続きを読んでほしいのならお前らは努力をするべきだという話
「小説家になろう」に投稿している作家のみなさんなら、必ずこのような思いを持っているかと思います。
「私の作品を読んでほしい」
え? 『そんなこと思ってねーよ書きたいからただ書いてるだけだよ』って?
そんなオ○ニー野郎はじゆうちょうにでも書いて一人でニヤニヤしていればいいんです。
帰ってどうぞ。
おっと、つい口が悪くなってしまいましたね。
いけないいけない。
――おほん、改めまして。
私もそうですが、きっと皆さん、こんな思いを持って投稿を始めたと思うんです。
「何か自分で書きたいものがあって、上手く書けているかどうかは分からないけど出来たから誰かに読んでほしい」
「あわよくば評価してほしい」
「そしてもしかしたら私の秘められた才能が開花しちゃって、ランキング上位に上り詰めて書籍化打診なんか来ちゃったりして」
私もそんな気持ちを胸に秘めた作者の一人です。
割と最近書き始め、一作目はなかなかうまくいかなかったのですが、その時の反省を活かして最近2作目の連載小説を投稿し始めたところ、なんとありがたいことにジャンル別の日刊ランキングに載ることが出来ました。
一度載ってからは本当に順調で、ありがたいことに毎日ブックマークが増えているところです。
おっと、自慢をしに来たんじゃありませんよ。
私がこのエッセイで話したかったのは、チャンスをドブに捨ててしまっていませんか? というお話です。
最近勉強のために色々な方の作品を読むようにしています。
それこそほとんどPVがなさそうなものからランキングに載るような強豪作品までですね。
そして、読んでいて気がついたことがあります。
お前らの作品、読者に読ませる気がねーだろ????
ってことです。
確かに、web小説というのはとにかく自由な場所です。
商業小説とは異なり売れるかどうかを気にしなくてもいいし、校正も校閲も入らない。
こうしなければいけませんというルールはなく、改行をいくつ重ねてもいいし、顔文字だって別に使ったっていいし、一行に一文字しか書かないなんて表現だってアリといえばアリです。
小説の基本的な書き方? 慣習?
そんなものは確かに従う必要はないですね。
面白ければ良い世界ですから、面白いと思わせることが出来ればそれで勝ちです。
ええ、そうです。
面白いと思わせられるならね。
けどね、お前らの作品は本当にそんなに面白いと思わせられるほど魅力的な文章なのか?
ランキング上位を見てみよう。
ああ、たしかにこんな作品が上位なら文章力なんて気にしなくてもいいと思うのかも知れない。
でもそいつは、流行りの言葉を適当に積み重ねて、内容も特にないままにたまたま上位にいって、そのまま居座り続けているだけかもしれない。
ランキング上位行くとそれだけでpv数激増しますからね。
さもありなんです。
一方お前らときたらどうだろう。
誰にも見向きもされず、せっかく掘り当ててくれたスコッパーさんですら少し読んですぐに捨ててしまうような、そんな文章を書いているんじゃないですか?
当たれば正義ということは反面、当たらなければ悪なんです。
ならどうするか?
少なくとも、我々作者は読者がやってきたときに、「お、この話面白いな、続き気になる」と思わせなければならないんです。
面白いと思わせるためにはどうすればいいか?
当然、面白い内容を考えなければならないでしょう。
そこはもう、才能とか色々あるんで何もいいません。
でも小説家として、全員に共通して出来ることがあります。
それは、読ませる文章を書けるように努力する、ということ。
「まだ面白さが伝わってこないけど続きを読んでもいいな」と思わせる文章を目指すこと。
小説って、離脱ポイントがものすごく多いんです。
そして、面白いポイントって大体中盤から後半に置かれます。
序盤は単なる前置きでしかない場合がほとんどです。
それなら、その序盤で読むのをやめてもらっちゃ困りますよね?
なるべく作者自身が盛り上がりポイントだと思っているその場所まで、多くの読者に残ってもらって、その上で評価してもらいたいですよね。
それなら、どうして続きを読ませようとしないんですか?
これを聞いたある作家がいいました。
「私の作品の内容はとても好き嫌いが分かれやすい内容だ。だから去っていく読者に目をやる必要なんてない。分かってくれる人は何も言わなくても分かってくれるのだ」
ははあ、それはそれは、あなたの作品は随分高尚な作品なのですね。
きっと読む人が読めば理解出来て、面白いと思うのですね。
ところで、その分かってくれる人とやらは、どこであなたの作品を見つけて、そしてどこまで読んでくれるのですかね?
ええ、内容はもしかしたら面白いのかも知れない。
けど、その内容が読み取れないのなら、1%しかいない読者候補すら読むのをやめてしまうのです。
内容が面白い(らしい)けど文章が壊滅的に読みにくく、苦痛を感じる作品。
内容はまあ普通だけど文章がとても読みやすくてスっと頭に入ってくる作品。
皆さんはどっちを読み進めていきますか?
私は絶対に後者です。
具体的なことを言い出すとキリがないのですが、ある種の作品って読んでいると内容とか云々以前に文章そのもので萎えるんですよね。
当然私達のほとんどは素人ですし、指導を受けているわけではないですから完璧に読みやすい文章なんて望むべきじゃありません。
誤字脱字はまあ起こるでしょう、言葉の誤用もあるかもしれない。
けど、それを減らす努力は誰にでも出来ますよね?
ほら、なろうにも探せばあるじゃないですか。
日本語の書き方講座とか、レトリック講座とか。
取り敢えず読んでそのとおり書いてみればいいと思います。
もちろん、何かしら意図があってあえて表記を一般的じゃないモノにする、という手法はあるかもしれません。
でもそれは、基礎ができている人がやったときに、初めて効果を生み出すと思うのです。
『てにをは』すらマトモに使いこなせていない文章のなかで、ここはあえて改行していないんですよーとか、ここはあえて読みにくい漢字を多用しているんですよ―とか言われても、「は?」としか思いません。
いいですか、応用は基礎があって初めて応用です。
あの尊敬する作者の作品はこんなふうに書いているから真似してみよう。
ええ、その心意気は大変結構です。
そういった挑戦はいつか必ず必要になります。
でもその文体が他の一般的な小説の文体と少なからず違うと感じているのなら、まずは一般的な方で練習したほうがいいです。
素人が真似をしたところで支離滅裂な文章しか出来ないので。
もしもあなたの小説の少ない読者の方に、感想欄で文法について、あるいは表現について指摘されたなら、素直に批判を受け入れましょう。
なぜならそんな指摘がくるということは、内容について言及するに至っていないという証拠だからです。
要するに文章がクソすぎて内容入ってこね―よって意味です。
それをオブラートに包み、指摘してくれているんですよ。
感想とかいう七面倒臭いことをわざわざ時間をさいてまで、です。
感謝するしかないじゃないですか!!
ちなみに私はそういう指摘はバンバンしてほしいと思っています。
私は結構自分の文章が心配で心配で仕方がないです。
ああ、もう何をいいたかったのか段々わからなくなってきました。
とにかく、最後に一言だけ言っておきます。
お前らはチート系主人公じゃないので、地道にコツコツ努力して最強になるタイプの主人公を目指すべきです。
お前らがいずれ最強になる物語、私は楽しみにしていますよ?
異論は認める。