俺と! くろの! 出版業界のジレンマコーナー
俺と! くろの! 我もとうとう3年生のコーナーがはじまるよー。
さあ、今宵も懲りずに始まった俺くろコーナーですが今回のテーマは出版業界です。
さて、くろ様。今回はここに作品を投稿している作家さんたちが、ちょっとは関心を持っているであろう出版業界について駄弁りましょう。
あーっ、お主よ。業界の知識も持ち合わせていないのに語れるのか?
大丈夫です。主観に基づく考察ですから。客観的に語る訳ではないので幾らでも喋れます。
つまり、根拠を尋ねられても答えられないと言うことじゃな。
主観ですから。根拠は自分がそう思ったで十分なんです。
それって、読む方からしたらただのお主の自論じゃよな。
まぁ、そうですけど、私が思いつくような事ですからね。大抵の方は理解して頂けるんじゃないですか?
となると、今回我は遊んでいていいのじゃな?
後で感想をお聞きしますので聞いていないと報酬は得られませんよ。因みに今日の報酬は不二の実屋の季節限定デラックスシュークリームです!ほらっ、クリームの色が桜色なんですよ。味は一緒なんですけど、色が付いただけで美味しさ2倍です。
おおっ、本当じゃ!これ、お主。3分で終わらせろ!後、感想はカンペを用意しておけ!我はコーラを準備するからの!
やる気があるんだか、ないんだか判んない言い草ですね。まぁ、いいです。それでは始めましょう!因みに語りはぽっ先生です。
この世のあらゆるものは時間と共に崩れてゆく。ただ、その速度はモノによってさまざまだ。惣菜などの加工食品系などは1日持たないモノもザラである。それを思うと冷蔵庫は人類が発明した最高の機械かも知れない。まぁ、それとて電気が来なくてはただの箱でしかないのだが。
次に短命なのは記憶であるが、これはちょっと置いておこう。短命ではあるが、色々と保存しておく方法はあるのだから。
工業製品は人の感覚では結構長く使えると感じるであろう。なんの手入れをしなくても1、2年は普通に使えるものが多い。靴など日常的に使うものでも1年で底が磨り減って穴が開くほど使われるのは稀だ。仮に穴が開いても修理すればまた使えるようになる。
自動車などは10年ほどでベストセラー車でも姿を見なくなるが、あれは壊れたからではなく買い替えによる入れ替わりだ。捨てられた車は別の国で立派に動いているものも少なくないと聞く。
次に建物、特にコンクリート系で出来た巨大建築物などは永遠に残ると錯覚してしまいそうだがさにあらず。強度的には100年持つものでも、人が使うものだから大抵は50年くらいで取り壊してしまう。まぁ、中には千年単位でそこに鎮座し続けているものもなくはないが数は少ない。
そもそも、この地球の大地だって造りかえられているらしい。プレートの移動と衝突によって億年の単位では大陸ですら安泰ではないんだとか。
まぁ、そんな気の遠くなるような時間軸の話は置いておこう。人間にとって時間とは通常100年でも長過ぎるのもだ。いや、現実的には10年経ったら化石化していると感じられるはずである。但し、これはモノに限った話で、産まれたばかりの赤ん坊と、その子が10歳の誕生日を迎えた時点とでは、姿かたちは違えど注ぐ愛情は同じであろう。これは人間が成長と言う変化をするからかも知れない。だから常に関心を持続できる。いや、そんなもの抜きでただただ愛おしいのかも知れない。
ところが、工業製品には変化がない。自動車などはレストアと称して新品のように蘇らせる技法もあるが、根本的なところは元のままである。つまり、劣化による限界よりも使用者の興味や使用満足感が満たされなくなる事により、モノとは使われなくなり捨てられていくのだ。
それに対して、出版物は劣化しない。黄ばんだ紙にインクが張り付いたりすることはあるかもしれないが、基本、印刷された時の状態を100年経っても保ち続けられるのだ。まぁ、保存管理がしっかりしていればの話だが。
現存する紙の出版物で一番古いのは多分聖書だろう。グーデンベルグが活版印刷を発明してから何年経ったかは知らないが、聖書なら手書きの書き写し本がまだ幾らでも現存しているはずだ。
そして現在は書籍に満ちている。絵本、教科書、参考書。漫画に小説、解説書。辞典や図鑑、雑誌やフリーペーパーなど種類だけ挙げても数え切れないほどだ。
