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第1話『嫌がらせ、あるいは殺害予告』

 秩序。


 僕の最も好きな言葉だ。

 毎日同じ時間に起き、同じ時間の電車に乗り、同じ時間に同じ教室へと入る。僕の中でだけの決まりごとだけれど、この繰り返しが僕が僕であることの何よりの証明であると僕は考えている。波瀾万丈な人生なんてまっぴら御免だ。平穏こそすべて。ごくごく小さな変化であれば受け入れるけれど、基本的には何事も起こらず、ただ毎日が無事に過ぎ去っていけばいい。それが僕の生き方だった。


 だから僕は、今日という日が無事に過ぎ去らなかったことをひどく恨めしく思っている。どうして僕がこんな騒動に巻き込まれなくてはならないのかと、腹立たしくて仕方がない。


 何よりも気に入らないのは、くだんの騒動に関して最初は完全に蚊帳の外だった僕が、ついうっかり首を突っ込むことになってしまったことだ。それも自らのちょっとした思いつきで。なぜあの時あんなことをしてしまったのか、あまりにも馬鹿馬鹿しくて今思い出しても自分自身にイラッとする。一日のうちでもっとも好きな時間であるバスタイムが台無しだ。


 今朝、始業時間よりも少し前。

 事の発端は、僕の通う私立明神(みょうじん)学園高校二年C組で起きた、不吉で縁起の悪いイタズラだった。


   *


「よぉ」


 午前八時十五分。

 始業のきっちり十五分前。いつもどおりの時間に僕が校門をくぐると、後ろから声をかけられた。

 クラスメイトの茶谷ちゃたに智詩さとしだ。一八〇センチ超えの長身に切れ長な二重の瞳、そしてサイドを刈り込んだ短い茶髪が印象的な彼はしかし、いつもと違って白い風邪用のマスクを付けていた。


「おはよ」

「おう。さみぃなー今日も」


 二月である。コートにマフラー、制服のブレザーの下にニットのカーディガンを合わせてもなお寒い。

 僕の挨拶に軽く言葉を返してきた智詩は、ゴホゴホとしんどそうに咳き込んだ。


「風邪?」

「あぁ、昨日の晩から咳が止まんねぇのよ」

「智詩、ついこの間も風邪ひいてなかった?」

「そうなんだよなー。今月入って二回目。そろそろ死ぬかも、オレ」

「風邪くらいじゃ死なないでしょ」


 だよな、と笑いながら智詩はまた咳をした。なんだか本当につらそうで、見ているこっちまで具合が悪くなりそうだった。


 僕と智詩の所属する二年C組の教室はなか館――北館と南館の間にある四階建ての校舎――の二階にある。東側の階段を上がり、すぐ左手に見えるのが僕らの教室だ。ちなみにトイレの真向かいである。


 いつもどおり、僕は階段を上りきって後ろの扉から教室内へと足を踏み入れる。始業十五分前だが、クラスの半分の姿があればいいほうだ。なぜか僕らのクラスは運動部に所属している生徒が多く、朝練を終えた彼らは皆、始業の鐘が鳴る一分から数秒前に滑り込んでくる。


 そして今日もご多分に漏れず、すでに教室にいるクラスメイトは十五人ほど。しかし、普段ならぱらぱらと席についているはずの彼らの様子はいつもと大きく違っていた。

 教室のほぼど真ん中。あるクラスメイトの席を囲うように、小さな輪が出来上がっていたのだ。


「おいおい、一体何事だぁ?」


 僕の前をずかずかと歩いていく智詩の声に、その場に顔を揃えているクラスメイトの視線が一気に僕らへと集まった。僕らふたりのために輪の一部が切り開かれ、僕と智詩は流れに逆らうことなく途切れた輪の一部を埋めるように並んで立った。

