やり直し希望! ~俺の人生絶対間違っている~
黒い髪がばらりと顔に落ちる。
この牢に閉じ込められてから何日が過ぎただろう。目を凝らしても、かろうじて見えるのは膝をついた石の床ぐらいだ。すっかり目も暗闇に慣れた筈なのに。
明かりもない牢の大きさがどれくらいかは、暴れた俺を押さえるために、看守が水をかけに来た時の記憶でしかわからない。
聞こえるのも、俺の手足につけられた鎖のじゃらっという音ぐらいだ。壁に繋がれているからどこにも行けはしないというのに、俺をここに閉じ込めた者は視界どころか音さえも与えたくはないらしい。
「ふ……」
笑いがこみ上げてくる。
「ふざけるな!」
勝手にこんな世界に召喚しておいて! 勇者だ、伝説の存在だと持ち上げた挙げ句のこの処遇はなんだ!
「出せ! 俺を元の世界に返せよ!」
暴れる体に従って鎖がじゃらじゃらと鳴る。どうせ叫んでも、看守が桶に水を入れてかけにくるぐらいだ。わかってはいるが、叫ばずにはいられない!
案の定、扉がある方角からばたばたと足音が聞こえた。けれどすぐに静まると、いつもとは違うこつこつという音が響く。
そして、きいっと古びた金具をきしませながら扉が開いた。
暗い牢に廊下で灯されていた松明の明かりが細い光となって入ってくる。久しぶりの光で目が痛い。だから扉を背にして立っている人物が誰か最初はわからなった。
「久しぶりだな、リョウ」
「ルーク……、お前がどうしてここに」
姿を見せたのは、魔族を倒すために共に旅をしていた仲間だ。けれど鎖に繋がれた俺を見下ろすルークの緑の瞳は、いつも旅先でみせた親しみのあるものではない。薄い金髪の奥から皮肉げに眺めると、くっと笑う。
「どうして? 俺がこの国の王子だということを忘れたか?」
そうだった。
旅先では、この世界に不慣れな俺を甲斐甲斐しく世話してくれていたお蔭で、こいつが権力者だということをすっかり忘れていた。
最初にこの世界に召喚された時も、戸惑っていた俺に手を差し出してくれたのは、王子として側にいたこいつなのに。そして、旅先でこの世界のことを知らずに色々とやらかしてしまう俺の失敗を、いつも笑いながら側で助けてくれた。
「悪い、ルーク」
旅先で野草によく似た毒草を鍋にいれてしまい、魔王退治に組んだ仲間が唸っているのを介抱した時も、味で気がついたこいつはすぐに俺を手伝ってくれた。
「いいって。もし立場が逆で、俺がお前の世界に行っていたら、俺もきっと世間知らずの扱いを受けていただろうからな」
「安心しろ! その時は、俺が助けてやるから」
「いや、その時はお前をこっちの世界に誘拐しなおす。俺はお前の世話を焼くのは楽しいが、お前に世話を焼かれるのだけは男の沽券に関わる」
「ちょっと待て。その場合の俺の沽券はどうなる?」
「常に俺が優先だから諦めろ」
「おいっ!」
そんな会話をかわしたのも、ついこの間のことだというのに。今ルークは牢に繋がれた俺を見下ろしながら薄い笑みを刷いている。
だけど、今縋れるものがあるとすればこいつしかいない。だから、俺は錆びた匂いのする鎖を鳴らすと、必死にルークに向かって叫んだ。
「頼む! お前なら陛下と話すこともできるだろう⁉ 俺をここから出すように言ってくれ!」
俺は何もしていない! なのに、ある日突然この牢に繋がれて、誰にも会うことができなくなったんだ!
「頼む! 俺が何か疑われているのなら、一緒に旅をしていた皆に訊いてもらえばわかる! だから」
「その必要はない」
けれど見上げた先でルークは冷たく笑う。そして、組んでいた両手をゆっくりと下ろした。
「なぜならお前を牢に繋いだのは、この俺だからだ」
「なに……?」
言われた言葉が信じられない。どうして、ルークが俺を? 喧嘩はよくしたが、普段は何でも言い合って、俺は勝手に親友だと思っていたのに!
けれどルークは腰の剣に手をかけると片手で柄を握った。ルークの眼差しは酷薄なまでに冷たい。そして口を開く。
「勇者、カンナ・リョウ。お前は魔族と組み、このエシュトランドの多くの村を焼き、人々を殺害した。また奸計を用いて、貴族同士の離反を図り、魔族に利する行為をした罪により、第一王子ルーク・ガーラハンドの名によってお前を処刑する」
「なっ……」
言われたことに目を開く。
「待て! それは何かの間違いだ! 俺は一度だって村を襲ったことなどない!」
「生憎だが、これに関しては当の襲われた村の長が証言をしている。魔族と共に襲ってきた剣の手練れは、この国では珍しい黒髪黒目の男であったと――お前以外に誰がいる?」
「それは」
ぐっと一度唇を噛む。確かに金か褐色の髪が多いこの国では、俺みたいな漆黒の髪の持ち主はいない。だが。
「それはきっと魔族が仕込んだ偽物だ! あいつらは、魔王を倒した勇者の俺が邪魔で!」
「もう一つの件についても貴族達から証言が出ている。十日前に父上が狙われた暗殺事件。あれも、俺の名前で後ろからけしかけたのはお前だと」
「俺はそんなことはしていない!」
なんだ、その暗殺って⁉ 事件自体が初耳だぞ!
