想定外に惑う平民の話
どうしてこうなたんだろう……
王国で唯一平民でも高等教育を受けれる聖マダカル学院の外庭の隅にうずくまりながら、私はここ最近の悩みについて頭を抱えていた。
この聖マダカル学院は入れたらよっぽどのスキャンダルを起こさないない限りは中途退学でも商家の家庭教師ぐらいには就け、きちんと卒業すれば地方の役人にはすんなりなれちゃう程に箔が付く程の知の殿堂、の筈の場所。
だから私も、お母さんに色々教わってこの学院に来た。
お母さんは蝋燭に声を保存するとか言っちゃって変な道具を作っては奇声をあげる人だけど、頭は生まれ故郷の村で一番良い。
お父さんは私がまだ幼い時に死んでしまってからも、一人で私を育てれたぐらいには。
ド田舎の村に住んでる片親の平民な私がこうしてこの学院に入れたのも、全部お母さんのお陰。
ちょっと、いや結構変わった人だけど、あの人がお母さんで私は本当に恵まれてたと思う。
だから町の役人になって少しでもお母さんを楽にしてあげたい。
その為なら、他の特待生の人達やあんまり好きじゃない貴族の方々とも仲良くしてコネを作るのも頑張れる。
お母さんから貴族の方々との人付き合いのコツ等も教えて貰って特待生として意気揚々と入ったんだけど、今はもう村に帰りたい。お母さんに泣き付きたい。
こうなったそもそもの事の発端は、多分、学院が誇る大図書館の閉架図書で普通ではお目に掛かれない貴重書に舞い上がってアレコレ読み漁っていた時だろうか―――
「ほう。お前、それを読む事が出来るのか」
「はい?」
貴重な読書時間を邪魔されたのに内心でイラッとしつつも表情と声音を自然な感じに抑えながら顔をあげると、予想通りプライドの高そうな男子の顔が目に入った。
予想外だったのは、学院で見かける顔が整ってる筈の貴族達が霞んでしまう程の美形だったこと。
思わず見惚れてしまう程だが、ふとお母さんから聞いた事が頭の中に蘇る。
『貴族が大概美しいのはその権力や財産で綺麗だったり格好良い人を自分達で力づくで囲んだ過去があるからなの。今では聖人方がきちんと法整備とか色々して下さったお陰でそうでもないけど、今でも名門のような高位貴族は法を無視できたりするから気を付けてね』
この男子は顔を改めて見るまでも無く、よっぽど綺麗所を独占できる家柄の出身なんだなって分かる。
遅れて気付いた制服も、やっぱり高位貴族出身者が集められる特別クラスのもの。
私の頭の中で素早く算盤が弾かれていく。
役人を目指す身としては貴族との繋がりは是非とも欲しい所だけど、あまりに高位すぎると面倒事に繋がる可能性もある。
けれど、彼等の機嫌を損ねたら私だけでなくお母さんも咎められかねない。
ここは穏便に流すのが最適解。
貴重書を丁寧に閉じて立ち上がり、学院で定められている礼をして頭を下げる。
「失礼しました、貴族生殿。はい、私は確かにこの図書を読むことが出来ます」
「貴族生か。まぁ間違っては無いな。特待生、楽にする事を許す。席に座れ」
「ありがとうございます。では、失礼して」
楽にするだけなら立ったままでもよかったのに、座れと直接言われたら座らないといけない。
プライドの高そうな美形に見下ろされながら喋るのは正直に言って胃に悪いけど、ここは我慢一択。
「その本は古語で書かれたものだが、お前は一年だな。どこで習った?」
「はい、貴族生殿。私の母は故郷の村で代筆の仕事をしています。その仕事を手伝う傍らで古語を含めた文字を習いました」
代筆の仕事と言っても、小さな村で代筆を頼むのは領主に書類を提出する村長ぐらいのものだけど。
大概は書くんじゃなくて、お触れとかを読むのを頼まれる方が多い。
