こわすひと、なおすひと
これは、終わりの物語。
慟哭と憧憬の物語。
始まりは語り継がれ、しかしその結末は誰にも知られる事はなく。語られることもなく。
最後に。花を揺らす優しさだけが、ただ有った。
☆
むかしむかしのお話です。
あるところに、小さな国がありました。
小さな国の人たちは、となりの大きな国の国ともとっても仲良し。
森に入って動物をかり、服をあんで大きな国に売ったりしてずっと幸せに暮らしていました。
けれど、ある時たたかいが始まってしまいます。理由はわかりません。いきなり大きな国の人たちがたくさん攻めてきて、小さな国はあっという間になくなる寸前。
えらい人たちはどうしようかとあっちにいったりこっちにいったり。わぁわぁと話し合いますが、もうどうにもなりません。
みんながあきらめかけたとき、一人の男が立ち上がりました。
その男は、国のはしで木こりをしていた男でした。無口な男で、誰とも関わらないので、小さな国の誰もその男の事をあまり知りませんでした。
毎日木を切って、ずんぐりとした丸太を毎日二十本も三十本も大きな背中にかついでは、近くの村に売っていたことしか知られていません。
ある日、男がふらりと国で一番大きかった町にやってきました。一振りの、大きな大きなオノをもって。
大きな国の人たちがいきなり来た男をあやしんで、黒くて長いライフルの先を男に向けてさけびます。
「止まれ。止まらないと、うつぞ!」
男は、少しうつむいたまま止まりません。
大きな国の人たちが指をひきしぼりました。かみなりのような音がひびきます。
でも、男は何もなかったかのようにずんずんと歩き続けます。
外れたのかと、何度も何度もうちますが、男の体にはキズ一つつくことはありませんでした。
男がオノをこしにかまえて横にブン、とふると、まるで台風のようなすさまじい風がおきて大きな国の人たちをまるで虫かなにかのようにふきとばします。
むそうの強さで町を取り返すと、男はずんずんと進み大きな国の人たちをバタバタとうちたおし、とうとう国の全てを取り返しました。
そうして、たたかいは終わりました。男はえいゆうと呼ばれ、小さな国の全ての人に感謝されました。
王さまからくんしょうをもらったときうっかりコケてしまって、みんなが笑顔になりました。
それからずっと小さな国は平和です。
男の住む小さな小屋にはお礼を言いに行く人が後をたちませんでしたとさ。
めでたしめでたし。
☆
木の葉の合間から、光が漏れていました。
飛沫で少し固まった土が踏まれて、サクサクと音を立てています。
「ふぅ……深い森。どこまで続いているのかしら……」
鈴の鳴るような高く綺麗な女の声が、森のざわめきに混ざりました。
白い、西の国の修道女の衣装が陽にあてられてまばゆく光ります。
女はとても美しい容姿をしていましたが、顔の半分をその長い髪で隠していました。
何度か休憩を挟みながら女が進み続けると、ようやく森の木が途切れました。
そこには木が一本もないような大きな空間があって、持て余すように小さな小屋が建っています。
年季が入っていてボロボロのそれは、到底人が住んでいるとは思えない風体ですが、女は迷わずドアを叩きます。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんでしょうか?」
返事はありません。でもドアはもう立て掛けられてあるばかりで、軽く叩いただけでもひとりでに開きます。
小さく開いたドアの隙間から女が見たのは簡素で、何もない部屋でした。
服を入れるクローゼットも、ご飯を作る鍋もありません。国で流行しているオモチャも一つもありませんし、ご飯が入っていそうな引き出しもありませんでした。
あるものと言えば、大事そうに壁に掛けられた大きな斧くらい。でもよほど使われていないのか、手入れが行き届いてピカピカなままです。
「……お邪魔します」
女が扉を開け放ち家に一歩踏み入ると、ギシリと床が軋みます。光が差し込まない部屋の隅で、何かがピクリと動きました。
大きい身体に、その表面が毛むくじゃらで、まるで大型の肉食獣のようでした。頭らしいところから女をじぃっと見つめる眼差しは、けれどとても穏やかで優しそうなものです。
女はその視線ににこりと微笑み返すと、それに近づき、その場で膝をついてそれと目を合わせました。
「こんにちは。急にお邪魔して、ごめんなさい」
「…………ゥ、ウ……」
