第4話『唯一無二の殺人方法』
少し肌寒さを感じるくらい涼しくて快適だったはずの朝は、季節が突然真冬に衣替えしたかのように空気が一気に冷たくなった。
窓の外から、部屋の中へと視線を移す。隣のベッドで眠っていたはずの怜人の姿がない。
「怜人」
僕は部屋を飛び出した。転がるように階段を降り、一階のロビーへ出る。
僕以外にも、宿泊客の数人が自分の部屋から出てきていた。水梨さんのお父さんの姿もあった。
「庭だ」
昨日食堂で見かけた四人家族のお父さんが二階からドタバタと降りてきて、正面玄関から外へ出ようと僕らの前を駆け抜けていく。
「庭で人が倒れてる!」
だが、扉は開かなかった。暗証番号と指紋認証によるロックがかけられていて、解除しなければ中からでも扉を開けることもできないようだ。
「くそ、開かない!」
「こっちから行きましょう」
僕は昨日のことを思い出し、庭へ出られる裏口を指さした。
「芳子さんが庭にいます。扉をたたけば開けてくれるかも」
僕の助言に、四人家族のお父さんは「よし」と勇んで裏口に向かった。走り方が運動神経の良さを感じさせ、足腰だけでなく、上半身までしっかりと鍛え上げられていることがTシャツの上からでもわかる。水梨さんのお父さんよりも十歳以上若そうで、働き盛りの若いパパといった雰囲気だ。
彼は裏口の扉の前に立ち、鍵がかかっていることを確認すると、右の拳でドンドンと強く扉をたたいた。
「大丈夫ですか! なにがあったんですか」
扉をたたく低い音が響き渡る。異様な緊張感に耐えかねて、僕は思わずすぐ隣にいた水梨さんのお父さんと目を合わせた。水梨さんのお父さんも、僕と同じくらい緊張しているようだった。
ピーッ、という機械音がして、外開きの扉がゆっくりと開いた。庭にいた誰かが解錠し、扉を開けてくれたようだ。
芳子さんではなく、伸吾さんだった。何時から起きて仕事をしていたのか、すでにワインレッドのエプロンを身につけている伸吾さんは、血の気の引いた蒼白な顔をして四人家族のお父さんを見た。伸吾さんは言葉を発することができないので、静かに首を横に振るだけだった。庭へは出るな、という意味か、あるいは、最悪の事態が起きたことを嘆くジェスチャーか。
「なにがあったんですか」
四人家族のお父さんが、立ちふさがるようにたたずむ伸吾さんに詰め寄った。
「二階の窓から庭の様子を見ました。人が倒れていましたよね。私は消防士です。救急救命士の資格も所持しています。なにかお役に立てることがあるかもしれない」
伸吾さんは迷うように視線を泳がせ、背にしている庭の様子を振り返った。耳を澄ませると、女性がすすり泣く声がかすかに聞こえる。芳子さんだろう。ここに魚住さんの姿がないということは、倒れているのは、まさか。
そこまで考えて、僕は大事なことを思い出した。バラのアーチをふさぐように絡みついた無数の蔓。その中心にできた繭。わずかに見えた、人の顔。
「怜人」
四人家族のお父さんと伸吾さんの間を強引に割り、僕は庭へと飛び出した。レンガ敷きの小径を行くと、座り込んで泣いている芳子さんに出くわした。
芳子さんの膝もとに、うつ伏せて倒れている人がいた。ペンション内で何度も顔を合わせたから、シルエットだけで誰だかわかった。やはり、管理人の魚住さんだ。血はわずかに染み出している程度だが、背中に包丁が深く突き刺さっている。絶命していることは明白だった。
彼女らの前で一瞬立ち止まったが、僕はその先、バラのアーチに向かってもう一度足を動かした。走れる力は湧いてこず、一歩ずつ、ゆっくりと近づいていくことしかできない。
アーチのすぐ目の前にたどり着く。昼間はちゃんとくぐれたはずのアーチはバラの蔓でびっしりと覆われ、もはやアーチとはとても呼べない、バラの壁と化していた。
その真ん中、繭のようにふっくらと丸みを帯びた蔓の塊は、一人の男をぐるぐる巻きにして締め上げ、アーチの下で宙に浮かせていた。唯一見えている顔は、認めたくはなかったけれど、鮫島怜人で間違いなかった。
「怜人」
血の気の引いた真っ白な顔。つやを失い乱れた髪。舌と目玉が飛び出している。首に刺さったバラの棘でできた傷からは血しぶきが散り、顎を赤く染めていた。死んでいることは確かめるまでもなかった。
怜人が死んだ。
数時間前まで、部屋で一緒にゲームをしていた怜人が。
あまりにも信じられなくて、僕は混乱の最中にいた。バラの蔓に巻き取られ、人間の尊厳を失ったひどい顔をしているのが僕のクラスメイトだなんて、いったいどうしたら信じられる?