「ほう。代筆で古語か?」
「はい、貴族生殿。母からは、貴族の方々は古語で手紙を認める事があるので、古語の読み書きも必須だと教えられています」
「都市の代筆であればそうだろうが、村の代筆がそこまでの教養を持っているとはな。どこにある村だ?」
「はい、貴族生―――」
「そのはい、貴族生殿というのを省略する事を許す。一々言われていたら耳に詰まる」
人が頑張って頑張ってるのにこの言い様。
やっぱり貴族と言うのは好きになれない。
「で、ではお答えします。西部のボーレン男爵領にあるノルーク村です」
「ボーレン男爵領と言えば特に名産も資源も碌になく見事に商路からも外れた領だな。成程、人的資源というのは何処に埋まってるか分からないものだ」
面白そうに笑う男。
こっちは全く面白くないけど。
「読書の邪魔をして済まなかったな特待生。褒美としてオレに名を告げる事を許そう」
とことんに傲慢な言い様だけど、それに反撃は出来ない。
後少しで解放されそうでし、それまでの辛抱だ。
「アルマ・ノルークです」
「アルマ・ノルーク。ああ、確か平民は生まれの町や村の名前を苗字代わりにするのだったな。よし、その名、覚えといてやる」
「光栄です」
秒で忘れて欲しい所だけど、まぁ貴族がちょっと話しただけの平民の名前をいつまでも覚えておくとも思えないし、いいか。
そう考えながら感謝を示す為に再び一礼。
頭を下げる私上から、無視出来ない衝撃の言葉が振り落された。
「では代わりにオレの名前も教えてやろう。オレの名はギルガルス・ラファエ・グラディエスだ」
―――――――――――――――え?
「…………王太子、殿下?」
「中々に楽しめたぞ、アルマ・ノルーク。次はもう少しマシな作り笑顔の練習をしとくといい」
そのまま呆け顔の私を残して颯爽と去っていく男、もとい王太子殿下。
殿下が見えなくなると、思わず机に突っ伏した。
確かに殿下に直接名乗る栄誉を貰えたのは、貴族であれば財宝に勝る褒美に違いない。
平民からしたら、厄介事そのものだけど。
色々と渦巻く胸中をどう整理付ければいいか悩んでいる所に、続きを楽しみにしていた貴重書が視界に入るが、その日はもう読書を楽しめる状態じゃなかった。
それからというもの、田舎者の平民がそんなに珍しかったのか殿下とよくエンカウントするようになった。
その度にあれこれ質問をされたり問題を出されたり、時にはこっちが知らない知識を餌にされて面倒事を手伝わされたり相談されたりとしてる内に、殿下の取り巻きである名門貴族の跡取りたちの様子が変わってきた。
初めて図書館で殿下と出会った時には見かけなかった取り巻き方は、それ以降は常に殿下の側に付いていたけども、彼等が私を見る視線は人間以下の存在を見下す様な冷たい視線だった。
当然そんな目で見られて好感を持つ訳がないけど、殿下がその立場は別としてどれだけ特殊な人なのかも認識した切っ掛けでもある。
そんな取り巻き方な訳だけど、殿下とエンカウントを続ける内にその視線は徐々に熱を持ち、扱いも人間扱に近づいていくのは良かった。
けど、何を間違えたのか、取り巻き方の視線と対応は適温を超えた熱を持ち始めたのだ。
「アルマ、今日も勉強に励んでいるのか。時には息抜きも必要だぞ」
「ベルスの言う通りだ。どうだろう、近場の良い店を知ってるんだ。食事にでも出かけないか?」
「それは良いな。美味いものを食べれば気分も良くなるってもんだ」
「いえ、貴族生殿の皆様。私は―――」
「そんな堅苦しい呼び方は必要ないと言っただろうアルマ。我々に対しては友人の様に接して欲しい、と」
「いえ、余りに恐れ多い事ですので……」
本当に何を間違えたのだろう?
