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魔法使いの水梨さんは、赤嶺小百合を殺したか  作者: 貴堂水樹
第二篇 集められた魔法使い

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第2話『避暑地での再会①』

 たくさんの木々の緑に囲まれた場所に立っただけで、吸い込んだ空気が肺にたまったすす汚れを浄化してくれるような気持ちになった。マイナスイオンの効果も肌で感じられるような気がする。陽射しも痛くなく、涼しい。真夏とは思えないほど快適だった。

 別荘といっても、怜人の生家である鮫島家が建てたこの立派な邸宅は、普段はペンションとして冬場のスキー客をはじめとする観光客を受け入れているそうだ。宿泊できる部屋は大小合わせて七。二階の天井まで吹き抜けになっている広いロビーに、広い食堂、男女別の大浴場。建物の外壁をはじめ、全体を深いグリーンで統一したペンションは、ホテルとは少し違う、それほどかしこまった雰囲気ではない、どこか家庭的な印象を覚えるところが魅力の一つだった。


「いらっしゃいませ、怜人様。お待ちいたしておりました」


 ロビーを抜け、入り口正面のチェックインカウンターへまっすぐ向かうと、ワインレッドのエプロンをつけた壮年の男性が怜人と僕に深々と頭を下げた。このペンションの管理人は彼だろうか。チェックインの受付は午後二時から六時の間と聞いていたが、開始時刻までもう少しある。けれど彼は時計に目をやることもなく、僕らのチェックイン業務を始めた。


「大変ご無沙汰しております。皆様、お変わりありませんか」

「ないよ。母さんは元気じゃないけどね」

「聞き及んでおります。足のお怪我、早く回復されるとよいのですが」

「相変わらず白々(しらじら)しいね、恒彦つねひこさん。ざまぁみろ、とでも思ってるんだろ、本当は」

「そんな、滅相もございません!」


 怜人はつまらなそうに鼻を鳴らした。到着早々、楽しい旅行の雰囲気をぶち壊した怜人の隣で、僕はさっそく怜人の誘いに乗ったことを後悔させられることになった。白瀬の言うとおり、はっきり断るべきだった。この調子じゃ、三日後にはどんな険悪な空気になっているかわかったものじゃない。

 恒彦さんと呼ばれたペンションの管理人さんは気を取り直し、まるで付き人のように怜人から一歩下がったところに控えていた僕に目を向け、にこやかに微笑みかけてきた。


「ようこそおいでくださいました。当ペンションの管理人を務めております、魚住うおずみと申します。海野恵二郎(けいじろう)様でいらっしゃいますね」

「はい。お世話になります」

「このたびはご宿泊いただき、ありがとうございます。どうぞ、ここを我が家だと思ってごゆっくりおくつろぎください。なにかお困りごとがございましたら、スタッフに遠慮なくお申し付けくださいね」


 あまり血色のよくない顔をしていたが、とても感じのいい人だった。作ったような笑みではなく、僕の来訪を心から歓迎してくれているような笑顔だと思った。


 魚住さんは手際よく僕と怜人の泊まる部屋を案内してくれた。二階にある客室で、独立したベッドが二つ入っているツインというタイプの部屋だった。室内にはソファや冷蔵庫、テレビなど、最低限必要な設備がオシャレなインテリアとともに整然と揃えられている。自宅にあって、この部屋にないものといえば浴室くらいだ。風呂はペンション内にある大浴場を使うか、車で移動する必要があるが、県内にある有名な温泉街へ行くというのも一つの選択肢だと魚住さんは教えてくれた。


「ようこそおいでくださいました、怜人お坊ちゃま」


 客室に荷物を運び入れ、僕らをここまで送ってくれた運転手さん――鮫島家に雇われている人らしい――が「三日後にお迎えに上がります」と言って帰っていくのを見守った僕らのもとへ、今度は女性の従業員が部屋まで挨拶にやってきた。怜人はやっぱり冷ややかな視線を彼女に送って、彼女はそれを軽く受け流すと、今度は僕に向かって歓迎の挨拶を丁寧に述べた。


「海野様、このたびはようこそおいでくださいました。魚住の妻の芳子よしこでございます。主に皆様のお食事のお世話を担当しております。なにかお気づきの点がございましたら遠慮なくお申し付けください」


