オモチャの行進曲《マーチ》
俺は別に工作が好きなわけではないんだ。
社命、と言っていいのかその範疇を越えているような気がしないでもないこの作業を、もう1か月は続けている。
駅からこの資料館までの殺風景な商店街を、我らが『トイ・ミュージアム』に相応しいコンセプトで統一しようというこいつの指示だ。
ベニヤ合板にメルヘンな塗装をして、それを街の外壁にしようというのである。
しかしながらベニヤ合板である。どこからどう見ても学芸会レベル、毎朝これを街に並べに行くと住人から苦笑いで拒否られる。
不毛だ。
「今日も上出来ね。さすがあたしが指示しただけのことはあるわ」
「俺を褒めるって考えは欠片もないんだな」
まだ4月、しかももう日が暮れる頃だってのに、Yシャツが透きとおる程に汗だくでペンキ塗れになり作業する俺の後ろで、満足そうな仁王立ちで涼し気にしている少女に物申す、が。
「お黙り。ヘイタイは黙って命令に従っていればいいのよ」
「おかしいな? 俺は上司のはずなんだが。あとヘイタイじゃなくて平田一な」
「展覧課長なんて肩書きだけじゃない。あたしがいなきゃココの何も分かんないくせに、生意気」
「左様でございますね。土井さんは資料部展覧課の大先輩ですもんねぇ」
「アリスと呼びなさいっ! とにかく、一刻も早く子供たちを呼び戻さなきゃ!」
「へーい。アリス様ぁ」
これもまた不毛。
ここへ来てからというもの、いつもこんなやり取りをしている。
確かに俺は新入社員で、年明けからの本社研修を終えたところで入社日を待たずここへ配属されたぺーぺーだ。
初っ端から課長待遇なんて将来を買われているのかと舞い上がったが、実際はど田舎に建つ時代遅れの資料館と変わり者のお局社員を押し付けられただけだった。
しかもこの資料館、寂れているだけじゃなく『でる』って噂まである。
「さ、17時になるわ。帰りましょ」
「相変わらずコキ使う割に時間だけはホワイトだよな」
「遅くなると美容に良くないのよ」
俺をコキ使うこの美少女は土井有子。
心の中で俺は彼女を『トイ子』と呼んでいる。
トイ・ミュージアムの土井で、有子だから、トイ子。
見た目は可愛い。フリフリしたコスプレみたいな服が良く似合う美少女。
問題はこの性格と、実年齢だ。
トイ子はこの資料館が創設した時からここにいるという。
社史では昭和64年1月落成とあった。
昭和64年は平成元年と同じ年だから、軽く30年は経っている。
つまり高卒入社だったとしても50歳近い。
とてもそうは見えない。どう見ても10代、頑張っても20代。
幽霊なんかよりこっちのほうが怪奇現象だ。
いつもの通り大先輩に資料館の戸締りを任せて退社したあと、家まで自転車で15分程の道のりを走る。早く帰りたがるくせに戸締りはずっと自分の仕事だからと言って譲らないのだからこれもまた不思議だ。
駅を挟んで向こう側のアパートに向かって、トイ子がメルヘンに改造したがっている地味な商店街を通り抜ける。
住居と一体の戸建てが苔生したブロック塀や大小の生垣で隔てられ、錆びた看板に色褪せたノボリ旗と、統一感のないごちゃついた昭和テイストが建ち並ぶ。
屋根や壁の修復は唐突な青やアルミ色のトタンで、それさえ何十年前かのものだから錆びてめくれかけている。
田舎特有の車必須社会ゆえ外を歩く住民の姿もない。
大変失礼を承知で言わせてもらえば、営業しているにもかかわらずシャッター商店街の様相である。
確かに、トイ子でなくてもどうにかしたくなる気持ちはわかる。
しかし、だ。俺とトイ子がいる『トイ・ミュージアム』だって、同じく寂れた過去の施設なんだよ。
戦前戦後の貴重な玩具や自社の歴代玩具が黄ばんだショーケースの中でニヤついているが、現代のインスタ映え消費社会には全く適応していない。
そんな施設をガワだけ取り繕ったところで、活気が戻るとは思えない。
しかもベニヤに素人の塗装じゃ珍妙なネタ感が増すだけだ。
それはそれで別の注目を集める可能性は否定しないが。
やるなら、もっと派手に改革しなければと思う。
例えばゲーム性を持たせたりインタラクティブな空間にするとか、新商品のプロモーションイベント会場にするとか……
俺はこの就職難で希望職でない、しかも入社早々に閑職へ追いやられる不遇においても、起死回生を狙っていた。
帰宅したら毎晩、企画書を作成する。希望職でないとはいえ、名高い大企業に就職できたという幸運を無駄にしたくない。