学院のマナーを守って、お母さんに言われた通りの人付き合いして、殿下に言われた通りに自然に笑える様に特訓して揶揄される事もなくなった。
なのになんで私はこう、絡まれてるのか。
しかもこの取り巻き方、全員婚約者持ちと殿下から伺っているいるのだけれど。
殿下の方は下々の方にまで名声が轟く令嬢の中の令嬢、王国の誇る才女、ティエリカ・ソノ・ラーデリア嬢と婚約してるから、物珍しい平民を弄る事はあっても現を抜かしたりしないけど、取り巻き方は違うらしい。
前に学院のパーティで見た時は、その婚約者の御令嬢も碌に手入れもされてない平民とは段違いの美しさを持つ方々ばっかりだったし、高位貴族の婚約者となればその教養もかなりのものだろうに。
なんでわざわざ平民の私にこうも絡んで来る?
こっちが『婚約者の方々に勘違いされますよ』と言えば『気にするな』とか『友人との一時に下世話な憶測を立てる者なんて放っておけ』とか言うけど、異性の友人に過度に接触したり食卓を囲う時に度が高そうな酒を用意するのは平民の感覚ではおかしいのですが。
殿下があれこれ私を弄りに来たのが諸悪の根源だけど、今現在で私がしっかりと貞操を守ってられるのは殿下のお気に入りという噂のお陰でもある。
じゃなきゃ準男爵扱い程度の特待生が名門貴族の嫡男達相手に逃げ回るのは無理があっただろう。
目に見えて燻る火種に特待生クラスの皆も貴族生の人達も私から離れて遠巻きに見るばかりで、もう勉強とかコネ作りとか言ってる段階じゃない。
殿下ならどうにか出来るかもしれないけど、只でさえ婚約者の方々と緊張が高まってる中で私の方から殿下の下に行けばどんな結果を引き起こすか分からないし、殿下や取り巻き方の寵愛を受けて調子に乗ってるなんて的外れな噂を肯定しかねないし……
そんな悩みを抱えて誰も来ない外庭の隅に逃げ込んだ。
正直、もう、限界だなとは思う。
過度な心労によって心を病む場合があるってお母さんから聞いていたけど、この現状を体験して病みもするだろうなって実感した。
もし取り巻き方に婚約者が居なくても、私が彼等の手を取る事は出来ない。
平民が貴族の妻になる事は法で許されてないし、法の目を潜ってするとしたら私がどこかの貴族の養子になるか、彼等が貴族の位を捨てて平民に降りるか。
私はお母さんの子であるのが何よりの誇りである以上、例え誰に強要されても養子になるのは頷けない。
それと同じぐらいに彼等も貴族の位を捨てられない筈。
だとしたら愛人になる以外に選択肢は無いけど、そんなのは願い下げだ。
首を落とされる未来も忘れて、そう提案する相手を殴ってしまうかもしれない。
けど、
「もし、言い寄ってこられるのが、殿下だったら」
あの、強がりつつも王太子という立場に付属する義務に日々怯えてるあの人が、求めてくれるのなら、私はどう応えるのだろう?
正しい答えは分かる。
きちんとお断りして、ティエリカ様とのご結婚する様に諫言するのが正しい。
私の持ってない家柄も、教養も、能力も、美貌も、人脈も、王妃としての心構えも、全てをティエリカ様は持ってらっしゃる。
あの方以上に殿下に相応しい方はいらっしゃらない。
その正しい道筋こそ、あの臆病で頑張り屋な人が報われる唯一の道。
けど、何もかも捨てて私を求めてくれる、そんな昏い未来を、私は想像してしまう。
これも有りえない人達が私に迫るこの異常な現状のせいだろう。
ありえちゃいけない事を望んでしまう。
けど、それでもと、望みを捨てられない私は、かつて取り巻き方が言って、今は噂に乗っている通り、殿下に相応しくない、下心で殿下に近づく汚い女だ。
でも、離れられない。
勉学の為とかコネ作りとかはもう只の言い訳で、顔を合わせる事が出来なくても、同じ場所に居たい。
ただ、それだけで今もこの場所にしがみ付いている。
最初は、歩く面倒事と思って、嫌ってたはずなのに。
叶わないと分かってるのに、何でこうなったんだろう。
「いつもみたいに、バカめって笑い飛ばしてよ。ギル……」
ちょっと現実から逃げたくて書いてたら書き上がったので……