなんて絶対にしてはいけないことなわけだけれど。


「アリバイの話に戻すわね」


 一息入れつつ、水梨さんはさらりと話を前に進める。


「赤嶺さんが落ちてきたのは一時間目の授業が始まって五分ほどが過ぎた頃だと聞いているけれど、それは間違いない?」

「うん、間違いないよ」

「そう。だったらやっぱり私のアリバイは証明されるわ。だって私はきちんと一時間目の授業に出席していたんだもの。日本史の先生も、クラスメイトたちもみんなそう証言してくれるはずよ」


 なるほど、それなら水梨さんには赤嶺さんとともに僕らの頭上を飛ぶことは不可能ということか。赤嶺さんが犯人である魔法使いの半径五メートル以内にいてはじめて、彼女は空の上からグラウンドへ落ちてくることができるのだから。


「……一応()いておくけど、身代わりを用意していた、なんてことは?」

「それは魔法で私そっくりな別人を作り出して授業に参加させたかどうか、という意味?」

「うん」

「できないわよ、そんなこと。言ったでしょう? 私たちの魔法は万能じゃないって。一円玉を他のアルミ製品に作り替えることはできても、百万円の札束に変えることはできない。無から有を生み出すことは不可能なの」

「なるほどね。なら、仮にきみの身代わりを用意するなら人ひとりをまるっとここへ連れてくる必要があるわけだ?」

「そういうことになるわね。顔の整形程度なら魔法でも可能だから」


 さすがにそこまでの大仕事は今回の犯行計画に組み込まれていないだろう。どうしても魔法を使っての殺人を実行したかったのだとしても、他にいくらでもうまい方法はありそうだ。


「納得していただけたかしら?」


 水梨さんはたおやかに笑ってそう言った。僕は小さく息をつく。


「うん、納得した。疑ったりしてごめんなさい」

「気にしないで。あなたの知る魔法使いは私だけ……疑われても仕方がないわ。けれど、私は赤嶺さんと面識がなかったし、ましてや殺す動機なんて……ね?」

「きみの言うとおりだ。理由もなく人を殺すなんて、魔法使いじゃなくたって考えられないことだよね」

「もう一つ付け加えておくと、もしも私が人殺しを計画するなら、今回のような派手な演出は控えるわね。使わなければならない魔法が多すぎて、とても体が持ちそうにないもの」

「かなりの体力が必要なの? 魔法を使うには」

「体力……まぁ、そうとも言えるし、厳密にはそうじゃないとも言えるわね」


 奥歯に物の挟まったような言い方をする彼女に、僕はおもいきり顔をしかめてしまった。彼女は肩をすくめ、発言の真意を静かに告げた。


「魔法を発動させるのに必要な対価は体力じゃない……寿命よ」

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