 魚住さんだけでなく、奥さんまで優しそうな人だった。目もとの小じわが年齢を感じさせるが、魚住さんと同じワインレッドのエプロンをつけた立ち姿はしゃんとしている。夫婦揃って物腰柔らかで、それだけで僕はこのペンションに好感を持った。


「ところで、芳子さん」


 僕が挨拶を返し終えると、怜人が割り込むように口を開いた。


「兄さんの姿が見えないけど」


 兄さん? 誰のことだ。怜人にはお兄さんがいて、そのお兄さんは僕らよりも先にこのペンションに到着しているという意味だろうか。

 そういえば、怜人はこのペンションでなにかやることがあると言っていた。もしかして、お兄さんと一緒にやりたいことがあるのか。だとしたら、僕がここへ呼ばれた理由はなおさらないと思うのだが。


「お庭にいらっしゃいます」


 芳子さんはなぜか表情を曇らせて答えた。入り口に面したペンションの北側からは見えなかったから、庭は建物の南側にあるらしい。


「主人が草むしりをしておりましたら、伸吾しんごくんが代わってくださったんです。もうすぐチェックインの時間だからと」

「へぇ。さすが兄さん。よく働くじゃないか」


 芳子さんの話を聞いて、怜人は意地悪な笑みを浮かべた。僕はいよいよ混乱して、怜人に状況説明を求めることさえうまくできなかった。

 今、怜人と芳子さんはいったい誰の話をしている? 怜人が行方を尋ねたのは怜人のお兄さんじゃなかったのか。草むしり? こんな立派なペンションを持てる大富豪のお坊ちゃまが?

 それに、今芳子さんはお兄さんの名前を口にしたようだったが、怜人には「お坊ちゃま」という敬称を使ったのに、お兄さんのことは「伸吾()()」と呼んでいた。この扱いの差はどういうわけなのだろう。学校で怜人は自分の家のことをほとんど話さなかったから、怜人に兄がいたことさえ僕は今はじめて知った。


 いつの間にか怜人は歩き出していて、部屋の隅に控えていた芳子さんの前を横切り、一直線に部屋の扉へと向かう。僕がベッドの脇にぼんやりとたたずんでいると、怜人は少し不機嫌そうに僕を振り返った。


「なにをボサッとしているんだ、海野。行くぞ」

「行くって、どこへ」

「決まってるだろ。兄さんのところだよ」


 扉を引き開け、僕が動き出すのを待つ怜人。その口もとに湛えられた不敵な笑みが、僕の足の動きを鈍くした。

 ペンションの庭へ出るには、一度一階のロビーへ降り、建物の南側へつながる裏口の扉から外へ出る必要がある。

 怜人に続いてロビーへ向かうと、僕らと同じ、今日からこのペンションに宿泊する別の客がチェックインカウンターで魚住さんと手続きをしているところだった。


「このたびはこちらの急なご要望におこたえいただいて、本当に感謝しております、川竹かわたけ様」

「かまいませんよ。我々は暇を持て余す身。この素敵なペンションに泊めていただけるだけで幸せですから。ね、きぬさん?」

「えぇ、えぇ。主人も私も、毎年ここへ来ることを楽しみにしているのですよ。いつもよくしていただいて、こちらこそ感謝しています」

「もったいないお言葉でございます。さぁ、どうぞ。お部屋へご案内いたします」


 裕福そうな老夫婦だった。幸せなまま歳を重ね、夫婦仲よく余生を楽しんでいるといった雰囲気が遠目にも伝わってきた。

 魚住さんが老夫婦とともに一階奥の客室へ消えていくのを横目に見ながら、僕は怜人とともに建物南側の庭へ出た。扉には客が勝手に出入りできないよう暗証番号と指紋認証によるロックがかけられていて、正面玄関の扉も同じタイプの鍵が取りつけられている。一方、客室の扉は部屋ごとに用意されたカードキーで施錠するようになっているため、暗証番号も指紋認証も不要だ。

 基本的にはペンションのスタッフのみで共有されている暗証番号を、怜人は迷いなく入力し、指紋認証も難なくクリアした。うっかり驚いてしまったけれど、もともとこのペンションは鮫島家の別荘として建てられたというのだから、怜人が自由に出入りできるのは当然だった。


