第九十一話 「人気者デルター」
ベアーの町には十日滞在することになった。その理由は医学研究をしているヴェロニカの後輩がちょうどこの町に逗留していたからだ。ヴェロニカは、後輩にアカデミーに提出する論文を手伝ってくれと泣きつかれたのであった。
相手は女だ。ヴェロニカに心変わりがあるとは思えないがと、不安になりつつある愛情を揺らめかし、デルターは町を闊歩していた。
この十日は実にデルターにとっては迷惑だが、嬉しくもある日々でもあった。
二
雑貨屋を覗くが目的の物はない。
「何をお探しで?」
「ああ、護身用に棍棒をなと思って」
デルターはかつて狼達を叩き伏せた経験を思い出す。命を奪った感覚、いや、そんな感傷に浸っている暇は無かった。あの時は必死だったからだ。罪の意識は後から後からやってきた。そしてデルターの手のひらに沁み込んでいるのを彼自身が自覚したのだ。
やはり命を奪うと言うのはこういう心境でなきゃならん。罪を感じなければならないのだ。
「旦那? 旦那?」
雑貨屋の主が呼ぶ。デルターは我に返った。
「何だ?」
「いや、旦那には腰に銃があるじゃないですか。ナイフもあるようだし、棍棒なんて必要ないんじゃあ無いですか?」
ナイフ。単純なことだ。デルターは肉を裂くあの感覚が苦手だ。ステーキのレアなら別だが。
「そうだな。だが、俺は棍棒を探してる。悪い、冷やかしちまったな」
「いえいえ、探し物、見つかれば良いですね」
雑貨屋の主は心からそう願うように言ってくれた。
「さて」
デルターは町を歩いた。もうどこに何があるか知っている。数日前の誘拐未遂の件もある。保安官が動いてくれれば良いが、不安だったので自分で見回りをしていた。
娼婦達からの毎回の誘いを断り、物乞いに少しだけ心遣いを恵んでやる。ガラの悪そうな者達とはわざわざ目を合わせはしなかった。
表通りに出ると途端に賑やかさが戻って来る。
表と裏か。どっちで生きるかは神様しか知らないのかもしれない。だが、それで人様に迷惑を掛けないし、満足してるなら俺は何とも思わないがな。
「あ、ハゲだ」
不意に声が上がった。
「ん?」
デルターは止まった。
「本当だ、ハゲだ、ハゲがいる! 父上、母上ハゲがいますよ」
デルターを指さしているのは二人の幼い兄弟だった。少し遅れて身なりの良い父母が駆けてくる。
謝罪されるのかと思いきや、とんでもないことになった。
「本当だ、ハゲだ!」
「まぁ、ハゲだわ!」
一体何だというのだろうか、無礼な家族だ。一言言ってやりたい気分だったが、兄弟が手にしている木彫りの像を見て合点がいった。
あの冬の間にとどまった村で、新たに生産されることになった名産品だ。
その名も、確か、ハゲ旦那の像。
「あなた、デルターさんですよね?」
父の方が感動するように尋ねて来た。
「あ、ああ」
「私達、先の村に寄ったんですが、聴きましたよ、あなたの英雄ぶりを」
「え、英雄?」
話が飛躍しすぎている。自分はただ村のために頑張っただけに過ぎない。村人と遜色なく。ただ雪下ろしをしただけで。
だが、思い直す。村人達が話を盛ったに違いない。
まったく村の発展も良いが人の迷惑も考えろって。
「盗賊を知略で撃退し、凶暴な狼の群れの中に単身で挑んで棒で打ち殺したとか、また老若男女問わず優しく頼りがいのあるナイスガイならぬナイスハゲ。見て下さい、私達は到着が遅かったので四十八種類しか買えませんでしたが、いつか全て、つまり百五十一種集めて見せます」
紳士的な父親かと思いきや、その捲し立てる早口と尊敬の眼差し、そして革袋一杯に詰まったハゲ旦那の像を見てデルターは呆れるしか無かった。そのモデルはデルターだが、良く見破ったものだと困惑し感心もした。
「さぁ、お前達、頭を撫でさせてもらいなさい」
「はあ?」
この父親は何を言っているんだ。デルターは自分でも驚くぐらい素っ頓狂な声を上げていた。