女の言葉は、子供をあやすような優しい口調でした。その何かは、久しく喋っていないのか舌がうまく回らない様子で、けれど女はゆっくりと静かに、次の言葉を待ちました。
「…………ぼくは、いいことをしたのか……」
それは、自戒でした。
涙が一滴こぼれ落ちて、腐り切った床の木材に溶けて消えました。
「……それとも、何もしない方が良かった、のか。わからない……誰かが、救われた……その誰かは正しかったのか……」
そしてそれは、懺悔でした。
否定され続けた怪物の、後悔の念が。その口から洩れていました。
女はなおも黙って、その声を聴き続けます。
「みんなが、僕を……もういらないって、言う。神様にだって、見捨てられた……もう、消えてしまいたいよ」
男の言葉に共鳴するように、目の下に刻まれた紫色の刻印が鈍く光りました。
☆
えいゆうとなった男の、これはそのあとのお話です。
すべてがおわったえいゆうは、平和な国にはただのさつじんしゃでした。
だれもが男を、おそれを持った目で見ます。
それならばひとりになれればよかったのに、えいゆうである男には王さまの決定で、みながかわるがわるお礼を言い、お世話をしなければなりませんでした。
男はにげるように森に入り、いつにもまして仕事にはげみました。毎日毎日、多くの木をきり続けました。
そうして、それは起こりました。
空がまばゆく光りました。
男は、天から声がふりそそいでくるのを聞きました。
『お前は、壊しすぎた』
その声は多くを語りませんでした。
ただ、男は理解しました。
次になにかをこわしたとき、自分は死ぬのだということを。
やけるように熱い顔の痛みだけが、いつまでものこっていました。
☆
男は、それからなにも壊さず生きてきました。
何も壊せなくなった男は、かろうじて認められていた意味すら失い、人々からとうとう見捨てられました。
一人になりたいと思ってはいました。
けれど、一人になりたいと思うことがどれだけ贅沢だったでしょう。
独りにされた男は、その日から誰ともあうことはありませんでした。
その傷ついた心を、どうにもできないまま──
「……よかった」
女が漏らしたその言葉に、男は憤りました。
何がよかったのだ。この運命のせいで自分はこれほど苦労しているのに──そう思ったでしょう。
叫びだしそうな男をよそに、女が続けます。
「ごめんなさい。こんな言い方はよくなかったですね。ただ、うれしかったんです。私、もう独りなのかなって思っていたから……求めている人に、与えられず。もうこんな私に意味なんてないのかな……なんて、思っていましたから」
風が、開いたままの扉から吹き込んで、女の髪をたなびかせました。
隠れていたその美貌の半分が、白日の下にさらされます。
そこにあったものは、宝石のような目ときれいに整えられた眉。そして鈍く光る紫色の刻印でした。
あっけにとられ、声も出ない男に女が語り始めます。
「……私も、あなたと同じです。誰かのためになりたかった……後悔はしていない、それくらいの違いしかありません。でもそれは、あなたが壊すもので、私が治すものだったから──ただそれだけの違いなんです」
女が、ぎゅっと男の手を握りました。
さっきまでとは違う涙が、男の目からぼろぼろとこぼれます。
「治せない私と、壊せないあなた。お互いに半人前ですけれど──二人で一緒にいれば、やれることがあるかもしれないじゃないですか」
一緒に。
たったそれだけの言葉を、誰かから言ってもらえるということを。男がどれだけ求めていたでしょう。
「だから貴方も、自分の事を諦めないで欲しい。私も、自分のことのように悲しくなっちゃいます」
言葉もなく、男はただ泣きました。
落ち着くまで女は手を握っていましたが、外から低く響くような轟音がして、女は目を見開きました。
女が男の手を引きます。勢いに負けて外に出された男は、本当に久しぶりに、自分の目で外を見ました。
「ねぇ、みてください! 空クジラが泳いでますよ!」
雄大な空クジラがその体を空海で捻ると、パッと飛沫があたり中に飛び散って綺麗な虹を描きました。
霧のようになって降り注ぐ潮の中で、濡れることもいとわず無邪気に笑う女が、男にはとても眩しく見えました。
どれだけ望んでも手に入らなかった七色の世界がそこにはありました。
あるいは、男にとっては初めての経験だったのかもしれません。世界を美しいと思ったのは。
そうして男は、もう一度立ち上がりました。
もう一度その物語が途切れるまで倒れないと、決意を新たに。
この、優しくて子供のような女とともに、歩き続けると。





