モブ侍女は、悪役令嬢をダイエットさせたい
あ、終わったわ。
目の前の幼女、アリシア・シルヴィア公爵令嬢を前にして、私──メイ・オルコット十四歳は、視界が真っ暗になるほどの絶望感を味わい、できうる事ならば膝をついてうなだれたい気持ちになっていた。
同時に、この世界が前世の娘がよく読んで、やたらと薦めてきた、少女マンガの世界だという事にも気づいてしまったのだが。
端的に説明すれば、男爵令嬢のヒロインが貴族の集まる学園で、王太子や公爵子息や騎士団有望の青年達と、キャッキャウフフでお花畑が展開されるラブストーリーである。
で、目の前のアリシア嬢は、王太子のフィアンセであり、公爵子息の妹で、騎士の幼なじみというスタンスに立っていて、まあ、典型的な悪役令嬢になる将来が待ち受けている。
それならそれで勝手にしてくれ、って話になるんだけど、そう問屋は下ろさない。アリシアの侍女達は彼女の手足となってヒロインに大小さまざまな嫌がらせをするのだ。挙げ句の果てには、アリシアは北の島にある修道院で幽閉。侍女達は実行犯として処刑……っていやぁぁぁぁ!
待って! 私、今、執事長様からアリシア嬢に紹介されちゃったわよ。『アリシア様の専属侍女である、メイ・オルコット子爵令嬢』って。
つまりは、私の未来は処刑エンド。いやだぁぁぁぁぁ!
「それでは、アリシア様を頼みますよ、メイ」
「え、あ、ちょ、まっ」
絶望に打ちひしがれてる私をよそに、執事長様は出て行かれ、お部屋の中には主であるアリシア様と私。
泣いてもいいですか?
「え、と。メイでいい?」
じんわりと涙を浮かべた私の耳に、それはそれはもう可憐なお声が呼んだんですよ。ええ、ええ、私以外に居るのはたった一人ですから、相手はいやがおうにも分かるものです。
アリシア様は王族の傍流だからか、目にもまばゆい金の髪は波打ち、小さな瞳は新緑のようなグリーン。痩せれば絶対美少女になるのは間違いない。今は肌が白いからか白豚ちゃんのようだけど。
なお、私は薄茶の髪に紺色の瞳という地味の境地! 顔はモブとはいえども、そこそこ見れるなりではないかと。自画自賛ですがなにか?
「はい、アリシア様」
胸中では大絶叫の私ですが、そこは腐っても底辺とはいえ貴族令嬢。ちゃんと上の人の対応をしますよ。
それにしても、と私は前世で読んだマンガの内容を邂逅する。
アリシア・シルヴィア様は、たぐいまれなる美貌を持つ両親と兄を持ったものの、なぜか運命のいたずらか、彼女の容姿はふくよかを越して……おデブ?
食べるの大好き。だけど、それは両親は兄を溺愛し、自分には振り向いてもらえないストレスからだったのを、私は知っていた。
寂しい。悲しい。誰か私を見て。
マイナスの感情を振り払うように、彼女は食に走り、そして増えていく体重に落ち込んで、また紛らわすように食に逃げて。
そして公爵令嬢という立場だったから、誰にも諫められる事なく、気づけばワガママで、意地の悪い、力づくで思い通りにしようとする悪役令嬢ができあがってしまったのだ。
「悪いけど、何か食べたいわ。お茶とお菓子の用意をしてくれる?」
アリシア様は、まだ七歳だというのに、ふくふくとしたボディをピンクのドレスに押し込んで、ふうふう言いながら椅子に腰を下ろす。……重厚な椅子からギシギシ音がしたけど、気のせい……じゃないですね、はい。
話し方を鑑みるに、まだ高慢な部分は出ていない模様。そもそも、専属の侍女が私一人って事は、これから増えていく可能性大。
つまりは、まだバッドエンドフラグを回避できるかもしれない?