凄惨な死に様だった。全身と同じように、首にもびっしりと蔓が巻きついている。絡まった蔓に首を絞められ、窒息死したようだ。恐怖でからだが竦み上がり、僕の首にはなにも巻かれていないのに、うまく息ができなくなった。
「大丈夫かい」
誰かが優しく僕の肩を抱いてくれた。水梨さんのお父さんだった。
「見ないほうがいい。ゆっくり鼻から息を吸って」
大きくてあたたかい手で、水梨さんのお父さんは僕の目もとを覆ってくれた。乱れた呼吸を整えながら、僕は怜人の無残な姿からゆっくりと離れた。
「救急への通報は必要なさそうです」
ペンションの中へ戻る道の途中、四人家族のお父さんが魚住さんの倒れる脇に片膝をつき、脈を取りながらつぶやくのが聞こえた。
「ご遺体はひとまずこのままにしておきましょう。早く警察へ連絡を」
「では、僕が」
僕と一緒に建物の中へ戻ろうしていた水梨さんのお父さんが挙手をして引き受けた。四人家族のお父さんは「お願いします」とこたえながら、声を殺して泣いている芳子さんの背中をさすった。
四人家族のお父さんから指示を受けたのか、伸吾さんが裏口の扉の下にレンガを置き、扉が勝手に閉まらないように処置を施してくれていた。暗証番号はともかく、指紋認証のロックは登録された人以外にはどうすることもできない鍵なので、誰でも自由に出入りできるようにしておかないと、少なくとも今は不便だった。
一方で、そのように扉を開けっぱなしにしておくと、僕らのような宿泊客も自由に庭へ出てくることができるようになってしまう。現に今、建物へ戻ろうとしている僕らと入れ違うように、クラスメイトの水梨さんがすっかり着替えを済ませた白いワンピース姿で庭に姿を現した。
「星蘭」
水梨さんのお父さんがやや強い口調で水梨さんをファーストネームで呼んだ。
「部屋で待っているように言っただろう」
水梨さんはお父さんの声を無視し、一直線にバラのアーチへ向かって淡々と足を動かした。庭にいた誰もが彼女の堂々とした姿に目を釘づけにされ、彼女とともに、バラの蔓に絡め取られた怜人の亡骸に視線を向ける。
一六〇センチに満たない小柄な水梨さんは、バラの蔓によってアーチにくくりつけられた怜人をそっと見上げた。彼女よりも三十センチほど高い位置に怜人の顔があり、怜人の身長は一七〇センチ弱。つまり、怜人の遺体は地上からおよそ十センチ浮いていることになる。バラの蔓に人ひとりを縛り上げて宙に浮かせられるほどの強度があることにまず驚いて、なにより、怜人のからだにどれほどの棘が刺さっているかと想像したら、全身が痛くてたまらなくなった。
「普通の人間にできる芸当ではないわね」
背中の後ろで両手を組み、水梨さんはひとりごとのようにつぶやいた。唐突に、そしてこれほどまでにむごたらしく死んでいったクラスメイトを前に、悲しむ様子も、驚く様子さえまるでなく、水梨さんは熱心に怜人のからだに巻きついているバラの蔓を観察していく。
「アーチに適した、枝が柔らかいことが特徴の蔓性のバラの蔓には、こんな風に人のからだを縛り上げたり、まして首を絞めるなんて行為に使えるほどの強度はないはず。ねぇ、伸吾さん」
水梨さんは僕らの立っているほうを振り返り、伸吾さんの名を呼んだ。
「このアーチに使われるバラも、そのような枝の柔らかい品種だったのではなくて?」
やはり水梨さんはこのペンションの常連客であったようだ。ペンションのオーナーである鮫島家の息子でありながら、実家を離れ、ここの従業員として働いている伸吾さんとはよく見知った関係であるらしく、伸吾さんも水梨さんの呼びかけに驚くことなく、大きくうなずきながら水梨さんのいるアーチの前へと駆けた。