 そして僕らは、目の前の光景に息をのんだ。


 囲まれていた席の上に、一輪の白いユリの花が飾られていたのだ。


「…………んだよ、これ」


 智詩が声を絞り出す。


「気味わりぃな」

「うん……そうだね」


 驚きを多分に含んだ相槌を打ちながら、僕は内心、小さな苛立ちを覚えていた。


 平穏であったはずの朝のひと時が、一輪のユリによって消失した。


 クラスメイトたちによるざわめきが、冬の朝特有のしんと冷たい空気をざらつかせていく。自分の席にまっすぐ向かうことすら許されない、いびつな雰囲気。


 ――秩序を、乱された。


 ぎゅっと、右の拳を握りしめる。

 ユリの花など知ったことか。確かに、死んでもいないクラスメイトの机の上に花を飾るなんて縁起でもないと思うけれど、そんなことはどうだっていい。

 平穏で秩序的な日々を愛してまない僕にとって、いつもと違う朝がやってきたことが何よりも許せなかった。


「なぁ」


 ふつふつと沸き上がる苛立ちの最中さなかたたずむ僕をよそに、智詩がマスクをあごのほうへとずり下げながら耳打ちしてきた。


「あれって誰の席だ? 席替えしたばっかでまだ覚えきれてねぇんだよ」

「違うね。きみの場合、覚える気がないだけだ」

「うっせぇよ! いーからさっさと教えろっての」


 肩を軽く殴られ、少しだけ苛立ちが加速する。僕は小さく息をついた。


赤嶺あかみねさんだよ」


 努めて冷静な口調で答えると、クラスメイトたちの視線が一斉に泳いだ。一方智詩は「はぁん」といてきた割に気のない返事をした。


「赤嶺小百合(さゆり)、ね」


 僕の答えたその名にすっかり興味を削がれてしまったようで、智詩は自らの席――窓側の前から五番目――に向かってゆるやかに一歩踏み出した。

 その時。


「ちょっと! 何なのよこれ!?」


 張り詰めた空気を引き裂くように、ひとりの女子生徒の声が教室内に響き渡った。クラスメイトたちが一斉に彼女の席の周りから後ずさりし始める。


「おっと、主役のお出ましだぜ」


 智詩がニヤリと口角を上げた。対照的に、僕は騒動の発端である彼女を冷めた目で見つめる。


 そう。

 現れた彼女こそ、件の席の住人・赤嶺あかみね小百合さゆり

 二年C組を代表すると言っても過言ではない、悪い意味でよく目立つ女子生徒である。


 派手な金髪のロングヘアをなびかせ、鼻息荒く自らの席に向かって突進する彼女。そこに飾られたユリの花を数秒ほど睨みつけたかと思えば、獣を狩るハンターのようにキッと目を鋭くしてクラスメイトたちを見回した。


「誰なの? 誰がやったの?」


 当然、名乗り出る者などありはしない。これは僕の勘でしかない話だが、おそらく最初に登校してきた人がこの教室へ入った時にはすでに花は飾られていたのではないだろうか。


「さっさと白状したらどう? 正直に教えてくれたら許してあげる」


 今がチャンスよ、と鈍く光らせた瞳がギロリとクラス中を一周する。その間にも朝練を終えた運動部組が続々と姿を現し始め、教室の後方で新たなざわめきを形成した。


「はん、何が『許してあげる』だよ」


 智詩が冷ややかに言った。


「『涙が枯れるまでシメ上げてやる』の間違いだろ」

「やめなよ智詩、あおってどうするの」


 僕の制止もむなしく、赤嶺さんは即座に「茶谷!」と声を荒げて智詩に詰め寄った。


「あんたなの? あんたがやったの?」

「はっ、なんでオレが」

「とぼけるわけ!?」

「だからオレじゃねぇって! オレはたった今ここへ来たばっかだっつーの!」

「じゃあ一体誰の仕業なのよ!?」

「知るかよンなこと!」


 声を張り上げた智詩が激しく咳き込み、それをきっかけにようやく赤嶺さんは口を噤んだ。

 しんと静まり返る教室。僕は小さく息をついた。


「もう忘れよう、赤嶺さん」


 平穏を取り戻すべく、僕は彼女の机の上からユリの花をした透明な瓶を取り上げた。


「ただのイタズラだよ」

「イタズラですって?」


 まだ怒りの治まらない様子の赤嶺さんは再び声を張り上げた。


「そんな可愛いものじゃない! 嫌がらせよ、嫌がらせ! 生きた人間の机の上に花を飾るなんて……わたしに『死ね』とでも言いたいわけ!?」

「はぁん、なるほどな。そのとおりかもしれないぜ?」


 ひょい、と智詩が僕の握っている瓶からユリの花だけを抜き取った。


「悪名高き社長令嬢・赤嶺小百合への殺害予告。こりゃ傑作だな」

「茶谷……あんたねぇ……!」


 どこまでも煽り続ける智詩に、赤嶺さんはもう一度詰め寄ろうと怒りに身を震わせながら足を踏み出した。けれど智詩は長い右腕をスッと彼女の前へと伸ばし、手にしていたユリの花の先を彼女に向ける。


「ま、せいぜい殺されないよう気をつけることだな……お嬢様?」


 ニヤ、と智詩は嫌味ったらしくと口の端をつり上げる。く、と赤嶺さんは歯噛みして、智詩の右手からユリの花をひったくった。

 くるりとその身をひるがえし、颯爽と自分の席へ向かう智詩の背中を、彼女はユリの花を握った右手をわなわなと震わせながらキッと睨みつけていた。ぐにゃりと折れ曲がった茎の悲鳴が今にも聞こえてきそうだった。


 怒りに任せ、赤嶺さんはユリの花を勢いよく教室のゴミ箱へと投げ捨てた。残ったのは、僕の手の中にある透明な瓶だけ。

 僕はそっと、自分の手もとに目を落とす。


 智詩の言うとおり、本当にこれは彼女への殺害予告なのだろうか。

 それともやはり、ただのイタズラか。

 そもそも、一体誰がこんな悪趣味なことをしたのか。


 いつもと違うことに頭の中を埋め尽くされているという事実に、僕の胸の奥で再び苛立ちの火がくすぶり始める。

 まったくもって迷惑な話だ。赤嶺さんも、こんなくだらないことを仕掛けた犯人も。誰も彼も、みんな僕の平穏の邪魔ばかりする。


 はぁ、と盛大にため息をつき、僕はひとまず瓶の中の水を捨てるべくトイレへと向かって歩き出した。


 この時の僕はまだ知らない。

 今から数十分後にもう一度、平穏で秩序的な日々とはうんとかけ離れた非日常の世界へと、僕らは否応なしに引きずり込まれてしまうということを。

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