 真昼の陽の光がまぶしい屋外へ出た途端、僕は思わず「うおぉ」と感嘆の声を上げてしまった。

 庭一面を、色とりどりの花や草木が埋め尽くしていた。


「母さんの趣味がガーデニングでね。こっちでも楽しめるように、イングリッシュガーデンを作ったんだ。東京の家の庭よりは狭いけど、なかなか立派だろ?」


 さりげない金持ち自慢を織り交ぜながら、怜人が説明してくれた。今さら腹も立たないし、明神学園のような学校にかよっていると自然にスルースキルが上がる。

 それはさておき、庭にはバラをはじめ、さまざまな種類の花が美しく咲き乱れていた。レンガ敷きの散歩道、アイアンのテーブルセットにパラソル、道の途中には木製のベンチも置かれていて、立派なバラのアーチまで造られている。ペンション内部のオシャレな装飾と相まって、まるで映画に出てくるイギリスの風景の中に飛び込んだような気持ちになった。この庭では一年じゅう花の色彩を楽しめるのだという。


 小径こみちを歩き始めた怜人の背中を追いかける。白いポロシャツにバーバリーチェックのハーフパンツを履いた怜人がバラのアーチをくぐると、ここが日本であることをうっかり忘れそうになった。レモンイエロー地のロゴTシャツにジーンズのハーフパンツ姿の僕に、花は少しも似合わない。

 もう少し道の先へ進むと、庭の隅にしゃがみ込んでいる小さな人影が見えた。白いキャップをかぶり、オーナー夫妻と同じワインレッドのエプロンをつけた男で、軍手をはめて熱心に雑草の処理をしている横顔は僕らよりも少しだけ大人びているように感じた。少なくとも高校生ではなさそうだ。


「兄さん」


 頬から顎にかけて汗をしたたらせているその人の背中に怜人が声をかけると、その人は草むしりをしていた手をぴたりと止め、ゆっくりと僕らを振り返った。

 彼の目つきを見た僕は、背中にひんやりとしたものを覚えた。

 怜人をにらみつけるその人の瞳は、大嫌いな人に向けるそれとまったく同じ色をしていた。


「そんな顔しないでよ、兄さん」


 きつくにらまれてもまったく動じることのない怜人は、すくっと立ち上がったその人にまっすぐ歩み寄った。


「一年ぶりに会ったんだから、もっと嬉しそうにしてくれたっていいだろ?」


 怜人が「兄さん」と呼ぶその人の目つきがいっそう鋭くなり、最後には怜人からふいと視線をそらした。近づいてくる怜人を避けるように立ち位置を移動すると、僕に向かって深々と一礼した。このかん、彼はただの一言も言葉を発することはなかった。


「紹介するよ、海野」


 彼を追いかけるようにすぐ隣に経った怜人は、自分よりも少し背の低い彼の肩にいかにも親しげに右腕を回した。


「兄の伸吾だ。僕より二つ年上の十九歳。見た目にはわからないと思うけど、実は兄さんは四年前に不運な事故に見舞われて、言葉を話すことができないんだ」


 怜人の腕をうっとうしそうに振り払い、兄の伸吾さんは今一度僕に対して小さく頭を下げた。言葉を発することができないという怜人の話は本当のようで、伸吾さんは挨拶も名乗ることもせず、黙って僕に微笑みかけるだけだった。


「兄さん、こいつはぼくの高校のクラスメイトで、海野。お父様は弁護士をされていて、海野も将来は……な?」


 いちおう、そのつもりではある。父が苦労して開いた弁護士事務所を一代でつぶしてしまうのはもったいない。僕は怜人にうながされるまま伸吾さんに挨拶をして、「法曹の道へ進む予定です」と伝えた。伸吾さんは僕の背中を押すように大きく一つうなずいてくれた。声を聞いていないせいもあるかもしれないが、怜人と違って嫌味な感じのしない人だなと思った。