「つらいでしょうけれど、一緒に見ていただけるかしら、伸吾さん」
水梨さんは伸吾さんが隣に立つのを待ってから、怜人の遺体の首もとを指さして言った。
「首から出血しているでしょう。彼がこのバラの蔓で首を絞められた証拠よ。紐や縄のようなもので絞殺されたのなら、たとえ縄をほどこうとして首に爪を立てたのだとしても、あんな風に顎まで血が飛び散ることはあり得ない。蔓で首を絞められた時に刺さった棘の一部が首の皮を破り、太めの血管を傷つけたことによる出血でしか、あのような血の痕は残らないはずよね?」
伸吾さんはうなずいたが、すぐに首を横に振った。そんなことはあり得ない、と言いたいようで、水梨さんは彼の意図を代弁するかのように「そう、あり得ないことなのよ」と言った。
「アーチの骨組みのカーブに都合よく沿わせて伸ばし育てられるような柔らかい蔓では、首を絞められるほどの強度はおそらくない。窒息するほどきつく、長い時間をかけて絞めようとすれば、息の根を止める前に蔓がちぎれてしまう。根もとに近い太い枝を使っても、今度はむしろ固さがありすぎてうまく首に回らず、折れてしまうでしょう。犯人は確実に鮫島くんのことを殺そうとしたはずだから、途中でちぎれるような柔な凶器、あるいは固すぎて扱いづらい凶器は普通なら選ばない。でも実際には、鮫島くんの首はこのバラの蔓で絞められている。そもそも、首に巻かれた蔓を見て。この蔓、まだ根もとの茎とつながったままよ」
水梨さんに促されるまま、伸吾さんは怜人の首に巻きついた蔓が伸びてきているアーチのほうを目でたどり、驚愕の表情を浮かべた。水梨さんの言葉に嘘がなかったことを物語るような顔だ。
「どういうことですか」
四人家族のお父さんが、芳子さんのもとを離れてアーチへと近づいた。
「切り離された蔓ではなく、つながったままの蔓で首を絞められているんですか?」
「えぇ、おそらく」
そんなバカな。僕も水梨さんのお父さんも、水梨さんの見解を自分の目で確かめずにはいられなくなり、二人揃ってアーチへと駆け寄った。よく見てみると、水梨さんの言うとおり、怜人の首に巻きついている蔓は他の蔓とは独立しておらず、根もとから続く茎から枝分かれして伸びたまま怜人の首を絞めていた。
「どういうことだ」
四人家族のお父さんが険しい表情で唸った。
「蔓がアーチにつながったままでは、首なんてそううまく絞められないだろう」
「なにか別の紐で、あらかじめ首を絞めておいたのでは?」
水梨さんのお父さんが遠慮気味に意見を出した。
「蔓はあとから巻きつけたんです。すでに死んでいる彼の遺体の首に巻くだけなら、アーチから直接伸ばしてきた蔓でも可能かと」
「それはどうかしら、お父様」
水梨さんは、お父さんの意見を即座に否定した。
「蔓が巻かれているのは首だけじゃないわ。全身にも巻きついている。それに、鮫島くんの足が地面から離れているでしょう。このような状態に仕立て上げるための手順として正しいのは、お父様、どのような方法かしら」
「それは……まず、縄のような強度のある紐で彼の首を絞め、紐の長さを調整しながらアーチの天井から遺体をつるす。それから全身に蔓を巻きつけ、最後に首の紐を蔓に置き換えて……」
「待ってください」
四人家族のお父さんが、水梨さんのお父さんの話を遮った。
「その手順では、ご遺体の様子と合致しません」
「どういうことでしょうか?」