しかも、今はそこにデジタルデータまである。まぁ、これは書籍の種類というより提供する媒体の違いではあるが、保管スペースの減量化に一役かっているのは確かである。なんせ、小説を例にとれば文庫本1冊15万字、300ページがたったの300キロバイドに変換できるのだ。今はギガバイドクラスのUSBメモリーが千円しないで手に入るので、1個のUSBメモリーに3000冊から1万冊の文庫本データが納まってしまう。1万冊の文庫本を収納しようと思ったら6畳間が本で埋まってしまうだろう。それだってぎゅうぎゅう詰めにしての事で、随時閲覧できるようにしたいと思ったら本棚だらけの部屋が2部屋、いや3部屋は必要かも知れない。
それがデジタルデータにすると、手の平に載るUSBメモリー1個に入ってしまうのである。凄まじい圧縮率だ。
しかし、収納体積を別にしても、本とは他の消費物とは異なる性質を持つ。それは出版物が腐らない事だ。食料品は賞味期限があり、それを大幅に過ぎた物は絶対に捨てられる。仮に今が戦時中だとしても、それを食べ一時の満腹感を得ることより、その後の腹痛に転げまわる苦しさを思えば、賞味期限が過ぎた食べ物を口にする人はいないだろう。
耐久消費物、例としては家や自動車、テレビなどの家電製品などは新製品が発売されればそちらに移行しようと考える人もいるはずである。いや、さすがに家はないか?でもマンションとかならありえそうだな。
さて、普通は耐久消費物などと言われるモノは壊れない限り買い換えようとはしないはずだ。でも懐具合さえ許せば新しいモノの魅力は絶大だ。許される限りその魅力に抗える人はそういないと思う。
そんな中、本はどうだろうか?今は別に本が手元になくてもネットさえあれば何かしらかの物語を読むことが出来る。お金を出せば、プロの作品だってネット経由で読めるのだ。それもほぼ無限な量を。先にも言ったが、1万冊の本を所有するには物理的な空間が必要になる。大抵の人はそんな空間を持ち合わせていないだろう。仮にそちらの方法を選んだとしても、所有している1万冊の本が何処にあるか、自分がどんな本を所有しているかはリストなり配置表なりを作っておく必要がある。
図書館や本屋だって作者別、種類別に並べてあるから何処に何があるか判るだけで、そのルールに従わない場所に本を戻したら一巻の終わりである。全数チェックをして探さなくてはならない。もっとも、そんな思い入れや自分に必要な本は大抵判り易い所に置くだろうから全数チェックなどをしなければならない事はまずないか。
だが仮にそんな事をしなければならなくなった時、デジタルデータは強みを発揮する。それは『検索能力』だ。タイトル名やファイルの種類、最後にアクセスした日付などを駆使すれば大抵は望みのファイルをパソコンが何処にあるか教えてくれる。
このように大変利点の多いように思える書籍のデジタル化だが、今のところ普及の歩みは遅いようだ。もっとも数年後はどうなっているかは判らない。何かしらかの記録媒体に文字を書き残した歴史は千年のオーダーだろうけど、デジタル化はその利便性から30年足らずで多くのモノを葬ってきた。それを考えれば書籍がほぼ完全にデジタル情報で供給される日もそう遠くないのかも知れない。
さて、ここで有史以来人類が書き溜めてきた物語はどのくらい有るのだろうか?そしてその内、どれ程の数か残っているのか?この投稿サイトには60万を超える作品があるそうだが、現在進行形で読まれている物は1万作品あるかどうかだと思う。しかも、その殆どは連載と言う形で投稿し続けられている作品に限られている気がする。
別に古い投稿作品が時間切れで読めなくなっている訳ではない。最新の作品と同じ手間で読めるようになっているのだ。なのに殆どの古い投稿作品の週間PVは100未満と表示される。
そこにあるのに、殆どの人が読まない。つまりこれを紙の本で言い換えれば埃を被った在庫本と言う事になる。
物語はそこにあるのに殆どの人がそれを手に取らない。まさにこの投稿サイトの無読作品と一緒だ。そこにあるのに誰も気付かない。物語は人ではないので感情などないだろうが、擬人化したとすれば、なんと悲しいキャラクターではないか。この世に産まれながらその存在意義を全うできない。かと言って自分では消えも事もできない。
まぁ、これは貧乏人の考えかも知れないが・・、出版業界のジレンマ。それは出版物が腐らない事なのかも知れない。
これっ、お主。見てみよっ!こっちのクリームは薄緑色じゃっ!これって葉の色を模しておるのかのぉ。うむっ、さすがは不二の実屋である。細いとこまで凝っておるのぉ。あっ、ほんのり抹茶の味がする。むーっ、なんとも風流な大人の味じゃな。
くろ様・・、ぽっち先生の話聞いてました?
誰が聞くかっ!勝手に喋らせておけ!ほれ、お主には、こっちのコーヒー味のやつをやろう。我は苦いのは嫌いじゃからな。
やれやれ、くろは本当に我侭だなぁ。
-お後がよろしいようで。-