だがルークの手はぐいっと俺の髪を持ち上げた。そして、喉に冷たい白刃を押し当てる。
「言いたいことはそれだけか?」
皮膚にあたる鉄の冷たさが、夢ではないことを示している。
「まて……待ってくれ……」
ごくりと唾を飲み込んで出た声は、自分でも情けないぐらい震えていた。
「俺は……この国に必要だから、召喚された勇者の筈だ……魔王は倒したが、人々が信仰している勇者を処刑する、なんてことを、すれば、どうなるか……」
唇が震えてうまくしゃべれない。しかし縋るように見つめた俺に、ルークはくすっと笑う。
「ああ、だから安心しろ。俺が代わりに勇者の名を受け継いだ。元々召喚された勇者と王子なんて、魔王を倒した英雄は二人もいらない。だが今更お前を向こうの世界に帰して、また戻ってこられても厄介だ。お前の後の面倒はすべて俺がみてやる――これまでと同じように」
こいつ!
咄嗟に頭に閃いた。
――俺のことが邪魔になったんだ!
あんなに一緒にいて、仲がよかったのに。いや、それとも仲がよかったと思っていたのは俺だけだったのか⁉
「ルーク!」
だから、絞り出すように叫ぶ。
「俺の役目が終わったからいらなくなったのか⁉ だから、殺すのか⁉ ほかに捨てる方法もないから」
「ああ、方法がないからだ」
そして、思い切り髪を掴み上げられた。膝は浮いて中途半端な姿勢なのに、ルークは覗き込むように俺の瞳に顔をよせる。
「恨むなら恨め。そしてこの顔を怒りと共に覚えておくといい。死んでも、決して忘れないように」
「ルーク! 貴様!」
忘れるものか! 俺を裏切った憎い緑の瞳。その顔立ち。
「お前だけは忘れない。絶対に、俺を裏切ったおまえだけは!」
たとえ殺されたって、死霊になっても未来永劫祟ってやる。
「光栄だ」
しかし、橙色に輝く白刃が振り下ろされると、俺の持ち上げられた首の根元に凄まじい衝撃が走った。
熱い。何が起こったのかわかりたくもないのに、限界にまで引っ張られていた筈の俺の首は更にゆっくりと上っていく。
代わりに、後ろでどさっという音が聞こえた。何かの膝が崩れたような。
だが首から下は熱すぎてよくわからない。ただ痛い。熱いものが首を濡らして、鉄の匂いだけが濃厚に広がっていく。
首を切り落とされたとわかったのは、ルークが自分の顔のすぐ前に俺を掲げたからだ。
「リョウ。この顔をきちんと覚えておけ。お前を殺した俺を――」
頭の芯が急速に冷たくなっていく。視界がさっきよりも暗くなり、ふっと何もかもが見えなくなった。
どれぐらいの時間がすぎたのだろう。
急に俺の周りが明るくなっていく。今まで冷えていた体は温かくなり、甘い匂いが俺を包んでいるのを感じる。腕に触れるのは柔らかい衣だ。
なんだろう。さっきから、ずっと赤ん坊の泣き声がするけれど。
「陛下! 無事、玉のような男の子です!」
陛下? 誰のことだ?
「ほら。元気な王子様です」
しかし王子と聞いた瞬間、脳裏にルークの顔が甦った。
――まさか、あいつがいるのか?
けれど言葉とともに引き渡されたのは俺の体だった。あれ? もしかして、俺は生まれ変わった?
そういえば俺が気がついた途端、あの赤ん坊の泣き声は聞こえなくなった。どうやら無意識にずっと俺が泣き続けていたらしい。
暖かい空気にすっと目を開く。ああ、やはり俺は生まれ変わったのか。
けれど目を開いた瞬間、引き渡された相手の顔に俺の体が強ばる。
「げっ!」
ルーク! どうして、お前が俺を抱いているんだ⁉
「陛下には、初めてのお子様ですからね。生まれたては、首がすわっていませんから腕で支えて」
やめろ! 言われた通りにしなくていいから!
だからもがいてなんとか腕から逃げだそうとしたのに、ルークの奴ときたら俺の体をしっかりと抱いて離そうとしない。
「不思議だな。初めてあった我が子なのに、こんなにも愛らしいとは」
「それは、陛下が毎日ご誕生を待ちわびておられたからですよ。王妃様との間の初めてのお子様。愛おしくてなんの不思議がございましょう」
「よし決めた」
何をだ! まさか、この場で再度処刑するのかと焦るのに、あいつは掲げるように俺を抱き上げている。
「俺は世界で一番お前を愛そう! どんな敵からも一生俺が守り続けてやる」
ってまさかの親馬鹿宣言⁉ 俺の敵はお前なんですけれど。
仇に可愛がられるなんて。この転生、やり直し希望!