「ご遺体の首もとを見てください。棘が刺さって、顎に血が飛び散っているでしょう。窒息死の場合、呼吸が停止してからも心臓は十五分程度動き続けるのが通常です。先ほどお嬢様がおっしゃったとおり、生きた状態の彼が蔓で首を絞められたのなら、棘の刺さった首から出血します。心臓が動いていますからね。しかし、凶器が蔓ではなく紐であり、なおかつ、あなたがおっしゃったような手順を踏んでこのようにご遺体を蔓でぐるぐる巻きにしたのなら、蔓を首に巻きつける頃には彼の心臓の動きは止まっていたはず。心臓は血液を全身に送る役割を果たしていますから、心臓が止まれば血液の循環も同時に止まり、アーチからつるされた直立状態のご遺体なら、全身の血液は足のほうへと溜まる。つまり、亡くなられたあとで蔓の棘が首に刺さっても、そこには血液が流れていないので、顎まで噴き飛ぶほどの派手な出血はしないはずなんです」
僕のような素人にもよくわかる説明だった。水梨さんは満足げに微笑み、「さすがですわね」と言った。
「現役の救命救急士さんのお話ですと、説得力が違います」
「ちょっと待ってよ、水梨さん」
ここまで黙って話を聞いていた僕だったけれど、いよいよ口を挟まなくてはいられなくなった。
「てことは、やっぱり怜人の首を絞めたのは、あのバラの蔓なのか?」
「そういうことになるかしら」
「けど、さっききみは、バラの蔓には人の首を絞められるだけの強度がないって」
「えぇ、ないわ」
「矛盾してるだろ。凶器になり得ないもので人を殺すなんて、こんなの、不可能犯罪じゃないか」
「そうね。でも、不可能を可能にすることのできる人間になら、この犯行は成し遂げられるわ」
「不可能を、可能に……?」
「えぇ。たとえば、こんな風に」
水梨さんは右の人差し指を立て、バラの蔓に絡め取られた怜人の遺体にまっすぐ向けた。次の瞬間に起きた光景に、僕は大きく息をのんだ。
怜人に向かって伸ばされた水梨さんの指先が淡く光った。青白い光は怜人のからだにまとわりついている蔓を照らし、誰も手を触れていないのに、一本の蔓がスルスルとほどけ、怜人のからだを離れた。
水梨さんの指の動きに合わせ、螺旋を描いてほどけていく蔓。十メートルほどの長さになると、怜人に向けられていた水梨さんの指先が、今度は僕へと標的を変えた。
蔓はどこまでも水梨さんの指の動きに忠実だった。指先に命令されるまま、ほどけた蔓は僕めがけて一直線に伸びてきて、一瞬のうちに僕の首に巻きついた。絞められてはいないし、棘が首に触れることもなかったけれど、蔓は確かに、僕の首の周りを二重、三重にぐるぐると這い、反発し合う磁石のように宙にぷかぷかと浮いていた。なにが起きているのか、僕の理解はまったく追いついていなかった。
「星蘭!」
言いようのない恐怖心に全身が竦み上がり、一歩も動けずにいる僕の隣で、水梨さんのお父さんが叫んだ。
「やめなさい! 無闇に魔法を使うんじゃない!」
「ごめんなさい。でも、これしか方法はないと思うの」
水梨さんはゆっくりと右腕を怜人の遺体へと向け直した。蔓は僕の首を離れ、再び怜人のからだに巻きつき、動きを止めた。
水梨さんの指先から淡い光が消える。無意識のうちに自分の首をさすっていた僕に、水梨さんはたおやかな笑みを傾けた。
「驚かせてごめんなさい。でも、今私が見せた力があれば、鮫島くんをバラの蔓で絞め殺すことも、蔓でからだを縛り上げることも可能よ。人の手では何時間とかかる作業も、一瞬のうちに終わらせることができるわ」
「水梨さん、きみは……?」
――無闇に魔法を使うんじゃない。
彼女のお父さんは今、間違いなくそう叫んでいた。いくら正気を失いかけていたからって、この至近距離で言われたのでは聞き間違いようもない。
水梨さんはまっすぐ僕と正対して立つ。長い黒髪を指で耳にかけると、わざとらしいくらいにいつもどおりの口調で言った。
「私、魔法使いなの。鮫島くんをこんな風に殺してしまったのも、私と同じ、魔法使いなんじゃないかしら」