「言葉を話せないだけなんですか?」


 失礼を承知で、僕はいだいた疑問を伸吾さんに尋ねた。


「耳は聞こえている?」

「あぁ、そっちは問題ないよ」


 伸吾さんがうなずく隣で、怜人が代わりに言葉で説明してくれた。


「事故の時、兄さんは頭を強く打ってしまってね。脳の一部への損傷が原因で、言葉を声にして発するっていう信号を出せなくなっているらしい。だから耳は聞こえるし、ぼくらの言葉も正しく理解することができる。兄さんと話をしたいなら、兄さんは筆談で対応してくれるよ」


 伸吾さんは履いている黒いズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、僕に見せるように軽く振った。これで筆談を、と言いたいようだ。なるほど、スマホのメモ機能を使えば紙やペンを持ち歩かなくて済む。


「そういうわけでだ、海野」


 怜人は懲りずに伸吾さんの肩に右手を乗せた。伸吾さんはあからさまに嫌そうな顔をした。


「兄さんは療養も兼ねて、ぼくら家族とは離れてこのペンションで暮らしてる。ぼくらが毎年夏にここを訪れるのは、兄さんに会いに来ることが最大の目的なんだ。あいにく今年はぼく一人しか来られないことになってしまったけど、兄さんの近況はぼくが責任を持って父さんと母さんに伝えるよ。さぁ、兄さん。草むしりはその辺にして、部屋でゆっくり話そう。母さんから、こっちについたら電話をするよう言われているんだ」


 怜人が伸吾さんの腰に腕を添え、一緒に歩き出そうとした。けれど伸吾さんは回された腕をやや乱暴に振り払い、土のついた軍手で怜人の胸もとを力強く押した。誰の目にもあきらかな、はっきりとした拒絶の意思表示だった。

 怜人はバランスを崩して二、三歩後退する。最初こそ驚いた顔をして伸吾さんを見ていたけれど、すぐにいつもの表情を取り戻し、胸もとについた土を手で払い落とした。


「いいのか、兄さん」


 一段階低くなった冷ややかな声で、怜人は伸吾さんに言った。


「ぼくはこのペンションの客だぞ? いくら実の兄とはいえ、従業員が客に対して暴力を振るうなんて言語道断じゃないのか」


 そんな言い方はないだろうと僕は思った。あきらかに嫌がっている伸吾さんに無理やりちょっかいをかけたのはどう見たって怜人だったし、伸吾さんの行動は暴力と言えるほどのものじゃない。実の兄弟の間で起こったいさかいに客と従業員の関係を持ち込んでこじらせるのは行きすぎだ。怜人が伸吾さんに対して優位に立ちたいという気持ちは伝わってくるが、それにしたって、これではあまりにも伸吾さんが不憫でならない。


「怜人、落ちつけ」


 兄弟間のことだ、部外者の僕は余計な口を挟まないようにとここまでこらえてきていたが、ついに怜人にいさめるような声をかけてしまった。怒りに打ち震える伸吾さんの前で、怜人は僕に「落ちついてるさ」と返した。


「さぁ、海野。きみは先に部屋へ戻っていてくれ。ぼくはこれから兄さんと家族水入らずの時間を過ごさなくちゃならないんだ。広いベッドの上でのんびりゲームでもやったらどうだい。Wi-Fi環境も整ってる。夕食の時間までたっぷり四時間はある。今日くらいは勉強のことを忘れて、羽を伸ばすといい」


 いつものことだが、僕に対して上から目線の物言いをすると、怜人は再び伸吾さんを振り返った。


「お客様がお部屋へお戻りだ。扉を開けてくれないか」


 自分でも開けられるくせに、なぜわざわざ伸吾さんに頼む必要がある。伸吾さんもきっと僕と同じことを思っていただろうに、軍手をはずし、僕に対して「どうぞ、こちらへ」というジェスチャーを見せながら建物に向かって歩き出した。

 怜人が笑顔で僕に手を振っている。僕はにらむように怜人を見て、伸吾さんの背中を追った。僕だけが建物の中に入り、伸吾さんが僕に頭を下げながら閉めた扉に再び自動でロックがかかる。開けるためには暗証番号と指紋認証の二重ロックを解除しなければならず、客である僕には当然に不可能なことだ。

 あの二人は今、どんな話をしているだろう。

 伸吾さんのことが心配でたまらない。僕はしばらく、鍵のかかった扉をじっと見つめ続けていた。

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