私は、そろりとアリシア様を見て、床を見て、アリシア様を見て、床を見て。迷いつつも、悪役令嬢の道連れは勘弁と、意を決する。
「アリシア様、申し訳ございませんがご用意する事はできません」
「え?」
まさか下の者から拒否されるとは思ってなかったのだろう。アリシア様は頬肉に埋もれた目をパチパチとまたたく。
「アリシア様。不敬を承知で進言致します。今のままの生活を続けておられると、天に召されてしまいますよ」
「……」
「私は本日付けでアリシア様の侍女になりましたが、アリシア様にはご健康に大人になられて、素敵なレディになっていただきたいのです。その為には、私も微力ながらお手伝いさせ」
「勝手なことを言わないで!」
私の声をさえぎって、アリシア様は座っていた椅子から勢いよく立ち上がり、私へと怒声をあげる。ピンクのドレスから悲鳴が聞こえた気がしたけど、ここはツッコんではいけない場面だと理解しているので、真面目な顔でアリシア様と対峙する。
「私は食べてれば悲しくないの! お父様もお母様もお兄様も見向きもしてくれないけど、おいしくて甘い物を食べている間だけは忘れられるの! だから、持ってきて頂戴! でないと、あなたなんてクビにするからね!」
「……どうぞ。お好きなように。ですが、アリシア様は食べて忘れられるとおっしゃいましたが、もし食べる物がなくなったら、アリシア様はずっと悲しく苦しい中で生きていく事になりますよ。それはアリシア様の幸せと言えますか?」
「……っ」
自分のバッドエンド回避の為とはいえ、かなり辛辣な内容を七歳児に叩きつけてると自覚はしてる。だけど、アリシア様は貴族の頂点とも言える家の子供なのだ。今は許されるワガママも、大きくなるにつれ通用しなくなり、だからといって欲望ばかりが膨れ上がって身動きが取れなくなる。
だから私は決めたのだ。アリシア様を身も心もダイエットをして、素敵なレディに仕立てようと。その為には今ここで彼女の心を動かさないといけないのだ。
いきなり現れた侍女から要望を拒否され、尚且つ辛辣な言葉をかけられたアリシア様は、鞠のように私へと飛びつき、丸い拳で私の太ももを叩く。身長差を考えれば、そこが一番攻撃しやすいもんね。
「バカ! 私に酷い事言うメイなんてきらいよ! 私はシルヴィア家の令嬢なのよ! 言うこと聞きなさいよ、バカぁ!」
小さな目からボロボロ涙を流しながら、嗚咽なのか息切れなのか、言葉を短く切って私を罵倒するアリシア様。
「それなら、公爵令嬢として、お父様やお母様、お兄様を見返したくありませんか?」
私の囁きは悪魔の囁き。
未来を知っているからこそ、できる所業。
「私に任せていただけませんか? 私は絶対に、アリシア様を裏切りませんし、何があっても私だけはアリシア様の味方です」
だって処刑は勘弁だしね。あとは、ちょっとだけアリシア様に同情してる部分もあるかな。まだまだ親の温もりが欲しい年齢だっていうのに、放置とかありえないよね。
前世の娘は高校生だったけど、アリシア様の年齢の頃は、ずっと私の後ろをカルガモの子のようについて回ってた。ちょっとだけ、今はシルエットになってしまった娘の事を思い出し、胸がしんみりとなる。
「私だけはアリシア様の傍にずっといます。ですから、もう、甘い物には逃げず、素敵なレディになりましょう、アリシア様」
わんわんと泣くアリシア様をぎゅっと抱き締め、肉厚なのに小さな背中を撫で続ける。泣かないでください、アリシア様。私が誰もが見惚れるようなレディになれるよう、一生懸命お手伝いしますから。
私は母親の感情を抱えたまま、アリシア様が眠るまで抱きしめたのだった。
二時間後、目を覚ましたアリシア様は、私が淹れた紅茶(ミルクと砂糖なし)をくーっと飲みきり、
「メイ、ワガママ言ってごめんなさい。でも、本当に私ががんばれば、みんなを見返す事ができるの?」
ペコリと令嬢としてはアウトな行動で私に頭を下げたアリシア様は、まっすぐに私を見て言葉を放つ。その瞳は何かを期待しているように、キラキラ輝いてて、正直母性本能がくすぐられまくりなんですが。
「はい。ただし、今まで自由気ままにお過ごしされていたから、最初はかなり苦しいですし、辛い事も沢山あると思いますが、我慢できますか?」
アリシア様は苦い顔をして、唇をきゅっと噛み締めたかと思えば、唐突に私の手を取り叫んだ。
「我慢するわ! メイがずっと一緒にいてくれたら、私頑張れる!」
真摯な眼差しで宣言するアリシア様の手を握り返し、私は笑みを深くする。
その覚悟、確かに承りました。
私はさっそくとばかりに執事長様にご相談。今後のアリシア様の食事を、高タンパク低カロリー食を作っていただけるようお願いした。
執事長様は言葉にはしなかったものの、アリシア様の幼児肥満を苦慮されていたようで、たった一言「頼みますよ、メイ」と言っていただけた。
つまりは執事長様公認ですね! ありがとうございます!
とはいえ、やはり食事だけでなく運動も必要よね。それに、バターやお砂糖たっぷりのケーキやクッキーは問題外だけど、おやつは必要だし。
うーん、この世界に寒天とかあればいいのだけど……。
なにはともあれ、悪役令嬢ダイエット計画実行です!