トイ子は子供を呼び戻すとか言っていたが、俺は「大きいおともだち」にターゲットを絞っている。
築29年の軽量鉄骨アパートがここでの俺の住処だ。
踏切もあるし職場までは少し遠いが、ミュージアムのある東口側より家賃が安いのがありがたい。
錆びた階段をなるべく音がしないように上がり、部屋の前に着いた時、鍵がないことに気がついた。
というか上着を忘れてきてしまったのだ。
暑さに脱いで、そのまま。
「しまった……。でも脱いだの裏庭だよな」
不幸中の幸いだった。
建物の中だったら鍵を持っているのがトイ子だから詰むところだった。
「明日トイ子の連絡先聞いておこう。つか合鍵が必要だな」
昇ってきた階段をまた下り、俺は愛車に跨った。
*****
17時の商店街はまだ明かりが灯っていたのに、折り返して戻ると真っ暗で静まり返っていた。
店が閉まっても家には人がいるはずなのに、閉められたカーテンからかすかにもれる光も多くない。
節約といって奥の茶の間に集まって、そこだけで過ごしているのだろう。
ばあちゃん家がこんな感じだった。
子供の頃、真っ暗な廊下を歩いてトイレまで行くのが怖かったんだよな。
「あれ? トイ子、電気消し忘れかよ……にしては光り過ぎじゃね?」
真っ暗な商店街の先に、光で浮かび上がる我が仕事場が見えた。その姿は神々しくさえあって、さながらライトアップされた天守閣のようだった。
近づけば近づくほど違和感が増して、単なる夜景のそれではないことをいち早く感じた皮膚がじっとりと汗ばむ。嫌な汗だ。
「嘘だよな……」
建物自体が、発光しているなんて。
建物の前で呆然とする俺の側を、チャリ通の学生が通り過ぎた。
しかしこの現象を気に留める様子もなく、俺の存在に気づいて慌てて鼻歌のボリュームを下げただけだった。
この街じゃ、このミュージアムが夜になると発光するのが普通の風景なのか?
いや、それよりもまるでこの発光自体が見えていないような……まさかな。
そんなことを考えた瞬間、凄まじい破裂音と同時にミュージアムのガラス窓が一斉に割れて飛び散った。
「!!」
信じられない光景だった。
建物の中からの爆風で砕け散ったガラスが、光を反射して蝶のように煌めき舞っている。
それはなぜだかスローモーションのようで、俺は降り注ぐ破片をくぐるようにして爆風で開いた正面玄関に転がり込んだ。
「何しに戻って来たのよ!!」
「え……?」
建物の奥から耳を劈くような金切り声と、駆け足でこちらへ向かってくる靴音が聞こえてきた。
走ってきたのは、トイ子だった。
「てか、なんでアンタ人間のくせに影響受けてんのよ!? 血だらけじゃない!」
「そりゃ、こんな爆発があれば怪我くらい……っ、それよりお前のほうが酷いじゃないか! 病院行かないと!」
「っ……また来る! いいから下がってて!」
「ってか人間のくせにってなんだよ、おい……」
俺の問いには答えず、トイ子は背中を向けた。
血だらけのまま背筋を伸ばして立つ凛々しい後ろ姿に息を呑む。
俺はトイ子の怪我が心配で、だけどそのトイ子のただならぬ気迫に圧されてそれ以上は何も言えなかった。
「えっ」
トイ子が走ってきた方から、何か来る気配を感じた。
と同時に、トイ子が眩いピンク色の光に包まれ輝きだす。
「は?」
光の中でトイ子がみるみる姿を変える。
長い黒髪は更に長く伸び、凍れる滝のように荘厳な白銀がたなびく。
一度露わになった白い肌に枝垂桜の振袖を滑らせ。
ひとりでに結い上がる銀色の帯は衣擦れの音を響かせ。
その手にはいつの間にか鋭く長い太刀を握り構え。
腰に携えた鞘は血のように赤く、妖しく艶めいていた。
「どう……なってんだよ」
その姿に驚く間もなく、廊下の奥から炎の尾をひいて物騒な黒塊が飛んでくるのが見えた。
トイ子めがけて飛んできたのは弊社発展のきっかけとなった昭和の大人気商品、超合金合体ロボ『サンダー5』だった。
鉛のように鈍く黒光りするボディを炎に包んで速度を緩めたそれは、こちらに向かって両肩計18門のサンダーミサイルを発射すべく狙いを定めている。
トイ子が変身して展示品のおもちゃが攻撃を仕掛けてきている……?
状況に、俺の頭がついていかない。
けれども容赦なくミサイル口が閃光を放つ。
『風ト炎ヲ疎ム者、我ヲ依リ代トシ咲キ誇ル盾ト成レ』
トイ子の口から発せられたその言葉は凛として清涼、それでいてどこか妖艶で、トイ子のものであって、トイ子のものではない声だった。
刹那、視界ゼロの桜吹雪が舞い乱れ、それは正しく言葉の通り『盾』となった。