「ハゲの旦那さん、頭を撫でさせてください」
「どうぞお願いします。私達家族もその御利益にあやかりたいのです」
夫人が言った。
「御利益?」
「ええ、村の方々の話ですと、ハゲの旦那さんの頭頂部は神の御光臨なされる場所だと伺ってます。撫でると御利益があると」
あ、あいつら。
世話になった村人達だが、どうやら色々尾ひれをつけて自分のことを利用し語っているらしい。いや、あるいは純粋に感心されているのかもしれないが、どちらせよ、困惑するのはデルターだ。
しかし、希望に満ち溢れた顔の二人の子供を前にデルターもむげに断れなかった。
「分かった。ほら」
デルターは片膝をついて頭を差し出した。
ハゲを優しく撫でられる。こそばゆい感触だった。
「神様、神様、お母さんのお腹の中にいる赤ちゃんが元気で生まれてきますよう」
兄弟が口ずさみながら願い事をする。
「元気で生まれてくると良いな」
結局、家族全員にハゲを撫でられデルターは彼らを見送った。
ふぅ、俺にとっちゃ思わぬ災厄だが。
だけどよ、村の方も上手くいってるみたいで良かった。
しかし、そんなデルターを辟易させるようにこれから旅立つまでの毎日、ハゲ旦那の像を買ったという旅人に見付けられては頭を撫でられ、願い事をされる。
中には意中の娘と結婚できますように。などという若々しい恋の願いもあった。
だが、デルターを呼び止めるのは願いことを口にするだけの人々だけでは無かった。
「アンタがハゲの旦那だな」
カウボーイハットをかぶった大人の男達が突然デルターの進路を遮った。その数、二十人以上はいる。
デルターは腰のナイフに手を掛けた。
が、男達は揃って帽子を脱いだ。
真昼の陽光が幾つも並ぶハゲ頭を照らし出していた。
「デルター殿、あんたのおかげで、ここいらじゃハゲが蔑まれず、むしろ憧れの対象として見られている。ひとえにアンタの努力の賜物だ。同じハゲとして礼を述べさせてくれ」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
ハゲ達は何度も何度も声を揃えて頭を下げた。
そんなことを街の真ん中でやられれば当然目立つことになる。
興味を持った人が現れ、人づてにあの村の者達が広げた話を語り聞かせる。すると御利益にあやかろうと何人もの人々がデルターの頭を撫で回して去った行ったのであった。
「まぁ、ハゲってだけで肩身が狭い思いをするしな、そんな奴らのためになるならこのぐらいはやっても良いかもしれない」
ベアーの町を旅立ちながらデルターはカウボーイハットを取ってヴェロニカとランスに頭を見せた。
「デルターさん、ハゲの部分が赤くなってますよ!」
「ホント、これは薬を塗った方が良いわね」
ランスとヴェロニカが驚いたように言う。
「ハハハハ、まぁ、百人以上に撫でられたからな。中にはわきっちょの毛に引っ掻けるやつもいたが、まぁ、これも他者貢献ってやつだろう」
愛する人に優しく薬を塗られながらデルターは笑った。
「笑い事じゃ無いわよ、この調子だとこれから先も大変かもしれないわよ。それにこれは他者貢献じゃなくて自己犠牲だわ。こんな赤くなっちゃって」
ヴェロニカが少々立腹するように言った。
デルターはそれが嬉しくて再び笑った。
その時、乗合馬車が通り過ぎて行った。かと、思ったら止まった。
数人の影が下りてくる。
「あなた、あの村で有名なハゲ旦那の像のモデルのデルターさんですね!」
「おおい、ハゲ旦那の像の人がいるぞ!」
人々が殺到してくる。
ランスはほら見ろと言わんばかりに溜息を吐き、ヴェロニカは彼らを止めようとしたがデルターは言った。
「おう、俺がハゲ旦那の像のモデルのデルターだ。薬を塗ったばかりだが俺のハゲ頭を撫でてみるか?」
集まった人々が一斉に頷く。
「よし、一人ずつ順番にな」
デルターは豪快に笑い飛ばし頭を差し出したのであった。




